見出し画像

「夜の案内者」死者のための手術2

 シャワー室やトイレの場所を教えてくれた後、兎は「あとはご自由にお使いください。箪笥に着替えもありますから」と言って一階に下りていく。アサとネズミは部屋を汚さないように、先にシャワーを浴びることにする。熱いシャワーを浴びていると、汚れた水が排水溝へと流れていくにつれて、気持ちが明るくなってくる。服を手洗いして浴室に干し、茶色の巻き毛をタオルで巻き、箪笥の中にあった青い色のワンピースに着替える。ワンピースは左胸のところを中心に大きな赤い花が描かれていた。
 身支度をしてネズミと一緒に一階に下りると、玄関の近くに案内してくれた兎がいた。小さな布のバッグを持ち、靴を履いているところだ。兎の首には白い毛皮が巻かれている。
「この家の方はどこに?」
 アサが家主に挨拶したいと言うと、隣の部屋で診察中だが伝えてあるので入って構わないと言う。
 アサが扉を叩いてから開けると、広い部屋の中央にベッドがあって、顔の周りに布を巻かれた兎が寝ていた。横には半袖の青い服を着た医者兎がいて、寝ている兎の口の中を診ていた。
「すぐ終わるからねェ」
 大きな丸い眼鏡をした医者兎がマスクごしに声をかける。赤っぽい木の床に淡い緑色の壁。奥の壁には大きな兎の絵が二十個ほど飾られていて、別の壁には備え付けの薬品棚があった。
 照明を調整したり、器具台を運んだりしていた兎がアサに近づいてくる。
「ラミさんに聞いてますよ。今日の最後の患者さんですから、もうすぐ終わります。片付け終わったら、食事の準備をしますので、一緒に食べましょう」
 伸びすぎた歯を削ってきれいにしてもらった兎は、診察室内の小さな洗面所でうがいをし、口周りをタオルで拭って帰っていく。アサは診察室の片づけをしながら、医療器具を観察する。手術用のメスや針のほか、耳掃除の道具など。高度な医療器具はここにはなさそうだった。
 この町ではみな、自然に生きて死ぬのを好み、積極的な治療をする人はほとんどいないのだと医者兎が話してくれた。医者の名前はザミル、見習いの医者の名前がタン。病院に住んでいるのは二人だけで、隣に住むラミさんがほぼ毎日、家事を手伝いに来ているという。
 診察室の片付けが終わった時には、キッチンにタンが食事を用意していた。長いテーブルの真ん中ににんじんスープの大皿。香ばしい匂いのするパンが数種類と、オリーブの入ったグリーンサラダに果物。食後にはチーズケーキが出てきた。スープには豆が入っているし、チーズケーキにはレモンのような柑橘系の皮が入っている。アサが知っているウサギには与えてはいけないものばかりだ。よく見ると、兎の指は六本ある。五本はヒトと同じ。一本は手首の付け根から生えていて、指としては機能していないみたいだ。
 町の様子を聞きながら食事をしていると、外から鳥の鳴き声が聞こえてきた。窓から見える空は前より色が濃くなってきている。
 食事をしないネズミは、テーブルの上に手を組んで座っていた。その様子を見て、ザミルが言う。
「もうずいぶん昔になるが、あなたと同じように食事をしない兎が来たことがあったよ」
「兎って、ここの町の人ではなく?」
「違うねェ。白くて長い耳の兎だよォ」
「すみません、その方はお一人だったのでしょうか?」
 ザミルはタンにサラダの皿を取ってほしいと手ぶりで示しながらネズミに答える。
「最初は二人で来てたようだったねェ・・・」
「なにかあったんでしょうか」
「うん、まぁ、儂もその時はまだ子どもだったからねェ。正確なことは分からんのなァ。大人たちの噂では、その兎は誰かを殺したのかもしれないという話での。森の中で激しく争う音や怒鳴り声を聞いた人がいたとか。白い兎じゃからな、暗い中でも兎の長い耳ははっきり分かったと」
「相手も兎?」
「いやぁ、違うようだったねェ。少なくとも耳が立った生き物ではなかったと聞いとるなァ。それと、その食事をしない兎は身体の中身、内臓がなかったと皆が騒いでおったな」
 アサはその言葉を聞いて手を止める。ネズミは組んでいた手をほどいて両手を軽く握る。
「その兎、どこに行ったんですか?」
「兎が来て数日後に、空に鐘の音が響いたとなァ。それから見た人はいないと聞いとるねェ」
「それ、いつ頃の話ですか?」
「んん、もう四十年くらい前の話かねェ」

===
小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!