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最強$信託資本バトル


マルクスってやべぇ奴

哲学・思想の入門書を読むとなんとなく感じるのだが、この手の本で頻出する哲学者はマルクスの一択だ。それで、次点がニーチェだ。3位を決めるのは難しく、プラトン…?カント…?それともデカルトか?と自信がなくなってくる。それでも、近代哲学を語る上で、はいマルクス!はいニーチェ!といった感じでめちゃくちゃ重要な位置を占めるのはすぐ伝わる。

それにしてもマルクスってやつがやべぇ。経済はもちろん哲学にもガンガン介入してくる。それで何冊か本書いたら色々人が集まってでっかい国が誕生して、アメリカとやりあったわけだ。マルクス本人の話をしてなくてもマルクス主義なんていうこれまたマルクスの名を冠した主義を支持するフォロワーがわんさか出てくる。本ちょっとだけ読んだだけでもこんなに影響を感じるっていうのに、当時の勢いといったらものすごかったんだろうな…

そうしている内に、これは何冊か読まないとダメだな…と思い、マルクス関連の本を探してみた。

資本の本達

「資本論」について…の本なんかはそれこそ星の数だけあるので、こいうのはとりあえず知りたい人物名がそのままタイトルになる本選べばいいよなと思い、「今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義 (講談社現代新書)」を購入した。この本の内容については説明するのが下手なんでここで書かないが、後述するある質問に対して全部「いいからこれ読め!!」と言いたくなる位、資本主義がいかにダメかというところ分かりやすく・危機的に説明されていた。ほんとにオススメ。

資本主義がヤバい理由を知ったところでなにかもう一冊位読みたいなと思っていたら、たまたま図書館で「人新世の「資本論」」があり、これは2021年度新書大賞ってそんだけ読まれてるってことはさぞ面白いんでしょうなぁ…と読んでみた。こちらは資本主義がなんでダメなのかというより、その資本主義が実際にこれだけ環境に悪影響を及ぼしているという話が前半の中心となっている。それで、光の速さで資本主義進めたらどうするの?リアルな話多分お前が住んでる地球が消し飛ぶってことで人間の資本主義で地球がヤバいから、それに代わる新たな主義を「資本論」から読み解こうっていうのが後半の流れだ。環境視点での資本のヤバさはよく分かったものの、その代わりになる新たな主義「脱成長コミュニズム」の説明を聞いても、正直、「それでほんとによくなるの…?」という懐疑心と「ちょっと今の生活レベル落とすのは…」という怠惰な気持ちが出てしまった。


「資本って何?」

ここまで丁寧に読んでくれて人の中には「結局、資本ってなんなの?何がそんなにヤバいの?」と思った人もいるだろう。自分も友達や家族にこういう話をするとほぼ必ず聞かれるのだが、ほんとにうまく答えられない。大体、「資本は…内部の運動で…その運動が全てを飲み込んでしまって…でも運動自体に自我はなくて…わぁ…」と最終的にちいかわみたいになる。一人少しの意地の悪い友人から「でもお前の好きなペルソナシリーズだってその資本主から生まれてきたけど?」という言われたときにはもう何も反論できず、涙がこぼれそうだった。今だったら「売れているのが良いもんなら、世界一うまいラーメンはカップラーメンだろ!!!!!!?????」と甲本ヒロトクリシェをぶつけてたかもしれないが、これも答えになっていない。

結局、資本がなにかといったら「常に腹ペコだが自我をもたないカービィ」というこれも意味不明な回答になる。これの真意が気になるなら、紹介した前者の本を読んでほしい。多分、同じようなことが書いていると思う。

全てが資本に見えてくる…がなにもできない

こんな本を立て続けに読んでしまうと、目に見えるすべてのものに対して、資本が介在・介入しているように思えてくる。広告なんてはもちろんのこと、マッチングアプリやSNSだって自由恋愛やコミュニケーションに資本が介入した結果の産物だし、世に出てる商品は全て、貨幣によって交換されるんだから資本に屈服してますよねぇ!?それはまさしく「ゼイリブ」で主人公がサングラスをかけたときの光景と一緒で、「あ、監督はこういうことが言いたかったのね」と理解した。(あの映画、その光景とやけに喧嘩のシーンが長かったことしか覚えてない。)

こういう状況を逆手にとって、何か無駄遣いしそうになった時に心の中のマルクス主義者に「それ資本じゃん」と何かにつけて言わせることで無駄な消費を抑えようとした時期があった。最初はそれでうまくいっていたものの、最近は抑圧した欲望が「これが資本だ!!!!!!!!!!!!」と開き直り、マルクス主義者をボコボコにして同人エロゲやベイブレードXを買ってしまっている。

資本主義、能力主義、競争社会に対して、殺意の目をギラギラさせながら睨んでみても、どこかしらその主義のおかげで得してんだよな…と憎み切れない部分はある。ベイブレードXをいい大人がおもちゃ屋で買わずに済むのも、ジェフベゾス様様のおかげだし、今復職中の身でほぼ業務がなくても食えているのは、受験時に多少の能力を発揮したからなのでは・・・と

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

哲学書の難しい内容に流石に疲れてしまい、別の本を探していたらオードリー若林の紀行文がまさに資本主義の話をしていると聞き、すぐに買った。あらすじは資本主義、新自由主義に対して窮屈さを感じた若林が別のシステム(社会主義)で動く国キューバに行くというもの。キューバに行く前では、この記事で書いたようなことが若林視点でもっと分かりやすくエッセイで書かれていて、「自分がもってたこの感情ってもう全世界のあるあるなんだな…」とちょっと寂しい気持ちになった。こうした鬱屈としたエネルギーをメインストリームに押し上げて東京ドームでイベント大成功した若林を見ると、この気持ちすら資本に飲み込まれるような気さえした。(ここの文章の表現が難しい、ラジオ好きなのにオードリーANNを通らなかった自分のうがった見方なのだと思う。)

それでもファイティングポーズを続ける

現状、資本主義が社会制度で一番に機能している以上、このシステムから完全に脱却するのは難しい。「人心世の「資本論」」を読んだ後、日本全員皆でいっせーのせで資本主義をやめてみるということを考えてみたが、全然想像できなかった。

今の自分にできるのは、資本主義という札束風呂にどっぷり浸かりながらも、ファイティングポーズの姿勢だけはやめないことだろう。

今日死んだそいつらに対しての勝利宣言と、明日死ぬあいつらに対しての宣戦布告の意味を込めて、無職ひきこもりの俺が本気でファイティングポーズ決める


ここまで読んでくれてありがとう。最後、どうまとめればいいのか分からなくなり、コピペに頼ってしまった。続き書けたら書きます。


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