見出し画像

アナバスと神々の領域 【3】-中編-

「 ……… 下級悪魔がどれだけ群がろうが、そんなもの容易に一蹴出来るだろう。俺に報告する程の事なのか 」

    ルトアミスは苛々とあからさまに不機嫌な態度を示し、眼下に控える城預りの下僕しもべ達を睨みつけた。


    玉座の間では、ルトアミスが座る玉座から三段の階段を降りた左右に、クリスティナ達側近が二人ずつ、あるじと同様に正面を向いて立っている。そしてルトアミスとクリスティナ達の前には城預りの下僕達が縦列していた。
    ルトアミスから見て左側にザギを筆頭とする十人が、右側には更に十人が互いに向かい合っている。
    ジェイが起床する約一時間ほど前から下僕達がザギによって集められ、ルトアミス不在時に起きた悪魔界での大まかな出来事の報告が行われていた。そしてようやく議題が切り替わり、昨日ジェイが悪魔界に来てからの悪魔達の反応と動向の報告へと移ったばかりだ。
    その報告が行われる数分前にレイナークがジェイを見送り終えて戻り、左側に立つ城預りの下僕達の最後尾に並び立っていた。

「 ルトアミス様、如何に下級悪魔とてこのまま数があまりにも増え続けると、一蹴するにも多少なりと面倒かと。近くに魔物の村がありますし、我らとて無駄に巻き込みたくはございません。
更に、中級悪魔も百人程度混ざって来ていると報告が入っております。昨日の夕方から今朝までの間に …… この増え方は異常です 」
「 問題ない 」
    ルトアミスはザギの報告をあっさりと受け流し、無表情で立ち上がった。
    しかし、そのままこの部屋から出て行ってしまいそうな主を止めるかのように、ザギ以外の城預りの下僕達は慌てて声を上げた。
「 ですが!これではまるでルトアミス様が舐められているように感じ、我々としては些か不服です!」
「 雑魚など一蹴出来るとはいえ、この城周りにこんなにも集まって来るとは、恐れ知らずもいいところ。ましてや今は主ルトアミス様が帰界されている事を承知の上での愚行!このような事は前代未聞です!」
「 今までこの城周りには決して誰も近付いた事など無かったのです! それが昨日ルトアミス様が連れて来られたあの人間の噂が、今や急速に悪魔界に広がったようで ……!」

    するとルトアミスはニヤリとどこか満足げな笑みを浮かべた。
「 美しいと評判になっているジェイに惹かれて、一目でも見てみたいと集まって来ているんだろう。俺の恐ろしさを忘れる程にな 」
    ルトアミスの満更でもない様子に、城預り達はざわざわと隣り同士で顔を見合わせた。
「 ……… では、ではルトアミス様は、あの人間の所為でこんなにも悪魔共が集まって来ている事に、何のご不満も無いと!?」
    更に声を上げる城預りに、ルトアミスはフッと小さく嘲笑した。
「 愚問だな。誰もが美しいと認め手に入れたがるあいつは俺のものだ。あんな下衆共げすどもにすら優越感を覚える 」

    城付近に集まり来る悪魔達を嘲笑うかのような物言いをするルトアミスに、昨日までは魔物の子供にすら嫉妬をしていた主が、この一晩でこうも心に余裕が生まれるとは、とクリスティナは密かに思った。
    ジェイには申し訳なかったが、少しでも主の為をと思い、据え膳に仕立て上げた事が功を奏したのだとしたら、ただただ嬉しいの一言に尽きる。

「 もういいだろう。下衆共の一掃は任せる。貴様らに付き合う為に悪魔界ここに戻って来たのではない。俺はジェイにこの世界を見せてやる為に戻っただけだ 」
    うんざりしたような口調で言うルトアミスに、
「 な、なんですと!? あの餌、いえ、人間に … ルトアミス様自らが悪魔界を案内なさると!?」
城預り達は信じられないと言わんばかりの引き攣った表情を浮かべる。
    クリスティナはそこでルトアミスの代わりに言葉を挟んだ。
「 ルトアミス様の仰る通りだ。ザギが我等にも同席をと促すから付き合ったが、これ以上たかが下級悪魔の増加云々の話が続くようなら、ルトアミス様に代わり我等が話を聞く。あの者は昨日からルトアミス様にお会い出来ず、不安と寂しさを抱えてかなり落ち込んでいるからな。正直、あの者のあんなにしょぼくれた様子など滅多に見れるものでは無い 」
    彼女の言葉に、城預り達はハッと何かを察したらしく表情を引き締めた。

    ┄┄┄┄ そうか! あの人間はルトアミス様の慰み者であったか!

    そう考えれば主の話にも合点が行く。
人とはいえ、あれほどの美貌の持ち主は初めて見た。ルトアミスが執着し手離したくない気持ちも理解出来る。

    ┄┄┄┄ だが。

    いや、しかし ……… 、と下僕達は思い直す。
ルトアミスは今朝、女を抱いていた。一人では飽き足らず、抱き潰す度に相手を取り替え、結局三人の女を使って何度も欲を吐き出していたのだ。
    何かを紛らわす為なのか、まるで行き場の無い欲を吐き出すかの如く、いつにも増して激しく女を抱いていた。
    たかが餌とは言え専属の慰み者が居ても収まらないのは、あの者が男だからだろうか。それとも、美しいから単に飾りとして手元に置いているだけなのか …… 。

    城預り達は、以前とは違う主の様子に、ただただ戸惑いと疑問を抱き混乱するばかりだった。


    ドッ!!!カランカランカラン、と突如、何の予兆も前触れも一切無く、城の結界を突き破る激しい音と共に、その空間から長剣と短剣が一本ずつルトアミスの目の前に落ちてきた。
    玉座の間は一瞬にしてピンと張り詰めた空気に覆われ、下僕達は自身の剣を抜く者や身構える者、それぞれが素早く反応した。
「 これは … 」
    ルトアミスの目が大きく見開かれた。
そして下僕達が止める間も無く、ルトアミスは突如出現した二本の剣を慌てて手に取った。その刹那、己がジェイに嵌めた能力封じの指輪が消え去った痕跡が、その剣を通してルトアミスへと流れ込む。

「 まさか、あの馬鹿め ……… っ!」


    事前にほどこしておいた能力ちからはちゃんと働いただろうか …… 。

    ジェイはそんなことを考えながら、美しく眩しい森を見渡した。
    人界では珍しくも無い、しかし悪魔界ここに至っては余りにも不自然な明るい森の光景だ。


    森に入った瞬間、ジェイの指に嵌められていた軽い能力封じの指輪はさらさらと細かな砂粒のようになって、大気の一部と化して消えて行った。


    危険だから決して近寄るなと言われていた森の内部が、まさかこんなにも " 見た目だけ " は美しい森を形成しているとは。
    真っ直ぐに空へと向けて幹を伸ばし、枝を伸ばし、あたかも瑞々みずみずしい明るい緑の葉を生い茂らせている、見せかけだけの偽物の " 造られた " 立派な大木。それらが見渡す限りずっと奥まで立ち並んでいる。
    地面には柔らかな土壌が広がっており、様々な種類の雑草が生えている。逆に雑草が無い土の上には小石がたくさん転がっており、見上げれば木々の枝葉の隙間からは青空が垣間見え、木漏れ日が程良い間隔で射し込んで明るく、ここは人界にさえ存在するならば一見何の変哲もないただの美しい森に見えた。
    誰もが警戒して入らない禁忌の森だというのに、土が左右に掻き分けられた一本道がある事、見た目とは相反し生命の伴わない、生気を一切感じさせない木々や植物、そしてジェイの能力は全く使えなくなっており、森に足を踏み入れて数分しか経たない間に僅かな息苦しさを感じ始めた事、それら以外を除けば。

( 確かにこの結界は抜けられないな …… )

    この森に入った上級悪魔が出て来ないと言っていた事から、この森の中に結界を張った者本人が潜んでいる可能性が高いのではと、ジェイは思った。
    どのような悪魔かは分からないが、何故こんな強力な結界が張れるのか、何故ルトアミスとファズの城の近くにこの森を造ったのか。
    単に結界を張る能力が非常に長けている悪魔なのか、それにしてはルトアミスやジェイの能力を完全に封じる、物凄い威力を持つ結界を作り出している。その証拠に、いくら軽いものとは言えルトアミスの能力封じの指輪はいとも簡単に消え去り、にも関わらずジェイ自身全く能力が使えない状態に陥っている。

    未知の悪魔なのかもしれない …… 。
そして、よりにもよって " 双璧の悪魔 " ルトアミスとファズの領域内に結界を張る、その意図が全くもって分からない。

    実際に足を踏み入れたにも関わらず、現状把握出来る情報は現段階では皆無に等しく、ルトアミスが言っていたように迷路になっていて、目の前にある一本道を永遠に彷徨い歩き続けるのだろうか。
    どちらにしても、やはり森の中に足を進めなければ、この森の存在理由と森内部の仕組みが見えて来ないだろう。

    ジェイはこの森に実態調査と存在目的を探る為に足を踏み入れた。

    だが悪魔界ここに来た当初、まさか本当にルトアミスに危険だと教えられた森に入るなど、想定すらしていなかった。
    この森を探ってみたいという好奇心が無かったと言えば嘘になる。だがこの異世界で、ここは異世界の王にも等しいルトアミスが忠告する程の危険な場所。好奇心と行動を安易に伴わせてはいけない禁忌の場所なのだ。
    用心深く慎重に判断をするジェイだからこそ、この森に足を踏み入れる気など無くとも、万が一の場合に "  備えていた " のだ。
    だが少々、いや、かなり迂闊な行動を取ってしまったかもしれない。いくらルトアミスと全く行動を共に出来ず暇だったとはいえ、半ば彼への当て付けのようにこの森を調査しようなどと思い立つとは。

    そしてそこまで考えてから、ようやくジェイは気付いた。
    魔物の子供達を自分の判断ミスで巻き込んでしまった事に。


「 な、なんか、すごかったよね! ボク、チーちゃんがたべられちゃったと思って … っ!」
「 オレ、オレ、くわれたって思ったんだ! でも、いたくなかったし、気付いたらなんともなくてよ … 」
「 オレももうダメだって思ったからさ、よく分かんないけどマジたすかって良かったぜ!」
    ライラ達はチータが喰べられそうになったが、どういう訳か助かった事に興奮冷めやらぬ様子だった。まだ、自分達がそれ以上に危険であろうこの森に入ってしまっている事には全く気付いていない。
「 でもさ、あんときオレ、ジェイにかかえられてた気がするんだよな。いつのまにか 」
「 ナグちゃん、それボクも思った! 気付いたらジェイがいて、それで …… チーちゃんがたべられちゃったと思ったら … 」
    そこまで話して、ライラ達は改めてぐるりと周りを見渡した。
「 わぁ! きれいな森!」
    ライラは驚いて声を上げた。
「 空、空みてみろよ …… っ!」
    ナグクが小さく震えながら首を直角に曲げて空を見上げている。
    つられてライラとチータも空を見上げ、驚嘆した。
「 そ、空が青い!?」
    チータの口からは無意識のうちに驚きの言葉が発せられた。
    とても綺麗だ、とライラ達は思った。
だがこの空の色は、悪魔界から出た事のない魔物の子供達にとっては異常な色だ。ましてやこんなにも美しい木々や初めて見る陽光、辺り一帯が " 明るい " というこの光景は。それも木々が生い茂る森の中に居るにも関わらず、所々から差す木漏れ日という幻想的で美しい森など、彼らの日常生活からは想像すら出来ないものだった。


「 はぁ ……… 」
    ふと気付けば、大きな溜め息と共にしゃがみ込み、大きく項垂れるジェイが居た。
「 あ、そっか、ジェイもいっしょにいたんだった 」
    呑気なライラの言葉に、ジェイは子供達を見上げた。
「 本当にごめん。この森に巻き込んでしまった 」

    ジェイの言葉に、子供達にしばらくの間があった。

    ┄┄┄┄ そして。

「 え …! えぇっ!?」
「 森!? 森って … 」
「 もしかして " あの " 森か!?」
    唐突に状況を理解した子供達は、一斉に悲愴な声を上げた。
    途端、チータはこの森に入って来たと思われる茂みを振り返り駆け出そうとしたが、数歩も行かないうちに、見えない何かによって弾き返された。
    尻もちをついて地面に転がりながらも、すぐに起き上がり同じ行動を繰り返す。そしてそれを見ていたライラ達も、思わずチータのように結界に近付き、思い思いの行動を取り始めた。

    ライラは、「誰か、誰かあぁぁぁっ!」と結界の外に向かって叫び、ナグクはバンバンと結界を叩いている。
    この森の結界の特徴としては、外からも内からも互いの景色が全く見えないという点だ。ルトアミスやジェイが張る結界とほぼ同じ構造である。

    結界は張る者の能力によって、その精度が決まる。弱い結界ほど、外からも内からも結界を隔てた景色は丸見えだ。
    つまりこの結界を張った者は、最低でもジェイやルトアミスと同等の能力を持っているか、しくは結界能力に相当秀でた者でしかない。
    しかし、ジェイやルトアミス、そしてファズがこの森の結界を解除出来ないという時点で、この森を作った者がジェイ達三人よりも確実に能力が上である可能性が高い事を、明白に物語っていた。

「 クソ、クソォ!」
    しまいにはナグクは薄い折り畳みナイフを結界に突き立てていた。
    そしてナグクの持つそれに、ジェイは思わず目を見張った。
    いくら子供が扱えるサイズのものとはいえ、それは玩具や簡易ナイフではなく、実戦用の本物の剣だったからだ。恐らく悪魔の父親が与えていたのだろう。玩具のような簡易ナイフに見せかけてはいるが、その刃は斬れ味の鋭い上質な素材を使って作られている事が見て取れる。
    造りからしてベルトのバックルに固定して隠し持っていたのだろう。


    子供達の行動を半ばぼんやりと眺めていたジェイは、自身の体調に、次第に息苦しさが増している異変を感じ始めていた。気の所為かと最初こそ思ってはいたが、はっきりと呼吸が乱れるようになるまでに、然程さほど時間は掛からなかった。
    それを子供達に悟られまいと、彼等から少し距離を取る。ただでさえパニックに陥っている子供達に、今それを知られては余計に取り乱すかもしれないと思ったからだ。
    いくらジェイを人間だと侮っている子供達だが、所詮は子供だ。唯一の大人であるジェイは、取り敢えず今は気丈に振る舞う必要があった。

    先程までは僅かに呼吸が苦しく感じていたものが、徐々に酷くなっている。一度に体内に取り入れる酸素が少し薄くなったような感覚で、平常時より多く呼吸をしなければならない。
    ジェイは急に酷くなって来た息苦しさをこらえながら、
「 どう頑張っても、こちらから外側には声も音も聞こえないし、勿論俺達の姿も見えない。この森に入った以上、内側から結界を壊さない限り外には出られないんだ。無駄な体力を使わないように、なるべく落ち着いて冷静になろう 」
と、子供達をさとすように柔らかい口調で告げた。
    それから辺りを見渡し、尻を軽く預けられる程の高さと大きさを兼ね備えた大岩を発見した。
    ジェイは呼吸を整える為にそこへと足を運び、その岩に軽く腰掛けて小さく息を吐いた。

    昨日、悪魔界に来た時にこの森についてルトアミスから説明を受けた感じからすると、彼も最上悪魔ファズも、実際にこの森の中に入った事は無いようだった。外側からこの結界の森を検分し、試しにファズと二人がかりで結界を壊そうとしたが破れず、自分達でさえ森の中に立ち入る事は危険だと判断したと言っていたからだ。
    ならば、もし万に一つの機会があるなら、実際に森の中に入って調査をしてみようと、好奇心旺盛なジェイは密かに目論もくろんでいた。
    それ故に " 術 " を施しはしたが、本心ではルトアミスと悪魔界を堪能する気でいた為、時間的にもこのような機会が訪れるとは、正直なところ全く予想だにしていなかったのだ。

    それが、迂闊にもこのような誤算を招いてしまった結果だ。
    いきなり訪れた好機に、とても安易な気持ちで城を飛び出して来てしまった。


( あぁ〜っ、でも …… 今頃はルトアミスの元に俺の剣が届いてる筈で …… 。きっと俺が何をしたのか直ぐにバレてるだろうし … 怒ってるだろうな ……… )

    ジェイはそう思い、何度目かの小さな溜め息をついて、偽物の青空を仰いだ。

    ルトアミスからこの森に近付くなと言われた直後、わざと能力封じを解いて貰い、その一瞬の隙を付いて " 発動能力 " を剣に掛けた。
    もし何らかの理由でここに入ったり、それ以外のアクシデントでジェイ自身が自らの能力を完全に使えなくなった場合。それを伝える為、ルトアミスの元にアナバスの紋章入りの剣が二本届くよう、能力が使えなくなるその直前に瞬時に自動発動する最後の能力を。
    恐らくそれだけでルトアミスはジェイの身に何が起きたかを理解してくれる筈だ。彼がジェイに嵌めた能力封じの指輪は、ジェイからすれば軽い縛りであり、それはルトアミスも分かった上で取り付けている。だからこそジェイが " 全く" 能力を使えなくなった場合の発動対象を、常に自分が身に付けている剣二本に設定したのだ。
    それは昨日、ルトアミスがアナバスの結界を抜けて侵入を可能にした要因が、彼がジェイに付けたキスマークだった事を参考にしたからだった。


    ルトアミスのアナバス星への侵入という行動により、ジェイは結界に対する新しい知識を得た。
    例えば仲間同士が結界によって分断されるような状況に陥っても、互いが互いの何かを持ち合わせていれば、通常は不可能な " 結界抜け " が可能になる場合が起こり得るという知識だ。
    人界に帰ってこの方法を兵士達に教える事で、アナバス兵達は戦略的に更に強くなる事だろう。


    結局はまた自分の勝手な行動でルトアミスに迷惑を掛けているのだが、常に隠し持つ二本の剣は、今回のジェイの状況、つまり " 結界抜け " に役立つ筈だ。
    だがこれは " 外 " に居るルトアミスに試して貰う必要がある。何故ならそれはジェイが " 結界抜け " を試して成功すれば、ライラ達三人をこの森に置き去りにしてしまう可能性が有るからだ。全く何の謎も解かないままにこの森に子供達を置いて " 外 " に出た場合、再び戻って来れる自信も根拠も無い。何しろ " 結界抜け " に必要なものを、子供達と分かち持っていないのだから。
    つまりはジェイ一人ならどうとでも対策を講じられるのだが、子供達を巻き込んでしまった事によって、この森から出られなくなっているという状況だ。

    悪魔界で万に一つでも何かあればいけないと、悪魔界こちらに来た瞬間からジェイの身を案じていたルトアミスや、側近達の気遣いを全て無下むげにしてしまったのはジェイ自身だ。
    なんとしてもジェイ自身の手でこの結界を張った悪魔を倒し、子供達を守って外に出る以外に方法は無い。若しくは、迷路を攻略するしか無い。ただ、これ程の能力の使い手に対し、能力を封じられたジェイに勝算があるとは到底思えない。それでもとにかくやってみるしかない。
    でなければジェイ自身が一生悪魔界から出られないばかりか、恐らくルトアミスにはジェイを悪魔界に連れて来た事をずっと後悔させてしまう。
    それを防ぐ為には、この森の結界主との交戦よりも、迷路攻略に力を入れた方が良い。
    そして、運が良ければルトアミスが自分の剣を使い " 結界抜け " を試してくれるかもしれない。成功するかどうか以前に、彼がジェイを助けようと動いてくれるならば、の話だ。


「 ジェイ?」
    気付けば、あれ程パニックに陥っていたライラが、ジェイの服の裾を軽く引っ張っている。
「 行かねーのかぁ?」
    ナグクが両腕を頭の後ろで組んで、近くをウロウロと歩いている。
    ジェイは子供達の言葉に瞬きを二~三回繰り返してから、
「 ??? …… 行くって、どこへ?」
と疑問を投げ掛ける。
    すると子供達三人は至極当然のように答えた。
「 どこって、この森の出口に行くんだよ?」
「 ……… え?」


「 急ぎ報告がございます!」
    玉座の間の扉の外側から、切羽詰まったような下僕の声が聞こえた。
    一番扉に近かったレイナークが一旦外に出て、下僕からの報告を聞く。そのタイミングは、
「 ルトアミス様っ! どうかおやめください!」
側近を交えた城預りの下僕達が、正にルトアミスを必死で説得しようと騒いでいる最中さなかだった。
「 あの森に入るなど、いくらルトアミス様でも、無謀にも程が ……!」
    城預り達が何度目かの説得を試みるが、
「 黙れ! どんな理由があろうとジェイが森に入った以上、右も左も分からないこの悪魔界で、俺が助けに行かずしてどうする! あいつを助けに行くのは当然だろうが!!!」
と、初めて見る主の剣幕に思わず後退りをする城預りも出て来る始末だ。
「 し、しかし、その剣が急に現れたからと言って、我々にはせません。森に入ったという確たる証拠もありません!」

「 … いや、あの者は確かに森に入ったそうだ 」
    扉付近から大きな声ではっきりと告げたレイナークに、ルトアミスを始め全員が振り返った。


    レイナークが、城外の警備に当たっている城預りからの報告を受けたという、城内から指示を出す更に上の階級の城預りの一人から聞いたその内容は、ジェイと魔物の子供三人がくだんの森に転がり込んだ瞬間を、数名の下級悪魔が目撃していたというものだった。
    更に付け加えるなら、その情報はこの短時間で瞬く間に悪魔界に広がり、異常なまでの悪魔達が森の出口へ続々と向かっているとの事だ。
「 では … 、この剣はやはりあの時 …… 」
「 ああ。アイツめ、確信犯だな 」
    先にクリスティナが呟き、後に続いてルトアミスが苦虫を噛み潰したような表情で歯を食いしばる。
    しかし、とカイルが言葉を発した。
「 魔物の子供と一緒に、との報告。故意ではなく、何か事情もあったかと 」
「 故意などでは無く、魔物の子供ガキに巻き込まれたという線の方が濃厚ではないのか? 」
    ザギは側近達の言っている意味がイマイチ理解出来ないというように呟く。その言葉に対し、ザギの次に位置する城預り達も同意見のようだ。各々が首を縦に振っている。
    しかしグァバはそんな彼等の疑問など聞こえないかのように、
「 あの者がこのような能力をかけたとすれば、あの時。ルトアミス様が森の説明をされた直後だ。ルトアミス様が能力封じを一旦解除なされたその時以外に無い。事故とも故意とも取れる 」
と腕組みをして溜め息をついた。
    ジェイが危険などかえりみない性格で、かなり好奇心旺盛である事を、側近達は既に把握していたからだ。


「 チッ、入り込めん!」
    苛々と表情を歪めながら声を荒げ、こめかみに青筋を浮かべているルトアミスに、下僕達は何事かと目を移す。
    ルトアミスは目の前に現れたジェイの剣二本を、刀身を上に向けた状態で胸元で合わせ持ち、森の結界に集中していた能力を一旦解いたようだった。
    主のその行動に気付いた下僕達は、ぎょっと目を剥く。
「 お、おやめください! 危険が過ぎます!」
「 出る事の叶わない入り組んだ迷路になっているとも、木や植物全てが侵入者の肉をむとも言われている森です!」
「 森の中では能力が使えないとも、上手く森を抜け出せたとしても、三十分は能力が使えないままだとも、様々な噂が … !」
    下僕達が口々に騒ぎ立てるのを、
「 黙れ!!!」
とルトアミスは一喝した。
「貴様らなんぞに言われなくとも全て承知の上だ! 中が迷路だという可能性があればこそ、尚更ジェイの元に直接辿り着くよう結界を抜け入るしかない! ジェイの事で俺がどうしようが、貴様らの口出しは一切受け付けん!」
    そう吐き捨てるように言ってルトアミスは玉座に腰を下ろし、じわりと額に浮かぶ汗を手の甲で拭い、一旦体を休める為に大きく肩で息を着いた。
    何しろ最大限の能力を使って結界をくぐり抜けようとしているのだ。正直なところ、アナバスの結界を抜けるより遥かに無謀な試みをしている。

( それにしても流石ジェイだ。気を頼りに結界を抜ける事が容易になるのではと昨日伝えたばかりなのに、早速それを使ってくるとは …… 。
あの森に入る可能性を想定して、常に身に付けていたであろうこの剣が俺に届くよう、自身の能力が使えなくなる間際に発動するような能力を掛けていたんだろう )

    ┄┄┄┄ だが、

と、ルトアミスは強く確信めいた考えを持っていた。

    必ず結界を抜ける事が出来る。

    森の中にいるジェイには、本人が気付いていないルトアミスが残した三箇所の接吻痕と、下半身を舐めしゃぶった時に付着し既に乾いている己の唾液。唾液に関してはジェイが朝にシャワーを浴びていなければの話だが、少なくとも接吻痕に関してはまだ五~六時間程度しか経っていない。
    そして森の外にいるルトアミスの手元には、ジェイが常に身に着けていたであろう剣が二本。更に、結界を抜けるに当たって一番の効力を発揮する筈の、ジェイの精液をルトアミスが体内に取り込んでいる事だ。
    ジェイの一番強い体液が今、己の体内に浸透している。強力に呼び合い、あの森の結界すら通り抜けられる筈だと、ルトアミスはそう確信していた。


