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バウンダリーってなぁに?

今日はバウンダリーについてお話します!

Xでバウンダリーについてのポストに反響があったので、バウンダリーのお話をしようと思います。
心理学のわかりやすいサイトもあるにはあるけど、感覚として掴みにくいバウンダリー。
独学で身につけたものですが、私なりに噛み砕いてお話したいと思います。

バウンダリーってなに?

一番最初に躓くカタカナの意味がわからない問題からお話しましょう。
バウンダリーは日本語で言うところの自他境界線というものになります。
「自分と他人は別々の個体であり同じではないということ」こう言うと当たり前のことに聞こえますが、実は結構自他境界が曖昧な方が多いんです。

バウンダリーはエ〇ァのATフィー〇ドのことだよ!と書いてあるサイトもあったけど、エ〇ァのATフィー〇ドを全員が知ってると思っているということは自他境界が曖昧な状態に当たります。この例えは知ってる人にはわかりやすいけどね。
自分と他人を区別する境界線をしっかり引くこと。これがバウンダリーです。

日本人は空気を読むのが上手だと言われますよね。これがものすごく自他境界の曖昧さを強めている原因だと個人的に思ってます。
相手の感情を想像して動くことは素晴らしい共感力……のように思えますが、あなたが想像した「相手の感情」って本当に合っていると思いますか?
良かれと思ってやったことでトラブルになった話、体験したり聞いたりしませんか?
相手のためを思ってやったことなのに、相手を不快にさせてしまった!
こんなトラブルの根本にあるのがバウンダリーの曖昧さだったりするのです。

相手のためを思ってやったことは、本当に相手にとって良いことだった?

相手のためになにかをする時に多くの人は「自分だったら」を考えます。
相手が悲しんでいたら、自分だったら話をしっかり聞いて解決してあげたい。そう思う方は多いのではないでしょうか。

人間、みんな身長も体重も顔かたちも違いますよね。性格も違えば食べ物の好き嫌いも違うし、もっと言えば育った環境も違います。みんなそれぞれ個性があって、全く同じ人間は一人もいません。
これも文字にすれば「そんなの当たり前じゃん?」と言ってしまえるものですが、バウンダリーが曖昧だと大事な場面でこれを忘れちゃうんです。

全く同じ人間はいないので、悲しんでいる時にして欲しいことも千差万別であるってこと、悲しんでいる人を前にすると忘れちゃうのです。
その人は放っておいて欲しいのかもしれないし、元気になる話をして欲しいのかもしれないし、思い出したくないから話したくないのかもしれない。
人によって悲しい時に誰かにして欲しいことは違います。なぜならその人は同じ人間だけどあなたとは違う個体だからです。

バウンダリーが曖昧だと「自分は悲しんでいる時にこうして欲しいから、きっとこうすればいいはずだ!」という考えで、相手の望まぬ言動をしてしまって「大きなお世話」となってトラブルになってしまうのです。
あなたが想像した「相手の気持ち」は「あなた基準の相手の気持ちである」ってことを意識するのがバウンダリーの第一歩です。 

相手が自分の境界に侵入してきた!嫌すぎる!どうする!?

私はソフトクリームが苦手です。そうです、あのバニラとミルクの濃厚で冷たく巻き巻きした見た目のあれです。
喫茶店でバイトしていた経験があるので綺麗なソフトクリームを作るのは得意ですけど、食べるのはわりと苦行の部類になります。
これを言うと、9割ぐらいの方に「えぇ!なんで!?人生損してるよ!」と思われ、そのうち5割ぐらいの方が実際に声に出して伝えてきます。
信じられないという感情をちゃんと相手に伝えられるのはえらいですね!
でも多くの方が自分の嫌いな食べ物をあげて「信じられない!」などと言われたら不快になるのだと思います。

ではここでバウンダリーを引いて自分を守ってみましょう。

ゲームのチュートリアルのように始まった突然のバウンダリー実践編に戸惑った方もいらっしゃるかと思います。
でも大丈夫!思考の癖をつけることで、自然にできるようになります。いざ実践。

まず考えることは「どうして相手はソフトクリーム苦手なんて信じられない!」という思考になったのだろう、ということです。
おそらく相手はソフトクリームが好きなのではないでしょうか?
想像で判断するのは危うい!と思ったら、そのまま聞いてみたらいいと思います。

