見出し画像

ぐるんぱこそプロティアンの王子様


プロティアン・キャリア

 復職中の自己学習の一貫で、自己啓発やキャリアデザインについて学んでいる。自己啓発もキャリアも素直に飲み込めないことが多すぎる。この飲み込めなさについては別記事にまとめようと思うが、キャリアについて色々調べていると、とある理論にたどりついた。
 「プロティアン」プロテインとエイリアンの子供?スペルは「Protean」変幻自在な、とか、多様な、という意味をもつ。語源はプロテウス、ギリシャ神話の海神である。(ポセイドンとは別物らしい。)(プロメテウスとも違う。めちゃくちゃ紛らわしいね。)このプロテウスは未来を予言する力となんにでも変身する能力をもっている。(神って大体変身できねぇか?)まあその後者の能力から変幻自在と訳されるわけだ。それがどうキャリアに結びつくんだろう。

プロテウス
スタッツは4/3/5かな…

 その変幻自在の神がキャリアに結びついたのが、「プロティアン・キャリア」なのだ。こういうビジネス系の新語ってこれでもかというほど意味を詰め込むイメージがあるので、説明するのが難しいから、詳しい本から引用する。

プロティアンキャリアは、時代や環境変化に適応できるよう、自分の意思で必要な知識やスキルを身に付けていくキャリア形成を指します。

アメリカの心理学者の、ダグラス・T・ホールが提唱した考え方で、変化の激しい時代における働き方やキャリアの築き方を示唆したものであり、現在でも多くの人に親しまれている理論です。

リカレントcounselor 「キャリアコンサルタント大辞典」

サンキューリカレント。要するに主体的にスキルを学び、環境の変化に合わせて自らも変幻自在に変化させながら働くことが真のキャリアだというのだ。
 キャリアについて学び始めたとき、なぜこんなに会社が個人に対して主体性とか自律とかを促すのだろうという違和感がずっとあった。組織との協調性も忘れずに、というと個人に対して求めすぎじゃない?とも思った。それで色々調べていくうちに、今の日本のキャリア論の根底に流れているのが「プロティアン」だというのが分かったのだ。

プロティアン・キャリア協会より引用
みんなはどっちのキャリアにする?

プロティアンの親玉 タナケン先生

 プロティアンを調べていくと、このキャリア論を推し進めている存在、法政大学教授 田中研之輔 先生に行き着く。(愛称としてタナケンと呼ばれているそうなので以下タナケン先生と呼ばせていただく。)タナケン先生はこのプロティアンを普及すべく、日々活動に邁進しているのだ。タナケン先生が出ている動画を何個か確認すると、なんというか、ハングリーさ、暑苦しさに胃がもたれる気がする。感覚的には中田敦彦のべしゃりと似ていると思う。このいや~な主体性の正体ってこの人から感じてたんだ…。いや!著作の1つも読まずに批判するのはおかしい!と思って1つ読んでみることにした。それがこれだ。

なぜこれにしたかというと、自分が復職直後の身でまあピッタリかな…と思ったからだ。(あと、kindle Unlimitedで読めたから…)他に読みたい本はたくさんあったので、けっこう早めのペースで読んだ。内容としては、まあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~分からんことはないんだけど、それができりゃあ皆苦労してないよって感じだった。例えていうなら、のび太がドラえもんに泣きついたときに、ドラえもんから「お前は出木杉君になれ」と吐き捨てられるような感覚に近い。いやいやそうじゃなくて「どうしたんだいのび太君」と言ってほしいのよ、秘密道具はくれなくていいから。個人に対するキャリア形成の重要性は分かった。自分もキャリア形成するから、もうちょっとこれなら自分でもできる!って位にはハードルを下げてほしい。仕事してなくてもこう思うんなら、仕事してたらもっと大変だよ。
最近、JBPressさんの対談記事で、まさしくプロティアンに対するカウンターだ!というのがあった。自分のぼんやりと思っていたことが全て言語化されていた。すんません、こっからはこちらも読んでください。


キャリアデザインの名著 ぐるんぱのようちえん

 休職して直後、今のこんなに辛すぎる状況ってなんか思い出すことあったなって出てきた絵本が「ぐるんぱのようちえん」だった。子供の頃はよく読み聞かせしてもらったので、たまにこういう絵本のことを思い出すのだ。けっこう有名な絵本なので知っている方も多いと思うのだが、本当にいい話なのであらすじを紹介する。(調べると、ぐるんぱのようちえんの作者 西内ミナミさんは、今年の10月にお亡くなりになられていたそう。ご冥福をお祈りいたします。)

ぐるんぱは、おおきくてきたなくてくさい、ぞうだ。ニートだぞう。

 ひとりぼっちの ぐるんぱは、ときどき 「さみしいな さみしいな」と いって、みみを くさに こすりつけたりしました。
 すると、 おおきな なみだが ぐるんぱの はなを つーっと
ながれおちてきました。

