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新刊情報『古代中世文学論考 第50集』(新典社 10月発売予定!)

古代中世文学論考 第50集 | 株式会社 新典社 (shintensha.co.jp)

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・この秋に刊行される、私の新しい論文《「類型」としての「例の・・思ふ人」話法》についてご紹介します。


♢拙論のタイトルと、内容の目次

[タイトル]
圷美奈子
「類型」としての「例の・・思ふ人」話法
~『枕草子』「関白殿の、黒戸より出でさせたまふとて」の段の事件年時と、藤原道長~


[内容目次]
第1節 はじめに~「みやこどり」に「言問ふ」わけ
 ・『伊勢物語』九段「東下り」の「思ふ人」(作中歌)
 ・「思ふ事」の文学として~『枕草子』

第2節「思ふ人」のまこと~作品内、二つの日記的章段をめぐる新しい解釈
 ・「鳥のそら音」の段における、「思ふ人」話法
 ・「黒戸」の段の本文について
 ・章段の全文

第3節「黒戸」の段の事件年時~章段解釈に基づく提言
 ・「日記的章段」中の清少納言~「新参期」の特徴とその後
 ・機知的応酬としての定子の言葉(「例の思ふ人」)
   章段の構造(図示)~三段構成~

第4節 従来の諸説と新しい解釈
 ・「栄華」と「専横」
 ・「いと物々しう清げ」~伊周像

第5節 おわりに~歴史修正的「歴史読み」の問題性について
注記

♢拙論の要旨

 本論は、『伊勢物語』9段「東下り」の作中歌として名高い在原業平の「名にしおはば」の一首がそれ自体、まだ見ぬ理想の恋人、すなわち「思ふ人」を、「人が多く集まる都」に探し求める詠歌であるという発見によって開始します。その上で、「目に見え心に思ふこと」を書き集めた「思ふこと」の文学でもある、随想の作品『枕草子』の「思ふ人」についてまったく新しい考察を展開します。
 中関白・藤原道隆にひざまずく藤原道長が描かれて、従来、注目されている黒戸くろど」の段を取り上げ、清少納言の「道長びいき」を揶揄やゆしたものとみなされている定子の「例の思ふ人」という発言をめぐって新しい解釈を提示します。新参期の清少納言が定子に対し直接、しかも繰り返し(道長の)話をするとは考えにくく、従来、その「断層」が意識されたことはありませんが、前後の場面との関係からも、ここは、後年の「後日譚」とみるべきところです。
 『枕草子』の真骨頂たる、これも「機知的応酬」の一例として、当該場面の事件年時に関する従来の説の見直しを行うとともに、この折の定子の発言が、他の章段で交わされた「思ふ人」談義を踏まえるものであることを明らかにします。それは、『枕草子』中に散見する、「思ふ人」を「直接褒めない」話法であったのです。定子亡きあと「この世をばわが世とぞ思ふ」と詠むことになる道長の「性情」を端的に言い当てるものとして、清少納言の心にあるのが、道長などではなかったことも了解されます。

(注:能因本の本文「例の思ふ人」は、三巻本では「例の思ひ人」とある。本研究においても、これまでどおり、どちらか一方によってのみ成立するのではない、「能因本」と「三巻本」併読の見地に立つ解釈を提示します。)


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