ここでは「相手はソフトクリームが好きだから、自分と違う感覚の人が信じられないと思った」と読み解くことにします。
相手はソフトクリームが好き。でも私はソフトクリームが苦手。これは別々の人間であるために起こる嗜好の違いです。
おそらく相手はこの「嗜好の違い」を意識できないので自分と違うものを否定してしまっているのです。
ソフトクリームが嫌いな私を否定されたのではなく、この人基準ではアンビリーバボーな事件だっただけ。そう考えると少しばかり心が軽くなりませんか?
「あなたはソフトクリームが好きなんですね。残念ながら私は違います」
そう思えたら相手のソフトクリームが好きな気持ちも認めつつ、自分がソフトクリームが苦手な気持ちも認められていいと思います。
違う個体だから好き嫌いも違うだけですね。

なぜ個体差が存在するの?

虫が好きな人もいれば、うさぎが嫌いな人もいる。好き嫌い少数派はなぜかバッシングを受けやすい世の中ですが、これもバウンダリーが曖昧な人が多い弊害です。
みんなちがってみんないい。金子みすゞさんもおっしゃっている真理です。

そもそもみんな同じ思考、好み、性格だったらどうなってしまうのか、考えたことはありますか?
実は性格や好みなどの違いは生物としての生存戦略だと言われているんです。
自然界に生きる動物たちにも性格の違いはあります。

例として臆病な個体と勇敢な個体の行動の違いで説明しますね。
入り口が狭い洞窟で暮らしている動物がいるとします。洞窟のすぐ近くで捕食者の気配を察知した時にどんな行動を取るのかは個体差です。
勇敢な個体はこの狭い場所で襲われたらひとたまりもないと考え、すぐに逃げ出す行動を取るでしょう。
臆病な個体はこの狭い入り口なら捕食者は入って来られないと考え、静かに息を殺して捕食者が去るのを待つでしょう。
どちらが正解になるのかはわかりません。外に出てしまったせいで勇敢な個体が捕食者に食べられて臆病な個体が助かるかもしれません。逆に外に出た個体は逃げられて臆病な個体は逃げ場もなく洞窟で食べられてしまうかも。
でもどちらにせよ片方は生き残る可能性が高い。これが生物の生存戦略による個体差です。

人間も同じで、災害時にすぐ外に出るべきかしばらく家で様子を見るかで運命が変わることがあります。みんながみんな同じ行動をとって全滅するのを防ぐ。人間の個体差も生存戦略によるものなのです。
だから自分と違う意見の人がいるのは生存戦略として正しい傾向なのです。
もしかしたら自分と違う考えの人を否定したくなってしまうのも、この辺りが関係してるのかもしれません〜なんて、勝手に思っています。自分と違う生存戦略を肯定したら、自分の身が危険になると思ってしまうのかもですね。

じゃあ実際バウンダリーが曖昧な人に攻撃されたらどうするの!?

生存戦略云々はさておき、やはり自分と違う意見を攻撃しちゃう人はいます。自分の意見が正しいんだ!と思って欲しい人ですね。
でもよく考えてみてください。この人ってバウンダリーをしっかり引けてますか?
私とあなたって違う人間だから生存戦略も違うんですけど〜!と思えたら満点です。
相手のバウンダリーが曖昧であると気付けたら、もうあなたのバウンダリーレベルはかなり上がってますね。素晴らしい
自分基準と違う人を強い口調であれこれ言ってくる人、本当にバウンダリーレベルが低いですね。
バウンダリーレベルなんて言葉は今私が作った言葉ですが、「お、この人(バウンダリー)レベルが低いぞ!」と思っておくと冷静になれるのでオススメです。

では具体例をあげてみましょう。

A「なんで結婚しないの? 将来困るわよ!」

うっわ、嫌な言葉すぎる!自分で書いててものすごく腹が立つ言葉です。うるさいな!と怒ってしまいたくなりますね。
まじでバウンダリーレベル低すぎて話になりません。
では具体例に解説していきますね☆

「なんで結婚しないの?」

→Aさんはおそらく結婚を素晴らしいものである、または結婚するのが普通のことと捉えていますね。
結婚が良いものかどうかは人によるもの、つまり個体差です。人によっては独身こそが幸せであることもあるのです。
Aさんはその感覚が個人差であることを理解していないので、あなたの境界にズケズケと踏み込んでくるのです。
Aさんにとっては結婚するのは普通で素晴らしいこと、ということになります。
その考え自体は個体差なので、そう思うこと自体はいいと思います。問題は「自分の考えこそが正しい」と押し付けてしまっていること。この押し付けこそがバウンダリーが曖昧な証拠です。

