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素晴らしい出会い

外苑前事務所で、ある人とある人をセッティングした。いわゆるビジネスマッチングだ。一方は私の信頼できる友人で、副団長も2度ばかり彼に会っている。他方は副団長の知り合いで、副団長から、「彼女のために、相応しい人をご紹介してあげてほしい」と頼まれた人だ。そして、私は今までに何人かの人をご紹介している。

昨日のセッティングは、副団長から「あの方とセッティングしてあげてほしい」と言われて、私は「それもそうだ。彼を思いつかなかった」と思い、実現させたもので、副団長のビジネスセンスがあってのセッティングだった。

私と副団長が初めての出会いは、今から2年あまり前のことだ。まだ会ってそんなに時間は経っていない。彼女は中国東北部のど真ん中の旧満州の中心地である哈爾濱(ハルビン)生まれ。哈爾濱から、今でこそ中国の新幹線でも5時間はかかる(当時はその倍、3倍はかかっていただろう)中国東北部の中心都市である大連に、着の身着のまま(とは言い過ぎか)で上京してきて、日本とのビジネスに出会い、それがきっかけで日本を好きになった。そして、10年前に来日して会社を起業し、日本でビジネスのベースをつくった苦労人だ。
私との歳の差は22歳。親子ほどの歳の差がある。

日本人と外国人
異性で、親子ほどの歳の差
まだ知り合って2年あまりと短い

そんな2人がなぜか気心が合って、3月から毎月、私のふるさと能登の創再生、地方創生のために、能登に出かけている。
私の場合は、能登はふるさとであり、ふるさとへの想いがあってのことであり、何の不思議はない。
しかし、副団長は中国人(まもなく日本に帰化する予定)で、能登はふるさとでもない。日本でお世話になった土地でもない。そんな縁もゆかりもない能登に出向いて、能登を創生させようとしている。
副団長は、「日本にお世話になっている。その恩返しをしたいと思っていた。それが団長のふるさと能登だったということ」とサラリと言う。ありがたい。奇特な人だ。心が美しい人だ。そんなことで、彼女にOUEN Japan副団長をお願いして、毎月能登へ出かけている。

ビジネスのありようはビジネスがイコールボランティアであるのが理想だと私は思っている。そうでなければボランティアは長続きしない。
きっと能登の創再生には、20年の長期間を要するだろう。ビジネスがベースのボランティアがWin Winの関係を構築することができて長続きする。そして、人もついてきてくださる。たくさんの人の力を借りることができるのだ。能登の創再生の応援という大義が人を惹き寄せるのだ。

ビジネスマッチングを終えて、2人で、私が常連にしている中華料理の三喜園で軽く一杯、夕食を共にした。この中華料理店は、中国東北部出身の人たちが経営し働いているお店のようだ。以前、副団長が初めて行った時、彼女が店員と中国語で会話して分かった。

ビジネスの話は人生談義だ。ビジネス≒人生、ボランティア≒人生だ。
人間生きていくためには働く(稼ぐ)ことをしなければならないが、働くことは人生修行。働いて人間は成長していく。稼ぐことは成長のための手段であり、あくまでも目的は人生修行をして心を高めることだ。
副団長とディスカスしていて、そのことを強く実感する。一つひとつの雑談が人間哲学の実践勉強のようだ。彼女は私のソウルメイトなのだ。

副団長と話していて、福岡本社のゼオライトの河村会長のことがふと脳裏を掠めた。
河村会長は昨年2月に身罷られた。私とは2年足らずの短いお付き合いだった。そんな短いお付き合いだったが、彼女には、私を殊の外、心に掛けていただいた。会長からの最後のメールを忘れることができない。

団長と、もっと早いお出会いがあったなら、沢山の思い出が残ると思うと本当に残念です。小林団長ご夫妻とのお出会いが、永遠に、いつまでも心に残ることと思います。
名誉会長(ご主人)もきつと天国から団長ご夫妻とお会いできること、楽しみしていると思います。日増しに寒さを感じるこの頃ですが、お身体ご自愛くださいネ。

私は、会長との出会いのありがたさ、必然さを書いて返信した。

森信三翁は仰っています。

「人間は一生のうち逢うべき人に必ず会える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに」

会長との出会いは必然であり、お会いした時期も遅くも早くもない、一番お会いするのに相応しいタイミングだったのです。
もっと早い時期にお会いしていたならば、私は今の私ではなく、会長からそんなありがたい評価をいただける人間ではなかったでしょう。全てはベストタイミング。天の仰せのままに私たちは生きているのです。
ありがとうございます。今この時に、会長にお目にかかることができて私は最高に幸せを感じています。

人との出会いは一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎず。その出会いというご縁を、それが袖振り合う縁であっても、それを太く、温かいご縁にするべく、人生を生きていきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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