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僕らと命のプレリュード 第32話

 美鶴市にある噴水公園。本来であれば多くの人が穏やかな時間を過ごしているそこに、黒い肌で大きな体をした化け物がいた。その体の多くは脂肪で、顔には目が1つしかない。そして、敵の周りには、多くの人がぐったりとした様子で倒れている。

『相手のアビリティは『吸収』です!周囲の人の体力を奪って、自分のモノにする力です!体力を奪う攻撃に注意してください!』

「了解!」

 体力を奪うとなると、迂闊に近づくのは危険だ。幸い、海奈も花琳も遠距離型だった。

「姉さん、相手に近づきすぎないように戦おう。2人で撹乱して、隙をついて銃でとどめを刺す。どうかな?」

「分かったわ。……じゃあ、私は反対方向からいく!」

「うん。……いくぞ!『激流』!!」

 海奈は勢いよく水流を放つ。水流は高次元生物に当たったが、多くの人の力を吸収しているからか、その巨体は倒れない。

 水流に反応した高次元生物が海奈を睨み、のしのしと近づいてくる。海奈はいつでも攻撃できるように構えたまま、ゆっくりと後ずさった。

「『木の葉』!」

 花琳が繰り出した鋭い葉の渦が、背後から高次元生物を捉えて切りつける。

「グ……ウォォォ……!」

 それに怒ったのか、高次元生物が、地面を強く殴りつけた。すると、地面が大きく揺れて海奈は体制を崩してしまう。

「海奈!」

 花琳の声で顔を上げると、目の前に高次元生物が迫っていた。

「ッ……!そう簡単にやられるか!『白糸』!」

 海奈が手を地面につけて叫ぶと、高次元生物との間に大きな波が打ち上がった。高次元生物は波に怯み動きを止める。その隙に、海奈は高次元生物と距離を取った。

「ウォォォ……!」

 高次元生物は咆哮を上げて右手を掲げる。すると、その右手から紫色の光線が放たれた。

「っ……!」

 絶え間なく放たれる光線を、海奈は走って躱す。光線がマントの裾を掠めて、海奈の鼻に焦げ臭い匂いがこびひついた。

『海奈さん!あの光線が『吸収』の正体です!あれに当たれば、体力が吸収されてしまいます!』

「く…………了解ッ!」

(敵の攻撃に当たる訳にはいかない……。でも、逃げてばかりじゃ埒が明かない。攻撃の手を止めちゃダメだ!)

「『水柱』!」

 海奈は走りながら高次元生物の足元に水流を放つ。すると水で濡れた地面から、勢いよく水が吹き上がった。

「グ……!」

 高次元生物が、それを躱すのに失敗して転倒する。そこを、花琳がすかさず『蔦』で縛った。

「海奈!今よ!」

 花琳の言葉に頷き、海奈は腰のポーチにある銃を手に取り、放とうとした。しかしその時、高次元生物の『光線』が当たっていたのか、高さのある石造りの噴水が、グラリと崩れ始めたのだ。そして、その近くに、1人の女性が倒れているのにも、海奈はすぐに気がついた。

「……!危ないッ!!」

 海奈は銃を捨てて、その女性の傍に駆け寄ると、崩れてくる噴水の頭に向かって、『激流』を放った。

 激しい水流によって、噴水の頭が押し返される。やがで、その大きな石の塊は、噴水の下に溜まった水の中に落下し、大きく飛沫を上げた。その水飛沫が激しく降りかかり、海奈は思わず目を閉じる。

「ッ…………!」

 顔にかかった水を腕で拭い、海奈は女性の無事を確認しようとしゃがみこむ。

「大丈夫…………っ、え…………?」

 そして、気づいてしまった。その女性が、海奈自身がずっと恐れていた人だということに。

「母、さん…………」

 海奈の口から、そう零れると、その女性……海奈の母は、虚ろな目のまま娘を見た。

「海奈…………」

 高次元生物に体力を吸われたからか、その瞳に生気は無く……海奈を怒鳴りつけてきた、あの時の母の面影は、どこにも無かった。

 しかし……。

「っ…………、はぁっ、はぁっ…………」

 怖くて、呼吸が上手くできない。

(何してるんだ、俺……大丈夫ですかって聞かなきゃダメだろ?俺は特部なんだから……。それなのに、こんな態度じゃ……また、母さんに責められる……!)