「将来困るわよ!」

→Aさんは未来予知の能力をお持ち……なわけないので、これはAさんの予想か願望になります。
おそらくAさんは「結婚してなかったら将来困っただろうな」とご自身を振り返って思っているのでしょう。
Aさんの経験や思考としては「結婚しないと将来困る」が正しいのです。
自分が結婚という選択をしたのだから、みんなも結婚という選択をすべきだ!という仲間意識みたいなものがあるのかもしれませんね。
「常識」や「普通」という言葉が好きな方は仲間意識を大切にしている方のように個人的には感じます。
「みんなと一緒」が心地よい、安心するタイプですね。このタイプの方は自分と違う人がいるととても不安に感じるので、違うタイプの人への当たりが強くなりがちです。一番バウンダリーが曖昧なタイプですね。
つまり、Aさんは結婚しないと将来困ると思っていて、自分と違う考えのあなたに対して不安に感じている、という予想ができるわけです。
あなたはAさんではないので、Aさんの考え方と同じになる必要はないですよね?
Aさんとあなたは別の個体なのですから。

では、実際にどう考えればいいのか。思考の癖はどうなるのか。

A「なんで結婚しないの? 将来困るわよ!」

こんなことを言われた時は「『Aさんは』結婚が良いものだと思ってるんだな。『私は』どう思うかな?」と「主語を分ける」のが正解です。

ここで間違っても考えてはいけないのが「なんで酷いことを言うの!」です。
まあ酷いことは言っているけど、Aさん側から見たら「(Aさんにとっては)正しいアドバイス」なんですよ。
自他境界が曖昧だから「自分の考えは万人共通だからあなたも結婚がいいと思うはず!」と思っちゃってるだけです。
「同じ人間なんだから結婚こそが幸せであるべき」という強めの思考をお持ちなんですね。
Aさんの考えを変えることは困難ですし、Aさんの人生経験から導き出されたその考えも尊重されるべきものだと私は思うのです。

そして「なんで酷いこと言うの!」とAさんに思っちゃうのはバウンダリーが曖昧ということになります。
「自分にとって酷いことだというのは万人共通の意識でしょ!」「私が傷付くのわかるでしょ!」
これはめちゃくちゃバウンダリーレベル低いです。
あなたにとっての酷いこと、傷付くことが相手も同じように感じるものではないからです。
本当に意地悪で言われてる場合もあるとは思いますが、心配してのセリフだとしたら悲劇ですよね。

そもそもの話ですが、Aさんの言葉ってあなたへの否定でも攻撃でも命令でもないんです。提案やアドバイスに近いかもしれません。
意見は意見であり、それに従うかどうかはあなたの自由です
Aさんは思ったことを言っただけなのです。「雨が降りそうだから傘を持って行けば?」と言われているのと同じ。「今日は傘を持ってきてないのにそんなこと言うなんて酷い!」と思う人はあんまりいませんよね。それと一緒です。

踏み込まれたことを言われると身構えてしまうのは、そこがあなたの境界線の内側だからです。
触れて欲しくない境界線を越えて相手が入ってきたから不快で、嫌な思いをしてしまうんですね。

「Aさんはそう思うんですね。私とは違う考えです」というのがバウンダリーレベルがめちゃくちゃ高い最適解だと思います。
ただし、このままAさんに伝えてしまうとなんとAさんは「自分の考えを否定された!」と思っちゃう可能性が高いです。
Aさんのバウンダリーレベルが低すぎて、あなたの考えを個体差だと認識できない悲劇です。
なので、「Aさんはそう思うんですね。私とは違う考えです」というバウンダリー最適解は思うだけにして、表面上は「そうかもしれませんね。ご心配ありがとうございます」とでも言っておきましょう。
「そうかもしれません」はAさんの言葉の肯定よりの言葉ですし、「ありがとうございます」でなんか感謝されてるので、結構引き下がる人が多いです。
それでも根掘り葉掘りされたら「この話はつらくなっちゃうので……」とやんわり言うと常識がある人は引き下がるかと思います。
つらくなっちゃうよね、バウンダリーの内側にズケズケと入り込まれたら。

