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「沈黙」がもたらすもの――「自粛警察」に見るファシズムの危険性(田野大輔)

田野大輔(甲南大学教授)

写真:ユダヤ人商店に不買呼びかけのポスターを貼る突撃隊員(Bundesarchiv, Bild 102-14468 / Georg Pahl / CC-BY-SA 3.0)

 新型コロナウイルス感染拡大防止のために、日本でも緊急事態宣言が発令され、外出や営業の「自粛」が要請された。そうしたなか、営業を続ける飲食店に脅迫電話をかけたり、公園で遊ぶ子どもの学校に苦情を入れたりするなど、「自粛」の要請に従っていないように見える人たちへの過激なバッシングが多発した。

 緊急事態宣言下の日本で、こうした「自粛警察」「コロナ自警団」と呼ばれる動きが広がったのはなぜだろうか。人々が感染拡大防止のために自発的におこなったと思われるこれらの行動の拡大には、どういう力が働いたのか。

「自粛警察」はファシズムか

 「自粛警察」と呼ばれる動きが問題になって以降、筆者のもとにはそれが広がった原因をどう考えたらいいのかについて、新聞・テレビなど各種メディアから問い合わせが相次いだ。ちょうど4月に大月書店からファシズムの教室――なぜ集団は暴走するのかを刊行したところで、その内容に「自粛警察」の発生の原因を理解する手がかりが含まれていると考えた人が多かったようだ。

 同書は、筆者が大学で10年にわたって実施してきた「ファシズムの体験学習」の内容を紹介しつつ、ファシズムが人々の感情を巻き込んで拡大していく仕組みを解説したものである。この授業では、約250人の受講生が白シャツ・ジーパンという「制服」を着て、独裁者役の筆者に「ハイル、タノ!」と敬礼して忠誠を誓い、カップル役の学生を取り囲んで「リア充爆発しろ!」と叫んで糾弾するなどといった示威行動を展開する。そうすると、参加者はいつのまにか何の罪もないカップルに罵声を浴びせることに平気になるばかりか、集団のなかでちゃんと声を出していないメンバーに苛立ちさえ抱くようになる。指導者の命令に従って集団で行動していると自分の行動に対する責任感が麻痺してきて、異端者を排除するような攻撃的な行動にも平気になってしまうのである。こういう心理的な変化にこそファシズムの危険性があることを示した同書の内容は、集団の規範に従わない人への過激なバッシングが発生する仕組みを理解する上でも役に立つ。

 同書の内容をふまえると、「自粛警察」が発生した原因はひとまず次のように説明できるだろう。すなわち、外出や営業の「自粛」を呼びかける政府の曖昧な要請は、それに従わない人を懲らしめてやれという他罰感情にお墨付きを与えてしまった。その結果、政府の要請を大義名分にして他人に正義の鉄槌を下す行動の魅力が呼び起こされ、「自粛警察」のような動きへとつながっていったのではないか。大きな権威に従う小さな権力者として異端者に存分に力をふるう行動は、ファシズムを突き動かす原動力というべきものだ。

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「リア充」を糾弾する「ファシズムの体験学習」の参加者たち(撮影:田中圭祐)

「所詮は他人事」でいいのか

 他人に「自粛」の遵守をもとめる気持ち、それに従わない人を罰したいという感情は、誰もが理解できるものである。緊急事態宣言下であるにもかかわらず、居酒屋に多くの人が集まって飲食しているのを見て苛立ちを覚えたり、パチンコ屋で入店を待つ人たちの映像を見て非常識だと腹を立てたりした経験は、多くの人にあるはずだ。非常時に勝手な行動をとっているように見える人たちのせいで、自分に感染の脅威が及ぶようなことは許しがたい。そういう義憤に駆られて、自分のなかに潜む「自粛警察」を意識した人もいるかもしれない。

