日本の仏教史

皆さんの家の宗派は何でしょう?
私の実家は浄土真宗ですが、私自身は辯天宗の信者です。
色々な宗派がありますが、今回は仏教、宗派の歴史をめちゃくちゃザックリ簡単にまとめましょう!(詳しくやると終わらないから)


【仏教を立ち上げたものの…】

仏教はお釈迦様(仏陀)を開祖とする宗教です。
で、お釈迦様の死後、弟子達が意見対立して仏教教団が二派に別れます。(根本分裂)

それが大衆部仏教上座部仏教です。

この二つの仏教の違いは以下の通り。
・大衆部仏教は「釈迦の教えは時代に合わせていかなければならない」という改革派
・上座部仏教は「教えは絶対に変えてはいけない」という保守派

この二派が考え方の違いとかで更に20種類に分派しますがややこしいので割愛。ちなみにこいつら20種全部まとめて部派仏教といいます。
とにもかくにも、大きく分けてこの二派は色んな国に伝播していくわけです。
・上座部仏教系列は東南アジア→南伝仏教と呼ばれる
・大衆部仏教系列は中国、朝鮮→北伝仏教と呼ばれる

最終的に、大衆部系列の仏教は様々な教えが自然とまとまり、大乗仏教となったとされます。
つまり私達が知ってる仏教は大乗仏教なんですな~コレが。

ちなみになんでこんなに仏教が分裂したのかというと、
”弟子達がお釈迦様の言ってたこと(教え)をみんなで思い出してまとめたから”
ちなみにまとめた時点でお釈迦様が死んで50年以上経ってたという…そりゃ人によって解釈の違いとか記憶違いとかおきますわね~w


【仏教、日本に来る】

538年に日本に伝来した仏教は「仏教の教えは国家繁栄に導いてくれる」という鎮護国家思想の下、宗派が持ち込まれます。これらを総称して、南都六宗と呼びます。(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)

しかしあくまで仏教は、国家経営を補佐する道徳的な教えに過ぎないことから、今の感覚で言うと宗教活動というより勉強や学問に近く、仏教を理解している人は僧侶を覗けばほんの僅かでした。そのため道鏡のような政治に介入してくる僧侶なども出てきました。(宇佐八幡宮神託事件

この状態を危惧した桓武天皇は、南都六宗との癒着を断ち切る意味も含め平安京に遷都します。794年のことです。
それと同時に真の仏教とは何なのかを今一度勉強するため、最澄と空海を中国・唐に派遣します。二人が帰国後開いた宗教はご存じ以下の通り。この二派を平安二宗と言います。

最澄…天台宗(比叡山延暦寺)
空海…真言宗(高野山金剛峰寺)


【鎌倉新仏教】

平安末期になると、末法思想が世の中の乱れと共に(武士の台頭もあり政治の乱れだけでなく各地で戦乱も起きた)一般民衆にも広がると、みんな仏教に心のよりどころを求めるようになります。
これが鎌倉新仏教の始まりです。(浄土宗・浄土真宗・時宗・法華宗・臨済宗・曹洞宗

この六宗の特徴は"解りやすさ"にあります。
浄土宗、浄土真宗、時宗は「南無阿弥陀仏」という念仏、法華宗は「何妙法蓮華経」という題目、臨済宗と曹洞宗は座禅、これをするだけで極楽往生出来るという簡単な教えで一般民衆にも広まります。
特に浄土宗・浄土真宗・時宗・法華宗のように仏さまにすがる教えを他力本願といい一般民衆に。臨済宗・曹洞宗は自分で往生への道を拓く教えを自力本願といい武士に広まりました。

【その後の仏教】

室町時代になると室町幕府は禅宗をより丁重に扱うようになり、北山東山文化のように武家文化と仏教界の文化融合も起きました。

戦国時代になると治安悪化に伴い、どの宗派も武装するようになり、戦国大名を大いに悩ませました。

江戸時代になると、天下泰平がもたらされ、民衆を必ずいずれかの寺に登録させるようにしました。(寺請制度)家が必ずどこかの宗派に入っているのはこの時が始まりです。これにより仏教は一定の落ち着きを見せます。

しかし明治時代になると極端な欧化政策と神道復興が掲げられ、大規模な廃仏毀釈が起こります。これは個人的には自国の文化破壊という恥ずかしい歴史だと断じます。これにより生き残りをかけて大学などの教育機関を作ったり、社会福祉活動を始めたり、逆に組織改編や規模縮小などした宗派もあり、新興宗教として離脱、分派が出始めたのもこの頃です。

昭和時代の1945年宗教法人令が施行されると政治から規制されることは無くなりますが、高度経済成長や精神世界ブームなどに乗っかり、新興宗教の勢いが増したのはこの時期です。

とまぁ簡単にざっと流しましたが、それでもこの文字数になりましたw(2000文字)本当は詳しく宗派ごとに見ていきたいのですが、それはまた今度という機会にw


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