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【ショートショート】シン・羅生門~ボーイ・ミーツ・ガール~

男は絶句しその場に立ち尽くした。

見覚えのない巨大な段ボールの箱が、部屋の中にある。

もともとこの部屋は使ってない状態だった。リビングと寝室があれば事足りる男にとって、2LDKは一部屋余る間取りであったのだ。クローゼットに使ってない衣類やゴルフバッグ、サッカーのユニフォーム、卒業アルバムを押し込んでいるだけで、6畳のフローリングの空間には何も置いてない状態であった。

しかし、なぜか今現在、仕事から帰ってきてみると1.5m×1mほどの巨大な段ボールがあるではないか。

伝票などは貼られておらず、宅配で来たというわけではないらしい。

宅配で来ようにも、一人暮らしの部屋にどうして配達ができる。

不審物。男の心に真っ先に思い浮かんだのはそれだ。

即座にカバンの外ポケットからスマホを取り出し、不審物発見時の対処法を調べようとした、その時だった。

ゴソゴソと段ボールの中から音がした。

物ではないのか?

男はスマホから顔を上げ目の前に置かれた段ボールを凝視する。生き物が入っているのか。

もしや親が犬でも拾ってこの部屋に置いてったんだろうか。

一つの可能性が浮上し、一歩だけ歩み寄った。

「ううん」

中から女の声がした。

女。たしかに女の声だ。しかし男には恋人など1年近くいない。以前の恋人からこっぴどく振られた以後、音沙汰もまるでなかった。もちろん職場では女との接点はあるが、そういった関係にある人物は一人もいない。はて。

「んー」

また声がした。明らかに女の潤いのある声がする。

下心もないわけではないが、今はむしろ中から凶器を持った女が襲い掛かってくるイメージしか湧かない。構えの姿勢を取りながら(もし万が一襲い掛かってきた場合は右手に持ったカバンで一撃し(男の力で殴られたら少しは応えるだろう)、走って玄関まで逃げそこにある傘を手にし戦う)そっと段ボールの蓋を開けた。

「うわ」

男は腰を抜かした。

中には全裸の女が眠っていたのだ。

思わず倒れながらも後ずさりする。死体かと一瞬疑ったが、さっき声を発した様子から恐らく生きているのであろう。しかし全裸。一体彼女は何者だ。

助けるべきか、いやそもそも助けを求めているのか。でも全裸だ。どうやってここに侵入してきた?服は?

呼吸は乱れ、この部屋から出ようにも体が動かぬ。

どうしよう、部屋に全裸の女がいる。

人生で初めて過呼吸になりかける。前、メンヘラ女と付き合ってた時に教えてくれた、過呼吸になった時の対処法、紙袋。・・・ない。あれは台所にあったかもしれないが、ここで動けないまま呼吸できなくなったらどうする?普通の袋でもいいんだろうか。

ああ、俺は一体どうすれば。

ゴソゴソ。

また音がしたと思うと、ゆっくり蓋が内側から開けられた。

くる、女が来る。

男は殺される予感がした。

しかし、自ら蓋を開けた女はそこに棒のように立ち上がり、人間味のない顔で静かに男を見下した。

全裸。髪は肩下、化粧はしていない、年齢不詳。20代か、10代後半でもいるし30代前半でもいるかもしれない。AV女優やグラビアモデルほどの体型でもなく、やや物足りない肉付。痩せてるのか、O脚なのか、太ももと太ももの間は今にも完全に離れてしまいそうなほど隙間が開いていた。

