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最期の物語を書き始めよう

2021/6/29に『原体験ドリブン』の著者チカイケ秀夫さんに個人の時代のブランディングについて話を伺います。その前に自分でも、自分の原体験を深堀りしているのですが、ずっと書きたかった物語を書き切って、それで物語は終わりにしようっていう結論に達しました。(アートはやめないよ、念のため)

学生時代から書きたかった話があったんですが、自分はこれまで物語ですごく評価されたってことがないんですね。ちょっぴり買ってくれる人がいたり、noteで佳作いただいたりみたいなことはありましたが、ずっと書いてる人だったら、そのくらいはどこかでありますよね。

書きたかった話を書かずに、それ以外の話ばっかり書いていたのは、しまいすぎたせいで、その話が大事になりすぎちゃったんじゃないかと。

よく考えたら、アートはいつも「次につくる作品」を楽しみにしているのに、物語は「自分が書きたくて書き終えてない話」を振り返ってばかりです。

書かなければ、名作だと思っていられるんですよね、自分の中では。アート制作でも、構想段階ではいいなって思っていたのに、実際につくってみてしょんぼりなことってすごくよくあります。創ると想像するは大違いです。

アートも物語も、創作は「楽しみにしてくれる人」が数人いるだけでは世界が広がっていきません。趣味でやっているんだったら、楽しくやれればそれで全然いいんですが、自分は創作を通じて伝えたい医療コンセプトがあって、それをちゃんと伝えていくためには、もっと興味を持ってもらえるようにしないといけません。

書きたかった話に近い話を書き始めましたが、これはこれで楽しくて、またズルズルと続けてしまいそうな気がします。

本編はこの話の主人公の弟子が主人公になる物語。タイトルが決まらないからなぁと先延ばしにしていましたが、タイトルは考え中のまま、自分の最期の物語として書き始めてしまおうと思い立ちました。

なので、こちらのお話も今書いているお話の次の話でいったん終わりです。

この世界で一番の名作はきっと、自分の脳内にある未完成の作品なんですよね。想像の中にある時には、どの作品も素晴らしく思えてしまいます。なのに、頭の中にあるだけでは死ぬ前に後悔しそうです。

そんなわけで、もう少ししたら自分にとって最後になる物語を書き始めますよ。一応、なんかのマンガ賞とか機会があれば出してみますが、アートのほうですでに日常的に落ちまくる生活をしているので、なんかもう結果のことは出した段階で忘れておこうと思っています。

みじんこと物語は、自分にとってはそこそこ大事なので、「ダメです」っていう言葉をもらうのが結構しんどいんです。アートの方が割り切れてるみたいですね。もともと期待してなかったからかもしれません。

みじんこアイコン

すべての創作物は、創作者にとって自分の一部だと思うので、自分のことがダメだと言われてるのと同じくらい辛くないですか?そんなことない?

物語を終えてもアートがあるので、アートのほうで自分の思う世界を実現していきたいなと思います。創作がもっとセーフティネットになる社会だといいなと思っています。今はまだ、創作なんかで生きていけるのっていう想いのほうが社会に多いと思うし、創作してるとサボってる気がしちゃうこともあると思うんですが(少なくとも自分はあるよ)。

創作する人が増えると、その人は理解者になると思うんですよね。創ることについての葛藤が分かると思うので。創作が仕事になるというのは、副業か趣味で創作するのとは全然違う心持ちだと自分は思っています。

自分にとっては、家族みたいに身近な存在が「みじんこ」なんですが、みじんこが他の人にとっても身近なやつになれるように、アートと合わせてひきつづきがんばっていきますよ!


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