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「気の持ちよう」なんだから

すごく眠い。

真夏のくせに雨ばかりの淀んだ天気、生理前。いぬが来てからは夜中や朝の5時前に起こされることも少なくない。思い当たる節ばかりだ。

もうずっと前から眠いまま。8年前くらいからずっと眠い感じがする。それは座学の授業中だったり、登下校の電車やバスの中だったり。昼食後の仕事中だったりした。先生の声で目が覚め、駅員さんに終点で起こされ、鳴り響く電話のベルに起こされてそのまま電話を取って。

泥のような日々、いつでも眠気、眠気、眠気、、、本当は何時間でも眠っていたい。どうでもいいことばかりの世界で、寝ている間はなにも考えなくて済む。流れてくる夢を眺めていればいい。布団の中が世界で一番平和で、安全な場所だ。


気持ちの浮き沈みが激しく、ふとした瞬間に涙がぽろっと落ちて、何に対しても無気力で、不安で気がおかしくなりそうな夜があるのは、「気の持ちよう」なんだと家族は言う。
「メンタルが弱すぎる」「そんなんじゃ生きていけない」「気持ちで負けてる」と。全部本当のことだ。昔から打たれ弱いし、自分のメンタルが強いなんて思えたことはない。気持ちで勝つってなんなんだろう、そこまでして守りたい矜持が私には無い。みんなはあるんだろうか、あるから大丈夫でいられるんだろうか。

「気の持ちよう」で全てが解決するならば、じゃあ結局それは、気持ちをコントロールできずに持て余すことしかできない私のせいなんだな、と思う。私はよく一人で泣く。こういう意味のない文章を打っているときもそう。こんな形で全世界に晒しておいてなんだけど、それでも近しい誰にも本当の気持ちを言語化して伝える気はない。そうしたら私はきっとその人の前で泣くことになる。それは自分の中では人に見られながら排泄するのと同じくらいの、本能的な嫌悪感がある。

いぬを前にして自分の心の中を口に出そうとしたことがあったけれど、それは音にならずに、自分の胸中で渦巻くままだった。泣くとか泣かないとか、そういうことじゃなくて、想いを声に出して伝えることが凄く下手だった。

絶対に失いたくない「矜持」が私には無いと先述したけれど、「大丈夫だと思われる自分でいること」が私のそれなのかな。誰にも「大丈夫?」なんて言ってほしくなくて、ひとりで生きられそうだねって思っていてほしいのかもしれない。

心療内科に行こうかな、と冗談半分で何度か口に出したことがあるけれど、「薬漬けになる」「気の持ちようだよ」「そんなんじゃこの先、生きていけないよ」みたいなことを大抵言われる。

突如辞めて行った元同僚は、去り際に「そのままじゃ、この先どこにも通用しない」と言われたらしいけど、辞めてからの彼女は生き生きしていた。学生時代に働いていたメイド喫茶でまた働いているらしかった。誰にでも出来る仕事じゃない、きっとあの世界が彼女の居場所だったんだ、と直感した。地味なスーツが似合わない子だったから。


じゃあ私の居場所は、一体どこにあるんだろう。

どこだったらしっくり来て、なにを柱にしたら上手く立っていられるんだろう。誰かと何度眠れない夜をインターネットで共に過ごしても、何度寝泊まりして沢山笑い合っても、結局私は私と向き合って、大切にしなければもう、どうにもならないところまで来ている。みんなきっとそうやって生きてる。落ちるたび人に掬い上げてもらうか、時間経過で薄れさせるしか術が無いなんて、そんなことに気付きたくはない。


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