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絶えず「恕(思い遣り)の心」を失わない

私の人付き合いは、「来る者は拒まず、去る者は追わず」がモットーだ。
私の友人や知人、および[OUEN Company]の皆さんが、多くのさまざまな分野の人たちをご紹介してくださる。
ご紹介いただく人たちは、信頼できる人たちからのご紹介だから、私は、全てのご紹介していただく人たちを快く受け入れようと思う。
それが「人の道」であり、「類は友を呼ぶ」の諺通り、私が信頼ができる人たちからご紹介された人たちは、きっと信頼ができる人たちだと思うからだ。

しかし、高校時代や大学時代の損得抜きの心友や親友とは違い、紹介されて私のところに来られる人の思いのなかには、真っ先に「ビジネス」がある。「損得」があるのだ。

私はそれを否定していない。私のビジネス&ボランティアも、私が培ってきた人とのつながりがベースだだからだ。
しかし、私は経営の才はないが、「ビジネスの基本」はしっかりと弁えているつもりだ。
私が信じていることは、「ビジネスの底辺には、『温かい人の心』がある」と言うことであり、古い人間かもしれないが、「その底辺には、人生劇場の『義理と人情』がある」ということだ。

すなわち、ビジネスを長続きするものにするには、その大前提として、ビジネスオンリーではダメだということだ。その人の「人間としての在り方」が問われるのだ。

昭和天皇は、昭和58年(1983年)の「五十歳誕生日会見」で、下記のように『論語』について言及された。

「好きな言葉に『忠恕』があります。論語の一節に、『夫子の道は忠恕のみ』とあります。自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神です。
この精神は一人一人にとって非常に大切であり、さらに日本国にとっても『忠恕の生き方が大切』ではないかと感じています」と。

昭和天皇は、「人としての在り方」を述べられている。
それは、「人として主義を一本貫くとすれば、それは『誠実さと思いやり』だ」と言うことだろう。

『論語』衛霊公にある。

子貢問ひて曰く、
「一言(いちげん)にして以て、終身之を行ふ可き者有りや」。

子曰く、
「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」。

すなわち、人間として一生行うべき道を一言でいえば、それは「恕(思い遣り)」である。人が欲しないことは、決してしてはならないのだと。

相手がどのような思いでいるかに思いを致して、その致した思いを行動に移すこと(考動すること)が、人としてのあるべき道であり、そうすることで、人間関係はスムーズになる。
そして、お互いが援けあう「理想の関係」になることができる。そうすれば、長続きする素晴らしい人間関係が構築されるということだ。

私は、今年になって、一つならず人間関係でギクシャクすることがあった。
その人たちは皆、心が曲がっている人たちではない。むしろ、他の人たちより「人間関係を大切にしている」と思う心優しい人たちだ。 

しかし、私は、彼らと一線を画してお付き合いしようと思うに至った。心からのお付き合いをしようとは思わなくなったのだ。

「どうしてそのように思ったのか」とずっと考えていた。そして、それは『恕の心』がキーワードだと思うに至ったのだ。

私がそのように思ったのは、彼らが「恕の心」が足りないと感じたからなのだと思った。
それも、ちょっとしたことではなく、肝腎要のところでそのことを強く感じたからだ。

相手の立場に立ってみたら、相手はどう思うだろうか。
その人が、私にしたと同じことを、私がその人にしたとしたら、その人はどう思うだろうか。
今していることは、「人間として礼儀に反したこと」ではないのか。
それは、「仁義にもとること」ではないだろうか。
それは、「行儀が悪い」ことではないだろうか。
それは、「筋が通っていない」ことではないだろうか。

その人たちは、そのことに思いを致していない。そのことに思いを致すような器量人ではないと、私の心がそう判断したのだ。

その人たちは、決して悪い人間ではない。逆に普段は、思い遣りがあるいい人なのだと思う。しかし、胆力がない人なのだ。

一般的に、人は、損得勘定が入ってくると、人間として一番大切なことが分からなくなってしまう。
どうしても、自分の損得を優先してしまうのだ。「先憂後楽」の精神を忘れてしまう。
そして、人のことに思いを致す「恕の心」を失ってしまうのだろう。
それは寂しいことではある。

そうであるなら、私は、その人たちとの付き合いは、それなりに、可もなく不可もなく、淡々としたものにしようと思うに至ったのだ。

中村天風師の「絶対積極」の精神を持つことだ。

怒らない。
恐れない。
悲しまない。

そして、稲盛和夫さんの「6つの精進」の6番目の「感性的な悩みをしない」ことだ。
瑣末なことに拘泥して心を悩まさないことだ。
この世で私がしなければならないことは、まだ山ほどある。

私はこれからも、前向きに、ネバーネバーネバーギブアップ、絶対積極の精神で生きていこうと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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