高校卒業時に書いた俳句・短歌集を読み返して
昨日の続きとなるが、高校卒業記念に発行した俳句・短歌集を一通り読み返した。
大まかなものでいえば、
#底辺 校に相応しく学校生活に相応しくないふざけたものや楽しかった学校生活を題材にした無季俳句が殆どだった。
私の友人の多くは額面通りのルールに倣って書いていたことから、
部活仲間に関しては音楽の深いところまで必然的に学ばされていたことで棒読みに近に音符通りに演奏してはいけないという原理で、シンガーソングライターや作詞家の先生方を意識したものばかりだったということに気付く。
私の場合は、
変わり者であるということで近所のみならず、学校中の有名人になってしまい、視線を晒されて苦痛になってしまったことがあったことから、それを意識しながら誰にも相談せずにひとりで書き上げた。
30年後の今を思えば、
やはり年齢相応の経験をせず、他の時々の感情を現せなかったませた生徒だったことを回顧している。
それでも
生きづらさを感じてしまい、中学時代程のいじめは激減したとはいえ、 #イジリ や公務員試験受験のための急な進路変更に伴う部活の途中退部を余儀なくされた為の不完全燃焼をしてしまったことから、楽しかった学校生活やメジャー調に仕上げることは困難になってしまい、卒業記念に相応しくない暗い路線に仕上がった。
それの内容を公表しないようにうまく当て字にするのに苦心し、
実姉の卒業文集にクラスメイトがいじめの思い出を書いたことに対して相応しくないといった会話をしたことを思い出し、生きづらさを悟られないようにした。
卒業した当時は、
学校にいる時間が一番長かった友達の作品も表面的のみの考え方をすれば、書いた時期が冬の雪景色を選んでいたことで私と話が通じていた部分があった。
出生時に話始めが遅く、知的障害を疑われた過去があり、実父に額面通りの言葉で話すなと言われてもやはりそうなってしまった反面、
年齢相応ではなく、意味不明であると思われても当たり前であり、30年後に読み返したら、 #毒親 が望むレベルの低い連中に染まるなという意味が理解できた気がした。
今では天然記念物として #わたしの卒業制作 というお題で紹介したら、たまに二桁台に近いスキをいただき、好評だったことから、
古文の基礎を真剣に勉強していなかったことで支離滅裂に感じてしまった部分があり、一部訂正して再発表しようか迷う次第である。
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。