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『健康で文化的な最低限度の生活』から生活保護を全員がもらえたら、を考えてみた

生活保護っていう言葉は知っているけれども、その実態についてご存じの方はどれだけいるでしょうか。

2019年の日本の世帯数をざっくり調べてみたら、5852万7,117世帯でした。2019年2月段階の生活保護受給世帯は163万5515世帯です。ものすごく雑な計算をすると、2.8%の世帯が生活保護受給をしていることになります。

・・・って数値化されても良く分かんないですよね。それが多いのか少ないのかっていう問題よりも、実際に受給して暮らしてる人たちの生活がイメージつかない感じです。

この生活保護をテーマにしたマンガがこちら『健康で文化的な最低限度の生活』です。新卒公務員の義経えみるちゃんが、ケースワーカーとしてさまざまな人の生活に関わっていきます。

このマンガを機に、生活保護だったり、暮らしやすい社会だったりについて考えてみました。

自分の周りには、生活保護受給して暮らしてる方もいるし、破産経験者もいるし、生活保護自体も困ったらもらえばいいんじゃないかな、くらいの考えでいたんですね。

ひろゆきさんの「働かない生き方」みたいなのに洗脳されてるのかもしれません。

なので、マンガを読んで一番驚いたのは、困窮してるのに生活保護をもらいたくない!って考える人がいることや、人に迷惑をかけたくないと考える人たちがいることでした。

ハリーポッターシリーズの作者、J・K・ローリングがシングルマザーで生活保護受給しながら作品を書いてたのをご存じでしょうか。かなりの数の出版社に断られてようやく出版できた本が大ヒット。今や、もらった生活保護費をとうに上回るほどの税金を払ってそうです。

まぁ、こういうのはとても稀なケースですよね。中にはギャンブルにハマって借金を抱えた挙句に生活保護、みたいなケースももちろんあって、生活保護受給はそういう人も救う制度になっているために、「なんで真面目に働いている人が税金でそういう人を養わなければならないんだ!」っていう気持ちになる人もいそうな気がします。

でも、「生活保護」っていうラベルだけでは、受給者がどうしてそうなったかというのが外から分かりません。

働いて税金を納めている人が生活に使えるお金が、生活保護でもらえるお金より少ない、みたいな現状があると、自分は苦しい思いして働いてるのに、楽してお金をもらえているなんてって思う時もありそうです。

これを一瞬で解決するために、全員が生活保護をもらえたらいいんじゃないかなって思ったんです。いわゆるベーシックインカムの考え方です。全員がもらえてれば、俺は苦労してるのにあいつはもらいやがってって思うこともなくなりますよね。

本書に出てくる、とても印象的な言葉が「尊厳」でした。文字が読めないために騙されてしまい、でも「自分が文字を読めないことを言えない」でいる人が出てきます。生活保護を受けるということが、時に受け取る人の尊厳をないがしろにしてしまうのかもしれない、と考えました。

でも、全員がもらえるのであれば、みんな安心してもらえますよね。自分の尊厳を守るために生活保護を受けないというケースがなくなりそうです。生活保護をもらってる人の尊厳を守る必要があるのかについてですが、こんな記述を見つけました。

尊厳と人権は社会福祉の原理であり理念(中略)

尊厳とは,“聖なるもの”の経験の中で実感する「かけがえのなさ」,「他者の存在の大切さ」,「他者への責任=倫理」といった,世俗の価値とは質的に違う価値のことである.
引用:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssw/59/1/59_1/_article/-char/ja/

健康で文化的な最低限度の生活を守る制度が生活保護であれば、この制度の中に尊厳を守ることも含まれるはずなんですね。そもそも生活保護というものが、尊厳も含めて守る制度であると私は理解しました。

マンガを読んでて、あまりにも余裕がなくなり、追い詰められてしまっている人の姿に衝撃を受けました。いろんな制度があってもなんのことだかよく分からなかったり、難しいことをいっぱい言われてそれだけでフリーズしてしまったり。世の中って確定申告のシステムとか、難しいこといっぱいあるよね、ほんと。。

誰かに迷惑をかけないように、という考えはとても素晴らしいです。でも同時に、本当に辛かった時、誰かに頼ること、頼れるということを知ってもいいのかもしれません。制度があるっていうことは、頼っていいということですし、こういう制度を国としてつくってきたのは、自分たちの暮らす場所が、辛いことがあった時に寄り添い合える社会であって欲しかったからじゃないかなーと思うのです。

バルセロナに数か月滞在してた時、おもしろいジョークを聞きました。スペインでは3人が働いていた場合、まじめに働いているのは1人だけで、残りの2人はそれをからかいながら働いている1人を見ていると。風刺的なジョークなんですが、働くなんてばかばかしいというスペイン人の気風をざっくり表しているのかもしれません。(マドリードに住んでるスペイン人の友人は、ぜんぜん真面目に働いてるし遅刻とかもしないけど、なんだそれと言っていました笑)

