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ふたたび、"人生二毛作"

[論語為政篇]に言う。
子曰く、
吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

その意味は、
私は十五才で学問を志し、
三十才で学問の基礎ができて自立でき、
四十才になり迷うことがなくなった。
五十才には天から与えられた使命を知り、
六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、
七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった。

すなわち、
15歳を志学、30歳を而立、40歳を不惑、50歳を知命、還暦の60歳を耳順、古稀の70歳を従心と言う。

従心(古稀)を過ぎた71歳の私にとって、孔子の時代の"人生を全うした歳"になった(孔子は紀元前500年の人だが、享年は74歳だと言う。私もあと3年足らずでその歳になる。
長く生きたものだと思う)。

だから私は、古稀の歳(数え70歳)に、生前葬を執り行って一旦人生に区切りを付け、改めて第二の生を生きようと思い、同日に出陣式を執り行ったのだ。
これは一つの儀式であるが、結果として、私にとって単なる儀式ではなかった。この区切りは想像以上の意味があったと感じている。
「人生に対する考え方が変わった。人生の捉え方が変わった」と言うことだ。
勿論、即座に変わったわけではない。じわりじわりと、何かことあるごとに、人生に区切りを付ける"生前葬&出陣式"が生き方・人生観を180度変えてくれるという大きな意味があると思うようになったのだ。

私の戒名名刺の裏には、俗名である「小林博重」と「生前葬コンサルタント」の二つが記されている。
これは名刺作成を依頼した会社のオーナーの方が、「団長、名刺の裏には俗名のほかに、「生前葬コンサルタント」を入れましょう。生前葬&出陣式は人間の人生観を180度変えるだけの意味があるのですから、ことあるごとにそのことを皆さんに強く訴えるべきですよ。そうすれば日本は変わります」と言われて、そのアドバイスに従った(決して、「生前葬コンサルタント」を生業にしているわけではない。私が生業としているのは、「人のために、人と人をつなぐビジネス&ボランティア」である)。

第二の人生をスタートして1年半。11月で満2歳になる。第一生を振り返ってみて思うことは、「人生二期作はしたくない(実際のところ、できはしない)。やはり、"人生二毛作"がいい。だから、生前葬&出陣式を執り行い、第一生の経験をフルに生かすことで新しい別の人生を送りたい」と。

第一生の15歳、30歳、40歳、50歳、60歳に戻ってみたいと思う気持ちは全くゼロではないが、どちらかといえば、そうでない新しい人生を送りたいと思う。

青春に戻ると言うことは、それまでの七転八倒の人生が雲散霧消してしまうことになるからだ。そんなことは勿体無くて、私にはできない。やはり、第一生の七転八倒、紆余曲折の経験をフルに生かすことで、新しい作物をつくる"人生二毛作"がベストチョイスだと思うのだ。

今日から2泊3日で能登と金沢と富山へ出張する。
今までの白黒画面が少しづつ色が付いてきた。行く行くは、鮮やかな総天然色になっていくことだろう。

そして、昨日は、ことをなすために、喉に引っかかっていた小骨を穏やかな心になって、スッーと抜くことができた。蹴りを付けた。

言い争い、諍い、戦争は、それは皆、正義の名の下に、錦の御旗を掲げて戦い、相手を叩き潰すものだ。恨みのお返しは恨みでしかない。

Win loseのWinは永遠のWinではないのだ。永遠のWinとは、Win Winであり、それは Win Win Win、さらに Win Win Win Win・・・・・と永遠に拡がっていくWinでなければならない。

皆んなに、そんな Winを享受してもらう応援をすることが、[OUEN Japan]の大使命である。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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