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“差別”という問題に向きあう難しさを知り、それでも先へ進もうとする人のために〜『差別はたいてい悪意のない人がする』を勧める理由

栗田隆子(くりた・りゅうこ)大阪大学大学院で哲学を学び、シモーヌ・ヴェイユを研究。その後、非常勤職や派遣社員などのかたわら、女性の貧困問題や労働問題を中心に新聞・雑誌等で発言。2014年〜2017年「働く女性の全国センター(ACW2)」代表。共著に『1995年』(大月書店)、『フェミニズムはだれのもの?』(人文書院)、『高学歴女子の貧困』(光文社新書)、単著に『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社)。

はじめに

本を紹介し、感想を語るスペース「本を読みつつよもやま話」をTwitter上で不定期に開くようになりました。Twitterのスペースは、クラブハウスのような機能があり、ラジオみたいに音声で情報を届けることができます。
スペースを開くようになった理由はいくつかあるのですが、そのひとつは、特に『ぼそぼそ声のフェミニズム』を上梓してからは、いわゆる「献本」という形で本をご恵投いただく機会が増えた点にあります。
子どもの頃は読みたい本が山のようにありすぎて、自分のお小遣いでは足りず、図書館でも飽き足らず、本屋で立ち読みしては店員に怒られるような経験をしている私にとっては、数千円もする本を何冊も「いただく」状態は、子どもの頃の私に聞かせたら「嘘でしょ!」と思うに違いありません。
そんな「特権」を持つようになった立場として、ご恵投いただいた本で「これはいい!」と思った本をなるべく早く自ら紹介する形で、自分のいわば特権の力を、周囲の人に還元していきたいと思ったのです。売れている本でも、買うほどの本なのか、そうでもないのかなど、他の人が判断する材料になればいいとも思いますし、何より、「これはいい!」という本は多くの人に読んでもらいたいからです。その本の良い点を自分なりに消化した上で本の紹介をしようと考え、スペースを開くようになりました。
その第4回で、この『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』を取り上げました。この本を推したい理由はいくつかあり、それを順々に紹介したいと思います。

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「自分が差別する可能性」を直視した、誠実な態度

最初に注記しておきますが、この本は韓国で書かれた本なので、事例として紹介されている出来事や発言は、韓国での出来事がほとんどです。しかし、(当然と思うのですが)大事なのは「韓国だから日本とは別」と捉えないことです。この本で「問題だ」と指摘される出来事は、ほぼ日本においても共通している問題です

推したい理由のひとつ目は、社会問題に常に関心を持ち続けている人でも差別してしまうことがある、という話を著者みずからが、しかも自分の加害体験から語るという点です。日本ではよくあるパターンですが、そこでとにかく「不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」といった「謝罪」に走るのでもなく、「差別」を指摘されたことによって自分の心の中に起こるさまざまな正当化や言い訳、さらにそれがどのような思いから生まれているのか、というプロセスを書いている点の誠実さに惹かれました。「仕方ない」と開き直り、「気がついた自分は偉い」と語るでもなく、「差別を差別として認識できない『悪意なき差別主義者』」がいかに生まれるかという分析を始める誠実さ…。
自戒をこめての話ですが、SNSでも著名な活動家や学者などが、差別的な発言を誰かに突っ込まれたときに、なかなかその非を認められない事態を折々目にします。非を認められないゆえに、どんどん意見が過激化する傾向さえ見受けられます。この著者の語る「立ち位置が変われば風景が変わる」という言葉を胸に刻んでおきたいものです。

「弱者どうしの連帯」の困難から目をそらさない

さて、二つ目は、社会的な意味における弱者どうしであっても、簡単に連帯できない現実をきちんと捉えている点です。私自身、社会運動というものに多くかかわってきましたが、いわゆる社会的な意味における「弱者」どうしが手を結べるかというと、そうは簡単にならない/なれない事態を多く見てきました。この指摘はとても胸に刺さる話です。
この本の中で、その事例として取り上げられた事件は、韓国の済州島に到着したイエメンからの難民の受け入れについて賛否を問うたときに、いわゆるマジョリティ男性よりも女性の方が、はるかに受け入れ反対の意見の人が多かったという事実です。その反対の理由として、「女性に対する性犯罪の可能性が高い」という理由が挙げられたのでした。
以下、本書からの引用です。