「だれ」

男は見上げながら言った。女が無表情のまま目を虚ろに答える。

「わたし、うちゅうからきた、いま、このおんなのからだをかりている」
「う、宇宙・・・?」

女はこくんと頷いた。

嘘だろ、宇宙から来たって、いくらなんでもありえないだろ。

「訴える、不法侵入で訴える」

この状況を思いの外怖がっているらしい。自分の声帯が尋常じゃなく震えていた。

「警察呼ぶからな」

そう言ってみるものの、目の前の女は一切表情を変えない。

「けいさつ、しらない、はら、へった」

腹・・・

突如、男は思考を転換した。

腹を満たせばあとは自ら外に出ていくかもしれない。不法侵入であることは間違いないが、彼女の今後の人生を勘案し見逃してやってもいいのではないか。

もし仮に、宇宙人であることが本当であれば尚のこと、見捨てるわけには・・・。そうだ、今何か食料を与え、腹を満たしたところで一緒に警察へ行こう、それがいい。

「分かった、何か食べたいんだな、今準備するからここで待ってろ」

男はそう言うと、力の入らない足で子鹿のようにプルプル立ち上り廊下に出、壁を這うようにしてキッチンへ向かった。

宇宙人って、いや、そう決まったわけではないが、万が一宇宙人だったとして、何でも食べられるんだろうか。でも体はヒトの体だもんな、消化機能はいたって普通と考えて良いだろう。

男は震える右手を何度も左手で擦りながら食パンを袋から取り出す。

トーストした方が良いだろうか・・・。

一瞬悩んだが、ええい、そんなこと悩んでる暇はない、と廊下に向かい、例の空き部屋のドアの前から食パンをかざし、女に向かって「食うか?」と尋ねた。

「くう」

女は箱の中から手を伸ばしてきたので、男は廊下から食パンを投げる。女は見事キャッチし、一心不乱に食べ始めた。

相当、腹が減っているようだ。

男はキッチンに戻ると湯を沸かす。カップヌードルのストックがあるからあれも与えよう。

彼女は本当に宇宙人かもしれない。家も家族も、もしかしたら彼女にはないのかもしれない。となると一緒に住むべきか。どうする?宇宙人だとしたらどうする?身分も戸籍もありゃしない。戸籍がない人間はどうやって生きてる?どうやって働く?

家族でもないのに、彼女の身の上を考えると一気に滅入ってしまう。

警察に相談しよう。

カップヌードルが出来上がるまでの間に、男の判断はそう下った。熱々のカップヌードルを手に、また部屋に戻る。

「箸は使えるか」
「はし、しらない」
「じゃあ、これで食え」

男はフォークと共にカップヌードルを彼女に差し出す。食パンもすっかり食べ終えたらしい彼女は、カップヌードルもまた美味しそうに食べ始めた。

なんだか心に灯がともるようだった。

全裸で美味しそうにカップヌードルを食べる正体不明の女を前に、男の心は何とも言えない優しさに包まれたのだ。

もし貰い手がいなかったら、住む場所も働く場所も上手いこと見つからなかったら、しばらくはここに住まわせてあげよう。

男は寝室に行き、自分の下着と服を適当に揃えた。今日はとりあえずこれでも着せておこう。

それらの服をスッと段ボールの前に置く。

「今日はとりあえずこれでも着て、明日になったら服を買いに行こう」

そう提案すると彼女はカップヌードルをすすりながら頷いた。既に全裸であるところから出会いは始まっているのだが、一応配慮の姿勢を見せるつもりで部屋を出た。

10分ほど経って、ふと女の動向が気になった。一向に部屋から出てくる気配はない。

あの何もない部屋で彼女は一体何を・・・?

男は気になりリビングから例の部屋の前に移動し、ドアをノックする。

コンコン。

・・・。

応答がない。

「入るぞ」

年頃の娘を持つ父親になった気分でゆっくりとドアを開けた。ふと、部屋の向こうから少し圧を感じる。なんだろうか、謎の抵抗感。

開けて部屋の中を見た時、その答えが分かった。

部屋の中から忽然と女は消え、カップヌードルの容器とフォーク、巨大な段ボールだけが残されていた。唯一ある窓がガランと開かれ、そこから外気がびゅうと吹き込む。

消えた。

宇宙から来たという女が、消えた。

ハッとして男は窓際に駆け付け下を覗きこむと、隣のマンションと当マンションの壁に手足を突っ張りながら静かに下降していく女の姿があるではないか。

「おい」

男は声を張って問いかけた。

「お前はなんなんだ」

女は蜘蛛のような姿勢をキープしながら顔を見上げて笑った。

「お前のストーカーだよ、ばーか」

たしかに女は嬉々とした表情で男が貸した服を全身にまとっている。

男が呆気に取られているうちに、女は無事地上に降り立ち、そのまま振り向くこともせず夜の街に消えた。

残ったのは黒洞々たる夜ばかりである。

女の行方は、誰も知らない。

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