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ゴルフの神様

受験の神様。恋愛の神様。ヴァイオリンの神様。
私はこれまで、数多くの神様に祈りを捧げてきた。
もちろんそれは、実体をもたない空想上の神様であり、
でこの斜め上あたりをふわふわと漂う形而上の存在だ。
私は、そのような存在を自ら創造し、緊張や不安の逃避場所とし、
幾度となく、人生の難をくぐってきた。


難はいつだって襲ってくる。

飛ばない。
まっすぐ飛ばない。
気持ちよく飛ばない。

土曜の昼下がりの黄金時間。
3週間ぶりの打ちっぱなしにやって来た私に待ち受けていたのは、
全ての打球が右に飛んでいく地獄。
ゴルフを始めて4ヶ月の初心者が何をほざいてんだと言われるかもしれないが、
そうとはいえ、辛いものは辛い。
忙しさにかまけて、3週間も来なかったツケだ。
自責の念と、やるせなさを抱えて打ち続ける。

そんな時に現れたのだ。そう、ゴルフの神様が。

腹は出て、頭皮が輝き、ただ目が澄んだ優しそうなおじさん。
私の打席の前に立ち、おもむろに10球ほど打った。
見かけによらず、めちゃくちゃ上手い。一挙手一投足に卒がない。
疲れていた私は、それを見るともなくボーッと眺めていた。
が、眺めるうちに、なぜか、「あ、打てそう」という全能感が湧いてきた。
おじさんの動きを脳内にトレースして、打ってみると、
たった1球で、気持ちよく真っ直ぐ飛んだ。歓喜。
精神のスポーツであるゴルフは、一度良いモードに入ると一定時間持続する。
バンバン打った。楽しい!
おじさんは椅子に座り、遠くを眺めるのを装って、
どうやら私のスイングを見ているようだった。にこやかに。

モードが切れた。また、右に飛びだしたのだ。
すると、おじさんは、また打席に入り、球を10球ほど打った。
眺める、いや、学ばせていただく私。
背中で見せるおじさん。

しばらくして、また、真っ直ぐ飛ぶようになると、

何度も打つ私。
にこやかに見守るおじさん。

その構図の入れ替わりが3回続いた時にはもう、
おじさんはおじさんではなくなっていた。

ゴルフの神様だ。

ここまで、具体的に正体を現した神様は初めてだ。
敬いを通り越して愛おしい。フォルムもビジュアルも何もかもが、
もうこうなったら、神様にふさわしいのだ。

神様は、先に帰った。私に衝撃的な体験を残して。
その後姿に、ゴルフクラブから伸びる影と同じ角度に、お辞儀した。


                                    suke

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