無職になるための、ケジメの菓子折り

2ヶ月半前、仕事を辞めた。今も無職のまま。

昨年に新卒で入って1年2ヶ月。たったの425日間。あっという間だった気もするし、地獄のように長かった気もする。
コロナの影響ではなく、こころに限界が来て「辞めます」と自分から言った。

退職代行も真剣に考えたけど、これ以上自分のことが嫌いになりたくなくて、自信を失くしたくなくて意地で踏みとどまった。


人数の少ない会社で、社長は歳だけ重ねた赤ちゃんみたいな人だった。
社長の機嫌に振り回され、お喋り好きで気に入らないことがあると分かりやすくムッとするし、昔話が好きで、人の気持ちが分からない。

私の直属の上司はいつも一人でキャパオーバーの仕事を抱えて走り回る教育係のNo.2。
みんなの前で怒られるその人を何度も見ていた。威圧的に怖い顔で大声で罵る社長。かと思えば急にコロッと優しいことを言う。まるでDVしてくる人間みたいだと思っていた。

自分が怒られているわけじゃなくても、怒りや悲しみで涙が出そうになった。
社長がいると「自分もいつかああいう風に怒られる」という緊張感でいっぱいで、昼休憩やお手洗いで不在になった瞬間に、全員が息を吐き出すような場所。
あの人がいると上手に呼吸ができなかった。


最初のうちは良かった。教育係の上司が間に入っていたお陰で、私は結構頑張れた。
案外勘が良くて仕事もうまくできていたし、仕事内容もそんなに苦じゃなかった。でも職場の張り詰めた空気は相変わらずで、同期や同僚が一人、また一人と去っていった。

退職ラッシュのとき、私は退職代行会社を名乗る電話を2回とった。空気は最悪で、昼休憩のパン屋で初めて泣きながら友人にLINEをした。それが秋頃。


なんとか続けていたら年が明けて暫く経って、仕事の幅が増えると同時に、社長から直で降りてくる仕事の比率が増えていった。

そこからだんだんダメになった。
「怒られるかもしれない」と思うといつもより仕事が遅れた。疑問点は社長に聞けないので不在の隙を見て上司に確認した。社長には何も教えてもらえないから。

何を聞いたら何を言ったら、何が原因で怒るか分からない。地雷原を歩いている気分。非効率もいいところだった。


今思えば、怒られたって知るもんか!ともっと強気でいられたら良かったのに、私は社長の目を見れば条件反射で涙で出てくるのを堪えるのに必死になって、追い詰めるように叱りつけられると頭が真っ白になって何の言葉も出なかった。それが余計に社長を怒らせた。
仕事ができる方だと勘違いしていた自分が情けなくて、せめてみっともなく人前で泣くことだけはしたくなかった。

限界だと思った。

とにかく1日だけでも逃げ出したくて、仮病と迷って結局上司にはそのままの事情を伝えて欠勤した。
「今日病院行く予定なの?」と電話口で問われて、私の心は病院に行かなければならないほどなのか?これはそこまでのことなのか?と唖然とした。
そのあと社長にも電話で具合が悪い旨(上司と示し合わせて仮病にした)と欠勤することの謝罪を伝えたら、「知恵熱でしょ!明日には来れるよね」というようなことと、なんだか忘れたけど社長は自分の話をし始めた。何も覚えていないけど。

まるっきりいつも通りの社長の態度に、たまたま休日だった母に隠れて布団で泣き続けた。Safariの検索履歴は「仕事中 泣く 治す方法」とか「心療内科」「退職代行 リスク」とかそんなのばっかり。

なぜかその日は午後のロードショーを見ながら、母と出前のお寿司を食べた。

同日の夜 退職届を書こう、と意気込んだのに、家に丁度いい便箋がなくて諦めて、結局次の日いつも通り出勤して上司に辞めますと伝えた。
人の入れ替わりが激しい会社だったから、人がいなくなる事に慣れていたんだろう。引き止められたりすることもなく、そこからは拍子抜けするくらいスムーズに、あっさり最終出勤日がやってきた。


菓子折りを最後に社長に渡す際、こんなのいいのに〜という社交辞令が鬱陶しくて、「いえいえ。ケジメなので!お世話になりました。ありがとうございました!」と言って菓子を押し付けてタイムカードを切って帰った。最近仲良くなった同僚のとの別れだけが寂しかった。

帰り道、社長のLINEアカウントを速攻でブロックした。


家に帰って菓子折りを渡した時のことを家族と話していたら、「そこはケジメじゃなくて、気持ちなので、でしょ!」と言われて気付いた。

最後の最後に本音が出てしまっていたらしい。

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