 もちろん、実際に居酒屋に怒鳴り込んで閉店を要求したり、パチンコ屋で入店を待つ客に罵声を浴びせたりする人は、全体から見ればごく少数にすぎない。ほとんどの人は、テレビで報道される「自粛警察」の行状を見ても驚きあきれるだけで、「所詮は他人事」と考えて傍観するのが普通だろう。こんなときに居酒屋やパチンコ屋に行くつもりはないから、自分が攻撃を受けることはないと安心しているわけだ。

 だがはたして本当に、そう安心していられるだろうか。今般のコロナ危機をめぐる報道を振り返ってみると、日本を観光旅行で訪問した中国人、豪華客船の船旅に参加した高齢者にはじまり、ライブハウスの公演に参加した若者、海外旅行後に懇親会に出席した大学生、ひいては営業を続ける飲食店の経営者まで、そのつど特定の人たちを槍玉に挙げるような報道が目立ったが、次々に攻撃対象が変化・拡大していくなかで、自分の行動が思わぬ形で非難を浴びる可能性がないとはいいきれない。

 コロナ危機はまさしく、誰もが感染拡大の責任を問われる危険性があることを露呈させたのではないだろうか。そうだとすると、「自粛警察」のような行動を黙ってやり過ごしてきた私たちの姿勢にも問題があるといわねばならない。

ナチ政権成立後の雪崩現象

 特定の人々への攻撃を目にしても反対の声を上げず、それを「他人事」として放置していると何が起こるのか。それを知るには、ナチスが独裁権力を掌握していった過程を見てみるのがよいだろう。

 1933年1月30日にヒトラーが首相に就任すると、多くのドイツ人が雪崩を打ってナチズムへの支持を表明し、わずか半年あまりの間に独裁体制が確立されることになった。この過程は「グライヒシャルトゥング(強制的同質化)」といわれるように、国家緊急権の発動や全権委任法の成立、他政党の禁止や労働組合の解散などを通じて上から強制的に押し付けられたように見えるが、実際には国民各層の自発的な支持の表明、「国民的覚醒」「ナチ革命」と呼ばれる転換への同調や順応によって成し遂げられたものだった。ドイツ中の街角にハーケンクロイツの旗が掲げられ、ナチ党員や突撃隊員がわがもの顔で通りを行進したばかりでなく、多くの人々がナチ党への入党をもとめて殺到し、大小様々な組織や団体の指導部が党のシンパに入れ替わった。

 こうした雪崩現象が具体的にどう生じたのかを克明に描写しているのが、『ヒトラーとは何か』などの著作で知られるジャーナリスト・著述家のセバスチャン・ハフナーである。やや長くなるが、彼の日記の記述からとくに印象的なエピソードを紹介しよう。

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首相就任後に官邸の窓から歓声に応じるヒトラー(Bundesarchiv, Bild 146-1972-026-11 / Robert Sennecke / CC-BY-SA 3.0)

図書室の出来事

 1933年3月末のある日、司法修習生をしていたハフナーがいつものようにベルリン上級地方裁判所の図書室で静かに資料を閲覧していると、廊下の方から大きな足音や叫び声が聞こえてきて、室内にいた人たちの間に緊張が走った。そのとき一人が「突撃隊だ」と声を上げると、もう一人が「やつらはユダヤ人を追い出そうとしているのさ」と答え、それに続いて数人の笑い声が上がった。ハフナーはその笑い声を聞いて、同じ室内にナチスが座っていたことに衝撃を受ける。

 さらに外の騒ぎが大きくなると、見るからにユダヤ人風の男性が本を棚に戻して出て行った。それと入れ替わりに警察官が入口にあらわれ、「突撃隊が来ているので、ユダヤ人は帰った方がいい」と通告した。同時に外からも「ユダヤ人出て行け!」という叫び声が聞こえたので、室内にいた一人が「もう出て行ったよ」と述べると、またしても数人の笑い声が上がった。ハフナーが顔を確認したところ、声の主は自分と同じ司法修習生だった。

