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作業をライブ配信した時のアート作品のコピーリスクについて考える

00:00 Studio(フォーゼロスタジオ)という作業配信サービスで最近よく配信しています。

(サムネにリクエスト受付中って出るようになっててびっくりした。毎日なんか変わっててすごいですね、このサービス、、)

アート制作、note執筆、マンガ制作など割となんでも配信してるんですが、アート制作の様子をライブ配信する時にアーティストとして気になるのは、作品のアイデアがコピーされないかという問題です。

ぶっちゃけて言うと、デジタル作画のほうがアナログよりもはるかに制作が早いです。乾くのを待つ時間とかもなく、色をつくるのも一瞬ですからね。

もしも不思議な画面をつくる無名作家が作業配信していたとしてます。それを見た技術のあるデジタル作家が、類似のコンセプトで作品をつくって世に出してそっちのほうが知られてしまった場合、どちらが先に考えていたかっていうのを証明するのはけっこう難しいですよね。たとえアーカイブが残っていたとしても、もしかして先に出して知られてしまったほうが強いような気がします。

アート界隈だと著作権侵害で訴訟されまくってることで有名なのがジェフ・クーンズです。

2017年のロサンゼルスのBroadという美術館で展示されていたジェフ・クーンズの作品がこちら。

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もうさ、マイケル・ジャクソンとバブルスくんじゃないですか。肖像権はどうなのとか言われると、マイケル・ジャクソンが訴えたら勝てそうな気はしますよね(わかんないけど)。

ただ、先ほどのサイトを見ると、パロディというのは許されるみたいなんですよね。正直なところを言うと、ドラえもんやピカチュウはかなりあちこちで見かけます。

タイのチェンライというところにあるワット・ロンクンは、内部の撮影が不可なのですが、ここにもドラえもんが描かれていました。

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↓ タイとミャンマー国境らへんにいるやつ。

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完全にドラミ。

ニューヨークのギャラリーのインスタレーションで、完全にピカチュウなやつもいました。

アメリカでは美術館でも写真撮影がOKなところがほとんどなんですが、ニューヨークSOHOのギャラリーでは撮影不可なところの方が多いんですね。ギャラリーのほうがNG率が高いので、ギャラリーを訪れた際には先に撮影可かどうかを聞くのがマナーな感じです。

現代アート作品の場合は、作品の見栄えに加えて、作品を構築する前の「コンセプト」というのがとても重視されます。海外のアーティスト・イン・レジデンスやアートコンペに応募する時もそうですが、国内でもアート賞に応募する時には必ずコンセプトを問われます。

アート作品は作品の見栄え(画像)だけで作品の質が決まるわけではなくて、画像審査だけではそこが判断しきれないので、取りこぼしがないようにコンセプトも聞くんだと思います。

コンセプトを聞いてもらえるのはとてもいいことだと私は個人的に思っているのですが、理由は画像審査だけだと、どうしても写真映えしやすい作品が勝ちやすくなってしまうからです。でも、画像では良さが分かりにくいアート作品っていうのもすごくたくさんあるんですね。

画像重視になってしまうと、そういう作家が評価されづらくなってしまうかもしれませんし、画像映え作品ばかりが創られるようになっては、アート全体にとってあんまりよくないんじゃないかと思っています。

そんなわけで、アートの場合は作品の見栄えだけではなくて、作品がつくられた理由、ビジネス的にいうとWHYが大事なんです。それが作品のコンセプトとして創作物の芯になってるんですね。

完全にオリジナルというのはすでに難しい

あちこちでアート作品を見ていると、「あれっ、これ知ってる作家のタッチとそっくりだ!」みたいなことにも出くわします。よく見れば違うんですが、なんとなく纏う雰囲気が似てるような作品はけっこうあります。ぜんぜん違う国で見かけるので絶対にお互い知らないはずなんですが、同じ画材を使って同じモチーフ(人とか花とか)を描くと、世界のどこかに似た作風でつくる人がいてもおかしくないのかなぁと思うことがあります。

