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日記(2024/06/08〜14)あじさい、いいね欄、違国日記

2024/06/08土

朝、車検に向かう。車検と思っていたが法定点検だった。最近出費が大きかったのでラッキーという気持ちと、もしそれだったら一日で済ませて代車もいらなかったなという気持ちが半々。

昼過ぎ、家族で名護まであじさいを見に行く。楽しかった。

体重76.1kg。



2024/06/09日

朝、ジョギング。2週間ぶりだった。尾籠な話にはなるが、走っていると汗とともに、特に顔や頭皮から脂がよく出てくるので気持ち良い。老廃物を排出しているぞというのが意識できて、本当に満足できた。

その後、法定点検で預けていた車を取りに。

夕食のコロッケがやや胃にもたれた。

早めに就寝。

体重77.1kg。




2024/06/10月

週の始まり月曜日。朝体重を図ったところ増えていた。運動をした後だと筋肉に水分がため込まれるらしいので気にしない。こういう時って、穴の開いた樽のようにおしっこが出るんだよね。

財布を家に忘れたためほとんどを電子決済で過ごす。

体重78.3kg。


2024/06/11火

久々の晴れ間だったものの、前日との気圧の差からか、調子はあまりよくない。

先週取り掛かっていた重要な仕事に関する追加書類を提出。提出時には同情的な目で見られた。

体重は少しづつ減っている。ただ、ものすごくおしっこがでる。

仕事を定時で終わらせ、近隣にある大学の図書館へ向かう。最近はなるべくお金を使わない娯楽を考えているため、格安で買った洋書を図書館などで訳しながら読むというのは実によい娯楽だ。もともと、無職時代に勉強でよく使っていた場所であるし、出身高校も近くにある。そう考えると、自分にとっては、次どこに進むかということを確認する場所なのかもしれない。数週間前から行きたいとは思っていた。何なら、資格試験の勉強などで使えるかもと。ただ、部外者の方は資料の閲覧や複写でしか使うことができないうえに時間の制約ありとなっていたので、やはり難しいか。見つかっても言い逃れができそうな洋書の訳を進める。

帰宅後、青木幸子『茶柱倶楽部』という漫画を読了。ちょっと宗教っぽさが受けつけないが、これは自分が日本茶のことをよく知らないからなのかもしれない。

体重78.4kg。



2024/06/12水

夜は記録的な大雨。

時事ネタ。ツイッター(現X)の仕様変更により、他のユーザーのいいね欄が見れなくなるとのこと。正直なところ、まあ、確かにやってはいたけれどお行儀の良いことではないとはわかっている。けれども、何となくもやるのは、いきなり宣言されて急に仕様変更されることの民主主義に反する感じか。何となくだけど、AIの発展とかとも相まって、本来私的であったはずの創作などの領域が公化して、公的であるはずのインフラ的な設備などの方が私化しているような、そんな流れを仕方ないと受け入れるのは、直感的に危険な気がする。人間だからなるべく抗いたい。

伸ばしていたヒゲを整える。

体重76.9kg


2024/06/13木

記録的な大雨もあり、低気圧のせいで不調。ただ、それでも、以前に比べれば全然梅雨時期の気分の落ち込みは減ったと思う。代わりに、今まで感じていた、梅雨明けの頃が一年で一番調子が良いというような感じも少なくなった。何というか、ここ数年は仕事が比較的うまくいくようになったこともあり、例年調子悪かった冬季から新年度明けにかけてが、そこまで調子が悪くなくなった。そのせいか5月後半くらいに、ちょっと疲れてくる印象。

体重76.8kg

2024/06/14金
数週間前からかかりきりだった例の重要な仕事、いまだに修正が入らないのが逆に怖い。2年前とか、日を跨ぐレベルで苦労したので。

仕事帰りに映画『違国日記』鑑賞。
ヤマシタトモコの漫画『違国日記』の映画化の話を聞いた時、誰もが負け戦だと思った。しかも監督は瀬田なつきである。才能は間違いなくあるが、作家性が強い。ヤマシタトモコも作家性が強い。おそらくはこの作家性同士がぶつかってしまうだろう、と。

 だから、最初見た時は結構驚いた。ちゃんと「作品」している。

 正直なところ、瀬田なつきの仕事には結構な割合で雇われ仕事があり、中にはわざわざ瀬田なつきを期待して見なくても良いかなというものもある。2022年にAmazon Prime限定で配信された『HOMESTAY』もその一つだった。

 ただ、今にして思えば、明らかにアンリアルな作風の瀬田なつきが、リアルさの高い『違国日記』を映画化するにあたっては、必要なステップだったのかもしれない。

 ヤマシタトモコの原作は、小説家の独身女性が、姉夫婦が事故死したことをきっかけにその子供をひきとる、というのがメインストーリーとしてあるのだが、その要約ではこぼれ落ちてしまうものが山ほどある作品で、間違いなく傑作だ。そこで主役になっているのは、言葉と表情。どちらも多くない主人公の高代槙生が、それを、内面から何かが溢れてくるように絞り出す様は感動的であり、何度か落涙した。

 つまり、いく通りもの読み取り方があり、読み手次第で全然別の話にもなってしまう原作に対し、一つの解を与えてしまうという点で、正直なところ負け戦だったと思う。ここでいう負けとは、映画監督がエゴで書き換えるようなことはできないだろうという意味で。

 ただ、自分はそれでも善戦していたと思うというか、まず全体的に白いけどどこか暗い画面というのは漫画の色合いを極力映し取ったものだと感じた。あと、おそらく、ここで槙生に熱演系の役者を当て、「原作からそのまま飛び出してきたような」槙生を演じさせたら、多分原作派からは絶賛されたであろう。ただ、新垣結衣は、下手ではないが、演じているという感じも受ける。けれども、僕も大人をそれなりの時期やってきて、親という役割を初めて6年になろうという時期なので思う。親ほどあれだけ演じている人間はいない。年長者も、先生も。大人になるというんは、演じることだ。もし、この作品を映画化する意味があったとすれば、そのことがより前に出たことだ。

 そして、前半こそ一つの「作品」として成立させようとしているが、後半に行くに従って結構瀬田監督の作家性が出てくる。長回し、バスの中の撮りかた、音楽。傲慢かもしれない。けど、不思議と許せた。朝とえみりとの体育館のシーンや、千世との教室のシーンなど、映画の魔がかかっていたと思うのです。

体重76.4kg

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