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トラウマ治療受診に向けたメモ 母親がいた頃編

トラウマ治療が受けられる病院を予約しました。
いきなり行っても上手く話せないのでここにまとめておきます。

とりあえず書きなぐりなので後から加筆修正するかもしれませんし、疲れ果てて放置するかもしれません。

ー家族構成ー
母親 専業主婦
父親 飲食店勤務
妹 私が5歳の頃に出生

私が4歳のころまで自宅保育だったことと父親が飲食店勤務で土日や夜が仕事だったことからほとんど母親と2人で過ごしていた。

【虐待ではないかと思うこと】
・怒鳴られて泣くと「うるさい気持ち悪い泣くな」とさらに怒鳴られ殴られる
・抱きつこうとすると「うっとおしい」と遠ざけられる
・妹のことをかわいがり、「産まなければよかった」「お前は失敗作だから妹のことはきちんと育てる」と面と向かって言われる。
・しつけのために包丁で脅される
・叱られると反省のために寝室に閉じ込められる

ー生育歴ー

小学4年の時に友達と上手くいかず学校を休みがちにになった。担任が玄関の前まで迎えに来て泣き叫んで抵抗したが母親は助けてくれず手を引っ張られて学校へ連れていかれた。

この時期に父親は朝帰りを繰り返し、職場のバイトと不倫していることがわかった。それから真面目だった母親は家事をせず、ゲームセンターで金を使うようになった。

母親にはゲーセン友達が出来て、私もその子供と遊んでいた。街の色んなゲームセンターを回るうちにとあるゲームセンターの19歳の店員と母親が不倫関係になり、ゲームセンターの営業が終わってから遊ぶために毎晩のように連れ回された。最初は父親が帰ってくる23時頃には帰宅していたが、段々と日付が変わってから、朝までと時間が伸び、昼夜逆転の生活となった。

その後両親は離婚、1度宮崎県にある母親の実家で暮らしていたが半年ほどで祖母と折り合いが合わず元いた徳島県へ母親と妹との3人で戻りアパートで暮らした。私が小学5年、妹が幼稚園生の頃。母親は昼間働き、その間の面倒はゲームセンターの男(以下交際相手)がみていた。

交際相手は時々キレて暴れた。怒鳴ったり殴ったりした。何ヶ月かたつと交際相手が母親と妹の部屋、交際相手と私の部屋を分け、それぞれ交流することを禁止した。交際相手が居ない時でも、その部屋から出ては行けないと言われていた。怖かったので従うしか無かった。

母親がいない間、交際相手による性暴力が始まった。「16歳になったら結婚しよう」と言われていた。嫌だったしありえないと思っていたが日が経つにつれてどうでも良くなった。一生奴隷のような生活が続くのだと思った。母親は気づいていたが、「もう生理も始まったんだからきをつけろ」と言うだけだった。

母親は仕事を転々とし、お金がなかった。交際相手が割った窓ガラスも修理できず、ビニール袋でふさいだだけだった。家に食べるものがないので、給食で余ったふりかけやジャムをこっそり盗んで帰って食べた。母親のバイト先ででた廃棄のパンをゴミ袋からあさって食べた。

小学校は制服だったが、全ては買って貰えず似たような服を着て誤魔化した。体操服は買って貰えなかったので体育の授業は出たことがない。運動会も見学した。

母親は廃人のようになっていたので、妹の幼稚園の送り迎えは学校の行き帰りにわたしが行った。

そのような生活が続き、再び母親の地元へ戻った。実家で母親が交際相手とメールで「結婚しようね」と言っているのが見えた。それから少しして、母親は割れた窓ガラスを修理するために1度徳島へ行ってくると言った。2週間で帰ってくると言ったが、それきり母親とは音信不通となった。



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