ぐるんぱのようちえん

 もうダメだ。この文で涙が止まらなくなる。さみしいよな、辛いよな。分かる、わかるよ、と寄り添ってあげたくなる。
 でも、くさいし泣き虫なぞうだからって理由で、他のぞうから働きにいけと言われ、くさいからだを洗われ、意気揚々と働きに出る。
 ところが、どこで働いても全然うまくいかない。それはなぜか?おおきなぞうだからだ。ビスケットを作ってもおおきなぞうサイズを作るもんだから、売れない。「もうけっこう」と断られ「しょんぼり」出ていく。
 これを何度も繰り返す。おさらとくつとぴあのとすぽーつかーをでかく作ってしまい、そのたびに「もうけっこう」と断られる。もう少し学べよ、ぐるんぱ。

ぐるんぱは、
しょんぼり しょんぼり しょんぼり しょんぼり しょんぼり。
ほんとに がっかりして びすけっとと おさらと くつと ぴあのを
すぽーつかーに のせて でていきました。
また、むかしのように なみだが でそうに なりました。

ぐるんぱのようちえん

 「もうけっこう」と言われた数だけぐるんぱは、「しょんぼり」を重ねていく。すごいよぐるんぱ、そんだけ言われてもなみだがでそうになるだけなら。じぶんはたった2回の「もうけっこう」で「しょんぼり」がオーバーフローしたから。
 そうして自分の作ったでかいものをもってでていくと、12人もこどもがいるお母さんと会う。忙しいからあそんでやってほしいと頼む。ぐるんぱは、でかグッズでこどもとあそぶようになる。ぐるんぱにはじめて居場所ができる。それが功を奏して、ぐるんぱはようちえんをひらく。よかったね、ぐるんぱ。

ぐるんぱは もう さみしく ありません。
びすけっと、 まだ たくさん のこっていますね。

ぐるんぱのようちえん

 このようにあらすじをみると、ぐるんぱのキャリアがとても現代的であるのが分かる。一つの職場に縛られず、右往左往しながら、最高の職を見つける。しかも、今までの職で得たものが役に立つんだ。素晴らしいキャリアデザインじゃないか。初版は1966年。すごい先見の明だ。

ぐるんぱ・キャリア

もう少し掘り下げよう。自分はこのぐるんぱこそがプロティアンだと思う。なにせ変幻自在にキャリアを移動させている。これは、心理学者 ジョン・クランボルツの計画的偶発理論に似ている。この理論は、キャリアにおけるターニングポイントの8割は、本人の予想しない偶然の出来事によるものというものだ。(この理論をさらに発展させ主体的に考えたのが、プロティアンらしいのだが…そこまで詳しく勉強してないので、間違ってたらごめんなさい。)
 このぞうの話をタナケン先生が書いていたら内容が違っていたかもしれない。ぐるんぱはしゅたいてき、じりつてきにしょくばをみずからかえていき、どこのしょくばでもせいこうしました。そしてそのすべてのけいけんを「キャリア資本」にかえ、どんどんかせぎました。
これじゃあ、感動は生まれないだろう。
 プロティアンの考え方は、主体性、変幻自在を前面に押している割に、失敗の可能性を軽んじているような気がする。ぐるんぱはほかのぞうから押し出される形で働き、職場で何度も失敗を繰り返した。そこに意味を見出したい。最初は主体的じゃなくたっていい、いくら失敗したっていい。最後の最後で何か実を結ぶかもしれないし、結ばないかもしれない。でもそうした経験には必ず意味がある。それこそが「ぐるんぱ・キャリア」だ。僕が提唱します。

空っぽでもいいよ

さいごは自分が大好きなザ・クロマニヨンズの歌詞で締めたいと思う。

いつか どこか わからないけど
なにかを好きになるかもしれない
その時まで空っぽでもいいよ

ザ・クロマニヨンズ 甲本ヒロト 「生きる」

 クロマニヨンズ 甲本ヒロトの歌詞はいつだって本質を突く。(マーシーもね!)仕事のやりがいなんて、すぐみつかるもんじゃない。それでもいつか、どうしてもやりたくなっちゃうようなとてつもなく好きなことに出会うかもしれない。キャリア形成は急がなくてもいい、空っぽでもいんだよ。
 ここまで読んでくれてありがとう。自分のどうしてもやりたくなっちゃう好きなことってこういう文章を書くことかもしれないな。今回は本当にノンストップで書いた。

参考というかベースとなった動画

 参考文献というより、この記事の下地になった動画・本を紹介する。
「未来に残したい授業」の「失敗原論」シリーズ。ここで語られる肩の抜ける生き方は非常に参考になります。


あと、最近の記事というか自分の考え方について、めちゃくちゃ影響を受けている思想があるのだが、この記事では一旦伏せさせていただく。その話は次回の記事で…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?