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「夜の案内者」死者のための手術6

 タンは先の細い鉗子を使いながら皮下組織を縫い合わせていく。あまり手術をやったことがない割には早い。自主的に練習はしていたのだろう。アサは糸を引っ張ったり、結び終わった後に糸を切ったりして、タンの縫合を手伝う。タンが皮膚を閉じ終わる時間を見ながら、ザミルは麻酔を徐々に落としていく。
 手術が終わって手袋や手術着を脱いでいるうちに、マラが手足を動かしながら、うめき声を上げ始める。
「目を覚ましたようだねェ」
「終わったよ、よく頑張ったね!」
 アサの声に彼女はまばたきで答えた。
 彼女を手術室の隣にある入院室に移し手術室を片付けると、アサは疲れたので休みたいと言って部屋に戻った。手袋を取った指先が汗でふやけ、皺ができている。アサはベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめて獣みたいなうめき声をあげる。
(生きてる、彼女は生きている)
 背中の上の空気が、やわらかいもので包まれているような感覚がある。指先に無数の命の記憶が思い出され、枕に涙がこぼれる。そのうちにアサは眠ってしまった。
 目を覚まして入院室に行くと、彼女は寝息を立てて眠っていた。窓の外から夕暮れの赤い光が差し込んでいる。
「まだ、安心なわけじゃないが、手術は成功したよォ。ありがとう」
 入院室にいたザミルがアサに声をかける。アサは両手を広げてザミルを抱きしめた。
「タンのこともねェ、ありがとう」
 アサは玄関を開けて家の外に出た。空全体がネズミの目と同じ赤い色になっている。この世界全部がネズミの目の中に入ってしまったようだ。病院近くのレストランの駐車場にネズミがいて、アサと同じように空を見上げていた。ネズミの白い毛が、夕焼けを浴びて赤く染まっている。アサはネズミの横まで歩き、二人は並んで空を見た。
「日が落ちてきましたね」
「いつも明るかったからねー。やっと夜になってゆっくり眠れそうじゃない?」
「綺麗だな。こんなに綺麗なものが世界にあるなんて」
 ネズミはコートのポケットから赤い乗車券を取り出し、空に掲げる。
「おんなじ色だ。これを見るたびに思い出せそうです」
 アサはネズミに笑いかける。その時、病院から緊急を知らせる機械の音が聞こえてきた。アサが走って戻ると、入院室の扉が開いたままになっている。部屋に駆け込むと、ザミルがいた。女性が泡を吐き、痙攣している。
「なんで!?」
 ザミルは顔を横に向けて舌をガーゼで引く。タンが薬液の入った注射器をもってくる。ザミルは様子を見ながらその薬液を点滴に入れていくが、痙攣は収まらない。女性はしゃっくりのような動きを繰り返したあと、全身を強く震わせ、顔から力が抜けて動かなくなった。ザミルは注射器を点滴から抜き、首にかけていた聴診器で女性の胸の音を聞き、目に光を当てて瞳孔を確認する。タンはよろめくように倒れ、床に座り込む。アサは黙って女性の顔を見たまま立ち尽くす。いつの間にか涙がこぼれていて、掌でこすり落とした。
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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