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小学校の臨時採用教員を初めてやったときの話

22歳のとき、初めて小学校で働きました。年度途中からの産休代替教員でした。もう10年以上前の体験談ですが、何かの役に立てばと思い書き出してみます。ちょっと長いです。

※自分のブログからの転載です。最近教育系記事のnote移行を進めているので、その一環です

臨時採用教員として採用されたきっかけ

大学を卒業後、少し遊び歩いたあとに教員採用試験を受けました。普通は大学4年次に受けるものなのですが、その頃は教員になるかどうか迷っていたので。周りよりも一足遅いスタートでした。


採用試験は不合格。「まーそんなもんだよな」と思いバイトしながら北海道一周なんかをして遊んでいたところ、突然知らない番号から電話がかかってきました。


「〇〇村教育委員会です。私達の村の小学校で臨時採用教員をやってくれませんか?」


あまりにも突然の電話でびっくり。とりあえず面白そうだったので即答でOKしました。すると何月何日から勤務が始まる予定で~と話がとんとん進み、電話を受けてから2週間もせずに現地へ引っ越しすることになりました。

採用試験の願書に臨時採用希望の欄があり、そこにマルをつけていたことが電話につながったのだそうです。


赴任地は小さな漁村でした。つい最近まで学生でしたからそれなりに家具は持っており、自家用車とクロネコヤマトの単身パックで引っ越しはすんなり完了。地図を片手に2時間程度走りました。

たどり着いた場所は人口減少に悩む小さな漁村。夕方になると海が綺麗なオレンジ色になる素敵な土地でした。


教員住宅に住んでみた

教育委員会の方に言われるがままに、教員住宅に住むことにしました。なかなか年代物の物件です。当時は何とも思いませんでしたが、今になって考えるとなかなかハードな環境だったと思います。

・家賃4800円
・築30年オーバーの木造
・トイレは簡易水洗
・カメムシ、ワラジムシ、ネズミとの共同生活

こんな感じ。夜にリビングでくつろいでいると、ペットか何かのようなノリで生き物が次々と出現しました。カメムシはガムテープで退治。ワラジムシは掃除機で吸う。レアキャラのネズミは「デスモアPRO」とかいう毒餌で退治した記憶があります。


この住宅は海岸沿いの高台に建っていました。毎朝起きて出勤しようとドアを開けると、そこには目下に広がる美しい海と、体を心地よく撫でる潮風がありました。

最高の通勤でした。


臨時教員の仕事を初体験。つらかった…

完全な初心者で年度途中からの雇用。うまくいくわけがありません。今思い返しても当時の自分はよくめげずに持ちこたえたよなぁと思います。低学年の複式でしたが、今思うとマイルドに崩壊状態でしたね。子どもたちとの関係は最低限作れていたけど、そこに秩序は無かった…


そんな自分に対し、周りの先生方はとても優しかったです。これははっきりと憶えてます。悲しいぐらいに仕事ができない自分にとても優しく接してくれました。それはもう不思議なぐらいに優しく。


今となってみると、その理由がわかる気がします。みんな最初はそうだったんですよ。新人教員ってマニュアル不在の状態で手探りで仕事するようなもんですから。みんな同じ。情けなさや後ろめたさや疲労を抱えながら一つ一つ気づきを経験として蓄積して慣れていくんです。

みんなその痛みを知っているからこそ、新しく来る仲間に優しいのでしょう。


初心者教員だった自分が唯一心がけたこと

今思えば酷い学級経営をしましたが、それでも子どもたちも保護者の方々も自分を受け入れてくれました。若い先生というのはそういう存在なのでしょう。

子どもたちに対する威厳はない。ほとんど友達のような存在。

これでいいのかな?と不安な自分に対し、先輩先生方は「それでいいんだよ。たくさん遊んであげなさい」と言ってくれていました。なので「子どもたちとの関係性」だけはどんな形になろうと維持しようと唯一こだわって心がけていました。


ベテランにはベテランの、初心者には初心者なりの、子供との距離感があるのだと思います。学生時代にガッツリ勉強して即戦力状態なエリート教師であれば違うのでしょうが、バカみたいな学生生活を送った自分の場合、この距離感が精一杯でした。でもそれで良かったんでしょう。


給料の高さにびっくりする

給料はたしか手取りで20万円に満たないぐらいだったと思います。家賃が破格に安く独身一人暮らしだったので、経済的にはとても恵まれました。非正規雇用でこれは凄いですね。


次の臨時採用の職場が決まる

育休をとっていた先生が復帰することになり、自分の初勤務はそこで終わりとなりました。臨時採用の宿命です。

「お金も多少溜まったしまたバイトでもすっか~」なんて能天気に構えていた自分のところに、当時の校長先生が1ヶ月後から始まる隣町の小学校の産休代替を紹介してくれました。校長会で臨時採用を探しているという話が出た時に、自分の名を出してくれたようです。


離任式で子どもたちに挨拶をし、教員住宅の荷物をまとめ、教育委員会に住宅の鍵を返し、かつて初めて村に来た時と同じ道を通って一旦実家へと戻りました。


小学校の臨時採用教員という体験が自分に与えた財産

臨時採用として初めて小学校で勤務した中で自分が得たもの。「お金」「経験」「人脈」だと思います。


まずはお金。問答無用で貯まります。収入が多く支出が少ないので。お金は人生に時間と行動力を生み出します。持っておいて損はありません。


次に経験。教員の経験は一生モノの財産です。最初は辛いですが、それを乗り越えれば経験を活かして日本中どこでも臨時採用でメシが食えますよ。

住所選択の自由。そのパスポートとなるのが「教員免許」と「教員の経験」です。


さいごに人脈。臨時採用教員を続けるにあたっては、評判や人柄が次の職場を見つけてくれます。あくまで成果ではなく評判人柄です。教員が成果主義に走っても子供が消耗するだけです。


おわりに

臨時採用教員、一度は経験してみると良いですよ。

深く考えずに飛び込んだ最初の職場でしたが、この半年の経験は良い思い出でもあり、今でも自分を助けてくれる財産にもなりました。

ここまで読んでいただいた方の中にもし臨時採用を受けようか悩んでいる方がいるなら、自分は受けることをオススメします。最初はつらいですが、そこで得た経験は人生におけるセーフティネットになってくれます。「いざとなったら臨時教員やろう!」という選択肢を持てるんです。


この半年の短い体験はまるで1つの旅のようでした。自分が都会よりも田舎の教員を好むバックボーンとなっている体験です。


↓教員としての勉強を始めようと思い読んだ最初の一冊の話。

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