「 …… ではルトアミス様。我等は森の出口で待機しております 」
    クリスティナがそう言うと、次にレイナークは、
「 あの者は今夜中には人界に帰りたいと言っておりました。ルトアミス様がお忙しいなら、我らの誰かに人界に連れ帰って欲しいとも 」
と、言葉を続けた。
    すると今度はカイルが口を開く。
「 では、ルトアミス様が森の中にお入りになられ、夕刻までには森から出ていらっしゃる事を前提として、我等は準備を致します 」
    これら側近達の言葉に驚いたのは、勿論城預り達だった。
「 貴様ら正気かっ!? ルトアミス様をお守りする立場にある我々の最優先事項は、得体の知れないあの森に行かれる主をお止めする事だぞ!?」
    城預り筆頭のザギを残し、騒ぎ始める城預り達。

    そんな彼等に対し、ルトアミスはこの状況下に置いて穏やかな表情を見せた。
「 …… あいつの所為で混乱させてすまない。だが、あいつは俺の命よりも大切な存在だ。人間を相手に俺がどうかしているのではないかと呆れる者もいるだろう。ただお前達に断言出来る事は、俺はあいつを心から愛しているという事実だ。
一時の気の迷いや一過性の遊び等でこの俺が危険を冒すと思うか? たかがそんな相手にこの俺が動く訳が無い事は、下僕であるお前達が一番よく分かっている筈だ。
お前達には迷惑を掛けるが、助けに行きたい。どうか分かってくれ 」
    ルトアミスの思いもよらぬ言葉に、城預り達は一瞬にして静まり返った。
    主からこのように謝罪を伴う協力依頼をされた事など、未だかつて無かった。それもその筈で、基本的に下僕は主である最上悪魔の手足であり、主の感情のままに有無を言わず従いサポートする存在だ。無論、命を投げ出してでも主の命令を遂行する。
    だが今回のジェイに関しては前例が無い極めて特異な出来事で、ずっと悪魔界に居る城預り達には全く理解し難いものだった。ルトアミス自身それを分かっているからこそ、先程の言葉が出たのだろう。


    あの餌はそれ程までに主にとって大切な存在なのか。 " 愛している " などと悪魔の口から言わせる事が出来るあの餌は、一体何者なのか。もしかしたら主の慰み者ではないかと思っていたが、今の言葉から決してそうでないことが分かる。
    はっきりと、 " 愛している " と言い切った。
    しかも、我等下僕に頭を下げた。あの気高きルトアミス様が。

    それでもたかが人間ごときが、一体どうやって主に取り入りたぶらかしたのかと、城預り達からすれば、逆に怒りすら湧いてくる。
    それ程今の状況は理解に苦しむものだった。

    ┄┄┄┄ その時。

    再び玉座の間の扉が激しくノックされ、レイナークが扉を開けるよりも早く先程の下僕が飛び込んで来た。
「 大変です! 悪魔界にいる中級悪魔どころか、帰界していた上級悪魔も徐々に集まって来ています! どうやら奴らの間では、あの餌がルトアミス様の情人ではないかとの噂が広まっており、森に入ったあの者をルトアミス様が助けに入るのではないかと、興味本位で集まって来ている模様です!」
「 ふっ、当たらずとも遠からずだな 」
    若干の自嘲を含む笑みを見せたルトアミスに、ザギが口を開いた。
「 ルトアミス様。では、我等は集まる野次馬共を排除しながら、夕刻頃には森の出口付近で待機出来るように致します。噂が本当であれば、森から出られたルトアミス様は能力を使えない状態。集まり来る馬鹿共は興味本位もあるでしょうが、特に中級悪魔や上級悪魔は、この好機にルトアミス様を襲撃してくるのは必至。あわよくばあの人間を手に入れる事も考えているでしょうから 」
「 ザギ! 正気かっ!?」
    他の城預り達が驚いて彼に目を剥く。
    ザギは昨日のルトアミスとジェイの対等な関係を見聞きした事、そしてその時にルトアミスが思わず叫んだジェイへの想いをしっかりと受け止めていた。それが無ければ、恐らくこのような判断をすぐには出来なかったであろう。
    いくらルトアミス本人の希望とはいえ、危険極まりない未知の森に自分の主を送り出すなど。

    だが、恐らくあの人間は強い。
でなければ、ルトアミスの目前に現れた立派な剣など持ってはいないだろう。しかも、城に来てからずっと見張りも兼ねて観察はしていた。だが、武器を所持している身形みなりなど無く、全くの丸腰だと思っていたのだ。短剣はともかく、長剣をどこに帯刀していたのかすら、今となっては疑問しか残らない。


「 森の周りだけでなく、悪魔界に散っている者全てに指示を出せ! 今回の出来事がどこまで広がり、どれだけの悪魔がこちらに向かって来ようとしているか、逐一報告しろとな!」
    ザギは報告して来た下僕にそう告げ、
「 かしこまりました!」
とすぐに踵を返して去って行く姿を見届けてから、改めてルトアミスへと向き直った。
「 ルトアミス様。それで …… 、あの者の居る場所に侵入出来そうでしょうか?」
    ルトアミスはその問いに、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「 もう一度試す。これが駄目でも、成功するまで何度でも試す 」
「 かしこまりました 」
    ザギはルトアミスに一礼してから、クリスティナ達の元に行く。他四人の城預り達がザギの後に続いた。

「 厄介な事になったな …… 」
    ザギの率直な呟きに、クリスティナも頷く。
「 ああ。… だが、とにかく一番厄介なのは、ルトアミス様とあの者が森から出て来られた時だ。その時に出口付近に上級悪魔が居れば、流石に危ない 」
    クリスティナの言葉に、城預りの四人はまず違う角度からの驚きを隠せなかった。
「 それ以前にいくらルトアミス様と言えど、人間とガキ三人を連れて、あの森から簡単に出て来られるか心配では無いのか?」
「 ルトアミス様とファズが能力を合わせても壊せない結界の森だぞ!?」
「 もちろん我等はルトアミス様が出ていらっしゃると信じてはいるが …… クリスティナ、お前はまるで、足手纏いを連れながらも容易に森の中から出て来られると確信している様な口振りだ 」
    矢継ぎ早に疑問の言葉を口にする城預り達の言い分は最もだ。
    だが、ジェイは悪魔の天敵とまで言われる能力の持ち主である。ジェイの強さが一体どれ程のものなのかまでは、クリスティナもはっきりと把握出来てはいない。


    ┄┄┄┄ それでも。
「 絶対に出ていらっしゃる 」
    クリスティナは強い口調でそう答えた。
「 だから、森の出口を上級悪魔共に固められる前に、まずは上級悪魔から始末して行くのが我等の仕事だ 」


「 この森の出口 …… ?」
    ジェイは思わず聞き返していた。
「 え、だってこの森は強い結界で覆われていて、入ったら二度と出て来れないって聞いたけど?」
    ジェイの問い掛けに、ライラとチータは困ったような表情をナグクに向けた。
    その視線に気付いたナグクは、
「 オレもよく分からないけどよ、父ちゃんが言ってたんだ。この森には一箇所だけ出口があるって 」
と答えて、何故かすぐに俯き斜め下に視線を逸らしてしまった。
「 えーっと … 確かナグクのお父さんって、悪魔だって言ってたよな?」
「 だったらなんだよ …… 」
「 その情報はどこから? ってか、ナグクのお父さんはずっと悪魔界にいるの?」
    尋ねると、ナグクは更に複雑な表情を浮かべて俯いてしまった。

「 ……オレの父ちゃんは、二年前に死んだ。父ちゃんには、この森に出口はあるけどぜったいに入っちゃダメだってなんども言われてた。
それに、この森に出口があるってのは、村の魔物の大人たちはみんな知ってるんだってよ 」
「 え? 魔物達も知ってるって …… 」
    ジェイはまるで狐につままれたような、何とも言えない表情を浮かべた。

( ルトアミスはそんなこと言って無かったけど … 俺の性格バレバレだから、敢えて言わなかったのか?)


「 行こうぜ。道があるんだし、そこの道をずっと行けば出口なんじゃね?」
    ジェイの複雑な気持ちを他所にナグクは歩き始めたが、
「 あ、もう少し待って欲しい。悪いけど 」
と、ジェイはそう言って慌てて子供達を引き止めた。
    怪訝な表情を向けてくる彼等に、ジェイは少し困ったような笑みを浮かべた。
「 実はこの森に入ってから、ちょっと息苦しくてさ、体調が悪い。… でも、多分この調子だともうすぐ治まると思うから、それまで待って欲しいんだ 」
「 え〜っ!? だぁから人間なんてよわっちいんだよなぁ … 」
    ヤレヤレと言わんばかりのチータに、ジェイ自身も苦笑する。
「 三人は? 大丈夫か? どこも体調に変わりは無い?」
    聞くと、ナグクを筆頭に子供達からは、
「 全然だいじょーぶ!」
との元気な答えが返ってきた。


( 出口があるのに、誰一人出て来た事が無いとルトアミスは言っていた。て事は、確実にこの結界を張った奴が " ここに " 居るって訳か ……?)

    能力が使えない状態で、これ程の結界を張っている相手に勝つのは到底難しいだろうと、ジェイは冷静に分析を始めた。
    せめて巻き込んでしまった子供達だけでも、森から出してやらねばならない。何にしても、まずは敵が出て来てからどう行動するかを決めるしか、手立ては無さそうだ。

    ジェイがそう思案していると。
「 ボクのお父さんもね、死んじゃってるんだぁ 」
    気付けばジェイの隣りで岩に背を預けて座り込んでいたライラが口を開いた。
「 え?」
    ライラはゆっくりと話し始めた。

「 二年前にね、一人のつよい悪魔が、ボクたちの村ににげてきたの。その悪魔ね、すごくいっぱいの悪魔においかけられてて、だからボクたちの村は悪魔だらけになっちゃって …… 。
それでね、その悪魔とは全然かんけいのない悪魔たちもいっぱいやってきて、お父さんは、ボクとお母さんを家のちかの " ものおきべや " にかくして、わざと家のそとににげたんだ。悪魔たちはおなかがすいてたみたいでね、すぐにお父さんをおいかけて行って、それでお父さんたべられちゃったって。あとからナグちゃんのお父さんが家にきてお母さんにそう言ってたのを、ボクこっそりきいちゃったんだ 」
    ジェイが何も言えないでいると、ナグクが後を続けた。
「 オレの父ちゃんはさ、さいしょの悪魔が村にきたとき、一人で村をまもろうとしたんだ。すぐうしろからたくさん悪魔がきてることも分かってたのに、そんなこと気にしないで外に走ってく父ちゃんのせなかを見て、かっけぇなーって思った。
まだ父ちゃんが生きてるときにさ、オレ、父ちゃんってどれくらいつよいの?ってきいたことがあるんだ。オレにはよく分からなかったけど、じょうきゅう悪魔? に手がとどくかとどいてないかってくらいだって言ってたんだ 」
    その言葉に、思わずジェイは目を丸くした。
「 え、相当凄いじゃないか …… 」
「 そうなのか?」
    と、疑問形で呟いたナグクは、それでもジェイの言葉に少し嬉しそうな笑顔を向けた。
    逆にジェイはまさかナグクの父親が上級悪魔前後の能力を持つ悪魔だったとは、正直微塵も想像していなかった。魔物と結婚するくらいの悪魔故に、下位に属すると思い込んでいたのだ。
    だが、ナグクが話し続けるこの後の内容に、ジェイは更に心底驚く事になる。

「 そっかぁ、父ちゃんつよい悪魔だったんだな! 村ににげてきた悪魔と、おいかけてきた悪魔たちと、そのあいだにライラたち魔物をたべにきた悪魔たちに一人でたちむかったんだもんなぁ …… 。
オレさ、てっきり父ちゃんはそんなにつよくないって思ってた。だって人界に行ったことなんてないって言ってたし、ずっと悪魔界にいたから、人の肉だってかぞえるくらいしかたべたことないっつってたからさ 」
「 え!?」
「 父ちゃんは生まれてまだオレたちくらいのときに、母ちゃんと知り合ったんだって。ふつうなら悪魔って、魔物とこうりゅう? をしないらしいんだけど、いっしょにあそんでるうちに父ちゃんはどんどん母ちゃんが好きになってったみたいでさー。だからまいにちあそんでたんだって。
今のオレとライラとチータみたいな友達かんけいだったって。でも父ちゃんの親は二人とも悪魔で。父ちゃんが生まれて少ししたら、父ちゃんの父ちゃんは人界に行ったっきりかえってこなくなって、父ちゃんの母ちゃんが、父ちゃんが十歳くらいになったときに、悪魔のちから? とか悪魔としての " せいかつしゅうかん " を、いろいろいっぱいおしえてくれたって言ってた。
けど、その母ちゃんもあるていど父ちゃんにおしえおわったら、けっきょく人界に行ってかえってこなくなって、父ちゃんはオレの母ちゃんの家でねることがふえていって、いっしょにすんでいいって言ってもらえたんだって。
父ちゃん、悪魔なのに魔物のみんなから受け入れてもらえたって、うれしそうに話してたんだよな。
そんで父ちゃんと母ちゃんはけっこんしてオレが生まれて …… でも父ちゃんは、オレに悪魔のちからとか何もおしえるまもないまま、死んじまった。だからオレは、魔物としてのせいかつしか知らないし、悪魔のちしきもないから … 。ただ、悪魔は魔物よりつよくて、魔物をたべるんだってことしか分からないんだよな 」
    ナグクはゆっくりと話し終えて、手に持つ折り畳みナイフをそっと撫でた。

    ジェイはおもむろにライラ越しに左手を伸ばし、ナグクの頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「 … ナグクが持ってるそれな。一見、玩具みたいな子供が使う折り畳みの簡易ナイフみたいに見えるけど、刃の部分はかなり上質な素材で作られてる。全体的にもかなり精巧に作られた、実践で使えるちゃんとした剣だから、今まで以上に大事にしたら良い。あと、敵からすればただの玩具のナイフにしか見えないから、敵を油断させる事も出来るし、隠し武器には最適だからな 」
    ジェイは穏やかな表情でそう言った。
    その言葉に、ライラの隣りに胡座をかいて座っていたナグクは、初めてジェイに向けて顔を上げた。
「 へぇ? そうなんだ? ジェイっていがいと " ものしり " なんだな 」
    その言葉にふふっとジェイは笑んで、しかしすぐに真顔に戻った。
「 … けど、結局逃げて来たその悪魔はどうなったんだ? 村に集まった大量の悪魔達も 」
    当然抱くジェイの疑問に、ナグクは今度はしっかりとジェイの目を見て再び話し始めた。

「 少ししたら、ルトアミス様のしもべたちが何人かきて、みんなたおしてくれた。… でも父ちゃんはオレたちの村と魔物みんなをまもろうとして、外にでてた村のみんなを " いっかしょ " に集めて、いっぱいやってきた悪魔たちとたたかってたから …… 。ライラの家にきたときは、 " きりょく " だけで立ってるくらいのじょうたいだったんだって。ライラの父ちゃんを助けられなかったってあやまってたところにルトアミス様のしもべがきてさ。オレの父ちゃんは、もう助からないって言われたんだ。 " ちゆのうりょく " ってゆーのを使ってももうムリだって。
だって父ちゃん、体中血でまっかっかだった。こんなにもたくさんの血が体の中にあるんだって思った。オレ、見ちゃダメだってみんなに止められたけど、オレにはそんなことカンケーなかった! 父ちゃんに近付いたらさぁ、父ちゃん、体の形がおかしくなってたのに … 、ライラの父ちゃんを助けられなくてごめんって。他にも助けられなかったみんなにごめんって。オレと母ちゃんをおいて先にいなくなるけど、ゆるしてって。なんかいもそう言って死んだんだ。
父ちゃんが死んだすぐあとにルトアミス様のしもべがまた何人かきて。城の近くでさわぎがあったのに、すぐにこれなくて悪かったって言ってくれた。一人でさわぎをおさえてた父ちゃんにかんしゃするって言ってくれた。
それだけでオレはうれしかったんだぜ。ルトアミス様のしもべなんて、くもの上のそんざいだから、そんな悪魔たちからおれいを言われた父ちゃんがカッコイイて思った。
だからオレは、大きくなったらルトアミス様のしもべになって、この村をまもろうってきめたんだ! 父ちゃんがまもった魔物の母ちゃんと、この村にすむ魔物のみんなを、こんどはオレがまもるんだ!」


    ナグクの少し涙声になった、しかしかなり力強いその言葉に、ジェイは多くの意味で衝撃を受けた。

    悪魔の両親を持つナグクの父親自身は、一度も人界へ行った事がない事。
    悪魔であるナグクの父親は、魔物達を守って死んだ事。
    そして一番の衝撃は、ナグクの父親は悪魔でありながら、数回しか人肉を食べた事が無かったという事。
    これはかなり稀有けうな事例だ。


    ジェイは若干緊張した面持ちで、
「 ナグク、一つ質問なんだけどさ、ナグクのお父さんは、どんな食事をしてたんだ?」
と尋ねた。

    するとナグクは一瞬きょとんとしてから、当然の如くあっけらかんと答えた。
「 魔物のみんなとおなじごはんだぜ? だって母ちゃん、魔物だもん。オレだって母ちゃんのごはんでそだってるし 」
    ┄┄┄┄ あ、でも。
と、ナグクは思い出したかのように一呼吸置いた。
「 父ちゃんがまだ父ちゃんの母ちゃんといっしょにせいかつしてたときは、人間の肉をなんかいかたべたって言ってた。けど、オレの母ちゃんのつくるごはんの方がよっぽどおいしいって笑ってたぜ! オレだって人間の肉をたべたいなんて思ったことなんか、いっかいもないしな。だから安心しろよジェイ!」
「 あはは、そっかぁ。俺、ナグクに喰われんのかと思ってドキドキした 」
    冗談めかして取り繕ったジェイだが、内心はかなり動揺していた。

    人肉の味を知っていたのに、喰わないで生きていた悪魔。
    そして、今のところは人肉の味を知らない子供の悪魔。
    魔物という存在になど一切興味を示さない悪魔が、純血の悪魔であるナグクの父親は魔物達を守る為に戦い、死んだ。


    ジェイの悪魔に対する概念が、また大きく覆された。確かに育った環境に左右されるとはいえ、悪魔に流れる血は、悪魔本来の性質を呼び起こす筈だ。
    一度でも人肉を口にした悪魔なら、必ずその味をまた求めるようになる。だが、ナグクの父親はそうでは無かった。恐らくクレアが一途にルトアミスを想い慕っていたのと同様、心底ナグクの母親が好きだった事も影響しているのかもしれない。

    ふぅ、と小さく息をつき、ジェイは再びナグクの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「 ナグクもライラも、お母さんを大事にしなきゃな。チータも、両親を大切にするんだぞ 」
    穏やかで優しく微笑むジェイの手を、ナグクは顔を真っ赤にして振り払った。
「 子供あつかいすんじゃねぇ! とにかくっ、オレはつよくなってみんなをまもるってきめてるんだ!」
    拳をグッと握りしめてナグクは勢いよく立ち上がった。
    それに釣られるかのように、ジェイもゆっくりと立ち上がった。
「 …… ありがとう、辛い話でもあるだろうに、いろいろ教えてくれて。でも、二人はちゃんと前を向いて歩いてるんだな。
こうしていつも三人で一緒に居て、ちゃんと今の生活を大事に思ってるんだな。
… 俺も、負けてられないな ……… 。
取り敢えず、そろそろ森の小道沿いに歩いてみようか 」
    
    意外と長く留まっていた所為か、ジェイの息苦しさは途中からスっと引き、既に体調は完全に元に戻っていた。

    一方、ルトアミスは苛立ちが抑えられなかった。否、苛立ちと共に今や不安と恐れの方が勝っている。
    得体の知れない森で、ジェイはもしかしたら殺されかけているのか、怪我をして動けないでいるのか、気を失っているのか、とにかく何の手掛かりも得る事が出来ないからだ。
    中は噂されている通り本当に " 迷路 " になっているのだろうか。何もかもが分からないからこそ、こうしてジェイの気を辿り直接結界内へ侵入しようと何度も試みているのだ。普通に森に足を踏み入れても、迷路になっているならジェイと会えるかどうかも定かでは無い。

    だが、ジェイはあの森の中でまだ生きている。

    ルトアミスが感じ取れる範囲内では、それが精一杯だった。生きていると直感を信じ、何度も何度も結界内への侵入を試みている。だが、どうしても入り込めない。
    クソ、とルトアミスは舌打ちをした。
( 俺は今こんなにもお前の事を考えている。なのにお前は、あの森に足を踏み入れても尚、俺を頼ろうとはしてくれないのか!)

    恐らく、あと一歩なのだ。

    ルトアミスは何故かそう確信していた。

ジェイとルトアミス、互いが互いの事を思い求めた時こそ結び付きは一番強いものとなり、結界を越えれられるだろうと。
    だからこそ余計に腹立たしい。
ジェイがルトアミスを必要としていない事、そして、万が一にもジェイを失ってしまうかもしれないという、初めて抱いたこの感情。

    ┄┄┄┄ 恐怖。

    ルトアミスは落ち着かなく、無意識のうちに玉座の椅子の前を、難しい表情で行ったり来たりしていた。


    下僕達は既に慌ただしく動き回っていた。
ザキが中心となり、とにかくあらゆる情報を吸い上げ、上級悪魔から始末して行くよう指示を出している。
    城内が半ば混乱状態になり兼ねない程に下僕達が駆け回り、それぞれの役割をこなしている。

    そんな中、クリスティナはそっとルトアミスの傍へと歩を進めた。
「 ルトアミス様 …… 首尾はいかがです?」
    ジェイを救い出し無事に人界へ帰す為には、危険と知りながらも主が森へ入らなければ何も始まらない。
    ルトアミスは彼女の声に、ぴたりと足を止めた。
「 … あいつが俺を求めない。あいつが俺のことを強く思った時こそ、侵入出来る筈だ。なのにあいつは一切俺を必要としない!」
ギリ、と唇を噛み締める。
    しかし、クリスティナは穏やかな笑みをルトアミスに向けた。
「 ルトアミス様、ご心配は無用かと 」
「 … 何を根拠にそんな気休めを言う!」
「 気休めではありません。… あの者は、悪魔界ここに来てルトアミス様と口論をした後、城に戻ってからずっとお帰りを待っていました。ルトアミス様がザザンに行かれている間の、あの者の心細く不安な表情を隠し切れていなかった様子をお見せ出来ればと思う程です。
ですから、今あの者がルトアミス様を求めていないという事は、逆に今は身の危険が迫っていないとも考えられます。特に魔物の子供三人を連れているという状況。自分の身が危険でなくとも、子供達を守れないと判断した時点で、すぐにルトアミス様に気持ちが向くと思われます。
私はその可能性を信じたいと思っております 」
    彼女の言葉に、ルトアミスは少し驚いたように目を見開いた。
    たった一日で随分とジェイの性格を把握したものだ、とルトアミスは思った。今まで側近と言えど、ジェイと直接接触を持った事はなかった筈だ。ただ、常に己の近くに控えている為、ある程度のジェイの性格や行動を把握していたのもあるだろう。
    悪魔界ここに来てからはルトアミスはクリスティナ達に何一つ任務を与えていない。しかしルトアミス不在の間、側近達はジェイの身辺をずっと警護していたらしい事をザギから報告を受けていた。
    ルトアミスも人界の下僕達がジェイを快く受け入れている事は知っていたが、自らの意思でジェイの世話を焼くほど好意的に思っていたとは、全く認識していなかったのだ。
    側近達が悪魔界こちらに来てジェイの身辺警護を買って出ている短時間に、自然と距離が縮まったのだろう。


    ルトアミスははやる気持ちを少しでも落ち着かせようと、ゆっくりと息を吐いた。
「 …… 成程、その可能性は高いな。クリスティナ、お前が言うならそうなんだろう。あいつが強く俺を求めるまで、俺はあいつを強く想い続けよう 」
「 はい 」
    クリスティナはにっこりと微笑み、
「 私がご用意した膳が、まさかこんな形でお役に立つとは思ってもいませんでした 」
と続けた。
    するとルトアミスもやっと小さく笑みを見せた。
「 据え膳をもっと味わっておけば良かったのかもしれんな。そうすれば、今頃はとっくにジェイの元に辿り着けていただろうに 」
「 全部お食べにはならなかったのですか?」
「 当たり前だ。… それに、どこまで食ったかまでお前に話すいわれは無い 」
    クリスティナの少し踏み込んだ質問に、ルトアミスは僅かに眉を寄せた。
    しかし彼女はただ、ふふっと柔らかく微笑み受け流す。
「 膳を用意した者として、食べて頂いたのか気になるのは当然かと 」
    口の減らない側近頭に、ルトアミスは閉口した。


    森の遥か上空で冷静に状況を分析している男女二人組がいた。彼らは上級悪魔だが、人界へはほとんど行ったことが無い。人肉に特にこだわりを持っている訳では無いからだ。
    そもそも悪魔は人肉を主食としなくとも、普通に生きていける。ただ、獣や魔物、人間の肉の中で飛び抜けて美味うまいのが人肉であり、一度口にするとまるで中毒のように求めてしまう。しかも人界に行けば喰べ放題だ。それ故に悪魔界から人界に出て行く悪魔が殆どなのだ。
    だがそれを知る人間は当然ながら一人も居らず、人界に居る悪魔達の行動により、悪魔の喰べ物が人間であると無意識に脳内に植え付けられている。


