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先生が先生になれない世の中で(5)コロナ危機と教育――今こそ少人数学級の実現を

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

新型コロナウイルスの感染拡大を機に、教育界にずっとくすぶっていた少人数学級の実現を求める声が高まっている。

7月、すでに声を上げてきた教員や教職員組合に、教育学者らによる署名運動が合流した。そこには、大御所を含めて数多くの教育学者が呼びかけ人として名を連ね、議員の肩書をもつ僕や、元文部科学省事務次官の前川喜平さんも加わった。

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(注)この署名には、写真にある呼びかけ人のほか、賛同者として数多くの教育学者、そして脳科学者の茂木健一郎氏、東京大学名誉教授の上野千鶴子氏、ジャーナリストの津田大介氏などの著名人も名を連ねている。

以前にも紹介したように、教育哲学者の故大田堯先生は、自然界における生命の営みとして教育をとらえ直す必要性を訴えている。命あるものなら誰しも、学ばなくては生きていけない。そして、それは「ちがう、かかわる、かわる」のくり返しだという。

命あるものなら、ただ一つとして同じものはない。それが他者との出会いのなかで様々な刺激を受け、環境を知り、世界に唯一無二の「私」に気づく。そして他者とかかわるなかで折り合いをつけていく。それが生きることであり、学ぶということなのだ、と。

それなのに、日本の教育は点数競争に明け暮れ、子どもを数値化して一斉評価し、一人ひとりの個性を見えにくくしてきた。今では「個別最適化学習」の名の下に、教育現場へのAIの導入も始まっている。

しかし、考えてみれば、優秀な教師は昔から「個別最適化学習」をしてきたのだ。学校には様々な機能があるが、一言で表現するとしたら、それは「人を育てる場所」だ。AIの導入よりも先に、すべての教師が子ども一人ひとりの個性と出会い、集った子どもたちの多様性を祝福できるよう、正規教員の増加による少人数学級制の実現を切に願う。

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コロナ休校中、多くの子が学校の再開を心待ちにしていた。コロナ禍は、学校がいかに危機に弱いかだけでなく、どれだけ子どもたちにとって大切な場所であるかを私たちに教えてくれた。

子どもたちが楽しみにしていたプールや学校行事などをつぶして、休みなく授業ばかりしていたら、逆に学校ギライ勉強ギライを大量生産してしまう。

今こそ子どもの声に寄り添って、日本の教育そのものを問い直す時期ではないだろうか。一人でも多くの方々の応援をお願いしたい。

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鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。Twitter:@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2020年9月号からの転載記事です。


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