バウンダリーと感情

嫌なことを言われたら不快な気持ちになるし傷付いたりもしますよね。いくらバウンダリーを引いたとしても、嫌なことには変わりありません。
相手の思考や行動は相手が選択した自由なものです。たとえ自分がそれに傷付いたとしても、相手の言動を管理することはできません。相手の思想は相手の自由であり操作できるものではありませんからね。
バウンダリーが引けていれば「自分と相手は違う人間だから相手の思考や言動をなんとかすることは無理」だとわかると思います。
相手を変えるのは無理だから自分の思考を変える。違う考えの人もいると受け止める。
でも相手の言動を「嫌だな」と思うのも自由なのです。
怒っていいし、傷付くのも当たり前。あなたの踏み込まれたくない場所に踏み込まれたのだから。
相手に対して「どうして私の嫌なことを言うの!」と思うのはバウンダリーレベル低いけど「相手はそう思うのか。私はその考えは嫌だな」と思うのはバウンダリーレベル高い状態。
だから自分の感情は否定しなくていいのです。嫌な言動の相手をしなくていいだけで、怒ってるのも悲しんでるのもあなたの感情だと認めてね。自分の感情も尊重していきましょ

バウンダリーを引くって、もしかして孤独なのでは?

バウンダリーを引く思考を続けていると孤独感を味わうことがあると思います。
そもそもバウンダリーが「みんなそれぞれ個体差のある別の生き物だ」ということをはっきり意識する思考方法なので、「みんな自分とは違うんだ」という事実に打ちのめされることがあるのです。こんな考えの人間は自分だけなのでは?という疎外感も感じるかもしれません。
他にもバウンダリーは「自分は」を主語に考えるので、自分の意見が曖昧だと考えが迷子になりがちです。
「なんとなく嫌なことを言われたし相手がバウンダリーレベル低いのはわかるけど、私はどうしたいのかわからない」となってしまうこともあります。
「バウンダリーがしっかりしすぎている人は冷たい人!」なんて意見も先日見かけましたが、自分を持って意見を言える人がそう見えるのかもしれませんね。

私はバウンダリーって相互リスペクトの最高の形だと思っているんですよ。
相手の考えは相手の考えとして尊重しつつ、自分の考えは自分の考えとして尊重する。
自分の考えが曖昧でもいいのです。「それはバウンダリーの内側の話題だから触れられたくないな」と思うのも自分の意見で、尊重すべき感情なんですよね。

自分の振る舞いが相手に与える影響も結局は自分が勝手に想像して作り上げてる幻想です。
自分の言動をどう受け取るのかは相手に委ねられることで、自分ではどうすることもできないのです。
例えば私が夫に「大好きだよ」と伝えた時に夫がどう思うかは夫の自由です。
同じように「大好き」と思ってくれたら幸せだけど「めんどくさいなぁ」とか「しつこいなぁ」って思ってるかもしれない。そこは夫にしかわからないところです。
でも、答え合わせはできますよね?私たちには言葉があるから。
聞いてみて、同じ気持ちだった時の喜びはひとしおです。相手の考えがわからないからこそ、同じ気持ちだった時が嬉しく感じるのです。
みんな違う人間でみんな違う考えの別個体だからこそ、話しをしたりするのが面白いのです
だから、バウンダリーは孤独じゃない。世界をより面白くするツールだと思うと、ちょっといい感じだと思いませんか?

察して動く、想像して配慮するって素敵ですけど、相手の考えを正しく理解するのは難しいから。会話をしましょ。あなたと私は違う人間だから。想像のあなたではなく、本当のあなたを知るために。相互リスペクトは会話から。

みんな違うから世界は面白い。

人間て本当に色々な考えの人がいて、時には反対意見の人と衝突したりしますよね。
でも意見って多ければ多いほどいいんです!違う意見の人がいるから、同じ意見の人に会えた時に嬉しいの。「自分はこう思う」って意見があるから合う人に巡り会えたりする。芸術や文学は自分の持たない感性を楽しむものだし、違う個体だから成り立つものです。

正義の反対はもうひとつの正義。あなたに嫌なことを言う人も自分の中では正しいと思うことを言っている別個体である。そう考えると「まぁ仕方ないかなぁ」と思えませんか?
自分も相手も尊重する。そんな素敵な考えができたら最高です。


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