「 ふーん。噂だってのに、低能な馬鹿共の数が凄いな 」
「 それを言っちゃあ、あたしらも同じでしょ。ただの野次馬だもの 」
「 ははっ、そうだな。ま、数人の下級悪魔が見てたらしいし、ルトアミスほどの最上悪魔サマが精霊を情人にして連れて来てもおかしくはないからなぁ 」
「 そうね。充分有り得るわ。女としては精霊がどれほど美しいか、かなり興味はあるけれど … 見る事は叶わないわね 」
    女悪魔は少し残念そうに溜息をついた。
「 だな〜。この調子じゃ、集まって来てる能力の高い悪魔から順に、下僕達にどんどん殺られていくぞ。さっきから見てる限りじゃ、恐らく下僕総動員だろうなぁ。ルトアミスが情人を助ける為に既に森に入ったかどうかは分からないが … 可能性は高いからなぁ。出て来た時にはルトアミスは能力が使えない。あわよくばルトアミスを殺して情人を奪う機会があると、集まって来る馬鹿共は思ってるんだろうからなぁ 」
「 ふふっ、そうね。賭ける? ルトアミスが殺られるかどうか 」
「 んー、俺は殺られない方に賭ける 」
「 あら、それじゃ賭けにならないわ。私も殺られないと思うもの 」
「 ははっ! とりあえず、早くズラかるか 」
    そこまでのんびりと会話していた男悪魔は、それでも周りの状況を冷静に見定めていたらしい。
「 他の最上悪魔達の下僕が集まって来てる 」
「 ええ、そうね。馬鹿達は気付いていないでしょうけど、これでルトアミスの下僕達は益々本腰を入れて来るわ 」
「 同感だなぁ。巻き込まれないように、この森から出来るだけ離れた所でじっとしておくのが得策だぜ 」
「 そうね 」
    そんな会話をして、上級悪魔の男女は姿を消した。

    ジェイとライラ達は、ゆっくりと森の小道を進んでいた。
    悪魔界に来てすぐにこの森から自然特有の生気を感じなかった通り、森の内部に入ってしまえば尚更のこと、全てが造り物であると実感させられる。
    これだけ大きな森を、あたかも本物さながらに造り出す能力を持つ者など、ジェイには心当たりがなかった。

    ただ、考え難いが一つだけ可能性があるとすれば、 " 神 " の存在だ。神の持つ自然の能力を使えば、恐らくこの森を造り上げる事など容易いだろう。だが、神が造るとなれば、確実に " 生きた " 森が出来上がる筈だ。自然を司る神々が、"  生 " の無い自然を造る事の方が難しいと言えよう。
    しかし一番の疑問は、どのような目的で神が悪魔界にこのような場所を造ったのか、という事だ。天界という異次元に住む神々は、当然その能力は下界に住む悪魔などより強い。つまり神々からすれば、下界に生きる人間も悪魔も同じ存在なのだ。人間も悪魔も全く手が届かない領域に位置する存在が神だ。
    つまり、神がこの森に関わっているとは考え難い。

    とにかくこの謎だらけの森は、慎重に進まなければならないと、ジェイは思っていた。
    この先どんなからくりが待ち受けていて、しかも結界の創造主が居るかもしれない、最悪の状況に陥る可能性が有るからだ。

    ┄┄┄┄ その時。

    ジェイは数人の悪魔の気配を感じ取った。
能力が使えない為、微かにしか感じられないが、その気配は下級悪魔以上の中級悪魔であろうと推測した。中級悪魔でも下位に属する悪魔くらいなら、微かであってもその気配を感じ取る事が可能なようだ。何故ならこの気配は、明らかに下級悪魔以上のものだと、ジェイには判断出来たからである。

    いきなり立ち止まったジェイを三人の子供達が不思議そうに見上げる中、ジェイは咄嗟に三人を腕の中に庇ってしゃがみ込み大木の陰に背をつけた。
    その動きは、この森に入ってしまう直前にジェイがチータを助ける時に見せた、三人からすれば想像を絶する速さだった。
    瞬間、カカカッと小気味の良い音がして、蹲るジェイ達の頭上より僅か上の大木の幹と、小道の反対にある何本かの大木に、数本の短剣が突き刺さっていた。

「 ひ … っ!」
    悲鳴を上げかけたチータの口を、ジェイの手が覆う。
    そして、ジェイは小声で口早に言った。
「 絶対にここを動くな 」
    言うや否や、ジェイは屈んだままの姿勢で前方を見据えたまま、右手で足元の小石を幾つか拾い集めた。
    そして次の瞬間には音も無く立ち上がり、大木に突き刺さった短剣を二本引き抜く。
「 ジェ、ジェイ、危ないよ!」
    ライラの言葉に、ジェイは前方からは目を離さず僅かに顔だけを子供達の方へ傾け、口元に人差し指を立てる。とにかく静かにしていろと言いたいのだろう。
    余りにも突然の出来事に、子供達には何が起こっているのか理解が追いつかない。しかし、前方から何本も飛んで来た短剣は、自分達以外の何者かがこの森に居て、明らかに自分達を狙って投げられたものだろうという事だけは理解した。
    ライラ達が不安げに見つめる中、ジェイは微動だにせず静かに両目を閉じていた。何をしているんだ、危ない、とナグクが思った瞬間、ヒュンッと空気を切り裂く音が微かに耳に届いた。と同時に目を開いたジェイはニヤリと笑って、飛んで来た短剣の柄をいとも簡単に掴み取り、その勢いを利用し短剣をくるりと反転して投げ返した。
    それも、先程引き抜いた二本の短剣を指の間に挟み持ったままの状態で、だ。


    ┄┄┄┄ えぇっ!?

    ライラ達が唖然としている間にも、ジェイは間髪入れず手にしていた二本の短剣と拾い上げた小石を、前方のあらゆる方角に投げ飛ばしていた。
「 ギャアァ!」
「 グゥッ!」
「 カハッ!」
    そのような短い悲鳴が辺りから聞こえ、続いてドサドサッと何かが落ちるような大きな音も聞こえて来た。

( これは子供達に " 死 " を見せたくないとか言ってる場合じゃないな … )
    ジェイがそう考えているうちにも、複数の悪魔の気配が遠ざかって行くのを感じた。
「 とりあえず出て来て大丈夫だ 」
    穏やかな笑みを見せて振り返ったジェイの元に、子供達はおずおずと歩み寄った。だが、先程見せたジェイの表情は、今まで見て来た優しいジェイのものとは到底思えないほど鋭い目をしていた事に、子供達は動揺を隠せなかった。

「 ナグクは俺と一緒に、ライラとチータは俺達の後ろからついておいで 」
    ジェイの言葉にナグクは驚きの表情を見せた。
「 え、なんでオレ … ?」
    戸惑うナグクを他所に、ジェイは再び小道を進んだが、少し歩いた所で道を逸れて森の中に入った。前方には倒れて息絶えている悪魔の姿が見えてくる。
「 ライラとチータはちょっとそこで待っててな?」
「 う、うん … 」
    二人は互いに目を見合わせてから、辺りを見回した。遠目に見ても、何人かの死体が転がっている。
「 う、うわ … っ!」
    思わず声を上げたチータを振り返ったジェイは、
「 ごめん。なるべく見せたくは無かったんだけど、もしかしたらこの先、三人の目の前で死ぬ悪魔が出てくるかも。今は遠目にしか見えないけど、ちょっと覚悟はしてて欲しい 」
申し訳無さそうにそう告げるしかなかった。
    無意識のうちにゴクリと唾を飲み込んだライラとチータは、微かに震えていた。


    あの時、もっと注意を払っていれば、ライラ達をこの森に道連れにする事にはならなかったのだ。だが、こうなってしまった以上、悔やむのは今ではない。
「 …… ナグク 」
    ジェイはナグクが逃げないよう彼の腕を取り、目の前の悪魔の死骸に近付いた。
「 や、ヤダ! なんで見せんだよ! こんな、こんなこわい死体なんか見たくない!」
    途端に目を逸らして暴れ出すナグクの体を、ジェイはしっかりと押さえつけた。
    そして、少し強い口調で言った。
「 お前は悪魔だろう。たかがこの程度の死体を怖がっていてはダメだ 」
    ハッとナグクはジェイの顔を見上げた。
どうやらジェイの言わんとしている事を理解したのだろう。恐る恐る、目の前の死体に目を遣った。
    その悪魔の眉間には、ジェイが放ったであろう小石がめり込み、後頭部へと貫通しているようだった。倒れている後頭部から流れる血が、じわじわと少しずつだが土に染み込んでいる。ジェイが道で拾い上げただけの小石を、少なくともこの子供達には想像を絶する速度と正確な位置を定めて投げていなければ、この悪魔は死体となっていない。
    目の前に死体があるという事実を受け止めるだけで精一杯な子供達が、その事に気付かないのは当然の事だ。

「 この悪魔達の名は、ギラッツ。中級悪魔の中でも能力は低い分類に入る悪魔だ 」
    至極当然のように説明を始めたジェイに、ナグクは驚いて視線をジェイに戻した。
「 え … 、な、なんで悪魔の名前が分かるんだよ?」
「 経験と学習だな。…… 俺もギラッツに遭遇したのは初めてだから、ギラッツに関しては完全に知識上でしか知らない。けど、俺は中級悪魔以上のほぼ全ての悪魔を記憶しているから、すぐに分かる 」
「 す、すげぇ …… 。お前って、人間なのにちしきハンパねぇのな!」
    するとジェイはナグクの言葉に少し苦笑した。
「 人界では、ほとんどの人間は悪魔情報や悪魔の種類一覧を見てる。少しでも自分達が食べられないように、遭遇したら少しでも逃げられるように。それに、少なくとも最上悪魔の名前だけは、人間の子供ですら全員把握してる 」
    だけど、とジェイは続けた。
「 悪魔であるナグクは、人間とは違う意味でいろんな悪魔を覚えていかないと。それは悪魔として最低ラインだ。悪魔界から出た事が無いナグクにはかなり難しいかもしれないけど、ルトアミスの下僕になるには、少しずつでも努力しなきゃな?」
「 お、…… おう! とりあえずこのギラッツって悪魔のかおはおぼえたけど、もう死んだぜ?」
    するとジェイは少し離れた場所でそれぞれ息絶えている悪魔達を指差した。
「 あいつらの顔を見て来てみろ。きっと気付く事がある筈だ 」
「 わ、分かった!」
    ジェイの言葉に素直に走って行くナグクに、ジェイは小さく微笑んだ。

( 気の所為かもしれないけど、急に素直になったな )

「 うわっ!?  同じかおだ!」
と、ナグクは驚きの声を上げた。
    そしてすぐ様、ナグクが自分の意思で動いた。他の死体全てを確認して回ったのだ。
    そして息を切らしジェイの元へ戻ったナグクは、膝に手をついて肩で息を整えてはいるものの、気分が高揚しているように見えた。
    つい先程までとは違い、目がキラキラと輝いている。

「 俺が言いたい事は分かった?」
    ジェイが促すと、ナグクは顔を上げ、しっかりとジェイの目を見た。
「 このギラッツって悪魔、一人じゃない!」
「 うん、そうだな 」
「 死んでるコイツらのこと、わざわざジェイがオレにおしえたってことは、きっとこの悪魔、むれで生きてる悪魔で、もしかして人界にもいるのかなって思った!」
    その言葉に、ジェイはにっこりと笑った。
「 その通り。ギラッツは単体の悪魔じゃない。群れで行動する種類の悪魔だ。大体十数人で一つの群れを形成して生活をしてるけど、多い群れだと俺に入って来る情報の中には百人近い群れもあった。つまりナグクの言う通り、こいつらは人界にもたくさん居る。
そしてこの森にはまだ生きてるギラッツがいて、何人いるかも分からない。だが確実にまだ居る。俺がここで殺したギラッツ達の他に、逃げて行く奴らの気配を感じたから 」
    ジェイのその言葉に、ナグクはピクリと反応した。
「 え、あのさ … 、ジェイって、まさか … もしかして、" ちから " をもってんのか …? 人間なのに?」
    恐る恐る尋ねるナグクの口調にジェイは思わず苦笑した。悪魔界しか知らず、しかも魔物と共に暮らす子供の悪魔を、こんなにも可愛く感じるのは何故だろうと思ったからだ。

「 ああ、持ってる。能力を使えるのは悪魔だけじゃない。人間だって悪魔と同じように能力を持ってる人が多いんだ。だけど、能力の使い方が分からなかったり、能力を持っていても自分自身ではその事に気付かず一生を終える人も居る。
けどそれと同じくらい、悪魔から身を守る為や、王族に仕える為に修行して強くなりたいって思う人もたくさん居て、能力を高める為の専門学校も数多くあるんだよ 」
「 そうなんだ! オレはてっきり、人間はただていこうもできずにたべられるだけのエサだと思ってたぜ!」
「 ボクも!」
「 オレも!」
    と、ジェイの周りに寄って来たライラとチータも、ナグクの言葉に同意した。
    アハハ、とジェイは笑って、
「 人界では悪魔と同等に戦える兵士達がたくさん居る。だから、人界に居る悪魔達も、簡単には人を喰べられないんだよ。上手くやらないと兵士達に見つかって殺されるからね。だから悪魔界に残ってる悪魔達は、人界の兵士達を恐れて引きこもってる奴らがほとんどだ。そのくせ悪魔界ここでは大きなつらしてるみたいだけどな 」
と、少し面白そうに答えた。
    すると子供達は互いに目を見合わせ、なんとも言えないような表情を浮かべた。
    そして、意を決したように口を開いたのはチータだった。
「 あの、さ? その言い方だとよ、まるで悪魔界にいる悪魔たちはみんな、めちゃくちゃよわいってことにならねぇ …?」
「 うん、悪魔界に居る九十九%の悪魔は、悪魔の中でも底辺中の底辺だな 」
    それに、とジェイは一旦言葉を区切ってから、子供達にとっては更に衝撃の事実を続けた。
「 悪魔は、基本的には魔物や獣の肉を好き好んでは喰べないんだ。悪魔界に居る悪魔達は余りにも弱過ぎて人界へ行けない。だから人間を喰べる機会なんて無いだろ? 結局は自分達より弱い魔物や獣を襲って喰べるしか無いんだ。
勿論、悪魔は人間を喰べなくても生きて行ける。ナグクのお父さんや、今のナグクのように。けど悪魔にとって一番美味いのは人肉らしいから、悪魔の主食が人間だと思われる事が多いんだ。現に、人界に居る悪魔は人肉以外喰べないからな 」
    ジェイが告げた初めて知る事実により子供達は固まり、束の間の沈黙が四人の間に漂った。

    ┄┄┄┄ だが。

「 え、えぇー!? ジョーダン言うなよ〜!」
    と、ナグクが少し顔を引きらせながらも笑い飛ばした。恐らくは認めたく無かった、というより、にわかには信じられないのだろう。
    だが、ジェイはスっと真顔になり、ナグクの胸の辺りを指で突いた。そしてそのまま、強い口調で言った。
「 ナグクのお父さんは、残り一%の中に入る強い悪魔だったと思う 」
「 え、」
    と、ナグクは表情を引き締めた。
「 話を聞く限り、ナグクのお父さんは恐らく中級悪魔じゃなくて、少なくとも上級悪魔の下位に位置するくらいには強かった筈だ。
その証拠に、この村は栄えているだろ? 市場も賑わっている。こんなにたくさんの魔物達を一人で守り、命を落とした。逆にお父さんの性格が、本来悪魔が持つべき残忍性を全面に出していたとしたら、この村は壊滅、助かったとしてもナグクとお母さんだけだった筈だ。
何故なら悪魔は、自分を一番大切にする。例えナグクのお母さんや息子のナグクであっても、当たり前のように見捨てるのが本来の悪魔の姿だ。
でもナグクのお父さんは稀なケースだったんだろうな。愛する家族とこの村を守る極めて稀な性格を持つ悪魔だったから、死んでしまった。逆にこの村の魔物達がどれだけ死のうが何とも思っていなかったのなら、ナグクのお父さんは簡単に村に押し寄せた悪魔達を倒せたと思う。ただその代わり、命を落とす村人達が続出していただろうな 」
    ジェイはそう言って、ナグクの胸から指を離した。このように冷静に分析をする話し方をされる方が、逆にジェイの推測が本当なのではないかと子供達には思えた。

「 ナグク、ナイフは持ってる?」
    ジェイの突然の問い掛けに、あ、あぁ、ときょかれたようにナグクは頷き、右手に握るそれをジェイに見せた。
「 ずっと手に持ってるんだぞ? ライラとチータを守れ。ギラッツ達はまだまだ居るっぽいから 」


    恐らくかなりのギラッツ達がこの森には居るのだろう。でなければ、この森に迷い込んだ上級悪魔が未だ出て来ないのはおかしい。
    しかし、それだけでは無い気がする。
ジェイにはどうしても腑に落ちなかった。
    上級悪魔なら、いくら人数が居ようとたかがギラッツ程度の下位の中級悪魔に負ける訳が無いのだ。この森の結界で能力が使えなくても、ジェイのように少しずつ殺していく事が出来る筈だ。では何故その上級悪魔は出て来れなかったのか。それに一番不思議に思ったのは、ギラッツはこの森に迷い込んだ悪魔では無さそうだという事である。何故ならあまりにもこの森に馴染み過ぎているのと、あまりにも大人数の群れで生息しているからだ。
    それとも …… 迷路の構造として、単に上級悪魔と接触しておらず、ギラッツはギラッツで、上級悪魔は上級悪魔で、それぞれまだこの森を彷徨っているだけなのだろうか。


    疑問は尽きないが、恐らくはもっと決定的な何か秘密があるのだろうと、ジェイは確信していた。

「 わ、分かった! お、オレは悪魔だからなっ! チータとライラをぜったい死なせたりはしないぜ!」
    ナグクは上擦った声で、しかし決意の籠った心意気をジェイに示した。
    ジェイはそんなナグクを見守る温かな表情になり微笑んだ。
「 とりあえず今のナグクに出来る事は、なるべく俺の動きを目で追う事。俺がギラッツの攻撃をどう対処するのか、目で見て覚えたらいい。俺とギラッツの戦いをよく観察するんだ。すぐに出来なくても頭に叩き込んで、この森を出たら何度も真似をしたらいいよ 」
「 へ、へぇ? ジェイっていがいと " じしんか " なんだな 」
    強がりを言って虚勢を張るナグクにジェイは一瞬目を丸くしたが、やがて、にっと少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「 だって俺、ナグクよりは強いだろ?」
    揶揄からかうような口調でそう言うと、ナグクは子供らしくぷうと頬を膨らませた。
「 そりゃ … 今はそうかもしれないけどよ …… 」
    そんなナグクの頭をクシャクシャと撫でて、
「 さて、と …… 行こっか 」
ジェイは森の奥に続く小道に目を遣った。が、何か思い出したようにすぐに子供達三人の目をそれぞれ見ていき、
「 三人共、これから先、例えどんな事があっても、絶対に三人で固まって行動するんだぞ?」
と真剣な表情で言い聞かせた。
    こくんと頷く子供達に、
「 絶対に、何があっても、だ。三人がバラバラになると守れない。だから例え大量の血を浴びたとしても、もし俺が殺られそうになっても、目の前で吐きそうなくらい気持ち悪い死に方をするギラッツがいても、絶対に三人で固まってるんだ。それと、俺が指示した場所から絶対動かないこと、それ以外は俺から絶対離れないこと。半径五メートル以上離れるな。それさえ守っていてくれれば、何とかしてみせるから 」
    ジェイは五メートルの距離を自分からあの大木くらいまでだと指し示しつつ、これから起こるであろう戦いに備えて、耐性の無い子供達に更に念を押してそう告げた。


    た、大量の血っ!?  ジェイが殺されそうになっても!?

ライラ達はかなり動揺し、既に怯えた目をジェイに向けている。
    だが、この異常な環境下では、もはやこれから起こるかもしれない事は先にはっきりと伝えておかねばならない。恐らくまだ集団で居るギラッツ達を殺す時、殺し方などに構ってはいられないだろうとジェイは思っていたからだ。
    怖がるなら今から怖がらせておかなければ、その時がきてパニックになり、三人がバラバラに逃げられては困る。
「 … とにかく何が起ころうと、目の前でギラッツが血飛沫を上げて死んだとしても、絶対に三人固まっていて欲しい 」
    ジェイは、特にギラッツが死んでも驚かないよう強く念を押した。
    ライラ達は既に震え上がっているが、これから先、きっとその光景を目の当たりにするだろう。勿論そうならない事を切に願うが、森を抜け出て来ない上級悪魔の事例がある限り、警戒して進まなければならない。
「 ナグクは最後の砦だ。万が一俺が取りこぼした悪魔が目の前に来た時だけ、死に物狂いになって二人を守ってくれ。手に持ってるお父さんの形見で戦えば、きっとお父さんが守ってくれる。俺も指示を出すし、俺自身も皆を守る為に頑張るから。…… な?」
    ナグクは無言で、しかし決意を固めたようにしっかりと頷いた。

    ちょうどその頃、ギラッツ達は一つの場所に集まり、多くの者が動揺を隠せないでいた。

    ギラッツという悪魔は、小人ほどの身長しかない小柄な悪魔だ。常に群れで行動し、何世代にも渡って繁殖していく。
    悪魔界の特殊な空間であるこの森に居るギラッツは別として、人界に居るギラッツ達は、それぞれの群れが出合うと宴会をする習わしのある、変わった悪魔だ。ギラッツ同士では決して殺し合いをせず、違う群れの男女で結ばれ、子を成す事が多い。つまり、とても仲間意識の高い種族なのである。

「 何故人間がこの森に居るんだ?」
「 悪魔界に連れて来られた餌が逃げて、たまたまこの森に入り込んだとしか考えられん 」
「 待て待て、魔物のガキと悪魔のガキを連れてやがった。しかも、 " 餌 " とは掛け離れた雰囲気だったぜ?」
「 餌じゃなければ、どうやって悪魔界に来たんだ?」
「 論点はそこじゃないだろ! あの人間の動き …… 只者じゃない。少なくとも俺たちより強い 」
「 それは大丈夫だ、俺達は上級悪魔すら殺して喰ってるんだ。たかが人間ごとき、簡単に魔物のガキ共と一緒に殺せるさ 」
「 だなァ 」
「 オレに名案があるぞ! ガキはさっさと喰って、人間は生け捕って、噂の " 精 " を飲んでみないか?」
「 おぉ、それは確かに名案だな! 俺はあの人間なら普通に抱けるぜ!」
「 キュキュキュッ、どうやって犯すんだよ? 俺達ァ小人だぜ? あの人間は背が高い部類に入るし、横に並び立てば俺達の身長じゃ、あの人間のちんこを舐める位置に頭がくるぜ。キュキュキュキュ!」
    独特の甲高かんだかい笑い声を発し、互いの欲望を楽しそうに話す。
「 身体を拘束して俺達のナニをしゃぶらせ続けりゃいい。尻穴に指でも突っ込んでやれば、そのうち腰振ってうめぇ汁垂れ流すだろ 」
「 俺はあの人間のちんこをずっとしゃぶっていたいぜ!」
「 うぉぉ、考えただけでもたまんねぇなぁオイ。とんだ獲物が飛び込んで来たもんだ!」
「 楽しみだ! 早く手に入れようぜぇ!」
「 あぁ、どーせもうすぐこの広場に出て来る筈だ。そこで手に入れよう 」
「 じゃあまずは人間を集中的に攻撃して捕らえるか! いくら強くても俺達の人数と能力で簡単に何とかなるさ! ガキはその後でさっさと喰ってから、捕らえた人間は半永久的に生かしてゆっくり味わうってのはどうだ? 」
「 決まりだな 」
「 だな!」
    ギラッツの大群は下卑た笑いを浮かべ、森に迷い込んだ者を始末してきたいつもの広場へと出向いた。


    ジェイは周囲に意識を最大限に集中させながら小道を進んだ。ライラ達もそんなジェイの真剣な面持ちに、声を掛けてはいけないと分かったのか大人しく後をついて来る。

    改めて今の静かな状況で森全体を客観視してみると、無機質で綺麗に彩られた造り物の、まるで大きな箱庭の中にでも閉じ込められたような感覚だ。生きている " モノ " は、ジェイ達四人と悪魔ギラッツのみで、周囲を取り囲む大地も草も木々も全てが造られた偽物である。空気はあれど、青空と太陽も熱を発してはいない。偽物の光が眩しく輝き降り注いでいるだけだ。そして、当然ながら風も吹かない。
    ジェイは右のてのひらを上にして、能力の中でも容易に作り出す事が出来る、攻撃能力を凝縮させた光の玉を紡ぎ出そうと試みた。だが、この森に入った瞬間にルトアミスの能力封じが消えた事実と、自身の身体の異変を感じ取っていた通り、やはりほんの小さな能力ですら生み出す事は叶わなかった。

