音楽やエンタメに生かされ続ける
日食なつこさんの『音楽のすゝめ』を聴いて欲しい。
聞いたことも無かった感染症の名前がもうすっかり耳に馴染んで、
気付けば今のような状況になってから優に1年を超えていた。
昨年の2月頭くらいだっただろうか
はじめは「海外でなんだか流行病があるらしい」「大変だね」「怖いね」なんて言っていたのに、もしかしてこれってもう他人事じゃないんじゃ、と思ったときにはもう、あっという間に日常は変化してしまっていた。
あれよあれよという間に外出は危ぶまれ、毎日感染者数がニュースで読み上げられる。
トイレットペーパーは品切れになっちゃうし、マスクが手に入らないことも長く続いた。家にあるマスクの残りが1枚、また1枚と減っていくのを、漠然とした不安感を持って眺めていた。
小さい頃「世界一受けたい授業」で特集されると不安でソワソワするしかなかった、恐ろしい感染症が自分のすぐ近くにいるのだ、ということ。
案外現実は凄いスピード感でやって来て、脳が考えるのをやめる。
毎日は出来るだけ日常を維持しようとしながら続いていく。
異常が日常になっていく。
いつでも会えると思っていた人にはもう、1年以上会っていない。
「お金があったら、時間があったら、心に余裕があったら。」
そうやって後回しにしたことすべて。
「好きだけど、気になるけど、いつでも出来るし、まあいっか。」
でスルーしてきたものがすべて、全然当たり前じゃなかったんだと知る。
「人は失ってから、失ったものの大切さに気付く」とは本当によく言ったもので
大人になってから、このような数多の場面で擦り切れるほど耳にした言葉たちが、案外嘘ではないことを思い知る。
私はずっとずっと、音楽やエンタメに支えられて生きてきた。
不要不急、生命維持に必要不可欠ではない、という扱いを今現在受けている音楽に、芸術に、エンタメに、生かされている人間は確実にいる。少なくとも私の周りには。
人間は三大欲求を満たされただけでは生きていけない。
心がある私たちは、体が健康なだけでは生きていけない。
それでも、まずは健康体でなければ、享受することすら出来なくなる。
休館。
休業。
少しの希望を持って申し込んだ公演。
延期。
やっぱり中止。
収容人数の削減。
歓声の上げられない舞台。
仕方のないこと。分かってはいる。
でも、なんのために生きているのか分からなくなる。
生きるために我慢をしているのか、我慢をするために生きているのか。
だけど人間って思いのほか順応性が優れていて、長いこと生ものに触れていないと、
もう自分が「それ」が無くたって生きていけるんじゃないかとふと思う。
もしかしたらもうこの先、そういうものに触れなくても生きていけるかも。
お金だって掛からない。それなりにやれているし。
そんな気分のとき、出会ったのがこの歌。
短い夢を 朝が来れば幻と化す夢を
後先もなくかき集めてしまう 馬鹿な僕らでいようぜ
ストンと自分の胸に真っ直ぐ落ちてくる歌声で、このフレーズから曲は始まる。
身に覚えがある。
音楽やエンタメにいくら心を動かされても、涙を流して歓喜しても、日常に戻れば全て霧となってしまうこと。あれって現実だったのかな〜って思う瞬間。
「かき集める」という表現の通り、きっと私たちは必死になって全力で受け止めていた。
美しい姿ではないかもしれないけど、一度夢を知ってしまったら、もう夢がない夜なんて退屈過ぎて耐えられない。
濁流のような渦の中 押し流されそうな記憶を
腕1本で 指1本で 保ち続けるお前に幸あれ
日食なつこさんが掲げたこの『音楽のすゝめ』という旗を、私は確かに目撃した。
自分を支えてくれた色んなものを、決して不要だなんて思わないし、ちゃんと好きで居続けたい。好きだった気持ちを忘れたくない。
そういう風に思える歌だった。
また絶対、みんなで夢が見たい。
『音楽のすゝめ』YouTubeの概要欄を是非読んでください。
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