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「夜の案内者」鐘の音の町8

 鐘の音が鳴っても、二人はしばらく動かなかった。鐘の音は十三回。空が揺れるように一回、二回と大気に響く。
「お別れです。行ってください」
 ネズミに言われて、アサは肩からかけた小袋から黒い乗車券を出した。
「交換しよう。これって、他の人が持ってても使えるんだよね」
「いけません」
「行って」
「私はここに残って、あとの仕事を引き継ぎますよ。私はもう死んでいるし、これ以上死にません。それに、ここには私と同じ鼠がいっぱいいる」
「あなたは生きている。わたし、前にそう言わなかったっけ?」
 岩場の上で時計塔を見下ろしながら、二人で話した時のことをネズミは思い出す。
「旅が、好きだって言ってたよね。こうしていろんな町を見られて楽しかったって。次の町、その次の町っていろんな町を見て、それからまたここに戻ってきてよ。きっと、すごく美しい町になってるから。それから、また一緒に旅をしよう」
 アサは黒い乗車券をネズミの胸の前に差し出す。
「わたしが、ここに残る」
 鐘の音が進む。三回、四回、五回・・・六回。
 ネズミは帽子を取ってアサにかぶせ、乗車券を受け取って言った。
「分かりました。では、きっとまた」
ネズミが列車に向かおうとした時、アサは、「あっ」と声を出して引き止める。
「名前、あなたの名前、ヨルってどう? わたしが朝だから」
「ヨル?」
「わたしたち二人で、一日がまわっていくの。朝と夜を繰り返して」
「ありがとう」
 ヨルは小さな手を差し出す。アサは右手を出して、その手を握る。そこにヨルはもう片方の手を重ねた。きっと、また。ヨルは列車に向かって歩き始め、見えなくなる前に一度大きく手を振った。アサはかぶせられた帽子を片手で握りしめてから、もう片方の手で空を撫でるように手を振り返す。
「さようなら、ヨル。ヨルの人生の全部がずっとずっと幸せでありますようにーっ」
 アサはヨルの姿が見えなくなってから、列車の方向に向かって全力で叫んだ。アサの声が大気を震わせるみたいに、空間に響く。
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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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