「海奈」

 女性が、もう一度海奈の名前を呼んだ。次に言われる言葉が怖くて、海奈はズルズルと後ずさってしまった。しかし、そんな彼女に対して、女性が発したのは意外な言葉だった。

「ごめんなさい、海奈」

「……っ、え…………?」

 海奈は耳を疑った。母が自分に謝るなんて、信じられなかったから。

 でも、彼女の目は確かに海奈に向けられている。高次元生物のせいで体に力は入らないようで、こちらに近づいてくることは無かったが……辛うじて動かせるのであろう左腕を、海奈に向かって伸ばしていた。

まるで、彼女を抱きしめようとしているかのように。

「ごめんなさい……普通に産んであげられなくて、ごめんなさい…………」

 海奈の母の頬を、涙が伝った。

「あなたに……普通の幸せを掴んで欲しかった。なのに……それができない身体で産んで、ごめんなさい…………私のせい。全部、私の、せい…………」

 海奈の母は、そう言ってボロボロと涙を零す。その姿が、海奈の胸を、チクチクと刺した。

(母さんは、俺を普通に産めなかったことを、ずっと後悔してたんだ。だから、俺が普通に生きられるように……女性らしく生きることを、強要していた。俺を幸せにしたい一心で……俺のことを、責めてたんだ。でも…………。でもさ……!)

「普通の幸せって……なんだよッ!!」

 海奈は、母親を睨みながら、叫んだ。

「俺にとっての普通の幸せは……俺のこと、受け入れてもらえることだよ!!友達や、姉さんや、父さんや……母さんに!」

 初めてぶつけた本音と共に、海奈の目から涙が堰を切って溢れ出す。

「なんで…………ありのままの俺のこと、愛してくれなかったの…………」

「海奈…………」

「俺……母さんに、愛されたかった、よ。…………普通の家族みたいに…………!」

 ドロドロとした、何年も何年も煮詰めた真っ黒な感情が、嗚咽と共に吐き出されていく。

その感情を受け止め、海奈の母親もまた涙を流しながら、彼女に手を伸ばすのをやめなかった。

「海奈……。ごめん、なさい。ごめんなさい…………。私、あなたのためにしたことで、あなたのこと、苦しめてた…………」

「今更、謝られたって…………俺、どうしたらいいんだよ…………」

 海奈は止まらない涙を必死に拭った。視界がぼやけて、母の姿が滲む。彼女がどんな顔をしているのか、分からなくなる。

「…………分かんないよ。突然謝ってきた母さんの気持ちも、自分の気持ちも…………」

 海奈が、自分の心の中の荒波に足を取られて溺れていた時だった。

 ブチィッ!と音がして……高次元生物を縛っていた花琳の『蔦』が、切れた。

「っ……!そんな…………!」

 動揺する花琳のことを、高次元生物が殴り飛ばす。

「うっ……!」

「姉さん…………!」

 花琳は地面に強く体を打ちつけて、苦しそうに呻く。何とかして立ち上がろうとするも、力が入らない様子だった。

 高次元生物が、花琳に向かって『光線』を放とうと構える。それを見た海奈は、直ぐに思い出した。

(俺は……俺を認めてくれる人のために、生き抜いてみせるって、決めただろ)

海奈は、涙を拭って立ち上がり、大切な姉の元へ走り出した。

(姉さんや、特部の仲間のために、俺は前を向いて戦うんだ。もう、過去に囚われるのはやめにしたんだ!)

