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濁世(じょくせ)に染まらず生きる

今朝(5.9.23)は、1時過ぎに目が覚めた。昨夜は、20時過ぎには床に就いただろうか。年寄りはそんなものか。5時間しか眠っていないが、充分寝足り感があった。こんな時は、起きて事務所に出向き、仕事をするに限る。
事務所で草花に水遣りをして、blogを書く。朝風呂に浸かり、眠くなったら仮眠を取る。
これがストレスのない私の日々の過ごし方だ。

ということで、徒歩2分の事務所に出掛ける。
小雨が降っている。気温は21度。今日は一日中雨模様、最高気温も25度にしかならないとか。
これからは、日中は最高気温が30度を超える日があるにしても、最低気温は25度を下回るとの天気予報だ。やっと、1ヶ月遅れの秋の到来だ。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。

珍しく、今日は何もアポは入っていない。週に1日はこんな日があってもいい。ボケっと一日を過ごすことにしよう。

「いしかわ観光特使事務局」からメールで、「第14回石川県人祭in東京」(於、ホテル椿山荘東京)の案内が届いていた。
10月19〜20日には1泊2日で金沢に出張する。10月27日(金)は何もアポは入っていない。早速、FAXで申し込みをした。

このイベントには、以前、私と同じ石川県出身の人からお誘いいただいて何回か参加したことがあるが、昨年は別の用事が重なって欠席した。
今回は、来年4月に就任する「いしかわ観光特使」の事務局からのご案内でもあるし、万難を拝してでも参加したいと思う。

人生70年を振り返ると、私は公私とも[若者たちとの交流]のなかで人生を送ってきたように思う。

若い時には、当然ながら同年代との交流がほとんどだ。
多感な高校時代、大学時代、同年代と青春を謳歌した。そして、そのおりの「応援」活動における若者たちとの交流が私の人生の背骨を形作ってくれて、今日の私がある。

そして、大学卒業後に勤めた安田信託銀行では、やはり、7年あまりの人事部での採用活動だろう。
担当業務は、採用(定時採用、中途採用、障害者雇用)と人事企画だったが、その中でも30代前半の定時採用が私の生きる力の根っこになっている。
私より10歳前後若い学生たちとの熱き交流だ。

バブルの最中だったこともあり、学生たちとはしょっちゅう飲みながら人生論を戦わせた。
また、昭和60年の「男女雇用均等法」施行のおりの女性総合職採用での苦い経験は、これが種火になって、第二生でのOUEN Japan のミッションに「女性の応援団」を加えた。

勿論、信託銀行だったから、「銀行と信託の違い」「器としての信託の機能のユニークさ」「金融機関の目指すべき在り方」等々の議論は当然だ。加えて、私の採用は一般の人事担当者とは異質なものだった。
それは、学生たちと人生論を戦わせ、私とともに働きたいか、そうでないか、という、人間同士のぶつかり合いの中で、安田信託銀行を選んでもらったことだ。

社会という"濁世(じょくせ)"の中で、その濁に染まることなく、ピュアな絹のハンカチとして生きていくことの大切さ。濁世の中で生きて、それに染まらず生きることでこそ、そのピュアさは清く、正しく、美しく、本物になっていくのだ。
純粋培養の試験管の中では、人間の成長はない(そのことは、44歳で安田を中途退職して、世間という冬の日本海に飛び込んだことで、自らの甘ちゃんを実感することになるのだが)。

そして、第二生を生きている今も、その想いはますます純度を増している。
若者たちとダッグを組んで、お互いの強みを寄せ合い、強い集団になって、この濁世を生き抜こうと思う。

若山牧水の詩の"白鳥"を自分に準えよう。

白鳥はかなしからずや
空の青海のあをにも染まずただよふ

ほとんどの人間は、濁世の中で、濁世に染まって生きている。そして、「濁世に染まって生きることが人間の成長だ」と思う。勘違いしている。

「人間として如何に生きるべきか」という本質志向をすることをせず、「忖度とか妥協とか、如何に世渡り上手に生きていくかということが『人間の成長』なのだ」と思うのだ。実に情けないことではないか。

人間として生きるということは、宝塚歌劇のモットーでもある、"清く、正しく、美しく"を絶えず念頭に置いて、心身両面を磨き続けることだ。
見た目の美しさは勿論、中身も清らかで凛としている、タカラジェンヌのような"素晴らしい人間性"を持った人間になることだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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