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"我慢する"から"心穏やかに"へ

[我慢(がまん)]について考える。

「我慢」とは、自分の感情や欲のままに行動することを、抑える、耐えるといった意味があります。

つまり「我慢できない人」と言えば、そのようなことができないわけで、自分の感情、欲望のままに動く人という意味になります。

ですから、人に面と向かって「あなたは我慢というものができない人だ」などと本気で言いますのは、相手の人間性を批判していることになりますので注意が必要です。

子供などのしつけで「我慢をしなさい」などと言うことはありますが、大人に言うのはなかなか難しい言葉でもあるのです。

しかし「我慢ができない大人」というのは案外多いものです。

他には「お金がないので買い物はしばらく我慢する」「ダイエットをしているのでお菓子を食べるのは我慢する」「もう我慢できない」などと使います。

[我慢]
1.耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。
2.我意を張ること。また、そのさま。強情。
3.仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。


また、山本五十六元帥の箴言を思う。

苦しいことも あるだろう
言いたいことも あるだろう

不満なことも あるだろう
腹の立つことも あるだろう
泣きたいことも あるだろう

これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である

私は一本気のところ、気が短いところがあって、なかなか、"我慢"をすることができない人生だったように思う。
その極みは、44歳6ヶ月で安田信託銀行を中途退職したことだろう。
しかし、山本五十六元帥の箴言にもあるように、苦しいこと、言いたいこと、不満なこと、腹の立つこと、泣きたいことがあっても、これらを"じっと堪えて生きる"ことが男の修行であり、それが男の中の男なら、私は男ではない。やはり、"我慢"することが必須なのだろうか。
一本気の自分は、なかなか、その"我慢"ができないのだ。

そんな矛盾を心の中に持って生きていたような気がする。

とにかく、"我慢"するとストレスが溜まる。我慢することは何もいいことはないと思う。本音を言えば、それが真の男の生きざまなのかと思う。やはり、我慢することをしたくない。
しかし、人間らしく生きていきたい。

昨今、ハラスメントのニュースが頻繁にある。昔はそうでもなかったように思う。
最近の世相は殺伐としていて、人間はイライラ、ストレスの塊になっていてハラスメントが多いのだろうか。
昔から頻繁にあったが、世の中、グッと堪えることをしない時代になって、それはそれでいいことと思うが、みんな、それが表に出ることを躊躇しなくなって、ハラスメントとなって、ニュースになるのだろうか。

私は、自分のことを考えても、"我慢は良くない"と思う。しかし、当たり前だが、人さまにご迷惑をかけてまで我が儘を通すことはあってはならない。欲望の赴くままに生きることは決してあってはならないことだ。やはり、山本五十六元帥の、"がまんをしろ"と言うことになるのか。

俺が俺がの我を捨てて、
おかげおかげの下で生きよ

瞬間湯沸かし器のようなところがある私だが、歳を重ねたこともあるのだろうか。最近つくづく、"こうありたい、こうあらねば"と思うようになったことがある。

それは、"心穏やかに"と言うことだ。我慢するのではない。物事を心穏やかに見つめること、思ったことをストレートに言動に移すのではなく、グッと堪えて(それが徐々に自然体になっていけばいい。最初はグッと堪えても、それが習慣化すれば自然体になる)、"心を穏やかにして"、一呼吸、二呼吸置いて、行動に移すことだ。
最近あったいろいろなことから、そんなことを思うようになった。

この前、本棚を整理していて、2年以上前だろうか、読んだ本にふと目が行った。
それは、"〜人生100年時代を歩む知恵〜心穏やかに。"
不安や焦りを手放し、心身を最高の状態にする「生き方」「考え方」〜"

小林弘幸(順天堂大学医学部教授)、齋藤孝(明治大学文学部教授)共著。プレジデント社刊だ。

頭の中では、この本を読んで分かっていたのだろう。しかし、血肉になっていなかった。やはり、凡人の私は経験を通して、そして、本から学ぶことをしないと血肉にならないのだろう。

ビスマルクの箴言を再度強く思う。

愚者は経験に学び、
賢者は歴史に学ぶ。

71年も歳を重ねて生きてきたのだから、これからは、素直な心で、経験からも、歴史からも、学んでいかなければならないと思う。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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