女性たちの目に映る済州島に来たイエメン人は「難民」というよりは「男性」だった。そしてイスラムという宗教を持つムスリム男性というレッテルが貼られていた、多くの女性は、ムスリムという言葉から連想する性差別的で暴力的な男性像と、その潜在的被害者である女性という構図から、この状況を眺めて判断した。このような構図の中では女性は依然として被害者であり弱者だった。難民受け入れ反対は、女性が自らを守るための正当な要求だったのだ。
そこに弱者と弱者の連帯はなく、女性たちは難民よりも女性の方が弱者だと主張した。(強調は引用者)

イスラモフォビア」という言葉が最近生まれてきています。女性(主に非イスラム教圏の先進国の女性)あるいはフェミニストの中にも、ムスリムであることを即座に暴力的な男性像と結びつけてレッテル貼りする発想が、残念ながら存在しています。しかしそれと同時に、フェミニズムの内側からそのレッテル張りに対する批判・指摘が生まれています(ex. Sara R FARRIS “In the name of women’s rights.”邦訳未発行)。
米国のアフガニスタン(タリバン政権)への攻撃の根拠は、当初は9.11に対する報復だったはずですが、女性差別への闘いのようなイメージに変化していったこともまた、考えさせられる現実です。戦争が女性を解放するという筋は、どう考えてもおかしいと思うのですが。

本書の話は、このイスラモフォビア(という言葉は本書に出てきませんが)が、男性とはいえども、その国のマジョリティ男性とは異なる状況のはずの「難民」状態の困難に目を向けない理由として機能してしまう現実を指摘しています。そもそもイエメン難民の中に女性もいるはずなのですが、それは目に映りません。
この「イエメンからの難民であり、かつ女性」という属性は、まさに複合的に社会的な脆弱さを抱えている存在なのですが、このような存在を無視することになるのです。
アメリカではかつて、黒人男性が白人女性をレイプするという理由で黒人差別が正当化され、他方で奴隷主と奴隷という関係性の時代から、白人男性が黒人女性を散々レイプしていたことはほとんどスルーされていたという歴史を想起させられます(本書でも触れられています)。
この話は、現代でも決して他人事ではありません。一部のフェミニストが、トランスジェンダーのトイレの使用に対し「性犯罪」の恐れを理由に固く拒絶し、トランス女性に対する差別の言説が存在していますが(本書では第9章「みんなのための平等」という章に「みんなのトイレ」という項があるので、ここも一読をお勧めです)、これもまた「弱者」が「弱者」と連帯できていない、厳しい一例だと私は考えています。

意識よりも社会の制度・構造を変えることの大切さ

さて、この本の良い点、そして大事な点は、個人の意識のレベルから、社会の制度を変える話が出てくることです。具体的には、韓国における「差別禁止法の制定」にまで射程が及んでいるところです。日本は「LGBT理解増進法」案が否決されたというニュースがありましたが、韓国は今、包括的にあらゆる差別を禁止する法律の制定に向けて動いています。差別の問題を「差別的な言葉を吐かない」のような個人のコミュニケーションだけに焦点を当てるのではなく、その個々人の態度を支える社会構造にまで焦点を当て、その構造を変えようとする試みが紹介されています。
他国はともかく、差し当たり日本では、コミュニケーションをスキルとして個人化して考える傾向があります。下手をすれば、「差別しない」ということも「コミュニケーションスキル」的に個人化して回収されかねません。自分が受けた差別のみならず、自分が行ってしまっている差別のことを、個のレベルから社会構造や制度の問題と接続して、根気よく考えるには必読の本と言えるでしょう。

最後に。このnote株式会社が運営するコンテンツ配信サイト「cakes」では、DV被害の相談を「嘘」だと決めつけたり、ホームレス状態の人を「観察」するような態度でのレポートが「優秀作」を受賞したり、それを謝罪する代表の挨拶が、経緯と再発防止の対策を語るのではなく、あくまで自分語りになっていたことに批判が集中したりといった事件があり、私自身、この媒体にものを書くということに躊躇いがありましたし、今もあります。
それでも、この媒体にものを書こうと思うのは、拡散力の強さもありますが、この媒体に少なくとも私が書く場合は、note株式会社が起こしている事件を、こうやって書いていこうと考えたからです。それはnote株式会社への批判でもありつつ、事件を「忘れない」ということが、このような差別に対する抵抗そのものだと思っているからです。

差別とたたかうために、社会構造を見据えながら、しかし自分の足元でやれることをやっていくこと。これを本書で学び、またそれを今日もささやかにやっていこうという思いを、拙稿から汲み取っていただけたら幸いです。

本書の出版記念イベントが11月20日にHMV&BOOKS SHIBUYAで開催されます。韓国語翻訳者のすんみさんと本書の翻訳に携わった尹怡景さん、梁・永山聡子さんの3人のクロストークです。お席が限られますのでお早めにご予約ください。


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