     " 結界 " は曖昧な線引きはあるものの、大きく三種類に分別される。

     一つは、「防御結界」だ。
能力者が決めた一定の範囲内に、誰も侵入する事が出来ないものだ。ルトアミスが人界の各星の隠家あじとに張って、誰の目にも映らないように施しているものがこれである。また、上級悪魔スナイパーとの交戦時に深手を負ったニアルアース・ナイト両名を守る為、ジェイが治癒能力以外に密かに張っていたものも防衛の結界だ。スナイパーとジェイが戦闘を繰り広げた時に、二人が巻き込まれても傷付かないようにする為である。更にジェイがアナバス星に幾重にも張っているものも該当するが、他星からの旅行者を受け入れる為の入口を設けている点で、防御結界を応用させたものと言える。

    次に、「包囲結界」がある。
能力者が決めた一定の範囲内から、誰も外に出られないというものである。つまり、対象相手を一定範囲内に監禁する事が出来るのだ。これは、ジェイがスナイパーを逃がさないように張った結界である。

    最後は、「両縛りょうばく結界」である。
防御と包囲を併せ持つ、三大分類の中では一番難易度の高い結界だ。この森が正にこの結界なのだが、 対象相手の能力を封じ体力をも消耗させ、" 出口 " をも設けている分、両縛結界を更に進化させたかなり特殊な結界と言えよう。
    


    だが恐らくこの森の結界に付随する効力は、侵入者が結界主と同等の能力、若しくは低俗悪魔を除くある程度以上の能力を持っている場合に発動するものではないかと、ジェイは推測した。
    結果的に、現在ジェイがこの森で能力を使えず侵入してすぐに息苦しい症状が現れたのも、ジェイと同等以上の能力を持つ何者かが張った結界だという事を嫌でも認めざるを得ない。

    ┄┄┄┄ 俺より強いって事は …… 。

ジェイはふと嫌な予感がしたが、今は敢えてあまり考えないようにした。何よりジェイが思い当たる者達には、悪魔界にこのような結界を張る理由がまず見つからないからだ。


    ライラは真剣な表情で前を見据えて歩くジェイの横顔を後ろから覗き見て、今まで自分達に見せていた柔らかな表情がまるで嘘だったのではないかとすら思えていた。何より、先程ギラッツ達を倒した時のジェイの表情は、少し恐ろしいとまで感じたからだ。明らかに、優しく柔らかなジェイの雰囲気は、あの時には一切持ち合わせていなかった。


    どんどん小道を歩いて行くにつれ、次第にジェイの感覚にギラッツ達の大人数の気配が感じ取れるようになって来ていた。
    小道がカーブした先を木々の間から少し見通せる場所に差し掛かった時、その先には木々の無い場所が開けている事に気付いた。

( なるほど、あそこで一気に攻撃を仕掛けて来るつもりか )

    それにしても物凄い数だ、とジェイは思った。能力が使え無いが故に正確な数までは分からないが、五十人は居るのではないか …… 。
    ジェイは小道の脇にある木の枝の中で、ある程度の強度があり、子供の手でしっかり持てる太さのものを選んで、二本手折たおった。
    それを、ライラとチータに渡す。
「 思ったよりギラッツの人数が多いみたいだから、もしもの時の為に気休めでもいいから持っていて欲しい。とにかく悪魔が近くに倒れ込んで来たりしたら、そいつの生死の有無に関わらず力一杯叩きまくれ! もし万が一俺が取りこぼしても、そうやってなんとか時間を稼いでくれれば、何を犠牲にしてでも必ず助けに行けるから 」
「 え … 」
    恐怖に引き攣る子供達に、ジェイは再び自責の念にかられる。
「 本当に巻き込んでごめんな … 。けど必ず守るから、どうか俺を信じて欲しい 」
    謝罪すると、ジェイがこの森を単独で探ろうとしていた事など微塵も気付いていない三人は、意外にも気丈に振る舞って見せた。
「 だ、だいじょーぶだって言ったろ!」
「 そうだよ、森の近くであそんでたボクたちがわるいんだし 」
「 悪魔であるオレが二人をまもるからよ! くやしいけど、今はオレよりつよいジェイががんばってくれよな!」
    子供達の決意に、ジェイはにっこりと笑った。
「 分かった。必ずこの森から出ような!」


    ジェイは、自分達がこの先にある開けた場所の中心部に、つまりギラッツ達がほぼ円形にその場所の地上と木々の上から取り囲んでいる中心部に足を踏み入れた瞬間、一斉に襲い掛かってくると予想していた。
    そして、相手がいくら先程の数人のギラッツとジェイの戦いを見ていたとしても、たかが人間だと未だ油断しているだろう事に踏まえ、更に相手を混乱させる手っ取り早い方法、つまり先手を打つ事を決めていた。
    いくらギラッツとは言え、これ程の大群を能力無しで相手にする事は初めてである。まずは相手をパニックに陥れる他無い。ひるんだ残りのギラッツはその後素早く殺して行けばいい。それがジェイが今思い付く一番効果的な戦い方だった。


    ジェイのその行動は速かった。
開けたその場所に足を踏み入れた瞬間、ライラ達の目の前からジェイの姿は消えていた。子供達が驚く暇すら与えない内に、木々の上からざざざっと木の葉を擦る音が聞こえる。
    ジェイは近くの大木の枝から枝を上下左右に飛び移りながら、腰の辺りに両手を回した。次にはそれぞれの指の間に両刃の小さな武器が四本ずつ掴まれており、木々の上に潜むギラッツ達に向けて八本全てを一気に投げ飛ばした。

    これらはジェイが隠し持っている武器の一つで、約八センチ程の、通称 " 飛苦無とびくない " と呼ばれているものだ。
    それらは全てギラッツの急所に的中したが、ジェイにとってはそれは当然の事であり、急所を外す確率は皆無に等しい。そのまま木々の上に居る残りのギラッツの場所を目視しながら、飛苦無よりも長い約十五センチ程の苦無を片手に、ギラッツ目掛けて枝を飛び移りながら瞬殺して回る。確実に一振りしくは一突きでギラッツの息の根を止めて行く。
    次のギラッツ目掛けて飛び移る間に、苦無を前後左右に回し持ち替えているその様を、生憎この場に居る誰もが目で捉えられていない事が惜しい程の鮮やかな手腕だ。

    木々の上に潜んで居たギラッツの気が全て消えた事を確認するや否や地上に降り立ったジェイは、更に苦無の握り手を持ち替え、目前に生い茂る丈の低い木々に潜むギラッツ達を、真横に大きく一振りして絶命させた。そのまま大きく弧を描いて真後ろへ跳躍すると、ライラ達の眼前へと背中を向けて片膝で着地し舞い戻った。
    着地に伴うであろう足音も無く、木々を駆け回った事で息を切らした様子も全く無く、そのまま一切の音を立てずにスっと立ち上がったジェイの背中を見て、ライラ達はただただ言葉も無く息を飲んだ。
    ジェイの一連の動作は、瞬きをする事すら忘れる程の間に行われたものだった。


    ┄┄┄┄ す、すげぇ ……… 。

ナグクは感嘆の息を漏らした。
    ジェイには動きを見て覚えろと言われたが、あまりにも速すぎて、かろうじて目で捕らえる事が出来たのは、全てを終えたジェイがこちらに戻る為に反らせた身体が、宙で弧を描き降りて来る背中だけだった。


    残されたギラッツは瞬く間の出来事に、束の間言葉を失っていた。一瞬で半数程の仲間がが殺されたのだ。
「 なっ、何モンだあの人間 … っ!」
    今までこの森に迷い込んだ悪魔や魔物の中で、明らかに突出して強い。辛うじて一人が発した言葉は、驚愕と共に微かに震えていた。

    ジェイはそれでも厳しい表情を崩さなかった。
いくら数が多いとはいえ、ギラッツはただの烏合の衆だ。
    まだ何かある。
    隠されたからくりが。
    それともこの結界を張った張本人が、森の何処どこかからこの戦いを見ているのだろうか。

    ┄┄┄┄ もしそうだとしたら、勝てない。

ジェイは極めて冷静にそう思った。

    真に強い者は、人間であろうと悪魔であろうと、戦いにいては最後まで絶対に油断しない、隙を見せない。
    ジェイの持つ柔らかく温かな雰囲気は一変しており、ライラ達の知らない、冷たい氷の刃のような、どこか恐ろしく鋭い雰囲気を今は身に纏わせていた。

    ┄┄┄┄ その時。

ギラッツ達の方にボワッと明るい光が幾つも出現した。
「 な、」
    ジェイは驚いて大きく目を見開いた。
瞬時に子供達を両腕に抱え、木の上に飛び上がる。ほぼ同時に子供達が隠れて居た場所に幾重にも光の玉が炸裂し地面がえぐられて行く。それは真横の大木、つまりジェイ達が居る木にも炸裂し、ジェイはすぐ様、木から飛び降りた。
    大木が根元から倒れるのを横目に、素早く木々の間を駆け抜け、ジェイのスピードに追いついていないギラッツ達はその姿を探した。
    ジェイは元居た場所から随分と離れた大木の裏に回り、ギラッツから身を隠すと、ライラ達を腕の中から解放した。気が付けばライラ達は命を狙われた恐怖から、言葉も無く各々おのおのがジェイにみずからしがみついていた。

    ジェイは三人に、決してこの木陰から離れないよう再度念を押すと、すぐにギラッツに向けて声を上げた。
    能力が使えない今、自分の気配は消せない。曲がりなりにも中級悪魔に属する能力が使える状態のギラッツに、居場所を特定されるのは遅くない。子供達では無くジェイにのみ彼等の気を引き付ける為には、先にこちらから行動を起こし自分の居場所を教える事が効果的だ。
「 ギラッツ! 何故この森で能力ちからを使える?」
    疑問を投げ掛けながらジェイは彼らの前に姿を見せた。
「 この森で能力が使えないのは、俺だけなのか? それとも、森に入った者は全員能力が使えなくなって、逆にお前達だけが能力を使える状況を作り出されてるって事か?」

    この程度の悪魔なら、ジェイの呼び掛けに得意気に答える筈だ。ここは悪魔界であり、更に禁断の森の中であり、しかもギラッツは普通に能力を使っている。そして更に言うなればジェイは人間だ。ギラッツからすれば、相当優位に立っている状況なのだから。

    そう考えたジェイの読みは正しかった。

「 キュキュキュキュ、焦ってんのか人間!」
    ジェイへの攻撃を一時中断して余裕を見せるギラッツに、そうだ、こいつらは変な笑い方が特徴の悪魔だった、とジェイは悪魔情報に記載されていた事を思い出す。
「 俺達は特別だぁ! ここを造った御方から、俺達だけが能力が使えるようにして頂いてるのさ!キュキュキュキュキュ 」
「 俺達はあの御方に選ばれた悪魔だ!」
「 この森に入って来たヤツを殺して喰えってな 」
「 メシが足りない時はあの御方が人間をたくさん持って来て下さるんだ!」
「 あの御方がここを気にかけて下さっている限り、俺達は安泰だぜ 」
「 最近はここから生きて出られないって知れ渡ってるからか特に悪魔は入って来ないが、たまに魔物がうっかり入り込んでくるから面白い! キュキュキュキュ 」
「 …… だけど貴様は人間だよな! まずどうやって悪魔界に来た?」
「 上級悪魔に連れて来られたなら、逃げ出せる訳もないのに、不思議だ 」
「 かと言って、いつものようにあの御方が生け捕りにして直接人界から放り込んで下さった餌とは考えられん 」
「 ガキも三人連れてやがるし、なんなんだお前は?」

    矢継ぎ早に質問やら説明やら、思い思いの言葉を口にするギラッツだったが、最後はジェイに対する質問で終わった。
    ジェイはフッと小さく不敵な笑みをこぼした。
「 … それで? お前らは何の目的でこの森で能力を与えられてるんだ? あの御方って誰だ 」

    ジェイはギラッツからの質問に答える素振りは一切無く、更に質問を投げ掛けた。こんなにもベラベラと聞いてもいない事まで話す悪魔からは、多くの情報を得る事が出来るからだ。
    だが、ジェイの質問にギラッツは急に黙り込み、全員が全員の顔を見合わせた。
    そして、一人が虚勢を張るような口調で答えた。
「 あの御方のお考えなんて、俺達なんかが知る訳無いだろ! 俺達はただ、この森に入って来たヤツを殺せばいいんだ! その為に俺達はこの森の中でも能力を使えるようにして頂いてる! だから今まで誰一人この森を抜けた事なんか無い! 道に続く先にある出口に、誰一人辿り着いたヤツはいないんだ! 邪神様に見込まれた俺達が全員殺して喰ってきたからな。キュキュキュキュキュキュ!!!」

    なるほど、ライラ達の言った通り、本当に出口があるのか …… 。
    ジャシン …… ? 聞いた事が無い。

    ジェイは心の中でそう呟き、そして考えた。
( 取り敢えずジャシンについては情報が無いから置いておくとして、だ。これではっきりした。このギラッツは迷い込んだんじゃなく、この森を造った目的の一つとして準備された悪魔だって事が。
ただ … いくらギラッツでも、まだこれだけの数が残っているとなると … このまま無傷で森を抜ける事は出来ない。ライラ達を庇って俺が傷を負えば負う程、逆に三人を危険に晒す事になる …… どう攻略するのが最善か、少し考えなきゃなんねぇな )

    そこまで考えて、ジェイは小さく舌打ちした。
取り敢えずライラ達からギラッツの気を逸らす為、ジェイは声を上げながら大木を離れた。
「 余裕じゃねぇかギラッツ! だけど俺がそう簡単に殺されると思うなよ!」

    一方、ライラ達はギラッツに怯えながらも、ジェイのガラリと変わった雰囲気にも戸惑っていた。
「 ねぇ …… 、いまさ、ジェイ、 " したうち " したよね? きこえた …?」
    ライラは小声でそう言って二人を見る。
チータはそれに大きく頷いた。
「 きこえた! けど、人間のくせに、なんかすげくないか?」
「 オレも思った … 。悪魔がたたかってるとこって初めて見るけど、でもこれってよ、ジェイがいっぽーてきにころしてってるから、たたかいって言えねぇよな … 」
    ナグクも同意して、更に続けた。
「 アイツ、なんかただもんじゃねぇよな。 … 悪魔のことをこわいって思ってなさそうじゃね?」
「 ルトアミス様といっしょにいたときとか、オレたちといるときは、たんにふわふわしたよわっちい感じだったのにな 」
    チータもそう言って首をひねる。
「 今のジェイは、ボクはなんだかこわいよ … ふんいきが。ボクたちと話してるときはぜんぜんこわくないのに ……。
ちがう人になっちゃったみたいだよ … 」
    ライラもジェイが次々に見せる新しい一面に、そわそわと不安げな様子で言葉をつむいだ。

    ┄┄┄┄ その時。

再び数本の光がジェイの方に向かって発せられた。ライラ達の場所から、ジェイがそれらをかわして地面を転げるのが見えた。
「 ジェイ … っ 」
    ライラが息を飲む。
    チータとナグクも固唾を呑んで、大木の陰からそれを見ているしかなかった。

    能力による攻撃を避けたジェイは、無傷ですぐに立ち上がった。が、そこへ容赦なく更なる光が飛んで来る。鋭い矢のような能力は何かに接触すると大きく破裂する。
    ジェイはその場に留まりながら、周りの木々や岩に当たって破裂する能力の衝撃すらも上手く躱し続けた。

    ふと、ジェイは一人のギラッツがライラ達の方へ向かうのを視界の端に捉えた。
「 キュキュキュキュ、ガキの肉! ガキの肉! 柔らかい生肉だぁ!」
    嬉々として声を張り上げ、今にも子供達に飛び掛からんと大きく跳躍したギラッツに、
「 ナグク! 守れ!!!」
    ジェイは半ば怒鳴るように大きく声を上げながらも素早い動きで子供達の方へと踵を返し、すんでの所でそのギラッツに追いついた。
    そのままライラ達の目の前で、キラキラと光る銀の細い糸のようなものをギラッツの背後から首にシュッと回し、そのまま銀糸の両端を持つ両手をきつく交差させながら、ギラッツ諸共もろとも軽やかに後ろへと宙に舞う。
「 ガ、フ … ッ!」
    ギラッツは白目を剥き、言葉にならない音を発する。それとほぼ同時に、ゴキッと一瞬で骨が折れる鈍い音がライラ達の耳に届いた。
「 ひ … っ!」
    子供達から引き攣った声が漏れたが、今はそれに構っている暇は無い。
「 まず俺をどうにかしないと、子供はお前らの手には入らないぜ!!!」
    ジェイはギラッツに向けて挑発的な笑みを浮かべ、銀糸を喉に食い込ませたばかりか首の骨を折り殺したギラッツを、まるで見せしめのように彼らの方へと投げ捨てた。
「 くっ、クソがァァァ!!! 人間の癖にぃ!」
「 たかだか我らの餌の癖にぃぃぃぃっ!!」
    逆上したのか恐れをなしたのか、ギラッツのジェイに向けて放つ光の速度が幾分速くなった気がした。
    ジェイは背後の大木に身を寄せ合っている子供達を再び両腕で抱え、ギラッツのその攻撃の届かない場所へ移動した。
    今まではこの開けた場所のほぼ中央に位置する木々沿いの大木に隠れていたのだが、移動した先は方角的には次の小道に続く木々の裏手だ。ライラ達をその場に留め置き、ジェイは直ぐに単身再び中央付近に舞い戻る。
    勿論、子供達を守る為だ。


    クソ、このままじゃ拉致があかない。いくら正面に隠れているギラッツ以外は始末したとはいえ、能力を使う残りのあの人数相手では下手に近付けない。否、寧ろ近付く事など容易いが、そうすればライラ達を危険に晒す事になる!

    余裕でギラッツの相手をしているように見せかけてはいるが、ジェイは内心で少し焦りを感じていた。
    今は距離のある場所からジェイに能力を放つギラッツだが、近付きながら能力を使う方が確実にジェイを仕留められる。ましてやジェイを取り囲めるだけの充分過ぎる人数が居るのだ。
    ジェイとギラッツの能力の強さや戦闘経験の差は比較にならないとはいえ、ギラッツがいつその攻撃方法に気付くか分からない。
    子供達を守りながらの攻撃には、やはり限界がある。


    ┄┄┄┄ ルト …… !
俺はどうしたらいい? 勝手にこの森に来て、ライラ達を巻き込んで …… !

    ジェイはギリ、と唇を噛み締めた。

    ┄┄┄┄ 刹那。

ジェイは自分達がこの場へ足を踏み入れた方角からギラッツ達の方へ、とんでもなく速い速度で風を斬り裂いて飛んで来る何かを感じ取った。
    ヒュンヒュンと凄まじい高速回転をして空を斬る音に、ジェイ以外は誰も気付いていない。
「 っぎゃあァァァァ!!!」
    数人のギラッツの悲鳴が重なり、それとほぼ同時に森へ続く小道付近の大木には、鈍い音を立てて突き刺さる長剣があった。それは広場の先へと続く小道を挟み、ライラ達が隠れている大木のほぼ対面に位置する場所だった。

    ハッとジェイは目を見開いたが、すぐに長剣が突き刺さった木の方向へと足を向けて駆け出す。
    そして、
「 もっと集中して俺を攻撃して来い!!! お前らごときの能力で俺を殺せるとでも思ったか!? 折角の能力が台無しだろう? 頑張って俺に当ててみろ!」
と、ジェイはニヤリと口端に笑みを浮かべ、しかしたのしげにギラッツを自分の方へ誘導するかのように声を張り上げた。
「 きっ、貴様ァァァ! 次から次へとどんな手を使ってるんだ …… っ!」
「 いつ、何処からこんな剣を我らに投げ付けたぁ!」
    明らかにギラッツは逆上し、だが同時に " たかが人間 " に翻弄されているという動揺を隠し切れておらず、表情にはジェイに対する怯えの色さえ浮かべていた。

    ┄┄┄┄ だがそれも束の間。


ジェイに意識を向けていたギラッツ達は、ジェイから遠い者から順にバタバタと一瞬にして全員が息絶え倒れていった。
    声を上げる間もなく、自分の胴体が半分に分かれる様を見ながら、ギラッツは一人残らず絶命していた。

    そして、辺りには不気味な程の静けさが訪れる。つい先程まで繰り広げられていた戦いの音は、まるで嘘だったかのように一瞬にして消え去っていた。


    目の前でギラッツが首を折られた衝撃的なシーンを見て固まっていたライラ達は、呆然とその成り行きを見ていた。
    見ていたのに、やはりジェイの動きを全て目に捉える事は出来なかった。だが結果として、ギラッツが全て死んだのだという事だけは理解した。

「 ジェ、ジェイ … 。もう、出てってもだいじょうぶなのかよ?」
    少し離れた場所に立つジェイに視線を遣り恐る恐る尋ねるナグクに、あぁ、と目を向けたジェイは、
「 大丈夫。敵はみんな死んだ 」
と、にっこり微笑んだ。
    その表情と雰囲気は、一瞬にして元の柔らかなジェイに戻っていた。
    子供達の知るジェイの柔らかな笑顔に安心し、それでもまだ恐怖から抜けきれないライラ達は、ビクビクしながらもジェイの足元へ身を寄せる。
    だが、ライラ達はすぐに異変に気付いた。
戦い終え手にしていた苦無を取り敢えずベルトに軽く固定し終えたジェイの視線は、自分達では無く、自分達の後ろ、つまりこの広場に入って来た方角へと向けられたからだ。
    そしてジェイはふわりと可憐なとびきりの微笑みを浮かべる。

「 ルトアミス 」
    とても柔らかな声でジェイが発したその名前に、ライラ達はサッと血の気が引くのを感じながらも、恐る恐る背後を振り返った。
    案の定そちらには、全身に闇を纏った漆黒の悪魔が居て、ゆっくりとこちらに歩いて来ていた。
    片手には血の滴る立派な短剣を携えている。

「 ヒイィ … ッ!!! ル、ル、ルトアミス様!」
    あまりの恐怖に、ライラ達の足はガクガクと震え出す。
    そしてそれとは逆に、ジェイは自らルトアミスに駆け寄りその首に両腕を回して、ふわりと抱きついた。
「 ルト! …… ルト、やっと会えた …!」
    心底嬉しそうな甘い声を上げるジェイと、ジェイに飛びつかれて若干後ろに足を踏ん張ったルトアミスも、そのままジェイの腰にやんわりと両腕を回す。
「 ジェイ、すまない。俺から悪魔界に誘ったにも関わらず、全く構ってやれなかったな。だが …… 、だからと言って、何故この森に足を踏み入れた 」
    ルトアミスの僅かに怒気を帯びた静かな言葉に、甘えるように彼の首元に顔を埋めていたジェイは、え … 、と小さく狼狽えて彼を見上げ、さっと視線を横に逸らした。
    そして。

「 やっぱ、バレてた … ? 俺が意図的にここに来たこと …… 」

    ジェイの言葉に、ライラ達は驚いた。
自分達を下級悪魔から守る為に、咄嗟の事故でこの森に入り込んでしまったと思っていたのだが。
    今の二人の会話から、どうやら違うようだ。

    ルトアミスは小さく溜め息をついた。
「 やはりそうか …… 。まさかとは思っていたが 」
「 なっ、もしかしてカマかけたのか!?」
「 上がって来た情報では、故意なのか事故なのか、それともその偶然が重なったのか、はっきりしなかったからな。だが、お前の剣が俺の元に届いた時、おかしいとは思った。思い返せば、お前は俺がこの森に近付くなと忠告したすぐ後に、俺に能力封じを一旦解かせただろう 」
「 …… ふふっ 」
    真剣に話をするルトアミスに、ジェイは頬をゆるませ、今度は彼の背中に両腕を回しその肩に顔を埋めた。
「 それでも俺を助けるために森に入って来てくれたんだな。凄く嬉しい。… 俺、悪魔界こっちに来て一日近くお前と会えなくて、不安で寂しかったんだぜ?」
「 お前は …… 」
    と、ルトアミスは再び溜め息じりに低く呟き、そして続けた。
「 そうやって甘えて誤魔化そうとしても無駄だ。俺の忠告を無視してこの森に入り、どうするつもりだったんだ。今夜中に人界に帰ると言っておきながら、随分と舐めた考えだな。
ここは結界の中だ。いくら出口があると噂されてはいるが、未だかつて誰一人として出て来た者はいない。だからこそ近付くなと忠告したんだがな 」
    眉間に皺を寄せるルトアミスだったが、ジェイはルトアミスから離れようとはしなかった。それどころか、ルトアミスの肩に埋めた顔を彼の方に向け、まるで安心しきった子供が親に甘えるかのように、穏やかに瞳を閉じる。
    そんな二人のやり取りを少し離れて見聞きしているライラ達子供ですら、ジェイがルトアミスが来た事を心底喜んでいる様子が、充分過ぎる程に感じ取れた。

    これではまるで、恋人のようだ。

「 …… ルト、怒ってる?」
    ジェイは瞳を閉じたまま、少しも悪びれた様子も無く、若干甘えたような声音で問う。
「 当たり前だ 」
    そう答えながらも、ルトアミスは右手をジェイの後頭部に回し、美しい紺碧こんぺきの髪を撫でている。
「 … 大方おおかた、お前に構えない俺への当て付けも兼ねてこの森を探ろうとしたんだろう。俺とファズ、二人がかりでも解けない結界の森だと言った事が、逆にお前の興味を引く事になるとはな …… 」
「 違う。最初からここに入ろうと思って能力封じを解いて貰ったんじゃない。ほんとに万が一を考えて、ルトから貰った能力封じ以外が原因で俺の能力が使えなくなった時の為に、武器をお前に飛ばす最後の能力を掛けたんだ。
でも、お前がちゃんと俺の側に居て悪魔界を案内してくれてたら、この森に来ることは無かった 」
    半ば拗ねるような口調で否定するジェイは、
「 それは悪いとは思っている。だが、」
と言い掛けたルトアミスの言葉を遮り、続けた。
「 でもルト、違う。元々悪魔界はお前のフィールドなんだし、お前が帰って来たら下僕達からいろんな報告を聞いたりして忙しくなるってこと、完全に失念してた俺が悪いんだ。でも …… 」
    と、ジェイはそっと瞳を開けた。
「 寂しかった。お前が側に居なくて。人界ではこんな気持ちになった事なんて無かったのに … なんでか分からないけど、悪魔界に来たせいかもしれないけど、ずっと一緒に居れると思ってたから … お前が側に居ない事がめちゃくちゃ不安で仕方無かったんだ 」
側近達がずっと付いててくれたのに、とジェイは締め括り、ルトアミスの腕の中で触れ合っていた身体を少しだけ離した。
    そして、彼の目を見上げる。
「 ルト、ごめんなさい。勝手の分からない悪魔界で好き勝手な行動を取って … 。お前もクリスティナ達も、俺の安全を一番に考えてくれていたのに。…… 本当にごめんなさい 」
    ルトアミスは謝罪を口にするジェイをしばらく見つめていたが、やがて梳いていたジェイの髪から下へと手のひらを滑らせ、顎から喉元にかけて添えた。
    そして、ゆっくりと唇を重ねる。
ジェイは再び瞳を閉じて、角度を変えながらも優しい所作で口付けてくるルトアミスを受け入れた。
    彼の熱い舌が差し込まれた時は僅かに肩が跳ねたが、それでもジェイは、まだ不慣れだったそれを初めて自らの意思で受け入れた。突き飛ばそうとも、拒絶しようとも、そのような感情は今のジェイには全く浮かばなかった。

    ……… あたたかい。

ジェイは受け入れたルトアミスの舌と自分の舌が合わさり絡められながら、そう思った。

    優しいルトアミス。
    俺だけの、最上悪魔 …… 。

    ルトアミスの唇が離れると同時に、ジェイは何故か顔が少し火照っているように感じた。口付けている間に無意識下で思った感情が何かなど、ジェイには全く分かっていなかった。

「 な、なんか、恥ずかしいんだけど …… 」
    俯いて呟くようにそう言ったジェイを、ルトアミスは再び強く抱き締めた。

    ┄┄┄┄ が。

「 今のは、ルトがもう怒ってないって言う仲直りの証拠だよな? 許してくれた挨拶だと受け取ってもいいんだよな?」
    照れながらもそんな確認を行うジェイに、ルトアミスどころか、二人の世界に入って行けず放置されていた子供達ですらも驚愕した。

( え、あいさつ …… ? なんだそれ?)
( うわぁぁ、アレって、大人のこいびとどうしがやるやつだよね!? なのにジェイってば、なにヘンなこと言ってるの!?)
( ジェイとルトアミス様ってそーゆー仲だったのかよ!? ジェイはあいさつとかぬかしてっけど!)