イラスト

表現方法として、太陽の光を点線で描いたり、雨を線で描いたりする方法がありますが、これも誰かの発明的な表現ですよね。雨を線で描くのは浮世絵(安藤広重)からきてると言われています。

よく考えたら太陽の光って見えないのに、手描きの線で描かれていると、なんかぽかぽかした感じに見えます。それはもう、長らくそういう表現を見続けてきたので、見る側としての自分たちが教育されたというのがあると思うんですが、浸透するほどの表現を開発できたというのはとてもすごいことですよね。

私の近作です。何の文字をどう入れたらいいのかというのを試行錯誤しつづけて、ようやく形が見えてきたかなという感じです。

もともと私は文字を使わないと決めている作家だったのですが、2019年のこちらの作品をきっかけにオノマトペ表現を使うことを考え始めました。

その後、デジタルでいろいろつくってみたのですが、作品にコンセプトがなかなか乗り切らなかったんですね。なぜ細胞の線画に文字を入れているの?と聞かれた時に、なんとなく素敵そうだからっていう答えでは現代アートとしては評価されないんです。

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現代アート作品にとって大事なのは「作品とステートメントの一致感」ではないかと書家・現代アーティストの山本尚志さんが言っていました。ちんぷんかんぷんだった頃の私に現代アートについて教えてくれた大先輩です。

自分が今も苦悩しているのはまさにこの作品とステートメントの一致感の部分です。ステートメントとしてもっている「社会治療」という医療概念は、かなりシンプルに落とし込めた強い哲学だと自分では思っています。ただ、これを作品にすとんと落とし込むことができていない部分が多くて。インスタレーションの場合はまだいいのですが、平面にして作品と触れ合うことができなくなった時に、作品がステートメントの芯を捉え切れていない気がしていました。

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そんなわけで手を動かしつつ、色のバランスや画面についても学びながら、作品のコンセプトをどう構築したらいいのかというのを考えていました。

そもそも、オノマトペというもの自体は使ってる人も多いはずです。オノマトペを創作すること自体も、小説の世界ではよくやられているので目新しいことではありません。(小学校の頃に、宮沢賢治がオノマトペを創作してたのを習ったよ)

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ちょっと発展したのが2021年のタグボートアートフェアに出した「風景を音に翻訳する」シリーズ。実際に自分が訪れた場所を、その土地で聞こえる音の記憶と色と写真で表現しているものです。音を日本語に翻訳しているので、こちらは正確にはオノマトペではありません。

甲府

甲府-(2)

甲府 (7)

ただこれも、景色を音で表すというアイデア自体は簡単にコピーできてしまいますし、すでにあるのかもしれません(サウンドスケープという概念はある)。違いが出るとしたら、音をどう表現するか、色をどうかぶせるか、みたいなところになってくるかなぁと思います。たとえば、同じ風景の音を使うとしても、墨を使ってぎっしり縦書きしたり、五線譜に乗せたりするような手法もとれますからね。

「雨を線で描く」もそうなんですが、創作におけるなんらかの発明表現は、もちろんリスペクトされるべきです。とはいえ、今、多くのマンガやアニメ、イラスト、アートで雨が線で描かれているように、継承されるのはとてもいいことだと思っているんです。そのおかげで「雨を線で描く」という表現形態がある種の公式のように守られ続けるわけですからね。キュビズムっぽいタッチ、みたいなのもそんな感じです。

雨を線で描いたとしても、その表現を使ってできあがる創作物はさまざま。

既存の表現を踏まえながら表現を深堀していかないと、今「雨を線で描きました!」というだけではスゴイと思ってもらえません。

自分が最近やっているこちらのシリーズも、要素を分解すると
・創作オノマトペを使う(時にひらがなとカタカナを混ぜる)
・体のパーツを表す漢字を使う
・写真を使う
・アナログで制作した作品を使う

