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みじんこのアルライター勉強会「強いチーム、影響力、正しい発信について」

マンガサイトの「アル」というところでライターをやっています、みじんこです。

みじんこはライターの初期メンバーでもう1年くらいやっているのですが、編集者がついているところで書けるというのは、とてもありがたいことだなと日々感じています。

書くことは好きでずっと書いてきたけど、チェックする人の存在、切磋琢磨する人の存在があるだけでこんなにも「書くこと」のクオリティーは変わるんだなぁって感じています。

月イチの勉強会で話す人をやったので、今日はそのまとめです。
(実際に話した時より、さらに内容整理しました)

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1)アルのライターとして考えていること

始めたばかりの頃に考えていたことは、編集部の人たちに覚えてもらうこと。そのためにやったのが、量でインパクトを出すことです。質でインパクトを出すほうが凡人には難しくて、量を出すことなら割と誰でもやりやすいという感じです。

これは、最初に「できる子!」っていうインパクトづけができると、その後しばらくヘマしても気づかれないみたいなハックだったりします。

自分のメリットを考える

アルの記事は、1記事書くのにけっこう時間かけて制作しています。時間をかけた分、自分が得られるメリットを最初から意識しておくとつづきやすいのかなと思っています。

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直近のメリットとして圧倒的なのは、ライティング力が上がること。これは個人で意識して頑張るというだけでは得られない部分だなぁと感じています。アルのライターだと、編集者がいる場所で書けるっていうところが大きなメリットですね。

長期的にはアルライターというブランドを担えること。これは今後どんどん大きくなっていくと思うので、アルにライター採用されたら、やめずになんらかの形で関わっていけるのがいいんじゃないかなーって思います。

記事を書く時に考えていること

その記事を読んだ後に、作品の価値が上がっているか」みたいなことを今は意識して書いています。これはアル開発室というオンラインサロンでアルの編集長が言ってたことです。書く時に意識する指針が一つあるだけで、書きやすさがぜんぜん違うこともあり、この視点で記事の軸を考えるようにしています。

みじんこは主にレビュー記事を書いているのですがレビュー記事は急いであげる必要がないので「このマンガを伝えるにあたって新たな視点は」っていうのを考えて、思いつかなければいったん保留にしています。

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少女マンガとかは「男の子かっこいい」「胸キュンシーン」みたいなのは割と普通の視点なので、マンガを紹介する時の軸としては、誰でも思いつきそうな感じじゃないのをなるべく探すようにしています。

チームのことを考え始めた

始めたばかりの頃と違って、ライターさんも増えてきて、最近はクオリティーの高い記事がバンバン上がるようになってきたのです。企画もいろいろですし、1記事の濃さもすごいんです。

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誰かがやり始めたことをマネしてやり始めるってすごくやりやすいので、いろんな人がいろんなことに手を上げている環境ってすごく活発でいいなぁと思っています。

そんなこともあり、最近は「チーム」として強くなっていくために、どこにどう関わるのが一番いいのかなぁと考えているところです。

ポイントとしては、自分の強みは活かすけど、自分にしかできないことはつくらない、です。

深い考察レビューを自分なりに書くのはOKですが、たとえば、医療マンガの紹介記事を週刊連載する、みたいなのはやらない(やるなら他の人も執筆できるようにフォーマット化する)ということですね。そういうのをやりたい時は単発とか数回とかにする。

自分がいついなくなっても、チームがそれで弱くならないように、自分にも誰かにも依存しすぎないほうがチーム全体としてはハッピーなのかなぁと今は考えています。

2)影響力をもつということ

アル開発室と箕輪編集室の共同イベントみたいなもので、けんすうさんの執筆中の『物語思考』という本の編集会議がオンラインサロン内で公開されていました。

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その会議の時に、アルの編集も担当している篠原さんから質問が出ました。それが、とても大きな学びだったんですね。

『物語思考』っていうのは、超ざっくり言うと「なりたいキャラクターになりきって物語を動かしていこう!」っていうのを勧める本です。

篠原さんの質問は「なりきろうとするあまり、無理をする人が出てこないか」というものだったんです。簡単に言うと、物事のネガティブな側面に目を向けさせるような質問だったんです。

犬猫の殺処分をゼロにしよう!
ごみを分別しよう!

みたいな絶対善っぽいことだったとしても、どこかにネガティブな側面はあると思うんですね。あるいは、それが正義になりすぎるせいで、ごみの分別がちゃんとできない人を責めたててしまうことがあるかもしれません。あるいは、今現在、その仕事に従事している人たちを追い詰めてしまうかもしれません。

「倫理的によさそう」だからこそ、それが誰かを責める凶器にならないか。反対の視点から自分に注意喚起するっていうのは、発信の影響力が強ければ強いほど必要なことなのかもしれないと思ったのでした。

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自分にやさしく!とか直感に従って行動しよう!みたいなのも、合う人には合うけど、単に怠惰になったり極端すぎる行動を後押しすることにもなりかねないですよね。

すべての人がネット上で発信するようになった時代に、こういう想像をめぐらすっていうのは、ライターじゃなくても必要なことなのかもしれません。

3)正しいことを伝えるのがいいというわけでもない

また、発信する「場」について考えるというのも大切なことかなーと思っています。

「アル」というメディアの記事を見に来る人はどんな人なのか、どんな期待をしているのか。「おもしろいマンガあるかなー」ってほのぼの見に来た人がいきなり触れて動揺しないかどうか。