    ルトアミスはフッと苦笑し、ジェイを腕の中から解放した。それでもまだルトアミスの肩に寄りかかっていたジェイは、ハッと我に返りライラ達の存在を思い出した。そして慌ててルトアミスから距離を取る。
「 えー … っと、ルト。状況は歩きながら話す。でもちょっと待ってて、使った武器を回収して来るから。ライラ達も待っててくれ 」
「 隠し武器か。分かった。確かに能力が使えないと武器の回収すら手作業になる。……… 不便だな 」
    今更ながらにこの森に対する嫌悪を口にするルトアミスに、ジェイは苦笑するしか無かった。
「 やっぱルトも能力使えない?」
「 ああ。 " 結界抜け " をした瞬間に封じられた。忌々いまいましい森だ 」

    そんなやり取りを聞いていたナグクは、ジェイがギラッツの死体に近付いて行く背中に声を掛けた。
「 ジェイ、オレてつだう!」
    そのままジェイの元へと駆け寄る。
「 ありがと、助かるよナグク。槍の先端みたいな小さい武器が八本、どれかのギラッツに刺さってるから、集めてくれる? 飛苦無には剣と違ってつばが無くて、代わりに細くて丸い握り手しかないから、ギラッツから抜く時に怪我をしないように気を付けて。刀身全体が斬れやすい造りになってるからな 」
    ジェイは武器の特徴を伝えながら、ルトアミスが投げた自分の長剣の柄に手を掛けた。大木に深々と突き刺さっている事から、かなりの速度でギラッツを斬り裂いていった事が分かる。
「 かっけぇ …… 。まさかこの長いつるぎ、ジェイのものなのか?」
    目をキラキラと輝かせているナグクに、
「 うん。ルトアミスに一時的に預けてたから、持って来てくれた。… ギラッツは俺がこの長剣を投げたと勘違いしてたみたいだけどな 」
ジェイはそう答えてクスクスと笑った。
「 じゃあ ……… さいご、のこってたギラッツをころしたのって、ルトアミス様だったんだ … ?」
    ナグクはルトアミスが怖いのだろう、小声でジェイに質問した。
「 よく分かったな、ナグク。ルトアミスが来てこの長剣を投げてくれたから、多くのギラッツが死んだ。不意打ちなのとルトの放った剣のスピードにギラッツが気付ける訳が無い。後は残りのギラッツの意識を俺に集中させる為に、俺は剣が刺さった方へ、つまりルトが来てくれた場所の反対側に走ったんだ。そうすれば、ギラッツ程度の悪魔は能力を使えても完全にルトの存在に気付かなくなるからな 」
「 えっと、つまりジェイはルトアミス様がギラッツをころしやすいように、オトリみたいになったってこと?」
「 そう。この長剣を見てルトがここに来てくれた事が分かったからな。飛んで来た剣の方向にルトが居るのは、考えればすぐに分かるだろ?」
    ジェイが丁寧にそう説明してくれた事で、ナグクは改めて感嘆の息を洩らした。
    ナグクの目では捉える事の出来ない速い攻防をジェイ単独で繰り広げていたのに、更にそこへ突如加わったルトアミスと即座に息を合わせ共闘したジェイを、心底凄いと思った。
    ジェイはさも当然の事のように説明しているが、あんなに不利な状況で即座にあんな立ち回りが出来るのは、数多くの戦闘経験が無ければ無理である。

「 どんな状況下にあっても、常に冷静に周りを見極めてないといけない。今は何も出来なくても、なるべく多くの戦いを見ていれば、いつか役に立つ日が来る。それと、実戦経験だな 」
    言いながらジェイが深々と大木に刃を食い込ませている長剣を簡単に引き抜いたのを見て、ナグクは更に目を輝かせた。
「 持ってみる?」
    ジェイが尋ねれば、ナグクは興奮を隠しきれないように何度も首を縦に振った。
    刃を下に向けて、柄を持たせてやる。
「 オレまだ子供だから、おもいなぁ! でもかっけぇ!!! 」
「 危ないから振り回すなよ?」
    そう言いながらジェイは、今度は八本の飛苦無を探し広場を歩き始めた。
    最初にギラッツの眉間深くに食い込んだ一本を引き抜き、血がついたままのそれをナグクに手渡す。
「 あと七本、これと同じやつがあるから、手伝ってくれると助かる。…… 能力さえ使えれば一瞬で手元に戻せるのに、面倒臭い … 」
    ジェイは眉根を寄せて心底大きな溜め息をついた。

    飛苦無を集めながら、ジェイはふと違和感を感じ、ルトアミスとライラ、チータに目を向けた。
    子供達二人はルトアミスから距離を取り、オドオドとしながらこちらを見ている。ジェイとナグクが戻って来る事を、今か今かと待っているようだ。
     一方でルトアミスは大木に背を預け、立てた片膝に片腕を乗せて俯いている。
「 ルトアミス?」
    ジェイは思わず駆け出して、彼の元へ行き両膝をついた。ルトアミスの片腕にそっと両手を添える。
    そしてナグクを振り返り、
「 ごめんナグク、あと二本だ、探しててくれ 」
と声を上げた。
「 え、あ、うん! まかせとけっ 」
    ナグクの明るい返事に微笑んでから、ジェイは
「 大丈夫か?」
と、ルトアミスの目を覗き込んだ。
    距離を取っているとはいえ、近くに居たライラ達は何も気付いておらず、ルトアミスに何かあったのかと首を傾げて見ている。
    ジェイが見たルトアミスは、小さく短い息を吐きながら、しかし体の異変を周りに悟られぬよう極力努めているようだった。
「 息苦しいか?」
    ジェイが尋ねても、大丈夫だと言うように軽く手を上げるだけだ。
    ジェイはそれでもルトアミスに言った。
「 大丈夫、俺もこの森に入った時、息苦しくなった。でも少し休んでたら治ったから、ルトも休んでてくれ 」
    その言葉にルトアミスは顔を上げ、ジェイを見た。
「 そうか …… 。急に苦しくなってきてな 」
    ルトアミスの様子を見ていると、かなり苦しそうだ。だが、自分の時はここまで息苦しかっただろうか? と、ジェイはふと疑問を抱いた。

    ライラ達はこの森に入っても一切体調に異変は現れなかった。ジェイ自身は確かに息苦しくはなったが、見ている限りルトアミス程の苦しさでは無かった気がする。少し呼吸がしんどく、出来れば少し休みたいという程度だった。
    この症状は能力を持つ者に対して発動するのか、そして悪魔に対してはその症状は強く発動するのだろうかと、ジェイは考えを巡らせた。悪魔界にあるのだから、後者の可能性は充分にある。人界に似たようなものが存在するなら、まずジェイの耳に入らない筈が無いからだ。
    ルトアミスがいつこの森に入ったのかは不明だが、もし " 結界抜け " をしていないなら自分達を探すまで多少なりと時間は掛かっただろうし、また、自分達の元に来てからも幾分か時間は経っている。
    それを考えると、息苦しさを感じるまでの時間は、自分と比べて随分と遅いな、ともジェイは思った。

「 ジェイ! ぜんぶ見つけたぜ!」
    ナグクが声を上げて走り寄って来る。だが、流石にルトアミスに近付く勇気は無いのか、ライラ達の方へ行き、そこで足を止めた。
    ルトアミスの様子を心配しているジェイを、距離を保って子供達は見つめていた。
( さいしょ、ジェイもしんどそうにしてた。人間だからよわいって思ってたのに、ルトアミス様もってことは、人間とか悪魔とかカンケーないってことか?)
    ナグクは心の中で単純に疑問を抱いた。


    ライラ達にすら隠し切れない程に、徐々にルトアミスの息は荒くなっていく。額に冷や汗も滲み始めているその様を見て、ジェイは立ち上がった。
「 ルト、俺の予想ではこの森にはもう敵は居ないと思う。後はこの森を抜けるだけだと思うけど、それでも万が一ギラッツ以上の悪魔がまだ潜んでいるとしたらヤバいから、ルトの体調が良くなるまで少し休もう 」
    ジェイは森の中に続く小道に目を向け、更に言葉を続けた。
「 俺はチータと一緒に小道を進んで、ここより休みやすいとこが無いか探してくる。ここにはライラとナグクを残して行くから、もしも何かあったら二人に指示を出してやって。特にナグクは悪魔だ。俺の長剣と苦無数本もそのまま預けて行くから、指示してあげて欲しい 」
    ジェイが言った内容に、ライラとナグクは青褪めた。最上悪魔の頂点に立つルトアミスと一緒に残されるなんて、ジェイは鬼だ、と内心思った。

( えっ、ナグちゃんが持ってるこのカッコイイつるぎ、ジェイのものだったんだ!?)

    ライラはその事にも驚き、ジェイは一体何者なんだろうと思った。今ですら、悪魔界の王であるルトアミスが居るにも関わらず、この状況で指示を出しているのはジェイだ。

「 どうでも良い、とにかく行くなら行け。ガキに頼るつもりはないし、ガキがどうなろうと俺は知らん 」
「 そんなこと言うなよ … 。コイツらとはお前が俺に構ってくれなかったお陰で友達になれたんだ。なのに、俺の判断ミスでこの森に連れ入ってしまって。… だからルトアミス、子供達を殺したりしたら俺が許さないからな? 頼むから、子供達を守って欲しい 」
    恐怖に固まったライラとナグクの気持ちを代弁するかのように、ジェイはルトアミスに釘を刺した。

    そんなこと言うなら、オレたちもジェイといっしょにいきたいよ! と、ライラとナグクは思ったが、流石にルトアミスが居る手前、とても口には出せない。

    ジェイはライラとナグクに向き直り、優しく微笑んだ。
「 いいか? もし万が一があったら、ライラ達三人を守るのは難しいかもしれない。だから俺はチータを連れて行く。ライラとナグクはルトアミスのそばから離れるな。体調が悪くても、ルトが守ってくれる。けど、少しでも足手纏いになりたくないなら、ナグクはルトアミスの指示を聞きながら、ライラを守れ。分かったな?」
    そして二人に顔を寄せ、わざとこっそり囁いた。
「 ライラは市場でルトアミスに意見した事を謝ってごらん。ナグクは、憧れのルトアミスの傍に居たいだろ? チャンスがあればルトアミスに思いを伝えてみてごらん。ルトは怒らないから。そこらの悪魔とは格が違うからさ 」
    この言葉がルトアミスに聞こえている事を承知で、ジェイは悪戯な笑みを浮かべた。

「 行こう、チータ 」
「 お、おう 」
    ジェイ側で良かった、とその場を他人事で眺めていたチータは、いきなり声を掛けられ、上擦った声を上げた。

    ジェイがチータを連れて去った後、ルトアミスは力無く大木に頭をつけ、あごを仰け反らせて偽物の空を見上げた。
( こんなにも息苦しい症状を発したのは、今回で二度目か ……… )
    そう考えて、ルトアミスは今でも鮮明に覚えているジェイと初めて出会った時の自分の気持ちに想いを巡らせた。


        _________________

    ジェイとの出会いは、クードトット星唯一の衛星に行っていた時だった。未知の上級悪魔の目撃情報を入手したとの報告から、この衛星の密林を徒歩で分け入っていた。
    側近の他に十人の下僕を連れたルトアミスは地上から捜索を、更にもう十人の下僕達には空から捜索をさせていた。
    密林を掻き分けて先頭を進んでいたルトアミスは、ふと首筋にチクリと小さな痛みを感じた。
    気付けば、サソリと蜘蛛を組み合わせたような原色カラフルな虫が、ポトリとルトアミスの首筋から地面へと落ち、カサカサと素早い動きで茂みの中へと消えて行く。
    次第にルトアミスの呼吸は乱れ始め、遂には下僕が見つけた小さく開けた場所で、大きな岩を背に座り込むまでになった。体の一部が痺れて動けない。呼吸が苦しい上、少し熱が出てきたかもしれないとぼんやりながら認識出来る状態にまで陥ったのだ。

    下僕達はルトアミスから距離を取って周囲の警戒に当たり、側近達はルトアミスのすぐ傍らについて主の回復を待つしか無かった。
「 毒虫のようですね … 」
    クリスティナは言って、治癒能力で毒を抜き去ろうと手をかざしたが、逆にルトアミスは苦痛に表情を歪め、
「 やめろ。毒が、キツくなった気がする。治癒能力が効かないのかもしれん … 」
と、荒く息を吐きながら彼女を制した。
    アズが下僕達に指示を出し、せめて綺麗な水をと言うと、滝を見たという下僕がすぐにそちらヘ飛び去って行く。

    治癒能力では主の症状を軽くする事が出来ず、下僕達が半ばパニックになっていた時、突如異変が訪れた。
    ザクザクと周りの草むらを掻き分けながら、此方こちらへ向かって来る足音。自身の存在を全く隠さず歩いて来る何者かが居る。
    恐らく最上悪魔とその下僕達が潜んでいる事など微塵も気付いていないのであろう。
    だが念の為、下僕達が一斉に警戒態勢に入った事が、脇道にれた奥に居る側近達やルトアミスにも伝わった。

    ┄┄┄┄ しかし。


「 へぇ …… ? 誰の下僕だ?」
    相手の声が聞こえてくる。
    若い男だ。
    しかも、この一瞬でこの場に居る悪魔達を " 下僕 " だと見破っている。


    途端に下僕達全員が酷く動揺し緊張する気配が、手に取るようにルトアミスの居場所まで届いた。下僕達が他者に対し狼狽える事など極めて稀であり、だとすれば相手は同じ最上悪魔か、それとも ┄┄┄┄ 。

「 貴様 …… っ、まさかジェッド・ホルクス …… !?」
    その容姿からすぐに相手がアナバスの王子だと判断した下僕達が、最大限の警戒をジェイに向けた。その声を聞き、クリスティナ達は主の前を取り囲むように素早く移動し、成り行きを固唾を飲んで見守る。下僕達で対処出来ればそれに越したことはない。
    だが、普段は姿を見せる事の無い下僕が数人とはいえ木々の陰や脇道の端に立っており、更にそれ以外の下僕達が姿を消したままジェイの様子を窺っている事態は明らかに異常だ。その状況から、鋭いジェイに、最上悪魔の身にすぐには動けない何らかの異変が起き、それを下僕達が守っているのだろうという事を見抜かれてしまった。

「 …… お前らの主に何かあったんだな?」
    下僕達とは対照的に、とても落ち着いた穏やかな声が聞こえる。
「 いつもは滅多に姿を見せないお前らが、こうもあからさまに敵意を剥き出しに威嚇することなんて、まず無いだろ? つまりは、この先に主が居て、そいつの身に何か異変が起こってるって思ったんだけど?」
    余りにも的を得た問い掛けに、下僕達はギリギリと歯を食いしばり焦り始める。
「 く …… 、貴様には関係ない! このまま立ち去ってくれ 」
    毒に侵されているルトアミスに、悪魔内では最大の敵として有名なジェッド・ホルクスを近付ける訳にはいかない。好機とばかりに主に攻撃を仕掛けられる可能性は高い。
    しかしジェイは、下僕達の願いとは裏腹に、うーんと腕組みして空を仰ぎ、
「 でも、滅多に遭遇しない最上悪魔に会えるなんて、凄いことだからな … 。もう一度聞くが、お前らの主は誰だ?」
と、簡単に引き下がる素振りは見せなかった。
    恐らく純粋な好奇心なのであろう。
    その証拠に、今のところジェイからは全く殺意を感じない。それは下僕達全員が感じ取ってはいた。


    確かに最上悪魔は人前に姿を現さない。約半年に一度の食事で大量の人間を喰らう時でさえ、アナバス兵に見つかるようなヘマもしない。それ故、アナバスの王子が興味を持つのは至極当たり前の事だった。


「 お前ら下僕が俺に対して一歩も引かないなんて、つまりはお前ら下僕ですら主を助ける事が出来ない何かが起こってるんじゃないか?」
    ジェイは興味津々といった感じで、下僕達の背後にある奥に続く小道、つまりルトアミスの方向へと足を向けた。途端、成り行きを主の傍らで見守っていた側近達が一斉に殺気をそちらへ向ける。
    つまりその場に居る全ての下僕達がジェイに殺意を剥き出しにし、攻撃態勢を取ったその時 ┄┄┄ 。

「 …… お前達はどいていろ 」
    最奥に居るルトアミスが静かに低い声を発した。
「 ですが! 相手はあのジェッド・ホルクスです!」
    側近達がルトアミスを振り返る。
    他の下僕達もルトアミスの言葉に動揺している。そんな下僕達を他所に、ジェイは草を掻き分け最上悪魔の居る開けた場所に歩み出た。
「 しまった …!」
    てのひらから能力を浮かび上がらせた下僕達を、
「 攻撃するな。 相手を見て判断しろ。クリスティナ、お前達も下がっていろ 」
と、ルトアミスは落ち着いた声で制した。
「 ル、ルトアミス様 ……! しかし、」
    クリスティナを筆頭とする側近達をも制されては、下僕達は最早ただ成り行きを見守る事しか出来無い。だが、ジェイの行動如何いかんでは下僕達が死を覚悟で主を守る為に総攻撃を仕掛けて来るつもりだろう事は、当のジェイ本人も充分承知していた。


    そんなジェイが目にしたのは、息苦しさに肩を揺らす漆黒の悪魔の姿だった。それでも赤く光る宝石のような目は、強くジェイを貫いていた。
「 …… 偶然調査に来たこの広い密林の中で、偶然通り掛かったこの道で、まさか …… 双璧の最上悪魔ルトアミスに会えるなんて!」
    ジェイは大きく目を見開いて、驚きを隠せない様子だった。
    一方、ルトアミスは目の前に現れた " アナバスの王子 " を初めて生で見て、全身に電撃が走ったかのような、熱く激しい感覚に襲われていた。

    ┄┄┄┄ なんて、美しい …… 。

    感嘆して息を飲む。
各星で放送されている様々な式典に出席しているモニター越しのジェイよりも、目の前に居る実物のジェイは着飾ってもいないのに驚くほど綺麗だった。

( 本物は噂以上の美麗だ )

    ルトアミスは己が一瞬にしてジェイの容貌に惹かれた事を即座に自覚した。今まで使い捨てにしてきたどの女よりも美しい。柔らかな物腰から、恐らくその性格も明るく聡明なのだろうと推測した。その佇まいや表情からは、とても悪魔の天敵と恐れられる人物だとは思えなかった。

    一方でジェイは、遭遇した最上悪魔がまさか悪魔界の王である事に驚いたのも束の間、すぐにルトアミスの症状を理解した。
「 … もしかして、チマに刺されたのか?」
「 チマ? それはなんだ?」
    息も絶え絶えのルトアミスの代わりに、レイナークが尋ね返す。
    ジェイはレイナークに目を向け、
「 チマは強力な毒を持つ毒虫だ。蜘蛛のような節足動物で、黄色や青、白、とにかく原色の派手な体色をしてる。ヤツに刺された後の症状は能力では治せない 」
と説明した。
    しかし次の瞬間、下僕達が気付いた時にはジェイは既にルトアミスのすぐ真正面に居て両膝を着き、じっと彼の深紅の瞳を覗き込んでいた。
    ジェイの突然の行動に、クリスティナ達は完全に遅れを取り、ルトアミスは間近に迫ったジェイの顔を真っ直ぐにめつけた。今更警戒をしても遅い上、毒によって消耗した体力では到底ジェイには敵わないだろう。
    一方クリスティナを筆頭とした下僕達は、ジェイの行動が危険だと判断しても、主を人質に取られたような形になり安易に攻撃が出来ない状況に焦りを隠せず狼狽えた。まさかのジェッド・ホルクスとの遭遇に、気付かない内に少しパニックに陥っていたのかもしれない。ただ、少しでもジェイから殺気を感じた瞬間には主を守る為に自然と体は動くだろう。

    しかしジェイの取った行動は、ルトアミスや下僕達の警戒心をいとも簡単に解いてしまうものだった。
「 ルトアミス、初対面で警戒するだろうけど、我慢してくれ。アナバスで研究して分かった、チマの毒は強いってこと。毒の回りも他の毒を持つ生物より比較的早いんだ。早く毒を吸い出さないと、そのうち全身が痺れて感覚が無くなって、呼吸困難になって窒息死する。でも、あんたの今の症状だと、今毒を吸い出せば大丈夫だから 」
    人間どころか悪魔ですら怯える闇を纏った、凄まじく鋭いルトアミスの視線を受け流し、それどころかジェイは逆に彼の目を覗き込んだ。
    そして、
「 だからさ、無防備な俺を殺さないでくれよ?」
と、微笑んで軽口を叩いた。
    その場に居る悪魔全員が目を疑い、しかしジェイの笑顔に緊張と焦りが僅かに解ける。
「 それで、刺したヤツを見たか? 殺した? 刺された場所は?」
    すぐに真剣な面持ちになったジェイに、ルトアミスを初め下僕達もハッと表情を引き締めた。
「 …… お前の言う外見の虫だ。殺してはいない、すぐに逃げられたからな。場所は左の首元だ 」
    ルトアミス本人が答えると、ジェイはこの場の悪魔達を安心させるかのようににっこりと再び微笑んだ。そしてルトアミスの首筋にそっと細い指先を這わせて刺された箇所を確認すると、
「 チマは殺したら厄介なんだ。この衛星にしか生息していないから、詳しい生態の調査はまだ進んでないけど、殺してたら一斉に他のチマが集まって攻撃してくる 」
 と説明した。
    それからジェイはおもむろにルトアミスの方へと両膝を進め、今度は彼の両肩にそれぞれ手を置き、そのまま首の傷口に躊躇いも無く唇を寄せた。
    その行動にルトアミスも下僕達も驚き目を見張ったが、すぐにルトアミスは顔を歪めた。毒を吸い出す為にジェイが首筋をキツく吸う行為は、なんとも表現し難い毒による苦痛が伴ったからだ。
    ようやく口を離したジェイは、地面にプッと赤黒い血を吐き出し、またすぐにルトアミスの首筋に吸い付く。
    その行動を数回続けたあと、ジェイはふっと肩の力を抜いた。呆然とジェイの動きを見守る下僕達を他所に、ジェイはそっとルトアミスの首筋に手のひらを当てる。
    そしてほっと安堵の息を漏らして、再びルトアミスの目を間近で見て微笑んだ。
「 うん、もう大丈夫。毒は全部吸い出せた。熱はまだ残るだろうけど、一日我慢すれば体調も整ってくる 」
    そこまで言って、
「 あ、誰か水を持ってないか?」
と、ジェイは下僕達を見回した。
    先程水を汲みに行っていた下僕から容器を受け取ったクリスティナは、それをジェイに差し出す。
「 密林を流れる滝の水だ 」
「 あ、サンキュ! あそこの水源はいろんな成分を含んでるから、傷口の炎症を抑えるのにとても良いんだ 」
    ジェイは腰元からタオル生地のハンカチを出し、水を少しずつゆっくりとルトアミスの首筋にかけた。首筋に流れる水をタオルに含ませ、傷口を軽く押さえつつトントンと叩く。
    ジェイが処置を施している間、ルトアミスはジェイの髪やうなじ、脇腹から腰にかけてずっと目をっていた。男とは思えないしなやかな体つき、ふわりと頬や肩をくすぐる紺碧の柔らかな髪。
    最早ジェイの身体から目が離せなかった。


    ┄┄┄┄ こいつは必ず俺のものにする。

ルトアミスの脳裏はジェイの美しさに完全に毒され、最早チマの毒の苦しみなど感じない程にまでなっていた。
「 よし、俺に出来るのはここまでだ。ルトアミス、これで処置は終わったから、後はあまり激し、く、」
    ジェイが言いかけるのと同時に、ルトアミスの両手は無意識のうちにジェイの腰と背中に回っていた。ぐいと引き寄せ抱きしめる。
「 え、な ……… 」
    一瞬何が起こったか分からず、束の間ルトアミスの腕の中に呆然と抱きしめられていたジェイだが、
「 なにしてんだ馬鹿悪魔っ!」
と我に返ってそう叫び、ルトアミスの胸を両手で押し返して後ろへと飛び退き立ち上がった。

( ば、ばかあく、ま …… ?)
( バカ、あくま …… )
( 馬鹿悪魔 …?)
( 馬鹿悪魔だと!?)
( ルトアミス様を、馬鹿悪魔、と …… ?)   

