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いくつになっても、孫は孫。

93歳になる祖父のことについて書く。

僕が石川の田舎で暮らし始めて二ヶ月。その期間のほとんど、祖父は『デイサービス』という謎の施設に収容されていた。

祖父いわく「わしゃ、働きにいっとるんじゃ」。

ずっと座っているとのことだったので、たぶん手編みのセーターなんかを大量に生産したり、焼きサバ弁当のサバの骨を取り除いたりしているのだろうと想像した。

しかしそれは目や耳や足の具合が良くない祖父にとって、かなり大変な作業になる。

彼は彼なりに日々頑張って、『デイサービス』と向き合っているのだろうと思った。


先日、その祖父が半月の『デイサービス』行きから帰ってきた。

僕はその前に金沢に滞在していたため、彼とは実に一ヶ月ぶりの対面だった。

そのときの開口一番の言葉。

「おまえ、アヤトか。アヤト、あんまりちんこいもん、いじめんとかな」

その一瞬、フリーズ。

僕の脳に届くはずの酸素が途絶え、心臓は鉛のようにかたまり、そのとき隣にお医者さんがいたら、僕を仰向けに寝かせて、心肺蘇生処置を始めていたかもしれない。

祖父は僕に「下の弟や妹をいじめるのも、ほどほどにな」ということを言ったのだ。

その覚えのある、フレーズ。

僕の中にふたつの考えが浮かんできた。

「じいちゃんのなかでは、僕が28歳になった今でも、まだ10歳そこらの孫のまんまなんだな」
ひとつはそれ。そして、もうひとつ。

「僕はそんなに、弟妹をいじめてたっけ……」
少なくとも、彼にはそう視えていたということだ。それが妙にショックだった。


今回、帰ってきた祖父は一週間ほど家に留まり、泊まり込みの『デイサービス』を休めるとのことだった。

もしかすると、サバの収穫数が芳しくないのかもしれない。

祖母は毎日、祖父の予定が書いてあるカレンダーを眺めては、次のじいちゃんの泊まり込みはいつからなのか、今日はおやすみか、明日はどうか、などの情報をつぶさに報告してきた。

正味、なんども聞かされるこちらとしては、ちょっとうんざりしていた。

なにせ祖母は声も大きい。

耳の遠い祖父には補聴器が必要だったが、祖母には音声出力のボリュームを抑えるなにかしらが必要だ、とも思った。

その『ちょっとうんざり』に気づいてしまってから、「しかしこれは孫であること特有の心のざわめきなのかもしれないぞ」とも思った。


それに、イラッとすることもしばしばあった。

たとえば、僕が昼寝をしていたときのこと。

その日はよく晴れていて、陽光がよく届く二階の寝室では、日向ぼっこに似た穏やかな時間が流れていた。穏やかな静寂、穏やかな呼吸、穏やかな夢。

なにかの物音が、僕の意識をひっぱり上げた。

なにしろ古い家なので、誰かが階段に足をかけると、板張りの小舟がかしぐような音がする。

右に、左に。右に、左に。
小舟はそうして波に揺られながら、ゆっくりと目的地に近づく。

僕は息を潜めて、その気配を聞いていた。

つづいて、扉が開く音。たっぷりと。時間をかけて。

「アヤト、おまえ邪魔ないんか?」

祖父の声がした。

僕は、寝たふりを決め込もうか迷った。

「あったかくしとるんか?」

どうやら祖父は僕が寒い思いをしていないかどうか心配して、わざわざそれなりに急な階段を登ってまで、様子を見に来てくれたようだった。

というのも、僕は子供のころ寝相が悪く、寝ているときに毛布や掛け布団をよく蹴飛ばしていたかららしい。

「大丈夫やよ、じいちゃん」
孫然とした調子で僕がそう言うと、彼は「ほうか、ゆっくり寝とけよ」と言って、よたよたと一階に戻っていった。


こんなこともあった。

夕方、執筆作業の区切りがつかず、二階で作業机に縛りつけられていたとき。

ふいに一階から、祖父母の話し声が響いてきた。

「おかあ、アヤトはごはん、たべんのか?」

僕はちらりと時計をみる。
時刻はまだ16時半だった。

僕が居間で爪を切っていたとき。

「アヤト、爪切りにいいがん、あれんぞ。待っとれよ」

15分後。僕が手渡されたのは、年季のはいった回転式電動爪ヤスリだった。

回転式電動爪ヤスリは、咽び泣くような音をたてて、僕の爪を削った。

僕が歯磨きをしているとき。

「アヤト、歯っちゅうもんは、あんまり磨きすぎても、よくないげんぞ」

食事をしているとき。

「アヤト、若いもんは、いっぱい食べんといかんぞ」

湯船に浸かっているとき!

「アヤト、ちゃんと風呂、ぬくいがんになっとるんか?」


「……大丈夫やよ、じいちゃん。ありがとね」

そう告げる28歳の表情は、さぞ複雑なものだったことだろう。

しかしいくつになっても、孫は孫。なのだった。

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