日本では燃えるゴミが火曜日、資源ゴミは2週に1度みたいなことがよくあります。世界では、大きなゴミタンクがあり、いつでも出せるところが多いんですよね。バルセロナで聞いたら「そんな複雑なゴミの出し方、ここじゃ誰もできないよ」って言ってました。

彼らが日本に生まれ育ってたら、ちゃんとゴミは分別すると思うので、人間はだいたい、周囲の環境になじむようにカタチづくられるんじゃないかなと思っています。

日本は安全な国ですごい、と海外に行くと非常によく言われます。新品のスマホを駅に置き忘れてもちゃんと返ってくるなんてクレイジーだと言われます。この国では貧しくても、人の物は盗らないんですよね。

これまで旅してきた中で、道を歩いている時に、こっちが気づいているのに持ち物を引っ張って取ろうとする国も実際にありました。日本だとカバンが開いてると周りが注意してくれる、なんてこともあります。

ベーシックインカムについては、こんな記事がありました。

お金をもらってたら働かなくなるんじゃないか、という懸念がありましたが、労働意欲はそこまで低下せず、むしろ進学できるようになったり、メンタルヘルスが改善されたりなどいい効果があったと。メンタルが安定して働ける人が増えるだけで、医療費が下がって税金払ってくれる人が増えることになるので、今、追い込まれるほど無理やり働かせることが、社会全体を長期的に見た時に「得」になってるかは分からないですよね。

まだまだ研究結果が少ないので、数回の結果でどうこういうのは難しいかなと思うんですが、ベーシックインカムがもらえるとなれば、仕事が本当に辛かった時に逃げやすいかもしれません。あるいはそもそも逃げたくなりそうな仕事を始めないとか。

逃げられないから我慢して働くけれど逃げやすくなったら、会社自体も人材を確保するため、待遇を改善しようともっと真剣に考えるのではないでしょうか。簡単に逃げる人材はいらない、という話ではなく、お金のために働くよりも、楽しいことをしたいという考え方になるんじゃないかなと思うんです。働かなくても生活ができるのであれば、辛いことはわざわざしないですから。

そうなったらいいけど、財源は?っていうのがありますよね。全員のベーシックインカムって誰が出すんだって。

まず、お金じゃなくてもいいかなっていうのが一つあります。簡単には住居の無償提供です。

私自身は以前、家賃0円のクリエイターズシェアハウスというプロジェクトに受かって2年ちょっとの間、家賃0円で暮らしてたことがあったんですが、家賃0円だと心にとても余裕ができるんですよね。

毎月けっこうな金額が家賃で出ていくって、実は精神的な負担がかなりかかってるんだなと実感しました。家賃のために働かないとってやっぱり思いますよね。

田舎だと野菜がけっこうタダでもらえたりしますし、不用品を手渡しで受け渡しできるジモティーみたいなサービスもあります。

私も処分料がかかりそうなものをけっこう引き取ってもらったことがありました。捨てちゃうにはもったいないけど、売ることもできないくらいのやつって、タダだともらってくれる人はけっこういるんですよね。

それでも必要なお金はゼロにはならないと思うのですが、次に「社会が持っている資源」という意識で考えてみたらどうかなと思うのです。

ちょっと古い記事(2016年)ですが、税金がない国をまとめた記事がありました。

なんで税金がなくていいかというと、国にもともとある資源で外貨をたくさん稼げるからですね。石油がいっぱい取れる国とかだとできそうです。

つまり、資源があって、外貨をたくさん稼げていれば税金を減らせるんじゃないかと。天然資源は枯渇しますが、人間がつくれる資源は枯渇しないんですよね。つまり創作物。医薬品とか最先端の科学技術、観光とかもそうですね。

1930年頃のアメリカに連邦美術計画という政策があったのをご存じでしょうか。

アメリカってとっても若い国なので、文化といえるものがあんまりありませんでした。でも、この施策で多くのアーティストが保護され、その中からジャクソン・ポロックなども生まれています。1作品で2億1100万ドルってすごいなポロック。

また、建築費のX%はアートを買わないといけないみたいな法律もあるので、町中にアートがあふれます。ニューヨークなんかは町中がアートまみれです。

モナリザみたいな有名作品が1つあると、その後何百年もずーっと観光客を呼んで町を潤してくれますよね。観光客多すぎ問題はイタリアやバルセロナで発生してるので、稼ぎまくれればいいわけでもないですが、だいたいは集客に困っているので、集客するよりもお客さんを減らすほうが楽かもしれません。

同じやり方を日本もすべき、とはぜんぜん思っていなくて、日本はもともと外貨を稼げる資源として「歴史」や「食文化」があります。若い国には簡単につくれない、先人が時間をかけて培ってきた資源です。SUSHIの人気は本当にすごくて、世界中でSUSHIレストランを見かけない場所はないほどです。これらを遺す人たちを確保できれば、日本は社会としての資源をずっと確保できそうです。