    下僕達はジェイの言葉に驚愕した。
悪魔界の双璧を " 馬鹿悪魔 " 呼ばわりした事もそうだが、初対面にも関わらず、そして敵であるにも関わらず、どこかその言い方が友好的で可愛らしくも思えたのだ。
    そう、ジェッド・ホルクスは敵だ。
敵にも関わらず、ジェッド・ホルクスはルトアミスを助けた。


「 何故、俺を助けた 」
    問われると、ジェイは逆に困惑したように首を傾げて腕組みした。
「 何故 …… 、うーん、なんでだろう。…… ただ、あんたは最上悪魔の中でも特に話が通じそうだったからかなぁ? 下僕達はともかく、あんたからはそこまで殺気を感じなかった。俺をジェッド・ホルクスだと知った上で、チマの毒にやられた弱った姿を見せた。
いくら最上悪魔と言えど、多分怪我をしてる時に俺が近くに居ることを察知したり下僕から聞けば、大抵の奴らは逃げる。それか、下僕達で総攻撃を仕掛けて来るかのどちらかだと思う。
でもあんたは流石、悪魔界の王とまで言われるだけあって、俺に敵意を向ける下僕達を牽制した。その器の大きさと潔さに、俺は敬意にも似た気持ちを覚えた。それと、最上悪魔は食事以外の無駄な殺しを一切しないし、今のあんたみたいに怪我でもしていない状況なら、暗黙の了解みたいな感じで俺達は互いに手を出さない。まぁもっとも、俺が今まで最上悪魔に会ったのは、ガルダとあんたの二人だけだから、何とも言えないけどな。
でも、なんとなく、あんただから助けたのかも 」   

    その言葉に、ルトアミスはニヤリと口端を上げ不敵な笑みを浮かべた。
「 噂のジェッド・ホルクスは、手当り次第に悪魔を殺すと恐れられ、同時に精霊のような美しさがその恐怖に拍車をかけている、と。
お前はその噂を遥かに凌ぐ、純粋で清廉な美しさを備えた好感の持てる王子。
お前が俺を認めたと言うなら、俺は一瞬でお前に心を奪われた。一目惚れだ 」
    するとジェイは、かなり驚いたのか目を丸くして声を張り上げた。
「 え!? 俺って、悪魔に会う度に有無を言わさずその悪魔を殺してるとか思われてるんだ!? え、凄いショック!」
    ジェイはルトアミスの最後の言葉より、そちらに衝撃を受けたようだった。
    この時点で既にルトアミスは直球で告白をしているのだが、そこに関して全くジェイが触れなかったのは、恋愛方面に関しては恐ろしく無知だと後々付き合っていくうちに分かる事実だ。
    ジェイはポリポリと頭を掻き空を仰ぎながら、
「 まぁ … 、何言われてても今更気にしないけどな 」
と軽く言って、そして再びルトアミスに目を戻した。
「 とにかく、さっきいろいろ言ったけど、何で俺があんたを助けたのかなんて確固たる理由はない。ただ助けた、それだけの事だ。
…… あと、この星にあんたと俺が居るのはきっと同じ目的だろうけど、あんたは一日動かない方が良い。下僕に探って貰えよ。俺はこの星の未開の密林調査を前々からしていたから、チマのような生物や植物の知識はある程度把握しつつある。
チマに咬まれた傷口に治癒能力は試したんだろ?それが効かなかったように、チマ自身にも全く能力が通用しない。自分に薄く防御結界を張っていても、チマにはその結界は効かないんだ。殺すには単に能力以外の武器や踏み潰すだけで簡単なんだけど、それはさっき話した通りオススメしないな。死んだ時に何かを分泌するのか、一斉に仲間が集まって来て無差別に攻撃してくる習性があるから 」
「 では、あの虫に対処する方法は無いと?」
    下僕の一人が思わず疑問を口にする。
    するとジェイはその下僕に目を移し、にっこりと微笑んだ。
「 風を自分の周りにそよがせてたら大丈夫。いくら能力で風を発生させてても、風があることは事実だろ? 風でチマは飛ばされるから、直接チマと触れる事はない。この星に来ている全員で共有してくれ 」
    そしてチラ、とルトアミスに視線を投げてから、ニッと悪戯っぽい口調で、
「 下僕達、絶対今日一日は主を動かすなよ? なんなら今日は撤収した方がいいかも。いくら悪魔界の王といえど、強い毒で体力が落ちてる。
だからルトアミス、あんたは回復に専念して、下僕達の言う事を聞け 」
と指示を出し、じゃあな、と来た道を戻って去って行った。
「 ジェッド・ホルクス、助かった!」
「 礼を言う! 我等の主を救ってくれた 」
「 心から感謝する!」
    その背中に、思わず礼を口にする下僕も数人いた。

    気付けば、ルトアミスがくっくっと低く笑っていた。
「 ルトアミス様?」
    カイルが怪訝な表情を浮かべる。
「 見たか、あの美しさを。……… 決めた。俺は、必ずあいつを手に入れる 」
「 え?」
    主の言葉の意図を測り兼ねた側近達は、驚いて一斉に疑問を投げ掛けた。
    だがルトアミスは、珍しく楽しそうに笑う。
「 クリスティナ、明日からジェッド・ホルクスを見掛けたら、すぐに場所を報告するよう全下僕に伝えておけ。あいつがアナバスから出ている時は必ず逢いに行く 」


    とにかく一目惚れだった。
いくら毒に侵されているとはいえ、自分を目の前にし、周りを下僕達に囲まれてもジェッド・ホルクスは全く動じなかった。いつ下僕達に攻撃されるか分からない状況の中、無防備に自分に触れ毒を吸い出して治療し、下僕達とも会話をし、それを恩に着せる訳でも見返りを求める訳でも無く去って行った。
    まるで旧知の仲であったかのように、最初から柔らかな姿勢を崩す事無く。

    その日以来、ルトアミスは各星に散らばっている下僕達を総動員し、今まで通り他の悪魔の動勢やアナバス兵の動向を探らせる他、それ以上に最優先事項としてジェイが近くに居ないかの確認指示を追加した。その成果が実り、毎日と言って良い程の頻度で逢えた。ジェイがアナバスの王子として外交や式典等でアナバスを離れる情報も逸早いちはやく入手し、その行事にすら必ず足を運んだ。


        _________________

    あれから約半年以上が経ち、今では初対面の時のように抱き締めても突き放される事は無く、徐々に信頼を得ているようだ。近頃ではジェイの方から身体を預けてくれるまでにもなった。
    そして初めてジェイから抱きつかれたのが、つい先程の事である。ジェイが自分に会えなくて寂しい思いをしていると言ったクリスティナの言葉は、あながち嘘では無かったようだ。 " ジェッド・ホルクス " と言えど、流石に異世界では心細かったのかもしれない。

    ルトアミスはジェイとの出逢いに思いを馳せながらも、治まる様子の無い息苦しさに耐えていた。木に背中を預け空を仰いだ姿勢のままで、しばらくずっと目を閉じていた。
    そしてそんなルトアミスの様子に、ライラとナグクはどうしても恐怖心が勝り、声を掛ける事は出来なかった。

    ナグクは改めてルトアミスの重厚な気迫におののいていた。ライラやチータが単純に最上悪魔を恐れているのとは異なり、明らかに今まで身近にいた下級悪魔達との格の違いを肌で感じ取っていたからだ。
    ジェイが " 悪魔の子供 " として接するようになった時から、ナグクはずっと考えていた。
    確かに自分は魔物では無く悪魔の血を受け継いだ。だが、産まれてからずっと魔物の村から出た事が無く、ナグクを取り巻く友達や母親など全員が魔物という環境の下に育ち、それ故にライラ達と一緒になって " 悪魔 " という存在に怯えていた。 自分が悪魔だという " ステータス " のようなプライドだけは持ち合わせていたが、だからと言って魔物と自分との違いを深く考えた事など全く無かったのだ。
    だが人間であるジェイと出会い、この森に入って自分の生い立ちを聞いたジェイは、その態度を一変させた。今まで三人同じ接し方だったのが、自分にだけ接し方を変えた。自分にだけ悪魔の死体を見せ付け、戦闘をよく見ていろと言った。
    自分達が怯えに怯えてきた周りに存在する悪魔は、人界が怖くて悪魔界から出て行けない底辺中の底辺の悪魔だという衝撃的な事実を教えられ、言葉を失った。
    だが、父親はどうやら例外で、かなり強かっただろうと。その血を引く自分も、父親と同じように魔物を守る強い悪魔になれとジェイが背中を押してくれているように感じた。
    魔物であるライラやチータより、そしてこの悪魔界に居るほとんどの悪魔より自分は強い筈なのだからと、暗に言われているようだった。だからこそ、ルトアミス様の下僕になれるように、少しでも努力をしなければならない。そして今一番近くに居る強者であるジェイから、学べる事を学ばなければならない。

    ナグクは少しずつそう気付き始めていた。


    ┄┄┄┄ そうだ、ジェイはつねに " まんがいち " を考えてこうどうしている。

    ジェイは自分の動きを盗めと言った。つまり、戦いにおけるジェイの行動全てを学べという事だ。それはつまり、常に万が一を考えての状況把握と、それに伴う的確な指示を出す事も、学ぶべき点なのだろう。
    人間だと嘲っていたジェイは、少なくともこの辺りに潜む下級悪魔やギラッツよりも強い。多分だが、かなり強い。
    何しろルトアミスと対等に喋っているのだ。そこに敬語は無い。下僕達がルトアミスに接する態度とは全く異なる。ジェイは本当にルトアミスの餌では無いのかもしれない。

    ナグクがそう考えていた時。

「 向こうに泉があって、川が流れてたぜ〜 」
と、チータの明るい声が聞こえた。
    チータの後ろから歩いて来たジェイも、
「 休むのに丁度良さそうな岩もあったし、そこで少し休もう 」
そう言いながらルトアミスの元へ行く。
    ジェイはルトアミスの片腕を取り起き上がらせてから、心配そうに顔を覗き込む。
「 大丈夫かよ? 肩を貸すから、行こうぜ 」
「 ああ 」
    短く頷くルトアミスの体調は、やはりジェイが感じた息苦しさを遥かに上回っているようだ。
「 …… 能力を持つ悪魔を徹底的に弱らせるって魂胆だな。きっとジャシンってヤツは、まさか能力を持つ悪魔以外の俺がここに入るなんて、想定外だっただろうな。俺の症状はお前ほど酷くは無かったから … 。あっ、ナグク、お前達は俺とルトの前を歩いて。何かあった場合、その方が早く対応出来る 」
「 分かったー!」
    それまでルトアミスの様子を後ろから恐る恐る窺いながらついて来ていた子供達が、ジェイとルトアミスの前に回る。
    それを見守りながらも、ジェイは時折ルトアミスの様子を気遣って歩いた。症状は一向に収まる様子も無く苦しげに眉根を寄せ、荒く息を吐いている。出会ってから一度たりとも、ここまで体力を消耗しているルトアミスを見た事がない。初めて出会った時とは比較にならない程だ。
「 ルト、もう少しだから 」
    声を掛けるも、返事は無い。
「 … ルト、もっと俺に体重かけろよ 」
「 大丈夫だ 」
    これには返事があったが、ジェイはムッと顔をしかめた。
「 なんでだよ、もっと頼ってくれたって良いだろ? だってお前、俺を助けに来てくれたのに … 。それでこんな事になってるんだからさ。ほんと、ごめん …… 」
    最後の言葉は尻すぼみになり、心から申し訳なく思うジェイ。その反面、危険だと近寄らなかった森へ自分を助けに入って来てくれた事がとても嬉しいとも感じていた。

    しばらく歩くと、道なりに泉が見えて来た。空の青を映す透明度の高い深く大きな泉があり、これから進む予定である小道の進行方向に向かって約九十度の方角に続く森のなだらかな傾斜に沿って、泉から溢れる川がそちらへと下って流れている。
「 わーっ! きれい!」
    声を上げたライラを筆頭に、子供達が駆け出す。
「 あの泉は本物か 」
    子供達を目で追ったルトアミスが問う。
「 さっき飲んでみた。予想通り本物の綺麗な水だった 」
    答えるジェイに、
「 予想通りだと?」
立て続けにルトアミスは疑問を投げ掛けた。
    ジェイは確信していたようにしっかりと頷き、今までの状況を少し話した。
「 ギラッツはこの森が作られた当初からずっと居たみたいなんだ。食料は偶にこの森に入ってしまった魔物や悪魔。足りない時は、ジャシンが人間をこの森に入れてギラッツに与えてたって。だから、あと足りないのは水だろ? この泉はきっとギラッツ用に作られたんだろうって思ったんだ 」
「 ……… 先程もお前は、 " 邪神 " と口にしていたな 」
「 うん。ギラッツの話によれば、そいつがこの森を作って、ギラッツには特別にこの森の中でも能力が使えるようにしてたって。でも、何の為の森なのかはギラッツも聞かされてないらしい 」
「 …… そうか。やはり邪神の仕業か。俺やファズを凌ぐ能力を持つ奴は、奴しかいないと思っていた 」
    ジェイは泉の一番近くにある丁度良い高さの岩にルトアミスを軽く支え座らせながら、目を丸くして首を傾けた。
「 え、ルトはジャシンを知ってんのか? 俺は初めて聞く悪魔だけど …… 。まさかお前とファズよりも強い奴がいるなんて知らなかった! 俺達アナバスもまだまだだな …… 。悪魔界に来て新たに分かった事、結構いっぱいあるし 」

    ルトアミスは灰色の岩石に腰掛け、がっくりと項垂うなだれて両膝に両肘をそれぞれ乗せた。
「 … 取り敢えず、水が飲みたい 」
    そう言ってルトアミスは力無く息をつく。
「 あ、うん! 待ってろよ 」
    ジェイはすぐに目の前の泉に行きしゃがみ込んで両手で水をすくう。少しでも冷たい水をとすぐに思い直し、しばらく泉の中に手のひらをひたした。
    川では子供達がキャッキャッと声を上げて、裸足になり水を蹴って遊んでいる。
    ジェイはその様子を穏やかに目を細めて見たが、
「 あんまりはしゃぎすぎちゃダメだぞ? まだ何か起こるかもしれないし。な?」
と、優しく声を掛けた。
「 はぁい!」
    三人共が子供らしい素直な返事をする。
「 あっ、ジェイ!」
    ナグクが声を上げて両手を上に上げた。右手に長剣、左手に三本の飛苦無を持っている。
「 これって、水であらってもいいのか?」
「 あ、忘れてた! 能力が使えれば手入れなんて一瞬なのに …… 」
    ジェイは面倒臭そうに溜め息をついたが、ナグクの申し出に甘える事にした。自分が集めた飛苦無五本と、ベルトに取り付けていた苦無を外し、ナグクが立つ川の横の平らな石の上に並べた。
「 サンキュー! 全部お願いしていい? 水で軽くゆすいで血を流してくれると助かる 」
    武器を任された事が嬉しいのか笑顔で頷くナグクに感謝し、ジェイは再び泉に戻りちゃぽちゃぽと自身の手を湧き出る水で冷やした。そして数分後、両手で水を掬って、泉から二、三歩の距離に居るルトアミスの隣りに腰掛け急いで差し出した。
「 器が無いから …… 直接手で掬った水になるけど、だい、」
じょうぶ? と最後まで言う前に、ルトアミスはジェイの両手首を半ば強引に口元に引き寄せ、そのまま手のひらの中の水を飲み干した。
    そして右の手のひらに軽く口付けを落とした後、左の手のひらに移りそこから左手首をゆっくりと丁寧に舐め始めた。
「 ル、ルトアミス、なに、を …… ? ま、まだ足りないなら汲んでくるけどっ?」
    ジェイはかなりの動揺を見せ頬を赤らめたが、ルトアミスからその手を振り払う事はしなかった。ただただ彼の熱い舌が、自身の左手首を這うのを見つめていた。
    そしてその様子を、子供達も思わず動きを止め目が離せなくなり、固唾を呑んで眺めていた。

「 ル、ルト、離せよ、何してんだ …… 」
    しかしルトアミスはジェイを無視し暫く手首に舌を這わせていたが、次にはそこへ強く吸い付いた。
「 っ、…… 」
    僅かな痛みにびっくりしたジェイは息を飲む。かなり強く吸い付いてルトアミスは顔を離し、満足そうにニヤリと笑った。
「 この前と全く同じ手順で口付けた。覚えてるか? 薄くなったから今のは上書きだ。前より強く跡を付けておいた 」
    途端、ジェイはぶわっと顔を上気させて左手首をじっと見つめた。確かに以前より鬱血の色が濃い。
「 ジェイ、今朝は鏡を見たか 」
    突然の思いもよらぬ質問に、ジェイは首を傾げた。
「 ? 見てないけど? ここをサクッと探って夕方までに出れるかなって、急いでたからさ 」
    サクッと出られるなら忠告などしていない、とルトアミスは内心思ったが、今、己がやりたい事は説教じゃない。

「 …… ならば、ここには気付いていないんだな 」
    気を取り直し半ば揶揄うように言って、ルトアミスはジェイの首筋の一箇所を指先で触れる。
「 え? なに?」
    戸惑いを隠せない口調で、最早顔を上げる事が出来ないジェイ。何故かは分からないが、今はルトアミスを見る事が出来なかったのだ。
    悪魔界の王が、まるで何か特別な意味でもあるかのように手のひらに口付けた光景が頭から離れない。
    だが、そんなジェイの様子を気にする風でも無く、ルトアミスは楽しげに説明を続ける。
「 ここにも、同じ痕を付けた。それから、」
    言いながら、ルトアミスはジェイの顎を手のひらで包み空を仰がせ、鎖骨の中心のやや上で喉の少し下にトンと指を乗せた。
「 ここもだ。あとは、」
更にルトアミスは続けて、ジェイの右内腿の付け根に、服の上から手を這わせた。
「 ここにもある。今、手首に付けたのと同じ口付けの痕がな 」
    ルトアミスはジェイの内腿に這わせた手のひらをジェイの中心部に軽く押し当て擦り上げた。
「 …… っ!」
    ピクンと肩を震わせたジェイは、ルトアミスのその手を素早く掴み上げた。
「 ちょ、なに … っ 」
    それでもジェイは戸惑いと動揺と羞恥を何とか誤魔化そうと、ルトアミスの赤い双眸を睨みつけた。
    しかしその瞬間、ルトアミスの腕がジェイの腰に回り、ジェイは逃れる間もなく強く抱き寄せられていた。
「 お前が寝ている間に付けた、俺の所有の証だ。内腿の付け根は、何も穿いていなかったお前が悪い 」
「 ち、ちが … っ、それ、は … っ 」
「 あぁ、しまったな。腰に口付けるのを忘れていた 」
    思い出して後悔を呟くルトアミス。スナイパーを倒した後に自分から言った箇所なのに、と。
    だがジェイはそれどころでは無い。
    シャツしか渡されなかったのはクリスティナの策略なのだが、疑う事を知らないジェイは彼女のそれに全く気が付いていない。ジェイの反応が面白くてルトアミスは小さく笑いながら、
「 城に帰ったら腰に、今はその代わりに反対側の首筋に所有の証を付けてやる 」
囁くようにジェイの耳元で宣言し、もう片方の首筋に顔を埋めた。
「 ル、ルト … 」
    ジェイ自身は気付いていないが、羞恥の為か耳やうなじ辺りまで肌はうっすらと赤く色付いている。ジェイは、はぁ … と少し熱のこもった吐息を小さく零し、躊躇いがちにそっとルトアミスの背中に両手を回した。

( …… これって、この前ルトに言われた事を全部実行されたってことだよな …… 。この痕を、首とか腰とか内腿に付けたいって言ってた … 。昨日シャツ一枚で寝たから、さっき触られた内腿にも口付けたってことだよな。
え!? て事は、恥ずかしいとこ、見られ ……… )

    そこまで考えると、一気に身体中が熱を持つのが分かった。

( どうしよう。恥ずかしい。ルトと目を合わせられない )

「 何を考えている 」
    大人しくされるがままになっているジェイに、ルトアミスが声を掛ける。
「 や、あの、あの、あのさっ! … 昨晩、お前、俺のどこまで見たんだ!?…… って、考えてた … っ 」
    明らかに挙動不審且つ上擦った声で答えたジェイの唇にルトアミスは唇を寄せながら、小声で囁く。
「 全部、見た。じっくり隅々まで、お前の可愛いペニスや、尻穴の蕾も 」
「 …… っ、」
    ルトアミスの言葉を遮る為に思わず殴りかかろうとしたジェイの右手をいとも簡単に阻止しその手首を掴み上げると、ルトアミスはそのまま唇を重ねた。ゆっくりと角度を変えて、軽く何度も口付けを交わす。
   
    ┄┄┄┄ ジェイは、抵抗しなかった。

    ジェイ以上に真っ赤になって照れていたのは、その一部始終を見せつけられている子供達だった。ジェイとルトアミスがイチャイチャし始めてから、目が離せない。
    ジェイ越しにこちらが見えている筈のルトアミスは、全くライラ達など眼中に無いようだ。
「 あの二人ってさ、こいびとってヤツなのかな?」
「 きんだんの " あい " ってやつか? 人間とルトアミス様の 」
「 でも、すごくおにあいだよね … 。ジェイはきれいで、ルトアミス様はかっこいいから 」
    三人は小さな声で会話しながらも、ジェイとルトアミスから一時も目を離す事は出来なかった。
「 ジェイって、ルトアミス様といるとき、すごくうれしそうな顔してるしね 」
    ライラが言うと、
「 それゆーならルトアミス様だぜ。あんなおやさしい顔してるんだからよぉ 」
    とナグクが答え、
「 ジェイって、ホントすごいよな。人間なのにルトアミス様をあんなに " むちゅう " にさせるなんてよ 」
    チータがそう締めくくると、ライラもナグクも深く頷いた。


