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単位があることで目立つことと忘れられる物事について考える~Natsuyo Takahashi

ArtStickerより、Natsuyo Takahashiさんの作品をコレクションさせていただきました。メジャーを使ってとうもろこしをつくっている作品です。

単位を共通認識させる、ということが「社会」を構成する上でとても重要だと気づかせてくれた作品です。

とうもろこしが2本あり、友達と2人で分けるとしたら「1本ずつ」が平等な気がします。でも、1本って正確に考えると量が違いますよね。
完全に平等に分けたいなら、食べられる量を正確に量ってグラムで分けたほうが平等そうです。スーパーで売ってる肉は、グラムいくらで量り売られているのに、きゅうりは本数で売っている。正確に値段を合わせるなら、切ってグラム売りしたほうが公平そうです。

大きくても小さくても、木は1本ずつ数える。
液体のようなものは、器に入れて数えられるようにする。

単位があるおかげで、数えることや比べることができるようになりました。
それは逆に、単位化しやすいものを目立たせ、そうでないものを忘れさせる効果も持ったように思うのです。

思いやりや優しさを単位化できたら、私たちはもっと人に優しくしようとできるでしょうか。単位化できないものは、想像の中で肥大したり縮小したりします。自分は自分が信じているより優しくないのかもしれない。あるいは優しいのかもしれない。

暫定的であれ、単位があることで私たちはそれを減らしたり増やしたりすることが容易になり、またそれが増減していることを周りの人も認識しやすくなります。

この作品は、初めて見る物体なのに、ほとんど自動的に「1個」と数えてしまいます。これが「3個」の状態なのかもしれないのに、「1個」だと思っているのはなぜなのか。単位の存在は、初めて見るなにかに対しても影響を及ぼしています。それは偏見を生まないのでしょうか。

単位によって影響力が大きく感じる物事、単位がないおかげで実体以上に大きかったり小さかったりして感じるもの。単位によって発展した社会と、失われた社会の特徴について考えたくなる作品でした。

私は今、未来の医療概念としての「社会治療」というのを思考しているんですが、社会の最小単位はなにか、これからの社会が必要とする単位、あるいはなくなるべき単位というのを考えてみたくなりました。


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