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愛娘と愉しいひと時を過ごす

外苑前の事務所の中の奥に、私だけの個室がある。狭い事務所を衝立てで仕切ってあるだけの”より狭いコーナー”であり、部屋と言う部屋ではないが、このコーナーが、妙に私には落ち着く場所になっている。
本棚に読んだ本や積ん読している本がある。壁には心したい偉人の箴言や中能登地域を色塗りした能登半島の地図、北海道で買い求めた富良野のラベンダー畑や羊蹄山の版画、長崎IRに絡んでいたおり長崎で買い求めた大浦天主堂のステンドグラス、半世紀前の私の神宮球場での応援の勇姿や孫たちの写真、愛娘と思って可愛がっている裕美ちゃんの写真等々が、壁に狭しと貼ってある。
男女ペアの阿波人形や草花を生けた花瓶もあり、狭いコーナーがますます狭くなっている。それは落ち着きがないと言ったら落ち着きがないのだが、私にはこれが一番落ち着く。”蓼食う虫も好き好き”ということだ。

昨日、積ん読してあった2〜3年前に読んだと思われる本を手に取って読んでみた。

『55歳からの時間管理術』〜「折り返し後」の生き方のコツ(齋藤孝著、NHK出版新書)。帯には「50歳では早すぎる! 60歳では遅すぎる!」

とある。

人生100年時代であるから、55歳くらいが人生の折り返し地点なのだろうか。ちょうど半分の50歳では早すぎるのか。60歳の還暦では遅すぎるのか。
55歳くらいが、役職定年の年代であり、体力の衰えも実感できる歳なのかもしれない。

そういう私は、まもなく72歳だ。55歳から17年も過ぎた。折り返し地点をとっくに過ぎた老人ということになる。
この本を読んで、私は気持ちだけは55歳より若いと思った。100歳まであと28年あるが、これからの人生は仕事=遊びだ。仕事を遊びにして、ダブルで生きようと思う。そして、東京と能登の二地域居住をすると、ますますそのダブルは充実したダブルになっていくだろう。

ダブルで生きるということはあと56年の人生を生きるということだ。あとは身体を騙し騙して、56年の人生を元気に明るく生きていこうと思う。

ちょっと考え方を変えるだけでも人生は若く生きることができる。幸せに生きることができる。
それに、現実に生活自体を変えることで、一層人生が面白くなっていく。

古稀は人生の折り返しだ。今までの70年の人生。これからのダブルの56年、それ以上の人生があるのだ。72歳でも、残りの人生は長く愉しい。

そう考えると、
「何を言っている。55歳なんてまだまだ若者ではないか」
と言いたくなる。

昨夕、私が愛娘と思って可愛がっている裕美ちゃん(安藤裕美さん、日欧フーズ副社長)が事務所にいらして、2階にある"ひごの屋"で一献傾けた。
彼女は、私とは親子ほどの歳の差がある異性だが、私は彼女とは自然体で何でも話すことができる、ザックバランに何でも話すことができる愛娘であり、友人であり、私を元気づけてくれる賢い女性だ。

来月は黄副団長と裕美ちゃんと3人で中能登町に行くことになった。
ふるさと納税の受納式に出て、そのあと来年のOUEN Japan信念会の司会のおりに彼女が着る和服の選択をする。
次の日は、レンタカーで中能登の観光地を見物することにしようと思う。

2人とも私の子どものような歳の異性だが、2人とも私の無二の友人である。
これも私が古稀という”古来稀なる歳”になったおかげだ。

人生70年古来稀なり。こころの欲するところに従えども矩を踰えず。

人生を一区切りして生前葬を行ない、一旦それまでの70年をリセットして、出陣式をして、新たに"仕事と遊びが折り重なったダブルの人生"を生きるのだ。

これからの100歳までの28年間はダブルで生きることで、56年を生きることになる。何と愉しいことではないか。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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