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【ショートショート】幸運の女神が振り向くとでも?

ああ、30万が消えた。

証券会社サイトのマイページトップに映し出された残高は、2週間前に入金した額よりも大きく減っていた。

テーパー・タントラム。市場の癇癪。

FRBが利上げを匂わせた直後から沸き起こった世界的暴落。まるで市場がギャーギャー怒り狂い泣きわめき床をドッタンバッタン転げまわる子どものように、チャートはみるみる直滑降の線を描いていた。「騒ぎすぎ」と斜に構えていた人間は売るタイミングを見失い、慌てて売った人間も決まって損を出す。

ここにもまた、狼狽売りをして大損を出した男がいた。山口雄志(やまぐちゆうし)、42歳。実家住まいの独身サラリーマン。

仕事に嫌気がさしたのと老後資金が心配になり手を出してみた株式投資。しかし、始めて2週間経過した今日、一体全体世界で何が起こったのか雄志の理解を遥かに越えたところで株価が暴落。みるみる損が膨らんでいく嘘のような光景に耐えられず、先ほど全株売却した。

「雄の志し」と書いて雄志という名であるにも関わらず、この有様。

震える手元からは「逆境に強い!負けない株300!」と謳う雑誌が邪悪な態度で雄志を嘲笑ってくる。

有名個人投資家3人のうちの1人、東大を首席で卒業したアラフォーと思われる美人トレーダー・飯塚まい子の今季オススメ第1位の銘柄だったはずだ。

ニッチな計測分野で世界シェアを誇る愛知の企業・ニッタケーソッキ。それ以外の情報は何も知らず、直近の決算資料もさっと目を通したのみ。

しかし飯塚が唱えた「PBRの低さ」「自己資本比率の高さ」から「健全な財務体質を持つピカイチの優良企業であるにもかかわらず、あまりにも安い値で売買されてしまっている」という文言がもっともな説得力を持って雄志の瞳に飛び込んできたのだった。

ところがどっこい、2週間前に730円で購入した株価は、4日前に754円と最高値を更新した後は2日前から元本割れし始め、今現在は576円にまで大幅に下落。

雄志はニッタケーソッキの株を2,000株も購入していたが、さっき580円のところで慌てるように全てを売り払ったのだった。

ああ、146万円が116万円にしぼみ切ってしまった。30万円は社会勉強だったと思うしかないのか。

がっくりと落ち込みながらも飯塚の「まいまいのマイにちトレーダー日記♪」というブログをチェックせずにはいられない。

あんなに雑誌で豪語しておいて、暴落しきった今日は一体どんな記事をアップしてるだろう。

手書き風ブログ名の脇で飯塚がピンと人差し指を立てているヘッダー画像とともに、最新記事がスマホ画面に表示された。

「やはり落ちてますね…(汗)」というタイトルのそれを開く。

「FRBの予想外の利上げ発言、市場もパニック状態です。私のかわいい銘柄たちも今日という今日は完全に落ち込んでいます(涙)今現在、ピー00万の大・大・大損失…あわわ…」

まいまい保有のものと思われる各銘柄の損益の数字がざっと並んだ写真。見ると、ほとんどの銘柄がマイナスに転じてるではないか。

真っ赤に染まったそれらの数字と額の大きさを見て雄志はなぜかホッとした。

損失を喰らっているのは俺だけじゃないんだ。

そこで満足したが、記事はまだ下にも続いているようだ。雄志はスクロールする。大きく改行を挟んで「でも!」という文字が見えた。

「こういう時こそ買い!です!」

雄志の目は釘付けになる。

「なかなかこんなバーゲンセールになることはありません!(とてーも優秀な子たちならなおさら・・・!)市場が回復すれば10倍なんて夢じゃない!そんなテンバガーの可能性を秘めた優良株を私なりに探してみました!ここから500円で購入可能です→こちら。みなさん、この波をいっしょに乗り越えましょうね♪」

最後に飯塚の強運を絵にかいたような力強い笑顔のアップ写真とともに、お決まりの「今日という一日が笑顔いっぱいの一日になりますように…」という文言で締めくくられていた。

絶句した。

なんと、なんとそういう捉え方もあるのか。全面株安のバーゲンセール。それもそうだ、日経平均株価に大きく影響を与えるあの銘柄も昨日より1,000円も落ちてるではないか。

俺はなんと愚かなことをした。

オロオロ慌てて安い値で売りさばいてしまうだなんて。

雄志は今一度飯塚のブログ記事に視線を戻した。思わず親指が伸びる。

ここから500円で購入可能です→こちら

経済が元に戻れば、今より下がることはきっとない。今が一番の最安値。明るい未来を信じなくては。

10倍もの値上がりが期待されてるという銘柄とは一体。500円なんて初期投資、安いではないか。

雄志は再びリングに上がる決意をした。

今日という一日が笑顔いっぱいの一日になりますように…、そう願いを込めて。


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