ほかに、マンガもすごい資源だなぁと私は思っています。体感程度なんですが、海外に行くと20代以下の子たちがマンガ・アニメにものすごく熱狂しているので、それだけのものをつくれる日本って本当にすごいなって思います。

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日本のマンガは、つくる人の総数のケタが違うんじゃないかなって思うんですよね。あと、日本では生まれた時からおもしろいマンガがいっぱいあるので、自然におもしろいものを見つけるアンテナが育ってるのかもしれないです。

『健康で文化的な最低限度の生活』では、ケースワーカーを通じて人々の暮らしや苦悩を描いているんですが、「こうしたらいいよ」というのが提示されているわけではないんです。

主人公のえみるちゃんも先輩から教わりつつ悩んでいます。いろんな人、いろんな考え方に触れて、どうしたらいいんだろうって悩んでいるんですね。

社会って私たち一人一人が考えてみんなでつくっていくことで、この本は「どんな社会に暮らしたい?」っていうのを聞いてくるみたいだなぁって思ったんです。

どんなことを常識として持っている社会(コミュニティ)で暮らしたいか。のんびりぼんやりがいいなっていう人もいれば、いろんな環境を見てみたい人もいると思います。

前に、国境なき医師団に参加したお医者さんの本を読んだことがありました。国境なき医師団に参加するなんて、みなさん崇高な使命とかを感じてる方ばかりなのかと思ったら、意外とそういう人はすぐにやめちゃうらしくて。そこをとても興味深く感じました。

医師団の人が暮らす場所は、トイレの壁全面に虫がついてる!みたいな環境なので、むしろ一般社会にうまく馴染めないちょっと変わったお医者さんのほうが長続きするらしいんです。変わった環境を「あはは」と乗り切れる人ですね。

遺伝子的には人類はほとんどみんな同じでも、社会に暮らすレベルになると人はみんな違います。それぞれが合った環境ってちゃんとあるなと私は思っています。

世界には本当に、いろんな考え方や常識があります。一夫多妻もあるし、最初に生まれた子は全員「女」として扱われるところもある。タンザニアでは乗り合いバスは満員にならないと出発しないので、もう遅刻ヤバイとかいう概念がなさそうでした。

全員が楽に暮らせたら、そのほうがよくないですか?

そんなの無理という話ではなく、自分がどういう社会に暮らしたいかと考えたら、全員が楽なほうがいいんじゃないかなと。

誰にも頼れない、人に迷惑かけちゃいけない、そういう概念が浸透している社会は、どこかで自分たちを追い詰めないでしょうか。

みんなが楽できるために、みんなで考えて、楽できる社会をつくっていくとしたら、どんな考え方が浸透しているといいのか。

すべての人を貴重な資源ととらえ、資源を生かす、資源を増やす視点をもてたらどうでしょう。自分自身を資源と捉え、自分自身がもっとも価値創出できる場所に移動できたら。他の人を資源と捉え、その人が価値を生み出せる状況を選んだ時にポジティブな声をかけてあげられたら。

日本人全員が「安全」という資源を享受できているように、社会がもっている価値は、社会全体に還元されます。それはお金みたいに分かりやすい形になってないかもしれないけど、確実にみんながもらえます。

私の友人のドイツ人がクラシックの作曲をしてるんですが、マンガやアニメが大好きでアニメ音楽もつくりたいと言っていました。でも、ドイツではクラシック音楽をつくる作曲家のほうがアニメ音楽の作曲家よりも上、みたいな意識があり、アニメ音楽をつくりにくいと言ってたことがあるんです。

そういう差がない日本がうらやましいと。そういう「考え方」も社会がもってる価値ですよね。(逆に考えると、日本は現代音楽や現代アートの受け入れ土壌があまりないというのもあると思います)

みんなが楽できる、というのは、みんなが同じ状況で暮らすということではなく、それぞれがパズルのピースのように、自分にハマる場所に移動し、自分だけの最適解を自分で見出すってことなんじゃないかなと私は考えています。

同時に、こうやって考えられること自体が、今すぐに食べるには困っていない人の理論にすぎないとも思っています。今日食べるものがないのに、社会のことなんて考える余裕なんてないですよね。

ただ、生活保護受給する世帯が3%弱ということは、雑な計算をするなら97%くらいは今日は困ってないはずです。その中で、3か月後に困る人はどれだけいるでしょう。半年後は?1年後は?半年後の自分の生活を考えるとともに、自分が暮らす社会(コミュニティ)のことを考えてもいいのかもしれません。それはリアルかもしれないし、ネット上にあるかもしれない。

『健康で文化的な最低限度の生活』は、貧困という社会問題についてとか、生活保護を受けることについてとかではなく、自分がどういう社会に生きたいかを考えさせられたとても深い作品でした。学ぶところが多かったです!

1巻や一部の巻が無料なので、ぜひ、この機会に読んでみてください!

私は自分が創りつづけられる社会に暮らしたいです。だから、創りつづけるものを支えてくれるものを応援したいなと思ってますよ!

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