【エッセイ】お盆休み中の毎日投稿振り返り

 こんばんは。
 お盆休みもあっという間に終わってしまい、出勤生活が始まりました。
お盆休みの間、毎日投稿をやっていました。お盆休みが明けたとたんストップしてしまったんですけれど笑。

 今回は毎日投稿をやってみての感想を書きたいと思います。
一番感じたことは生きる意味ってなんなだろう?ってことです。

 順を追っていくと…
 まず、noteで何をしたいんだろう?って思いました。
 自分の思ったことを書きたいのか?、多くの読者に読んでもらいたいのか?noteはいろいろな使い方ができます。それだけに、自分はどう使っていきたいんだろうと思いました。というのも、ネタ探しに困ったからです。たった一週間とはいえ、毎日何について書こうか悩みました。(書きたいことが溢れてくるなんてことはなかった(笑)。)

 次に、何について書くことが価値のあることなんだ?って思いました。
 noteを含め創作物の価値は他人からの評価で決まると思います。一番明確なのは収益化。創作物でお金を得るってすごい!自分はこのレベルに達していない。となると、読者の数、共感者の数。これが自分の創作物の価値になると思います。実際に、自分もここを増やしていきたいです。理想は自分の主張を書いて読んでもらうことです。キンコン西野さんやホリエモンみたいに。でも、自分にそんな魅力はありません。自分にできることは自分のために少しでも時間を費やしてもらうこと。

 他人の時間を奪える創作物ってなんだろう?って思いました。
 その人の社会的ランクにもよるとは思います。自分はただの一般人であり、趣味でnoteをやっている雑魚。自分がとれる方向性は二つあると思っています。ひとつは、ミルクボーイさんの漫才。あれは最強ですね。二人の世界観に入っていきやすかった。あれを真似しようと思えば、“あるある”と“毒舌”。みんなにあれの話かぁと分からせておいて、そんなこと言っちゃう?っていう予想外の発言をしてみんなを驚かせる。あのフォーマットはえぐかったです。もうひとつは偏愛。一つの対象に対してとことん追求する。思いのたけを言葉で表現する難しさがありますが、これができたら新しい創作物ができるのになぁと思います。
 
 でたどり着いたのが、生産性のある思考ってなんなだろう?です。
 一旦、 “書くこと”と“考えること”とを分けて考えます。
 “書くこと”の価値は他人に読んでもらうため。とすると、“考えること”の価値は何なんでしょう?何について考えることが有意義なんでしょうか?これの答えも“他人との時間を共有するため”なのでしょうか?であれば、他人に伝えることを前提に、すべての思考を始めることがいいのでしょうか?…本当にそういう側面もあるかもしれないです。自分の心に収めているうちはその考えの是非や価値はわからない。というか、ゼロである。他人に評価されて良し悪しが分かる。

 そうなると、考える意味って他人に評価されるためにあるのでしょうか?
というか、生きる意味ってなんなんだろう...

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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