 やがて褐色の制服を着た一団が室内に入ってきて、その指導者が「非アーリア人はただちにここを立ち去れ」と叫んだ。ハフナーが平静を装って資料を閲覧していると、突撃隊員が目の前に立って「アーリア人か?」と尋ねてきたので、とっさに「はい」と答えてしまう。彼はすぐに自分が保身のためにナチスの横暴を許してしまったことに気付き、敗北感と恥辱感に打ちひしがれるのだった。

傍観者を巻き込む同調圧力

 ハフナーが記したこのエピソードは、図書室という日常的状況のなかでナチスへの同調や順応がどう生じたのかを照らし出している。とくに注目されるポイントは、次の3点である。

 まず第一に、ハフナーを含めた司法修習生たちが突撃隊の狼藉行為に冷ややかな態度をとっていることである。図書室の外から聞こえてくる足音や叫び声は、室内の静寂を破壊する暴力として認識されている。「やつらはユダヤ人を追い出そうとしているのさ」という発言とそれに続く笑いは、この法律家の卵たちが粗野なならず者であるナチスに侮蔑的な視線を向けていたことを示唆している。

 だが第二に、司法修習生たちが突撃隊の横暴から距離をとる一方で、けっしてそれに異議を唱えていないことである。ユダヤ人風の男性が退出を余儀なくされても、それを他人事として傍観するだけである。「ユダヤ人出て行け!」という要求に「もう出て行ったよ」と答えて笑い飛ばす一連の応答からは、彼らがナチスの野蛮な要求を受け流しつつも、それを基本的に黙認していたことがうかがわれる。

 そして第三に、いざ自分が突撃隊の暴力にさらされるような状況に直面すると、身を守るにはユダヤ人ではないと宣言するしかないことである。だがそれは同時に、生殺与奪の権を握るナチスに忠誠を誓い、彼らが遂行するユダヤ人への迫害行為を是認することを意味してしまう。ならず者集団の暴力は、こうして人々に同調や順応を強いることで、ドイツ中を屈服させていったと考えられる。

「沈黙」がもたらすもの

 このように見ると、私たちがいまコロナ危機下の日本で目の当たりにしている事態は、ハフナーが経験した状況とそうかけ離れたものではないことがわかる。

 私たちはけっして「自粛警察」の行動に喝采を送っているわけではなく、どちらかといえばそれを否定的に見ているのだが、特定の人々を槍玉に挙げる行為を正面から批判することはほとんどなく、自分には関係のないこととして見て見ぬふりをしたり、ワイドショーの娯楽ネタとして笑い飛ばしたりするだけですませるのが普通になっている。

 だがハフナーの経験が教えてくれるのは、そうした傍観的姿勢をとり続けていると過激な迫害行為が助長されて、いざ自分が攻撃対象になったときには抵抗しようがなくなること、それどころか同調・加担することまで余儀なくされることである。

 暴力への「沈黙」が取り返しのつかない事態を招くことを警告した言葉としては、反ナチスの牧師マルティン・ニーメラーの次の詩ほど有名なものはないだろう。最後にそれを引用して、結びに代えることにしたい。

 ナチスが共産主義者を逮捕したとき、私は黙っていた。共産主義者ではなかったから。
 彼らが社会民主主義者を投獄したとき、私は黙っていた。社会民主主義者ではなかったから。
 彼らが労働組合員を逮捕したとき、私は黙っていた。労働組合員ではなかったから。
 そして彼らが私を逮捕したとき、反対する者は誰一人残っていなかった。

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(たの だいすけ)1970年生まれ。甲南大学文学部教授。専攻は歴史社会学。
著書『ファシズムの教室――なぜ集団は暴走するのか』(大月書店)、『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ)、『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)ほか。
ウェブサイト
Twitter:@tanosensei


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