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来訪者、カメムシ。

家の中に他人がいる。

田舎では、そんなことがよくあった。

一人暮らしの長い僕のような人間は、その状況に楽しさや、居心地の悪さや、心地よさや、所在なさなんかをいっぺんに抱いて、なんだか複雑な気分だった。

僕の祖母は、町内でも指折りの顔の広さなのだという。

ちょくちょく近所に夕飯の余りを持って行ったり、知り合いを家に招いたりしていた。

家の前で井戸端会議が始まることなど、しょっちゅうだった。

気づいたら、知らないおっちゃん二人とコタツで談笑、なんてこともあった。


しかし来訪者はそれだけではない。

それがやってくるのは大抵、僕が部屋で作業をしている時だった。

バチッという電気が小さく爆ぜたような音。あるいは何かが唸るような低い振動。

そのとき、僕の体は固まってしまう。

背筋に鳥肌が駆けていく。

怯えた小鳥のように周りを見渡す。みつける。

黒い小石のようなものが、窓にへばりついていた。

来訪者の正体は、カメムシだった。


祖母の談では、去年もそんなことがよくあったのだという。

「網戸にいーっぱい、くっついとってん」
祖母は眉をひそめた。

田舎ぐらしの長い彼女のような人間でも、それは異様な光景だったようだ。

僕はこのあいだまで、半月ほどの期間を金沢の両親のもとで過ごした。

ひととおりの用事を終え、田舎の家に帰ってきたとき、祖母は待ち焦がれていたかのように喜んで出迎えてくれた。

夕食を食べ終え、荷物を二階の自室に運んだ。

「嘘だろ?」

部屋の灯りをつけようとした僕は、はげしく動揺した。

窓。ブラインドの隙間から射す夕日。それに照らされる小石5つ。

部屋には5匹のカメムシがいた。

5匹。人間で言えば、一世帯くらい。

つまり留守中、僕の部屋でカメムシ家族が一家団欒というわけだった。

(ちなみに次の日、追加で2匹みつけた。1匹踏んだ)。

それはもはや家の中に他人がどうこう、という次元ではなかった。

どちらかというと、僕のほうが他人だった。


僕は一旦ドアを閉めて考えた。

『どうも、におうな』
そう感じた。

いや、決してカメムシの放つ悪臭とかではなく。たしかに臭いけど。百倍濃縮キュウリエキス配合。みたいな匂いするけど。


機関の独自調査によると、カメムシはわずか2ミリの隙間さえあれば、光や暖かさを目指して屋内に侵入してくるらしい。

しかし、いかにそんなカメムシと言えど、無人の部屋にまで入り込むだろうか。

そこには光もなければ、暖かさもない。

状況を整理した僕は、こう結論づけた。

『きっと、祖母が僕のいない期間、使われていない部屋を貸し出し、カメムシから不動産収入を得ようとしていたに違いない』

その悲しい真実に行き当たったとき、僕はそこはかとないやるせなさを感じた。

資本主義、魂の包摂はこんなところまで入り込んでいるのか、と。

僕は虚しさを覚えつつ、カメムシ一家を優しくティッシュでくるみ(衝撃を与えると悪臭を放つ)、彼らをゴミ袋の中へ移住させていった。

その後、契約書の控えなんかがないかどうか、家中を探し回った。

しかし、証拠はどこにも見当たらなかった。

それは巧妙に隠されているに違いなかった。

今後も祖母とカメムシの動向を注意深く監視しなければなるまい。

そう考えると、僕はとても孤独になった気がするのだった。

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