 海奈は花琳の元へ駆け寄ると、彼女を庇うように、高次元生物の前に立ち塞がった。

「俺の大事な姉さんに、手を出すなッ!!」

「グォォォ……」

 高次元生物の腕に紫色の光が集まり『光線』が放たれようとする。先程銃を捨ててしまったため、相手を倒すことはできない。しかし、絶対に、負けたくなかった。自分のことを、ずっと守ってくれていた姉のことを、守りたい。その一心で、海奈は奴を強く睨みつけていた。

「ウォォォ!」

 咆哮と共に、『光線』が放たれようとした…………その時、だった。

 海奈と高次元生物の間に……見慣れた、明るい茶髪の男子が現れたのは。

「深也!」

「悪いけど、外さないよ……!」

 深也はそう言って、銃を発砲した。パァン!という大きな音と共に、高次元生物の心臓部に穴が空く。すると高次元生物は、そのままゆらりと後ろに倒れ込んだ。

「……やったか」

『高次元生物の反応、消滅しました!』

 真崎のオペレーションが聞こえて、力が抜けた海奈はその場にへたりこんでしまった。

「応援……間に合ってよかった」

 深也はそう呟くと、膝をついて海奈に手を差し伸べる。

「だ、大丈夫、だった?」

 その顔が、あまりにも心配そうだったから……海奈は思わず、くすりと笑ってしまった。

「大丈夫だよ。深也が助けてくれたからさ」

 海奈は深也の手を掴んで、立ち上がる。

「ありがとう。助けに来てくれて」

「……う、うん。あ、花琳さんも、大丈夫、ですか…………?」

 海奈の言葉に静かに微笑んだ深也は、花琳に気づくと、直ぐに彼女の体を起こして心配そうに顔を覗き込んだ。

「うん…………大丈夫よ。ありがとう、深也君」

 そう微笑んで立ち上がろうとする花琳の体を、今度は海奈がしっかり支える。

「姉さん、大丈夫?」

「うん。……海奈も、ありがとう。私のこと、守ろうとしてくれたのよね」

 花琳はそう言うと、優しく笑った。

「海奈がいてくれて、本当に良かった」

「……ううん、それはこっちのセリフだよ」

 花琳の笑顔に、海奈も笑顔を向けながら、言葉を紡ぐ。

「姉さんがいたから、辛かった時も頑張れたんだ。姉さんがいたから、特部に入れて……俺は今、こうして前を向いて生きてられてる。姉さん、本当にありがとう」

 海奈の言葉に、花琳は幸せそうな顔で微笑んだ。

「海奈、花琳ちゃん…………」

 向こうから、2人の母親がふらつきながら近寄ってくる。

「っ…………ごめんなさい。私のせいで……家を出ていったのよね?」

 2人の母親は、泣きながら……海奈と花琳の前に、崩れ落ちた。

「ずっと、ずっと…………謝り、たかった…………」

 彼女は肩を震わせながら、コンクリートの地面を涙で濡らした。

「ごめんなさい……私のせいで…………幸せにしてあげられなくて、ごめんなさい…………!」

 泣きじゃくる母親を見て、花琳はただ戸惑っていた。

海奈はというと……確かに、 先程は、どうしたらいいのか分からなかった。しかし、大事な決意を思い出した今なら、ハッキリ答えられる。そう思い、海奈は迷わず口を開いた。

「母さん、俺、今ちゃんと幸せだよ」

「っ…………、え?」

 驚いた表情でこちらを見上げる母に、海奈は静かに告げる。

「仲間ができたんだ。ありのままの俺のこと、認めてくれる仲間が。姉さんや、特部のみんなが居てくれるから……俺、今、笑顔で生活できてる。体と心がチグハグでもさ、普通の幸せは手に入るってこと、みんなが教えてくれた」

 海奈はそこまで言うと……母親に微笑んだ。

「だから、俺は自分らしく生きるよ。自分らしく生きて……絶対に幸せになる。だから、もう心配しないで」

「っ……海奈…………!」

 海奈の母の瞳から、再び涙が溢れ出す。海奈と花琳は、母の前にしゃがんで、その背中をさすった。彼女が落ち着くまで、ずっと…………。

「…………海奈。…………幸せに、なってね。花琳ちゃん、海奈のこと、よろしくね」

 泣き止んだ2人の母は、目を赤く腫らしながら……それでも、優しく微笑みながらそう言った。海奈が初めて見た、母の笑顔だった。

 公園から立ち去っていく母を見送り、海奈達もまた、通信機に付属している簡易転送装置で、中央支部へと帰還した。


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