おはようと おやすみと
習慣にしていること、あっただろうか。
というか「習慣」ってどういう事だっけ。
今、決まりのようになっていることは
朝晩、手を合わせて祈ること。
コロナ禍で帰れなかったお彼岸から
なんとなく続けています。
* * *
朝はおはよう、夜はおやすみと言う。挨拶の延長で手を合わせる。
まず父母、そして亡くなった祖父母たちの顔を思い浮かべ、皆が元気であるよう祈る。
お供えは おやつに食べたいものを買い、
リラックスしたい時はアロマ的にお香を焚いて。
適当に ささーっとする日や、
忘れて持ち越す日もある。
劇的な変化は感じられない。
どんなに祈ったって
こんな事が起こるなんて聞いてないと
不甲斐なくなる時もある。
ただ、なんとなくだが
手を合わせて目を閉じる時、
すっと落ち着く瞬間がある。
そして祈りの場所に向かって手を合わせるのが、なんとなく気持ち良い。
この「なんとなく」の心地よさがあるから続けているのかな。
* * *
意識しないで出来ていることは
最初は意識していた日があったわけで。
それを当たり前にやっている今は、
過去の私が繋げてきたもの。
朝、化粧して出かけるとか
そういう小さなことも全部、
自然すぎて見えなくなっている事は
実は探せばたくさんある。
習慣は、私が少しずつ作った
私だけのお守りなのかもしれない。