「がんばったことは無駄にしてもいいのよ」の話

「がんばったのに、うまくいかなかったらって考え始めると、何かを始めるのがとても怖くなってしまうの」
 クロエは私が日本から持ってきた折り紙を触りながら言った。

 私はフランス人美術教師、マリーの家に遊びに来ている。クロエはマリーの血の繋がらない娘で、もう一年近く、部屋に閉じこもったままだ。
「自分がうまくやれることをやりたいって思ってるけど、それがよく分からなくて、動けないでいるって言ってるわ」
 マリーは英語が話せないクロエの言葉を私に向けて翻訳してくれる。
「すごく頑張ってやってきたのに、結局ダメだって思った時に、頑張ってきた時間が全部無駄になっちゃうじゃないかって」
 クロエの言葉にうなずきながら、怖がって何もやらずにいる時間と比べたら、失敗しても何かにチャレンジした時間のほうが有意義なんじゃないかと私は思っていた。いや、何が有意義かどうかなんて、私が決めることじゃない。
「自分ができないってことを知ってしまうのが怖いの。普通のことも人より上手にできないから」
 なんでもやってみないと、できるかできないかも分からないんじゃないかって言いそうになって、私は口をつぐむ。正論なんて、言う方が気持ちよくなるだけで、相手にはだいたいいらないものだ。何かをやったほうがいいんじゃないかなんて、クロエにはたぶん分かっているし、それでもできないから、できなくて済む言い訳を探してしまうのだ。
 そんな自分を分かっているからこそ、葛藤の中から動けずにいる。

「がんばったことは無駄にしてもいいのよ」
 マリーが私たちを交互に見ながら言う。
「無駄に?」
「そう」
「一生懸命やったことが、望んだことにならなかったとしてもいいじゃない。そう思わない?」
 マリーに聞かれて、私はすぐに答えられない。こういう聞かれ方をした時は、同意したほうがいい気がするけど、私は一生懸命やったことはなんでも叶って欲しいと思っているほうだった。
「ううーん、私は叶って欲しいです。がんばったことなら全部」
 私は正直にマリーにそう言う。

「ふふ、そうね。できることなら全部叶って欲しい。いつでも。これまでに頑張ったけど叶わなかったことってあった?」
「はい、すごくたくさん」
 私は自分の過去を振り返る。小説家になりたかったこと、病理診断医になりたかったこと。小さく諦めたことは、自分が子どもの頃に思っていたよりもはるかにたくさんあった。
「叶えたかったことが全部叶ってたら、ぜんぜん違う人生になってたでしょうね」
「そうですね」
「そっちのほうがよかったって思う?」
「それは、分からないです。両方味わってたら比べられるかもしれないけど、片方しか味わえてないと、知らない道のほうがどうしたって良く見えてしまいます」
「そうよね、どうしたって手に入ってないもののほうがすごく感じちゃう」
 彼女はテーブルに置かれていたクッキーに手を伸ばし、私にも勧めた。
「でもね、年を取って振り返ってみると、できなかったことも諦めたことも、全部愛しい思い出になってくるのよ。失敗しちゃった時には、こんな想いしたくなかったって考えちゃうんだけど」
 彼女はクッキーを頬張った後に、ポットから紅茶を淹れて飲み始める。室内には彼女が色鉛筆で描いた絵が飾られていて、彼女の視線は絵と絵を結んでいった。

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