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残した食事も諦めて

友人の結婚式に参列したものの、出された食事の2割ほどしか食べられなかった。
結婚式の知らせが届いたとき、一番に頭に浮かんだのはコース料理のことだ。

完食したのはたしか、前菜のワイングラスみたいなガラスの器に飾られた生魚と謎のソース、それから飲み慣れない味のコーンスープ、ウーロン茶、食後のジェラート。

新卒時代に社長に連れられた中華のコース料理を思い出し、微妙な気持ちになった。


昔はいわゆる会食恐怖症で、人との食事が緊張して苦手なのだと思っていたが、だんだんとただの嘔吐恐怖症だと気付いてきた。

そもそも私がこんなことになったのは中学生の頃に、人前で吐いた経験からなのだが(下記の記事に詳細あり)、

それがまさか向こう10年以上引きずることになるとは思わない。

少し前にビル一棟丸々の巨大書店をうろついていたら、「吐くのが怖いがなくなる本」というのが目についた。読めば読むほど全部自分のことだったので、なるほどと納得して、それから諦めがついてきた。
タブレット菓子やエチケット袋を持ち運ぶのは、嘔吐恐怖症のあるあるだと書いてあって、高校時代から持ち歩いているエチケット袋のこと、数年前から持ち歩いているラムネ菓子のことが、知らない人に見透かされているようで気まずかった。

周りがみるみる皿を空け、次の料理が運ばれていくのを、居心地悪く見ていた。口に運ぶフリをしても、一向になくならない料理が嫌だった。頼むから早くこの皿を下げてくれ、と気が気でない。当日の朝に調べた食事終了の合図(カトラリーを右斜め下に揃えて置く)は、案外伝わらず、私の周りだけ料理が滞るたびに、皿を下げてもらうよう頼んだ。

ほとんど食べられなかった食事も、申し訳なさも気まずさも、もうどうでもいいか、という開き直りがぼんやりあった。自分を諦めて生きていくことも必要なのかもしれなかった。

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