    ルトアミスの唇が離れると、ジェイは彼の視線から逃れるように、俯いて瞳を泳がせた。 
「 嫌だったか?」
    微塵もその言葉通りの懸念をしていなさそうなルトアミスからジェイは勢いよく身体を離し、僅かに距離を取り彼を見上げた。  
「 い、嫌じゃない …… でも、あの、その、恥ずかしいこと言うのは、や、やめて欲しい 」
    そう言いながらもジェイは、微かに震える両手でルトアミスのマントの裾をきゅっと握り締めていた。
    眉は困ったように八の字になっている。
「 俺さ、悪魔界ここに来てから、なんか変なんだ … 。気付いたらずっとお前のこと考えてたり、お前の言動一つで嬉しくなったり、寂しくなったり、胸の奥が痛くなったり、その都度感情が複雑に変わる。こんなこと俺は初めてだから、正直、すごく戸惑ってる 」
    ジェイはそこで一旦言葉を区切ったが、次にはふわりと綺麗な微笑みを浮かべた。
「 でも、お前がこうやって抱きしめてくれたり、俺のこと、ルトのものだって言ってくれたり、所有の証? をつけてくれたりすると、心があったかくなるし、何故か安心するんだ 」
    予想外の言葉にルトアミスは驚いたが、昨日ザザンの崖に行って良かったと改めて心から思った。急に思い立ちザザンの崖に行った事がジェイにルトアミスが側に居ないという不安や寂しさを与え、逆に側に居る事に安心と安らぎを感じてくれたのだから。まさかこんな結果をもたらす事になるとは思ってもいない出来事だった。
「 そうか。なら、これからもずっと俺の事を考えていればいい 」
    ルトアミスはふっと穏やかな表情になった。
「 … じゃあ、ルトはもっともっといっぱい俺のこと考えて、俺をルトのものにしてくれよ? 」
    深い意味は無いであろう無垢なジェイの言葉に煽られ、ルトアミスは今更ながらにもジェイに対する肉欲を強く覚えた。しかし今は邪神の結界内だ。ジェイからこの森の実態と状況を聞かねばならない。
    そして、先程までの息苦しさがかなり和(やわ)らいでいる事にふと気付く。
「 苦しさがだいぶ消えた。ジェイ、この森の実態を教えろ。噂がどこまで本当なのか 」

    ライラ達は、やっと二人の世界が終わった雰囲気を感じ取り、ルトアミスとは反応側のジェイの隣りに近寄り岩にもたれて地面に座った。


    ルトアミスが静かに口を開く。
「 まず、噂の一つ。この森には出口が存在するが、迷路になっていて出る事が出来ないというものだ。
だから俺は迂闊にこの森に足を踏み入れてお前を探すのでは無く、アナバスに入った時と同じ方法で直接お前の元に入り込んだ。つまり " 結界抜け "  をして来た。お前に付けたキスマークと、お前の剣、その繋がりでも入る事が出来なかったが、あと一押し、お前が俺の事を強く頭に浮かべた時に、この森に入れると信じた 」
「 え? じゃあ、普通に入って来たんじゃなかったんだな。俺はこの森の噂を知らないし、もしかしたらこの先が迷路になってるかはまだ分からないけど、取り敢えず、ずっと森の中に続く小道を進めば出口に出られると、魔物の村では伝わっているらしいぜ 」
    な? と、ジェイはライラ達を振り返った。
「 つたわってる! ます! オレの母ちゃんも、ばあちゃんからきかされたって言ってました。父ちゃんからも、近付くなって 」
    ナグクが緊張した面持ちで大声で返事をした。
    それを見てジェイはにっこりと微笑んで、ルトアミスに向き直った。
「 ルト、ナグクのお父さんは上級悪魔だったんだって 」
    そしてチラッとナグクとライラに再び目を戻して体ごと近付き、
「 さっきルトと喋れた?」
と小さな声で囁くように尋ねる。
    二人はブンブンと思い切り首を横に振った。その仕草に、ジェイはまたふふっと笑った。
    そしてまたルトアミスに向き直る。
「 ルト、ナグクはお前に憧れててさ、将来お前の下僕になるのを夢見てるんだ 」
    しかし、そんな事にルトアミスは全く興味を示さない。
「 … つまり、あの村には森の情報の一部が知れ渡っていたと言う事か。それも魔物の村に。…… 邪神がわざと流したのかもしれんな 」
    ルトアミスはジェイのナグクの話を完全に無視し、独り言のように呟いた。

    元々能力ある悪魔は魔物になど見向きもしない。ましてや子供になど一切興味が無いのだ。だからこそジェイは、ルトアミスにナグクに興味を持たせる事はなかなかに難しいと思っていたし、チータと泉を見つけるまでの間に、ナグクとライラがルトアミスに話し掛ける事が出来ているとは正直期待はしていなかった。
    何しろ、やはり最上悪魔は他の悪魔とは比べものにすらならない特別な悪魔だ。特に悪魔界ここに住む低俗過ぎる悪魔達とは天と地の差以上の差がある。そしてその低俗悪魔にすら怯えて暮らす魔物からすれば、ルトアミスは想像もつかない存在なのだから。
    タイミングを見て、少しずつ興味を持たせるしかないと、ジェイは思っていた。ナグクを悪魔として教育出来るのは、悪魔界に居るルトアミスの下僕だけだろう。逆に教育して貰えなければ、ナグクの夢とナグクの悪魔の血はこのまま葬り去られてしまう。

    ジェイはナグクに気にしないようにと目配せをして、ルトアミスをチラ、と見上げた。
「 じゃあ、取り敢えず小道を進んでみるしかないよな。無事にこの森を出られて初めて、迷路じゃないって事が証明される。今は結論は出せないな 」
「 そうだな。あとは … 、能力が使え無いという噂は本当だった。そして立っているのも辛いほど息苦しくなる症状が出る事は、新しく分かった情報だ 」
「 けど、俺はお前ほど酷く無かったぜ? … まぁ、悪魔界にあるんだから、この森で働く作用は全部、悪魔を狙ったものだからだろうな。人界には無いものだし。それに、これは推測なんだけど、能力の差も影響があると思う 」
「 どういう意味だ?」
「 能力の差が極端過ぎて確証は無いけど、ナグクは悪魔なのに、全くの無症状だった。ルトは最上悪魔だから、さっきまでのかなり辛い症状が出た。けど、俺は人間だから、お前ほど酷い症状は出なかった 」
「 なるほどな 」

    ジェイとルトアミスのやり取りを聞いていて、ナグクを筆頭に子供達は純粋にジェイを見る目が完全に変わっていた。
    勿論、この森に入ってからのジェイの言動を目の当たりにした事もあるが、こうしてルトアミスと対等に話が出来る関係にあること自体が凄い。
    どんな悪魔も最上悪魔と出会でくわす事に恐怖し、下僕にすら恐怖すると聞く。ましてやルトアミスとファズは最上悪魔の中でも抜きん出た能力を持っており、同じ最上悪魔という地位にあっても恐れを成す者もいる。そして下僕は最上悪魔に尽くす立場である為、当然対等な立場では無い。
    しかし、ジェイはどう見てもルトアミスと対等だとしか思えない。もしかしたら本当にルトアミスの恋人なのかもしれない。だが、単に恋人だからといって、ルトアミスがこうもジェイに柔らかな表情を見せ、しかも謎に包まれたこの森の考察を共に行っている状況は、魔物の子供達から見てもジェイの立ち位置は謎で、明らかに異常だった。

「 あと、大量のギラッツが居た。ギラッツに聞いた話だと、ジャシンがギラッツに結界内でも能力を使えるようにしていたってさ。どんなに強い悪魔でも、能力が使えない、息苦しくて体も上手く動かせない状態だとしたら、あんなに大量の、それも能力を使えるギラッツ相手になら、確実に殺される。最初はルトが来てくれた時の数の、倍以上の数のギラッツが居たんだ 」
    ジェイの言葉を聞いて、ルトアミスは考え込むように眉根を寄せた。
「 邪神の目的が分からんな …… 。最初に話したと思うが、俺とファズが真っ先に脳裏に浮かんだこの森の結界主は、邪神だ。… お前は邪神の名を一度も聞いたことが無いのか?」
「 無いな。そもそもルトより強いとか …… 何者なんだ? アナバスでも把握してないぞ?」
「 神だ 」
「 ┄┄┄┄ え?」
    ジェイは一瞬、言われたその単語が理解出来なかったようだ。
「 邪悪の神、邪神。悪魔神と呼ばれる事もあるが、ほとんどの者は邪神と呼ぶ 」
「 ……… 神に、そんな邪悪な神が居るなんて … 知らなかった 」
「 お前達は知らなくて当然かもしれんな。邪神は恐らくだが、悪魔界に存在する神だ。逆に自然を司る神々とは相対する存在ではないかと推測している。
そもそも奴に名など無い。俺達悪魔が勝手に名付け、邪神と呼んでいるだけだ。それに、奴には謎が多い。神の事など詳しくは分からんが、人界に影響を及ぼしているであろう自然を司る神々は、絶える事無く人々にその名を知られ語られ、神に仕えると言われる精霊を目撃する者も少なくはない。だが、邪神には精霊など居ないという噂と、どうやら奴は何億年か毎に出現しては消えるらしい 」
「 出現して、消える? どういう意味?」
    ジェイは初めて聞く存在と、不可解な噂に首を傾げた。
「 誰もその意味も真相も分からん。勿論、俺やファズを含めてな。ただ、俺とファズが能力を合わせても壊す事の出来ないこの森を作るなど、邪神以外に考えられんからな 」
「 え、でも、ちょっと待てよ。ギラッツの話し振りでは、その邪神は、ギラッツの為に餌として人間を与えに来ると言ってた。つまり、そいつは悪魔界じゃなくて、人界にいるって事じゃねぇの?」
そんなの、人界がヤバいじゃん、とジェイは続ける。
「 …… 奴について俺達は何の情報も無い。俺が言うのも何だが、奴は邪悪の化身、邪念の集合体から生まれた神だ。だが、これも噂だけだ。実際はどんな存在なのかも分からない。そもそも、邪神だけでなく神という存在の詳細すら俺達には分からんだろう。邪神が人界にいるとして、今まで人界で不可解な死を遂げた者や、大量に人が消えた等の報告は無いのか 」
「 無い 」
    ジェイはきっぱりと言い切った。
「 全部悪魔の仕業だ。特に被害が大きい場所には、俺か、イエロー、パープルが直接赴いてる。一番大きな被害は、お前がよく分かってるだろ? …… お前の食事だ 」
    それに対し、ルトアミスは悪魔特有の惨憺さんたんたる笑みを浮かべた。
「 俺は肉よりはらわたを好むからな。食事となる人間の数が多くなるのは仕方がないだろう。… だが、お前一人さえ犠牲になれば、俺の餌になる人間は今後いなくなる。下僕達の食事のみになるぞ 」
「 え? どういうこと?」
「 … この森を出て落ち着いたら話してやる。… 急ぎでも無いから、人界へ無事に帰ってからでもいい。とにかくお前が俺を受け入れるなら、俺が与える行為が嫌じゃなければ、確実に被害は減るという事だ 」
    そして、話が逸れたとルトアミスは小さく呟き、敢えてその話題を避けるように再び口を開いた。
「 つまり、人界に居る可能性が高い邪神が、今は人間に何の危害も加えていないという点に於いても不思議だ。仮にだが、もし奴が人を喰わないというなら、何を糧に生きているのかも分からん 」
「 うん …… 。ギラッツも頻繁に人間を与えて貰っていた訳じゃなさそうだったし … 、邪神そのものがどういう存在なのか、何か目的とかがあるのかを知る必要があるな。アナバスに帰ったら、資料とか文献とか探ってみる 」
「 何か分かったら俺にも情報をくれ。億単位毎に出現する邪神が、俺の目が黒い内に現われるなど不愉快極まりない。邪神がこの世界にどんな影響を与えて何がきっかけで消えるのか、その時俺達は無事なのかすら不明だ 」
「 うん。... 俺達はその何億年単位の時期にたまたま重なったって事か。そんな長期スパンだと、記録にあるかすら怪しいけど …… 何もしないよりはマシだよな。この世界に何か被害を及ぼすとしたら、尚更だ 」
「 ああ、だが取り敢えず今はこの森だ。…… 最後に、もう一つ厄介な噂がある。この森を抜けた者は、約三十分程は能力が使えない状態になるというものだ 」
    ルトアミスの言葉に、ジェイは複雑な表情になり、低く唸った。そして、ルトアミスに視線を戻す。
「 … だとしたら、やっぱり明らかに何か目論見もくろみがあって、この森を作ってるな。ギラッツは何も知らされて無いと言ってたけど、それは当然だ。もし何かを企てるとしても、邪神って存在が下等な悪魔に目的なんか話す訳が無い。けど不思議なのは、誰も出られないように作ったこの森の情報が多過ぎる。つまり、邪神本人が噂を流した可能性は益々高くなったけど、だとしたら確実に何か目的があるんだろうな 」
「 …… ふ、流石だ。この短時間でそこまで推測が辿り着くとはな。俺もファズも、お前と全く同じ考えだ 」
「 …… いやいや、これくらいはちょっと考えれば分かる事だろ? 大袈裟だって。とにかく、この森の中に能力が使えるギラッツが放たれてる事は伏せられてて …… 息苦しくなる事も伏せられてて …… でも、能力が使えなくなる事は本当だった。だから、外に出て一定時間能力が使えなくなるって噂も、本当である確率が高いな 」
    ジェイのその考察に、ルトアミスは難しい表情で腕組みした。

    となると、森を抜け出た瞬間に攻撃されても、抗う手立てがない。一斉に能力を放たれれば、そして集まっている悪魔どもの数を考えれば、確実に避け切れない。… だが、何を犠牲にしてもジェイだけは守りきらねばならない。

    ルトアミスは出口で待ち受けているであろう幾千万の悪魔を思う。自分の命を奪える絶好の機会と、美しいジェイを手に入れる為に、強さを問わずかなりの数の悪魔が居る事は容易に想像出来た。

「 ジェイ、これ 」
    ふとルトアミスが気付けば、ジェイは子供達の方を向き、ナグクから苦無一式と長剣を受け取っているところだった。
「 流石に長剣は能力が戻ってからでないと隠せないな …… 」
    呟いたジェイに、ナグクは、
「 こんなたくさんの武器、どこにどうやってかくしてたんだ?」
と、当然の疑問を投げかけた。
    ジェイはニコニコと笑顔を浮かべ、
「 それは内緒。今回みたいに突然能力が使えなくなった時の為に、個人差はあるけど、多くの能力者は隠し武器を常に幾つか持ってる。どこに隠しているかは他人に言わないのが普通だな 」
でなきゃ隠し武器の意味無いだろ? と、ナグクに新たな知識を授ける。
「 へー …… 、なんかますますジェイってすごいヤツだったんだなって思う 」
    これにはナグクだけでなく、ライラとチータも同様の感情を持ったようだった。


    何気無しにその会話を聞いていたルトアミスだが、ふと一つの疑問を抱いた。
「 ジェイ。お前は俺の能力封じのリングをずっとつけていた筈だ。いくらそれ程強くは無いリングだったとはいえ、能力のほとんどを俺に封じられた状態でどうやって長剣と短剣を隠せていたんだ 」
    すると、ジェイは悪戯な笑みを綺麗に浮かべ、
「 えー? それは内緒だって。てか、何でルトがナグクと同じ質問してんだよ! … んー、まぁつまり、俺は普通の能力とはまた違う能力も持ってるってこと! なーんて言ったら、信じる?」
冗談混じりで話を逸らすかのように、わざとらしくルトアミスの目を覗き込む。
( つまり、余り踏み込んで欲しくないと言う事か … 。深く考えてはいなかったが、苦無や短剣はともかく、能力封じを付けてからも長剣を隠し持っていれたとはな …… )
    ルトアミスはジェイのその言葉の真偽を追求しても無駄だと思い、口をつぐんだ。


「 この飛苦無、二本くらい要るか? 小さいから、ナグクが自分で隠し場所を考えて持ち歩けば良い。これにはアナバスの紋章は刻んでないしな 」
    紋章? とナグクが問えば、何でも無い、とジェイは苦笑した。
「 いる! ほしい! マジ、もらっていーのかよ!?」
    興奮するナグクにジェイはクスクスと笑って、
「 良いから言ってる。ナグクは立派な悪魔になるんだろ? ルトアミスの下僕を目指すんだよな?… けど、渡すのはナグクのお母さんに許可を貰ってからだ。分かった?」
「 お、おう!」
    自然な流れでルトアミスの気を引けたかとチラ、と彼を盗み見たが、やはりルトアミスはナグクに対し何の反応も示してはいなかった。

    …… まぁ、帰る時にでも直接頼んでみるか。ナグクの世話をして欲しいと。

    そうジェイが考えていた時。
ライラが突然立ち上がったかと思うと、真っ直ぐにルトアミスを見て、口を開いた。
「 ル、ルトアミス様!」
    呼ばれて、煩わしげにライラをめつけるルトアミスに、ジェイは咄嗟にライラを守る為の警戒心を携える。
    しかしライラはやはり本物の恐ろしさを知らない為か、それとも意を決したのか、震えながらも口を開いた。
「 ルトアミス様、ボク、ボク、ルトアミス様とジェイが " こいびと " だったなんて知らなかったんです! たべないでってよけいなこと言って、すみませんでした …… 」
    その予想外の言葉に、ルトアミスもジェイも大きく目を見開いた。

( なかなか役に立つ事を言う。これで少しはジェイも )

    ルトアミスがそう思った時、隣りでアハハと笑うジェイがいた。
「 ライラ、俺とルトが恋人な訳無いだろ? ごめんな黙ってて、実は友達なんだよ、俺達。それに恋人ってのは男女の事だからさ。俺もルトも男だから、それは無い無い! ライラは面白い勘違いするんだな 」
    とても軽くそう笑い飛ばしたジェイに子供達は唖然として、思わず三人してルトアミスに視線を移した。
    ルトアミスは無言で溜め息をつき、膝に乗せた腕で頬杖をついて視線をジェイやライラ達とは反対側へと向ける。

( ま、まさかとは思うけど … 、ルトアミス様の " かたおもい " ってこと!?)

    ライラ達はお互いの顔を見合わせた。
「 え、でもジェイ、さっきルトアミス様と … その … ずっとキスしてたし …… だきあってただろ 」
    チータが独り言のように声を漏らす。
    しかし、
「 あれは悪魔間での挨拶らしいから、悪魔ならみんなやってるって!」
と、ジェイからは信じられないような言葉が返って来て、全く話にならない。


    する訳が無いだろう。あれが挨拶だと、いつまで俺の嘘に騙されるんだコイツは。

ルトアミスはいい加減苛々イライラしながら胸中でそう呟く。
    ┄┄┄┄ しかし。

「 それに、ルトはよく俺のこと抱きしめてくるけど、俺もルトに抱きしめられたり抱きついたりするのが大好きだから、別にそんな深い意味は無いんだ。友情のスキンシップってやつ! 」
    ジェイはルトアミスの心中など知らず、呑気な発言でルトアミスに更なる追い討ちをかける。

    明らかにジェイが天然思考で、ルトアミスの感情に鈍感だという事は、まだまだ子供であるライラ達ですら即座に理解した。
「 …… じゃあジェイは、ルトアミス様がいろんな人とさっきジェイとしてたことをやってても、なんとも思わねぇの? ルトアミス様がジェイじゃないヤツといっぱいキスしてさ、ジェイじゃないヤツをずっとだきしめてても、ジェイはイヤじゃないのか?」
「 え ……… ?」
    ジェイはナグクからの思わぬ言葉に僅かな動揺を見せて動きを止め、考えるように視線を地に落とした。


    ガキの癖になかなか鋭い質問をする。

ルトアミスは悩むジェイを見て少し心が浮上し、ナグクに視線を遣りフッと口端を上げた。
「 ! 」
    ナグクはルトアミスが自分に見せた表情を見間違いではないだろうかとも思ったが、嬉しくなり、満面の笑みをルトアミスに向ける。

    ジェイが黙り込んでしまった為、気を良くしたルトアミスは、
「 …… お前。ジェイの長剣を持つにはまだ早い。持つならこちらを持っていろ 」
ナグクにそう言って懐からジェイの短剣を取り出す。
「 は、はいっ!」
    ナグクは緊張しながらもルトアミスに近付き、長剣を渡し代わりに抜身の短剣を受け取った。手にすると、短剣はルトアミスがギラッツを斬り裂いた後に一振りしたままで、所々がまだ血で濡れている。
「 あのっ、ルトアミス様! これも、あらってきていいですか?」
    ぱっと短剣から顔を上げたナグクがルトアミスに尋ねる。
    するとルトアミスは束の間黙り込んだ後。
「 そうか、能力が使えない事を失念していた。癖で手入れした気になって鞘に納めてしまっていたが、大丈夫だったか 」
と、ジェイに視線を遣った。
    ナグクの問いに真剣に向き合っていたジェイは、突然声を掛けられハッと意識を浮上させ、
「 え、うん、大丈夫 ………… 」
  とだけ返答した。
    その返事を受け、ルトアミスはナグクに目を戻す。 
「 洗って来い。お前に抜身のまま渡してはおくが、俺とジェイが揃ったからにはこの先使う事は無い 」
「 はい!」
    ナグクにはルトアミスの言っている意味があまり理解出来ていなかったが、憧れのルトアミスが声を掛けてくれた喜びに踊り出したいくらいだった。
    ジェイは浮き浮き気分で川に走って行ったナグクを目の端に捉えながら、
「 両方持って来てくれたのか?」
とルトアミスに問うた。
「 当たり前だろう。今更何をほうけている。 " 結界抜け " に必要だった。そもそもお前がこうなった時の為に、一本ではなく二本の剣を俺に寄越したんだろうが 」
「 あぁ … そっか、そうだった。お前がアナバスに侵入はいって来た時、俺の手首にお前の印があるから結界を抜けれたって言ってただろ? だから俺も、もしこの森の結界に入った時、いつも持ってる二本がお前に届くように能力をかけた。能力が使えなくなるその間際に発動するように。この森の結界の強さを考えると、二本送った方が良いかと思って …… でも、それでも足りなかったんだよな?」
    申し訳無さそうに尋ねるジェイに、ルトアミスは真剣な眼差しを向けた。
「 あぁ、邪神の結界だから簡単では無い。二本送ったその判断は正しかったが、やはり足りなかった。現に、俺がお前を助けに来るまで時間が掛かっただろう 」
「 ……… 邪神の結界が強過ぎるから、だよな? かなり舐めてた 」
「 お前にはもっと詳しくこの森の事を話しておくべきだったな。俺がここに来れたのも、ただ運が良かっただけだ 」
「 え、じゃあ剣二本で足りなかったのに、どうやって …… 。運がいいだけで結界を出たり入ったり出来ない事くらい、基本中の基本だろ? 」
「 さっきも少し話しただろう。結界の中に居るお前には、俺が付けた所有の証が三箇所、ほとんど残っていなかったが手首の痕を入れて四箇所。( あと舐めしゃぶったペニスに付いた俺の唾液で五箇所 ) 
そして結界の外に居る俺には、お前が寄越した剣二本と、お前の一番強い体液があった。それでもこの森に侵入出来なかった。後は、互いが互いの事を強く想い呼び合った瞬間ときに賭けるしかなかった。それを待ってやっと結界を越える事に成功した 」
「 え、 …… 体液? 俺の?」
    不思議そうに尋ねるジェイを無視し、ルトアミスは続けた。
「 本当に運が良かっただけで、もしかしたらお前は、この森からガキ共と無事に出て来れなかった確率の方が高い。そもそも悪魔界ここはお前にとっては異界だ、自分の能力を過信するな 」
「 …… ごめん 」
    ジェイは流石にしょんぼりと俯く。
「 怒っている訳では無い。ただ、お前の身を案じる俺の気持ちも考えて行動しろ 」
    やはり穏やかで優しい表情を見せるルトアミスは、ジェイの事をとても好きなんだろうと子供達は確信した。

    そろそろ行くかと口にしようとした時、ルトアミスは再び襲い来る体の異変に気付いた。また息苦しくなってきたのである。
    そして、同じように出発しようと考えていたらしいジェイが、すぐにその異変に気付く。
「 ルト? 治ったんじゃ … ?」
「 ああ …… 。確かに治っていた。治って、いたんだがな … 。また急に息苦しくなってきた 」
    そう言って息苦しさに肩を揺らすルトアミスに、ジェイは困惑した。
「 なんで …… 俺は一度治ってからはこの通り、なんともない。ルトが最上悪魔だから、やっぱ能力に比例するのかもな …… 。また、少し治まるまで待つ?」
    本当は、まだ何か起こるかも知れないこの森から、早く抜け出す事が最善の策だ。だが、ルトアミスの様子は明らかにジェイの時とは雲泥の差がある事から、ジェイは判断を彼にゆだねるしか無かった。
「 いや、」
    と、ルトアミスは表情を歪めながらもジェイの言葉を否定した。
「 早く抜け出た方が良い 」
「 分かった。ライラ、チータ、ナグク、行こう。ルトは俺が引っ張るから、頑張って歩け 」
「 ふ、言われなくてもそうする 」
    苦しげながらも微笑を浮かべるルトアミスにいたわるような視線を向けて、ジェイは自ら彼の腕を取り自分の肩に回した。
「 ジェイ! オレが先頭を歩く!」
    率先して小道の先を行くナグクを、
「 駄目だ。危ないから、みんな俺の周りに 」
とジェイが制する。
    しかし、それをルトアミスが更にくつがえした。
「 行かせてやれ。ガキでも悪魔だ。何か起こりそうな時はお前がフォローしてやればいい 」
「 でも、」
    と心配そうにルトアミスを見つめるジェイに、
「 俺を誰だと思っている。こんな状態でも、自分を守る力くらいある。だからお前は俺よりガキ共を心配していろ 」
と、ルトアミスは鋭い眼差しを向けた。
「 … 分かった。でも、今よりもっと辛くなるようだったら、また休憩しよう? それで少し回復したら進めば良いんだし 」

    ナグクを先頭に、ライラとチータはその後ろに、そしてルトアミスを支えてジェイが続く。
    森は同じような大木が立ち並び、小道はまだまだ奥へと続いている。不自然に静まり返った森の中を、悪魔と人間、そして魔物という、普段では行動を共にする事など到底有り得ない一行が無言で小道を進む。
    これもまた、この森と同じ程に異様な光景だった。