読み手がどういう反応をするか、全く分からない分、場に対して適切な表現であるかは意識したいなと思ったのでした。

「正しいことを伝えることが正しいわけじゃない」

ということについて、昔教わったことで、今も大切にしていることがあります。

腫瘍科の獣医の先生のセミナーだったんですが、動物が亡くなったあと、ご家族に「この子は最期、苦しんだでしょうか?」って聞かれることが多いという話をされてたんです。

その先生は「その質問には必ず、苦しんでませんよと答えると決めてる」って言ってたんですね。獣医の仕事の本質は「動物の治療」ではなくて「治療を通じた人の心の癒し」なんです。最期の瞬間にその子が苦しんでいたっていうことが、生きているご家族の心にすごく負担になってしまうとしたら、その苦しみを取り除く発言をするというのも、獣医の仕事の一環なんですね。

本当は苦しんだかもしれなくても、その正しさを伝えることが果たして適切なのか。正しいことを伝えることがいいというわけじゃないんだなぁっていうのを、その時すごく気づかされたのでした。

科学に携わると正しさを伝えたくなることがありますが、癒しが仕事だと考えた場合には、正しいことだけが大事なわけではないので、正しさに囚われないということは、それ以来ずっと心に留めています。

4)伝えることで発生する常識について

最後に話したのは「繰り返し伝えられることで生まれる常識」について。

坂本龍馬ってすごくカッコイイイメージありますよね。なんですが、史実ではそこまで大活躍はしてなかったんじゃない?みたいな説もあるんです。司馬遼太郎という偉大な歴史小説家が坂本龍馬をかっこよく描いたことが、一般のイメージに繋がっていると言ってる人もいるんです。

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その後、誰が描く龍馬もたぶんかっこよくて、革新的で奔放な感じですよね。本当にそうだったのかは分かりませんが、なんとなくすごくいいイメージがあります。

繰り返し伝えられる物語って、こんな感じで「イメージ」をつくることがあります。

医療系だと、

ミスをしない天才医師
医療ミスの隠ぺいをする悪い医者と病院
自分の生活の全てを医療に捧げる医療従事者

みたいな物語、割とよく見聞きしませんかね?

物語上で「実在する職業」について繰り返し特徴づけて伝えられていることで、それによって植え付けられるイメージってあると思うんです。

医療ミスは悪、医療に関わることを選んだんだから頑張って当然。

繰り返し伝えられているこれらのメッセージが、社会の未来にとって果たして幸せなのだろうか、と考えるのです。たとえば、繰り返し伝えられることによって、↓ こういう思考の定型化が起こることはないでしょうか。

ミスをしない天才医師 → 引きの定型化
医療ミスの隠ぺいをする悪い医者と病院 → 悪の定型化
自分の生活の全てを医療に捧げる医療従事者 → 善の定型化

実際にある職業だからこそ、これらのイメージがついてしまうことで、このイメージに沿うように頑張りすぎてしまったり、罪悪感に苛まれたりすることが起こったりしないでしょうか。

物語をつくる人、あるいは発信する人は、自分が創り出す「イメージ」が社会に根付くことのリスクをどこまで想像しているでしょうか。

イメージづけされることで理解は早くなりますが、その分、そのことについて深く考えない思考停止状態も起こりえるんじゃないかと思っています。

ちょっと極端な書き方をしますが、医療従事者は生活のすべてを医療に捧げるのが当然と思われていたら、子どもを産んだお医者さんがパートタイムでちょっと働くっていうのをしにくくなるかもしれません。そうすると、ガチでコミットできる年齢や家庭環境の人しか医療に関われなくなってしまうかもしれません。そうなった時、「医療」というチーム全体の質は維持できるのでしょうか。維持できなくなった時、一番困るのは医療を受ける私たちではないのでしょうか。

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物語をつくること、影響力を持って発信することというのは、ともすればこういう新しい「定型」をつくり、誰かを生きにくくしてしまうかもしれません。それが社会全体にとって幸せなことなのか、を最近はよく考えます。

※薬剤師をテーマにした『アンサングシンデレラ』に、医療全体の未来を守ろうとする視点の薬剤師さんが出てくるので、ぜひこちらもご参考に。

医療に限らず、特定の職業がかっこよく描かれていることは、もしかしたらその職業に対する「強制」になってるのかもしれないですよね。警察官は命がけ、教師は潔癖。ほかに、物語でよく見かけるのは政治家の汚職、お金持ちの非人道的な遊び。

そういうイメージが物語の中で繰り返し伝えられていたら、まるでそれが真実みたいに感じてしまわないですかね?その職業についたら、そうあるべき、そうなんだろって思われてしまうことで、その人たちの逃げ場がなくなってしまわないでしょうか。

私はそこを考えたいんですね。私は物語をつくりたい人だし、自分でも発信をしたい人だから。今ある定型が、社会を幸せにしているかどうかを考えたい。そうじゃないなら、違う定型をもった物語をつくって発信したい。長く愛される物語というのは、そういうものじゃないかなーって思うのです。

個人では影響力がぜんぜんなかったとしても、アルというメディアを通すことで、多くの人に自分の考えが伝わることになります。それが守るべき正義みたいに思われてしまうかもしれません。自分にそのような意図がなくても、穿って伝わってしまうこともあるかもしれません。

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メディアで書いたことがないと、つい自分の個人発信の時みたいに気楽にやってしまうかもしれないですよね。

ライティング力、というのは、発信によって伝わる影響についても合わせて考えることかもしれないなと考えたこの頃でした。

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あらゆる発信、発言、考え方は、ネガティブな側面は必ずあると思うのですね。でも、そのマイナス面を「必ずある」と心に留め、自分で想像するクセがつくだけで、発信のしかたが変わるかなーと思いましたよ。

勉強会を終えて

いつも顔出ししないみじんこなんですが、自分が話す側になった時には、誰かうなずいてくれる存在がいるって心の支えになるなーって学んだのでした。

ご清聴ありがとうございました!

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