などがありますが、アイデアだけなら誰でもマネできるはずです。(というか、このくらいのアイデアだとすでに誰かやってると思います)

なので、この要素を使ってどういう世界観をつくれるかというのが、自分にとっては大事になってきます。デジタル作品を創る時には特に、コピーされにくいかというのを私はとても考えるんですが、選んだ要素が自分自身のコンセプトとどれだけ強く紐づいていて、そこが負けないかというのがポイントだと思っています。

使う写真は自分が行ったことのある場所のみを使っているというのもその辺りがあります。ネットからDLすれば素敵な写真はいくらでもありますが、作者と作品との関係性が強まりますよね。逆に「ファンタジー」をテーマとして推し出すとしたら、自分がまったく行ったことがない世界、あるいは現実に存在しない世界を使うとかもありかもしれません。(私はやらない方向性ですが)

創作してるオノマトペや選んでいる身体のパーツも、実際にその場所に行ったことがあるからこそ、この文字だっていうのが自分にはあるんですね。青山には胃がころころ降ってくるんだよ、ゴわゴわしてるんだよっていう感じです。

また、漢字や日本語を使うことで、ネイティブでないと制作が難しい表現になります。カタカナとひらがなのMIXって、日本語ネイティブにとってはちょっと違和感があると思うんです。マクドナルドのコピーライト I'm loving it.は、英語圏だと状態を表す動詞Loveをing形にはしないので、英語ネイティブには違和感のある表現のために心にひっかかると聞いたことがあります。

そういうネイティブならではの言葉の機微がのります。もちろん逆に言えば、ネイティブじゃないと細かいところまで分からないことになりますが、そこが分からず形状と動きだけを見てもおもしろくなるようにというのを考えています。

ちなみに動きの参考はこちら。

動きをコピーしてるんじゃないか!と言われたらその通りなんですが、文字がこんな感じで動くのは、ピンポンというアニメでもあったような気がします。すごく珍しい動き方ではないんですよね。

ただ、これを見て、「文字には文字に適した動きがある」というのをなんとなく学びました。ゴーゴーっていう文字は、ふんわりとフェイドアウトなんてしないんです。それはゴーゴーの動きじゃないから。

文字の動きは作品そのものとの相性かもしれないですし、あえて文字が望む動きをさせないことで違和感を出すこともできると思います。

まとめると、アイデアの要素をコピーすることはできますし、たぶんアイデア単体だと同じことを思いついている人もたくさんいます。

そのアイデアを使う使わない、あるいは変化させて使うかどうかというのは、その作家がつくりたい世界観によります。

写真・創作オノマトペ・体のパーツを表す漢字・線画を使ったとしても、つくりたい世界観が違えば、まったく違う見ばえの作品になるでしょうし、それは「雨を線で描いてるけど違う作品」というのと同じことになるんじゃないかなと思います。

さらに、もしもすごく作品が有名になったら、KAWSのバッテンや草間の水玉のように、作家のアイコンとして認識されるようになるんじゃないかと思っています。鬼滅の刃の竈門炭治郎の市松模様の色とパターンは別の人が使っていたとしても、今の日本だとほとんどの人が「炭治郎だ!」って思うと思うんですね。そんな感じです。そうなると他の人が参入できなくなりますよね。だいぶ先の話ですが。

なのでまずは自分の作品のコンセプト、アーティストとしてのステートメントを明確にするのが一番のコピーガードかなと思っています。これがしっかりすると、どんなに物珍しいアイデアが目の前にきたとしても、ステートメントとあわないものを取りにいくってことがなくなりますし、自分で自分の作品の世界観を守れます。

めちゃくちゃ有名でない限り、いろんなところで類似作品の制作は発生しているはずで、アイデアも自分が最初に思いついたものなんてほぼないはずです。

要素(アイデア)はコピーできても、ステートメントはコピーできない。それは作者のアイデンティティと紐づいているから。そんな感じでしょうか。では今日もがんばります!

でもとりあえず、みじんこはオリジナルです。

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