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初個展の会場で聞いた「本当にやりたいことに対して小さくてもアクションを起こす」という話

 私が初めて個展を開催したのは、二〇一三年の一月。六本木のギャラリーオーナーが場所を制作場所としてギャラリーを貸してくれ、約八ヶ月かけてギャラリー全面を絵で覆う展示をした。何がアートなのかとか、考えたこともなかった。制作の途中でオーナーに「つまらない、これならやめたほうがいい」と言われ、一度は中止になりかかるけど、なんとか最後まで描き切った。

 それまで、ずっと作品に自信を持てなかった。私が絵を描き始めたのは二〇一一年の二月。当たり前だが、本格的に美術を志していた人たちとは、経験も知識も技術も、なにより覚悟が、圧倒的に足りていなかった。

 初めての個展には、たくさんの友だちが来てくれ、それぞれが写真を撮って、フェイスブックやブログで紹介してくれた。その写真を見て、実際に足を運んでくれた人も何人もいた。会場で初めてお会いした女性が、絵で覆われた部屋を見て、「わあっ」という声と共に、表情が変わったのを今でもよく覚えている。

 ああ、私はこういうことがしたい。
 人の表情が一瞬で変わるほど、ワクワクする、驚きに満ちた世界を作りたい。

 何をしたらいいのか、何を目指せばいいのか、情熱を傾けるものも見つからないまま、焦りの中で過ごしていた自分。この時の作品と、来てくれた人たちによって味わえた感覚は、私のその先の人生を確かに方向づけた。

「不思議と圧迫感を感じないね。ここで静かに一日を過ごせたらいいなっていう気さえするよ」

 たまたまフェイスブックでの写真を見て来たという男の人は、ずいぶん長い間、会場にたたずんでいた。靴を脱いで絵の上に立ち、ゆっくりと歩き、また立ち止まって少し上を見る。

「こんなにぎっしり絵が描かれているのに、不思議だよ。水の中にいるみたいだ」

 水の中を泳いでいるみたい、羊水の中みたい。曼荼羅のような模様。

 多くの人がそのような感想を口にした。

「ありがとうございます。こんなにじっくり、時間をかけて見てもらえてうれしいです。私、獣医をやめてから、何を目指せばいいのか分からなかったけど、こういうのやりたいなって思えました。この作品と、機会をくれたギャラリーさんのおかげです」
「それはよかったね、ちゃんともがいてきた証拠だ。そしたらもう、あとはやればいいだけだよ。次の個展はいつ?」
「あ、いや、そんなすぐっていうわけにも。この作品は紙も用意してもらえたし、制作場所もお借りできて。でも、うちってシェアハウスだし、部屋も狭いから、とてもこんなに大きなものは作れないです」
「そう。じゃあ小さい物から作っていく感じかな?」
「いやー、でも体験して全身で感じられるものがいいですね。小さい物だと、なんか見るだけで終わっちゃうような気がします」

 男性は少し黙ってから、黒い眼鏡を右手で軽くおさえて言った。

「あれだね、今のキミは、行きたい場所は見つかったけど、そこに行く手段が分からない感じだ。正確に言うと、手段が見つからないように、自分で目を閉じちゃってる感じかな」
「閉じてる?」
「そう。アメリカに行きたいって思ったら、まず、何をする?」
「ええー、格安航空券のサイトを探しますかねー」
「それだよ。キミはアメリカに行く方法を知っている、手段が分かっているんだよね。これが『地底人に会いたい』だったら、どうしたらいいか分からないだろう?そんな感じ」
「はい」
「ただ、キミは今、一瞬でも地底人に会えたわけだよ。自分が予想してなかったにしても、地底人が突然やってきたんだ。だから、いつも会えるか分からないけど、同じようなことをしたらきっと、また地底人に会えるはずだ。じゃあ、どうしたらいいと思う?」
「人が驚くようなものをつくる、とか・・・」
「そう、じゃあそのためには何をしたらいい?」
「大きい物をつくれるといいですけど、今はとても無理です。だって、うち、狭いですもん。六畳にベッドも机も置いてあるから」
「今、キミが言ったことが目を閉じる行為だよ。無理だ、できない、今はその時じゃない、チャンスがきたら。そういう言い訳をして、行動しないことだよ。その言葉の後ろには、失敗したくないっていう恐れが隠れている。その気持ちは分かるよ。初個展でしょう? 今回は喜んでもらえたけど、次回は分からないって思う気持ち」