    ギラッツはジェイとルトアミスが全て倒したのか、いくら歩いても姿を見せる事は無かった。
    しばらく歩いているうちに、ルトアミスは自分の腰を支えるジェイの手や、ジェイの肩にまわした自身の右腕全体、つまりジェイと密着している身体の部位全てから、柔らかくあたたかな空気に包まれているような感覚を感じるようになっていた。
    気付けば、息苦しさが少し和らいでいる。
    思い返せば先程、泉のある場所で休みいつの間にか息苦しさが消えていた時も、殆どずっとジェイと触れ合っていた。ジェイは体調が回復してからは、ルトアミスのように症状が再発していない。
    よく考えてみれば、邪神が仕掛けた息苦しさが時間と共に回復するのであれば、この森を抜ける事が出来る確率は高くなる。果たしてそんな中途半端な能力を邪神が使うだろうか。
    となれば、能力が使えない以外は本調子に戻ったというジェイが、悪魔ではないからという例外なのだろうか。そして、有り得ない事だろうが、例外であるジェイに触れていたから少しの間は体調が回復していたとでもいうのだろうか。


    ルトアミスはそこまで考え、歩みを止めた。
「 ルト?」
    ジェイが心配そうにルトアミスを見上げる。続いて子供達もすぐに立ち止まって二人を振り返った。

「 ジェイ、少し試させてくれ 」
    突然のルトアミスの言葉に、何を? とジェイが返す間も無く、ジェイは半ば強引に深い口付けを与えられていた。
    また頬を染めて子供達の目は二人に釘付けになる。
    ジェイは流石に驚いて、
「 え、」
「 なに、」
「 ルト … !?」
    と、舌を絡め取られながらも合間に何とか言葉を口にし、距離を取ろうとした。
    が、最早何をされても " 抵抗 " という文字が頭をよぎりさえしなくなっているジェイは、結局強くルトアミスを引き離す事も出来ず、ただされるがままに最後は軽く唇を啄まれて終わった。
    そして、改めて強く抱きしめられる。
「 …… 何故だ。お前に触れると息が整う 」
    思わず呟いたルトアミスに、ジェイは首を傾げた。
「 え? どういう意味?」
    するとルトアミスは抱き寄せていたジェイの両肩に手を置き、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「 お前と触れ合えば、苦しさが僅かな時間だけだが、消えて無くなる 」
「 は、」
    とジェイは、一呼吸置いて小さく笑った。
「 まさか。そんな事ある訳ないだろ? 常識で考えろよ、お前らしくないぞ?」
「 いや、現に今、試してみたら体調が改善した 」
    ルトアミスの言葉に、ジェイは目を丸くした。しかしそれも束の間、大きく片手を振った。
「 いやいやいや、有り得ねぇよ。大体、いくら俺が邪神って奴の影響をそんなに受けなかったからって、お前に影響を及ぼしてるのを消す能力なんて持ってないんだぜ?」
    そう否定したジェイだが、ふと何かに思い当たったのか、ぽんと両手のひらを叩いた。
「 分かった! もしかしたら、少しでも悪魔の気を紛らわす事が出来るからじゃないか?」
「 どういう意味だ 」
「 つまり、邪神は何故か悪魔を見張ってるっぽいだろ? だから悪魔には邪神の影響が強く出るけど、対象外の俺には強く作用しなかった。だから見張る対象じゃない俺とくっついてたら、俺の気がお前の気と交わって症状が緩和されるんだ、きっと!」
    得意気にそう話したジェイは、
「 取り敢えず体調が良いうちに早く行こう。お前にくっついて歩くし、また息苦しくなってきたらすぐに言ってくれよ。ドーンと抱きつかせてやるからさ! な?」
「 … あ、ああ 」
    頷くルトアミスに満足したのか、ルトアミスの役に立てる事が嬉しいのか、ジェイはにこにこと愛らしい笑顔を彼に向けた。

    ┄┄┄┄ しかし。

( … ルトの言ってる事が本当だとしたら、俺がルトにもたらしてる体調回復の理由は、俺に流れている血の影響が作用してるのかもしれない …… 。邪神の能力なんて知らないから確かな事は分からないけど、俺がこの森であまり影響を受けなかったのも、もしかしたら本来の俺の持つ …………… )

    とびきり明るく振る舞ったジェイの背景には、複雑で重いその心境を隠すという意図があった。俯き酷く神妙な面持ちになるジェイだったが、その考えをなんとか押し殺し、再び歩き始めた。そして、その場に居る誰一人として、ジェイのかげりある一瞬の表情に気付く者は居なかった。


    子供達が歩く度に土を踏み締める音と、何度目かになるルトアミスの荒い息遣いだけが、静寂を保つ森の中で聞こえる唯一の音だ。ルトアミスの体調は既に両手で数えるに足りるかどうかという回数分悪くなり、その度にジェイが暫く触れ合っては治し、歩を進めていた。
「 出口!!!」
    ナグクが叫んだ言葉に、息苦しさを堪えていたルトアミスが顔を上げ、そんな彼を横で心配そうに支えながら歩いていたジェイも顔を上げた。
    先には木々の終わりが見え、森の外へ続いているであろう小道の向こう側は、赤く薄暗い。青空の広がるこの森が異常なのだから、本来の世界である外が暗く感じるのは当然の事だ。

「 ジェイ、最後の回復を頼む 」
    ルトアミスが気を引き締めた鋭い口調で言った。
「 あ、うん … 」
    やっと森を抜け出せるのに、何故そんな緊張した面持ちなのか、ジェイは不思議に思いながらも自らルトアミスに唇を寄せた。ずっと歩いて来た中で、互いに抱擁ほうようしディープキスを何度か交わす行為が、息苦しさを一番早く取り除く方法だと判明したからだ。
    ルトアミスはジェイの腰に手を回し深く口付けながら、外に出れば多くの悪魔が襲い来るだろうと確信していた。恐らく下僕達もその殆どを排除出来てはいないだろう。何故なら、

    ルトアミスが森に人間を助けに入った事。
    その人間が大層美しい事。

この二点は人界に居るであろう他の最上悪魔にも必ず知らせが行っている筈だからだ。そして様子を見て仔細報告をせよとのめいが下っている事は、安易に想像がつく。厄介なのは、この機に乗じて他の最上悪魔の下僕達がルトアミスの命を狙ってくる可能性もあるという事だ。どの最上悪魔の下僕が、どのような命を受けているかまでは流石に把握するすべは無い。
    だが自身の事はともかく、ルトアミスは何としてでもジェイを守り抜く決意を固めていた。その為には森から出る時に意表を突く方が良い。
    その為、子供達を先に出そうとルトアミスは考えた。襲われる心配は薄い。集まっているほとんどの悪魔の目的は、ルトアミスの命とジェイを手に入れる事だ。子供達を先に出し、少しの間を空けてからジェイを連れて出ようと決めた。
「 ジェイ、先も話した通り、森を出て暫くは能力が使えないだろう。とにかく俺の下僕を探し城に避難しろ。下僕達もそのつもりで待機している筈だ 」
「 ? よく分かんねーけど、分かった。こいつらも一旦城に保護して貰ってもいい?」
    ジェイはチラ、とライラ達に目を遣ってルトアミスの許可を求める。
「 ああ。だが、お前の長剣は俺に渡せ 」
    何度も襲い来る息苦しさ故、泉でナグクから受け取ったジェイの長剣は、その後すぐにルトアミスからジェイの手に返されていた。
「 え、」
    一瞬躊躇したジェイに、
「 お前は必ず俺が守ると決めている。だから渡せ 」
そう言ってルトアミスは半ば強引にジェイから長剣を受け取った。だが、そんなやり取りをしながらも、次の瞬間にはジェイとルトアミスは同時に森の出口に鋭い視線を放っていた。
    出口を目の前にしてジェイとルトアミスのやり取りを傍観していた子供達は、余りに突然の二人の変わりように驚き、自分達の背後にある出口に視線を戻した。

    そこにはギラッツが二人、立ちはだかるかのように姿を現していた。

「 ルトは下がってな。俺が殺る 」
    好戦的でたのしげにも見受けられるジェイの表情は、ニヤリと微笑さえたずさえていた。ルトアミスをその場に残し子供達の横を通り過ぎ、前に歩み出る。


    ライラ達はこの森に入ってから確実にジェイに対する認識が変化していた。美しくも儚げで、常に優しく微笑んでいたジェイは、最上悪魔ルトアミス同様の冷淡な一面を併せ持っている事を知った。如何に命の危険に迫られているからとはいえ、ジェイの圧倒的強さと共に尋常では無い今まで感じた事すらない程の恐ろしい雰囲気を纏う時がある事を間近で見知ったからだ。
    ギラッツを何の迷いも無く瞬殺出来る事、殺した直後に柔らかな笑顔をまるで何事も無かったかのように向けてくる事、そしてギラッツがどのような死に方をしていようとも、常に何事にも動じず冷静さを保っていられる姿勢だ。 " 誰か " を殺す事など日常茶飯事であり、それに慣れている者が持っているのであろう雰囲気を、ライラ達はジェイから確実に感じていた。
    きっと普通の人間なら " 死 " というものには慣れていないと推測するのだが、ジェイは " 死 " というものに余りにも慣れ過ぎているのだと感じ取ってしまった。

「 まだ残ってたのかよ 」
    ジェイはうんざりとした口調で言って、一歩、足を前に踏み出す。
    が、それによってギラッツ二人は慌てて後退りをした。全身をガタガタと震わせている。
「 ま、待ってくれ! 死にたくない!」
「 見逃して欲しい!」
    ほぼ二人同時に発した言葉に、ジェイは眉根を寄せた。
「 ふざけんな。だったらわざわざ俺達の前に姿を現さなければ良いだろう。何が目的だ 」
「 ち、違う! 俺達はきっと殺される! お前達、い、いや、ル、ルトアミス様、達を、この森で殺せなかったからだ!」
「 邪神様はこの森に入った悪魔をみんな殺せと仰られたのに、俺達は失敗した! だから生き残った俺達二人は確実に殺される!」
    必死の形相で助けを乞うギラッツを、ジェイはしばらく黙り込んで様子を見ていたが、やがて一変して目を細め、柔らかな表情で彼らに微笑んだ。
「 …… なんだ、それなら簡単な話だ。ルトアミス様の下僕にしてもらえばいい 」
    ジェイの軽く明るい口調に、子供達は驚いてジェイの背中を凝視し、次に、後ろに居るルトアミスにも視線を投げ掛けた。ルトアミスは無表情のまま、ジェイを制するでも無くただジェイの後ろ姿を見つめている。ジェイの行動を止めるつもりは更々ないようだ。
    ジェイは続けた。
「 知られてはいないが、ルトアミス様は最上悪魔の中で一番お優しい御方だ。
実を言うと、俺はルトアミス様の下僕。人界でお会いした時の成り行きで、人間である俺を下僕に取り立てて下さった。
それだけでも有り難い事なのに … 、慣れない悪魔界でこの森に入り込んでしまった俺を、こうして助けに来て下さった。
邪神と接触してからずっとこの森から獲物を逃さないでいたお前達の実力なら、いくら中級悪魔と言えどルトアミス様は下僕として迎え入れて下さる。つまり必然的にお前達をこの森から保護する事が出来るが ……… どうする?」

    ライラ達はジェイの言葉に震駭しんがいした。ジェイが、嘘をついている。さも当然の如く。そしてルトアミスも、その嘘で勝手に話を進めるジェイを制する事無く、ただ静かに見守っている。
    ジェイがルトアミスの下僕で無い事は、当然だがギラッツは知らない。
「 で、では我々は、人間と言えどルトアミス様の下僕である貴方様に無茶な戦いを繰り広げていたのですね …… 貴方様の強さの答えを、今やっと理解しました!」
「 貴方様を襲ったというのに、な、なんとお優しい …… ! ほ、本当ですか! 本当に俺達を下僕に!?」
    驚きと喜びを隠し切れないギラッツに、
「 俺は優しさで言ってるんじゃない。邪神と少しでも接点を持った上で、しかも長年生き長らえているお前達だからこその提案だ。情けや優しさでルトアミス様の下僕に取り立てる事など有り得ないと、お前達悪魔が一番よく分かっているんじゃないのか?
お前達がルトアミス様の下僕になるという強い覚悟があるというなら、特別に下僕にしてやろうという話だ 」
と、ジェイは静かに告げた。

   誰もがそう易々と最上悪魔の下僕になどなれる訳ではない。 " 下僕 " の始まりや詳細はアナバスでも不明とされているが、もしかしたらその最上悪魔のお眼鏡にかなった悪魔なら、新しく下僕の仲間入りを許されるのではないか。そういう漠然とした見解で落ち着いている。そもそもほとんど人目につかず行動する最上悪魔や下僕達の実態を、人間が把握出来るものでは無いとアナバス側では判断しているからだ。

「 是非! 取るに足らぬ命ですが、ルトアミス様に差し出し心よりお仕え致します!」
    ギラッツが声を合わせてそう言い土下座をする。
    それを見たジェイは、ふっと冷笑を携えてルトアミスを振り返った。ルトアミスもニヤリと笑みを返す。
    そして、
「 立て、ギラッツ。では城に帰ったら、まずは邪神について知っている事を全て話せ 」
そう直々に告げたルトアミスの言葉に、ギラッツは返事の代わりに更に深く地に頭をこすり付けた。
    ジェイとルトアミスのそのやり取りを、子供達は訳も分からずただ震えて見ているしかなかった。


    森の出口ばかりでなく、森の上空全てを数え切れない程の悪魔が埋め尽くしていた。その所為でただでさえ赤黒く薄暗い空は、森の上空だけ真っ黒な空と見紛うばかりだ。
    ルトアミスの下僕達は、明らかに敵と思われる上級悪魔を優先して排除し、中級悪魔以下は纏めて薙ぎ払い、とにかく敵意ある強者から順に終わりの見えない戦闘を繰り返していた。厄介なのは、かなりの上空には既に多くの最上悪魔の下僕達が集まり待機している事だった。彼らと交戦する事だけは絶対に避けねばならない。恐らくルトアミスは能力を使えない状態で出て来るのだ。それさえ無ければ、相手が攻撃を仕掛けて来ても応戦出来るのだが、今はルトアミスの救出が最優先事項だ。そして側近から、ジェイと、ジェイが関わりを持った子供達三人を、一旦城に保護せねばならないと下僕達全てに伝達されていた。
    また、いくら強い悪魔から排除して行っても、中級悪魔以下の雑魚悪魔の数はとんでもなく多い。下僕達が瞬時に何十人も殺しているが、まるで悪魔界中の悪魔が集まって来ているのかと思う程、新たな悪魔が増える一方だった。
「 チッ、キリがない! とにかく出口付近は何としてでも数名で確保だ!」
    ザギが下僕全員にテレパシー伝達をする。
今はほぼ全員の下僕が戦っているが、ルトアミスが出て来た時にすぐに城へ退避出来るように守りを固める者達と、そしてルトアミスに攻撃をさせないよう悪魔達を排除する者とにタイミングを見て別れさせねばならない。無論既にその役割は分担させているのだが、ルトアミスが出て来るまでは焼け石に水であっても敵の数を減らしておかねばならなかった。
    交戦の激しい音や悲鳴、下僕達に攻撃を受けていない悪魔達の雑談、ルトアミス以外の最上悪魔の下僕達。とにかく森の出口を中心に、様々な音が飛び交っていた。

    だが、それは次の瞬間、突然大きなざわめきに変わった。
    森から出て来たのは、三人の子供達の手を繋ぎ、恐る恐る周りを見渡しながら歩くギラッツ二人だった。

「 ギラッツだと?」
「 迷い込んでたのか?」
「 どうやって出て来たんだ?」

    集まっている悪魔達、そして下僕達もが意表を突かれ、動きを止めた。
    ただ、クリスティナや側近達はすぐに理解した。
( ギラッツも保護しろ! 子供達を守るように一緒に出て来たという事は、何か意味がある! 恐らくルトアミス様から我らへのメッセージだ!)
    クリスティナがすぐに伝達思念を飛ばす。周りの悪魔達が戸惑っている間に、下僕の一人がすぐに動き、彼らに手を掛け共に城へテレポートした。一瞬でルトアミスの下僕によって消えた彼らに、逆に半数程の悪魔達は次にルトアミスとその情人が出て来る事を悟った。
「 しまった、あからさま過ぎたか!」
カイルが歯軋はぎしりをし、悔やむ。

    ┄┄┄┄ しかし。

ルトアミスとジェイがしばらく間を置いて森の外に出て来た時の悪魔達の反応は、ルトアミスや下僕達の想像とは大きくかけ離れたものだった。

    ルトアミスが能力を使えない好機を狙って、悪魔達は一斉にルトアミスに攻撃を仕掛けると、ルトアミスやルトアミスの下僕達は身構えていた。
    だが先程までのざわめきは、一瞬にして水を打ったかのように静まり返ったのだ。
    どの悪魔達も皆が完全に動きを止め、ごくりと生唾を飲む。
    その視線の先にはジェイの姿があった。
    その場に集まっていた全ての悪魔の視線が、ジェイ唯一人に釘付けになっていた。

「 うっわ、こんな数の悪魔、初めて見た … 」
    ルトアミスの横で上空を見上げ、小さく呟くジェイ。そしてその瞬間から、ジェイは自分の体内を自身の能力が駆け巡るのを感じた。
    瞬時に自分の気配を消す。
    そして、悪魔達で黒く覆われた空を再度見上げてから、能力が戻った事をルトアミスに告げようと、ルトアミスの横顔に目を移した。


「 な、なんて …… 美しいんだ ………… 」
    一人の悪魔が、森から出て来たジェイを見て呟く。誰もが感嘆していたその言葉が音を伴って紡がれた時、悪魔達は自分がジェイに見惚みとれ放心していた事に気付いた。
    そして次に浮かんだ感情は、ルトアミスを殺しあの人間を手に入れ堪能したいという、浅ましい欲望を抱いたものだった。これ程までに完璧なる " 美 " を体現した人間が居るとは、想像だにしていなかった。噂では精霊だとも言われていた事が理解出来る。いや、寧ろ本当に精霊なのかもしれない。中性的で独特の薄いベールにでも包まれているような、透き通った肌を持つこの極上の " もの " を手に入れるとは、流石悪魔界一の最上悪魔ルトアミスだと誰もが純粋に思った。
    だがそう思ったのも束の間、今は能力の無いルトアミスを前に、あの上玉を手にする千載一遇の機会が与えられた事を悪魔達は理解した。
    何が何でも手に入れたい。手に入れて、このまま悪魔界で生かし、精ばかりでは無く、あの儚げでしなやかな身体を舐め回し犯したい。あの人間が奏でるであろう嬌声を、ずっと聞いて過ごすのだ。

    悪魔達はジェイに対する似たような卑しい感情を抱いた瞬間には、一斉にルトアミスに向けて能力を放っていた。すぐ横には手に入れたいジェイが居るが、あの冷酷なルトアミスがわざわざ危険な森へ助けに入った程の情人だ。必ずルトアミスが盾になってジェイを守る筈だ。
    知能の働く上級悪魔に近い中級悪魔達の何人かは、それも考慮して攻撃を仕掛けていた。能力を使えないルトアミスがジェイを庇い盾となれば、確実に彼を負傷させる事が出来る。


    ルトアミスは森を出た時の悪魔達の反応から、ジェイを奪いに来る可能性はあっても、殺す事はまず無いだろうと考えていた。
    つまりルトアミスがジェイから離れる事で、ジェイは攻撃に巻き込まれずに済む。隣りで何か言いたげなジェイにすぐに視線を遣り、
「 お前は俺から離れて下僕に城へ退避させて貰え!」
    と、半ば怒鳴りつけるような口調でそう言った。
「 えっ? や、違 … っ、」
    能力が戻って良かったよな、と告げようとしたジェイは、ハッと違和感を感じた。

    ┄┄┄┄ ルトアミスは、能力が戻っていない!


    普段は完全に消しているルトアミスの " 気 " が、今は手に取るようにはっきりと感じられる。それに、もしルトアミスも能力が戻ったのなら、直ぐにジェイを連れて城にテレポートする筈だ。今のような焦りを、隠す事無く表情に浮かべるルトアミスを、ジェイは初めて見た。

( なんで? 何が起こってる? 俺の能力は完全に戻った。なのに、ルトアミスはなんで!?)


    訳が分からず呆然としていたその時、様々な角度から飛んで来た攻撃能力と、地上から剣を振り上げて襲い来る悪魔達がジェイの視界に入った。
    しかしそれも一瞬の事で、気付けばジェイはルトアミスに覆い被さられ、勢いで地面に背を叩き付けられていた。
    だがそれに驚く間も無く、ぼたぼたとジェイの眼前を真っ赤な液体が大量に溢れ落ちてくる。ジェイの上半身はすぐにその血で染まり、血の川となってジェイの身体から地面へと流れ落ち始めた。

    一瞬だが苦痛に顔を歪めたルトアミスを、ジェイは見上げた。今この瞬間に何が起こったのか、ジェイは全く理解出来ていなかった。
「 大丈夫か。何をぼさっとしていた 」
    そう言ったルトアミスの声は、いつも通りの落ち着いたものだった。
    しかし内心では、森を出た瞬間にジェイを遠くへ突き飛ばすべきだったと後悔していた。まさかジェイが居るにも関わらず、ほとんどの悪魔が攻撃能力を放って来る可能性を考えていなかったからだ。
    自分が体を張ってでもジェイを守る事を、悪魔達に見破られていたのだ。

    一方ジェイは、森を無事抜け出し能力が戻った事で、張り詰めていた気を手放していた。どれだけ多くの悪魔に囲まれていようが、全く危機感を感じていなかった。何故なら能力が戻り能力封じも施されていないジェイにとって、雑魚悪魔がどれだけ集まっていようが何の危機でもないからだ。
    ルトアミスに能力が戻っていない事が分かり、頭には敵よりもその疑問ばかりが浮かんでいたのだ。そして、だからこそ、今まさに目の前で起きた事が理解出来なかった。

    敵から放たれた能力から自分を庇ってルトアミスが負傷したのだと、何拍か遅れてやっと気付く。
「 …… っ、」
    言葉を失ってルトアミスを見上げたジェイの眉は、みるみるうちに八の字になっていく。
「 だ、だ、大丈夫か …… って、ル、ルト! ルト、お前が …… っ!」
   ジェイの頭の中は真っ白になった。
    一気に事態を把握した。

    ルトアミスの利き手である右腕は、肩から縦に大きくえぐり切り裂かれ、かろうじて繋がっているだけの状態と化している。
「 ぇ、え … ? ルト ……!?」
    震える両手で、自分を覆うように被さっているマントを強く握りしめる。
「 し、止血 … っ、ルト、止血を ……! や、でも、うで、腕を … っ!」
    狼狽うろたえるジェイを見て、ルトアミスは僅かに眉間に皺を寄せた。
「 お前ともあろう者が、たかがこれしきの事で何を動揺している! さっさと避難しろ!」
    怒りを露わに声を荒げるルトアミスに、ジェイは大きく首を横に振った。ルトアミスの右肩から力無くぶら下がった腕から目が離せない、離れない。
「 い、嫌だっ!!! ルト、ルト、血を … 、早くっ、早く腕をくっつけて、血を止めなきゃ …… っ! で、でもっ、肩の、肩の肉が ……っ 」
    ジェイの両目からはぼろぼろと、涙が溢れ零れ落ちていく。ルトアミスの左腕に震えながらも下から強くしがみつき、額を、頬を寄せて瞳を強く閉じる。瞬間、ルトアミスはふわりと温かなジェイの治癒能力に包み込まれるのを感じた。
「 お前 … っ! 能力が!?」
    ルトアミスは驚愕して大きく目を見開いたが、そうしている間にも下級悪魔や中級悪魔が襲い来る。
    ルトアミスはしがみつくジェイを振り払い、落とした長剣を左手で拾い上げ敵を斬り裂いて行く。
    ルトアミスの右半身は既に真っ赤で、腕をぶら下げた右肩からは血が勢いよく噴き出している。

「 ル、ルトアミス! 待て、待って!!! もっと、もっとちゃんと治癒を ……! 」
    ジェイは地面に両手を着いてへたり込み、遠ざかる悪魔の背中に叫ぶ。ぎゅっと無意識に地面の土を握り締め、項垂れた。涙は止まってはくれず、地面に零れ落ちて行く。
    そこら一帯の地面は広範囲に渡り黒く濡れた水溜まりが光っている。自分の体でルトアミスの大量の血を受け止めた筈なのに、彼の千切れかけた右腕から相当量の血がほとばしり落ちた事を、その地面がありありと物語っていた。

    そしてその光景に、ジェイは生まれて初めて例えようの無い恐怖に身を震わせた。


                                       ┄┄┄┄ つづく ┄┄┄┄


最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。「 悪魔界編 」は前後編で書くつもりが、徐々に明かそうと思っている内容を思いの外ジェイがペラペラと勝手に喋ってしまい、執筆途中で急遽 
- 中編- として公開する事にしました。
次回 -後編- は、今回よりも長い間を開けずに公開出来るかな……と思っているので、よろしくお願い致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?