 男性はそう言って、カバンからポストカードを出した。正方形の四角の中に、赤と黒の線が縦に入った絵。

「ぼくは絵描きなんだ、もう二十年以上やって、全然芽が出てないし、キミに偉そうなことを言える立場じゃないんだけどね」

 私は渡されたカードを受け取る。よく見ると、シンプルな赤のラインは、少しずつ違う色の『赤』で構成されている。

「初めての個展で、それなりにいい評価をもらって、作品も売れたんだよね。でも、二回目はひどかったんだ。つまらないっていう声も聞いて、自信がなくなったんだ。何をやったらいいのか、ぜんぜん分からなくなった。何をやりたかったのかも。それで『本当に納得がいく作品ができるまで世には出さない』って周りにも言って、十年以上、作品は発表しなかった。アイデアが浮かぶまで描かないって言って、作品も作らなかったんだ。・・・本当はただ、怖かったんだ。またダメだった言われたらどうしようって、誰にも認めてもらえなかったらどうしようって。それで、作品をつくらなくていいような言い訳をずっと考えてた。そんな感じで、最初の成功が薄れないように、そこにすがっていたんだね。
 このカードは三ヶ月前の個展の案内状だよ。十三年ぶりのね」
「個展、どうだったんですか?」
「売れたわけじゃないけど、満足した。ぼくはやっぱり、誰かに作品を見てもらいたかったんだ。見てもらえることで、作品が生きるような気がするんだ。この個展のおかげで、失敗なんかないって気づけたかな。だから、やってよかった。踏み出すのに、十三年もかかったけど」

 男性が手を差し出したので、私はカードを返す。「あげたいとこだけど、これが最後の一枚なんだ、ごめんね」そう言って、男性はカードをカバンに入れる。

「ぼくは人にどう思われるかよりも、自分が美しいと思える線を探求したい。発表は本番の場だったんだ。そこに出したことで、自分の線の甘さに気づけた。まだまだいける、そう思えたよ。発表したことで、アイデアだってどんどん浮かんでくるようになった。可能性に対して、目が開かれたんだ。
 自分に言い訳していた時は、自分が歩けることも分かんなくなってたよ。自分がやりたいことに対して行動していれば、それは必ず、やりたいことをちゃんと引き寄せるんだよ。
 もう本当にできることからでもいいんだ。『地底人に会いたくてさ、誰か会い方知らない?』っていろんな人に聞くことから始めたっていい。でも、先延ばしにしないことだ。『いいアイデアができてから絵を描こう』『まずはお金を貯めてからにしよう』それが目をつぶるっていうことだ。実際、ぼくは一三年、そうやって先延ばしにしたけど、納得いく作品なんてできなかった。時間が経てば経つほど、より恐れが増して、チャレンジできなくなるだけだった」

 男性は絵の上を少し歩いて、周りを見渡す。

「自分が本当にやりたいことに対して、毎日、本当にちょっとでもアクションを起こすことだよ。『人が体験できる作品をつくりたい』って小さくつぶやくだけでもいい。体験って何かなって考えて、アイデアを出してみることなら、小さい部屋でもできるだろう。一番いけないのは、先延ばしにすることだ。『今は時間がない』『今日は疲れたからもういい』そういう気持ちに負けるなら、きっとそれはキミの一番やりたいことじゃない。あきらめて他のことをすればいい。でも、あきらめたつもりでも、もう一度やってみたくなることなら、今すぐきちんと手をかけてやるんだ。一三年も経つ前にね」

 男性はそろそろ行く、と言って靴を履く。

「言い訳に時間かけていられるほど、人生は長くないからね。『人が体験できる作品をつくりたい』、素敵じゃないか。言い訳も、できない理由も、積み上げなくていい。『つくりたい』その気持ちだけ、毎日ちゃんと積み上げるといいよ」

 私は男性をギャラリーの入り口まで見送る。扉を開けて外に出ると、男性は最後に言った。

「うるさいこと言ったね。作品は本当に素晴らしいよ。ぼくも、誰も振り向かなかったとしても、今はちゃんと一歩を踏み出していくよ。じゃあまた、お互いがんばろう」

 私は来てくれたお礼を伝えて、男性と別れる。
 当たり前のように「今は無理だけど」と言ってしまう癖を、まずは直すことにしよう、私は自分に言う。

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