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僕らと命のプレリュード 第30話

 ある朝、海奈が花琳と一緒に談話室に居ると、扉が開いて琴森がやって来た。

「海奈さん、少しいい?」

「どうかしたんですか?」

「中央支部に電話がかかってきたの。あなたのお母さんからみたいだけど……出られそう?」

「っ……母さん、から…………」

 海奈の脳裏に、小さい頃に母から受けた仕打ちが蘇る。女の子らしくしろと怒鳴り散らされたこと。お前はいらないと殴られたこと。……包丁を向けられたこともあった。それこそ、先日の任務で高次元生物に見せられた幻のように。

(あんなことしておいて……今更、俺に何の用だよ……!)

 海奈が険しい顔をしていると、琴森は優しく

「海奈さん……無理そうなら、こちらから断っておくから、大丈夫よ」

と、言ってくれた。

「琴森さん……すみません。俺、母さんと話せそうにない、です」

「……うん。分かったわ。じゃあ、断っておくから。心配しないでね」

「……はい。すみません」

 海奈は頭を下げて、部屋を出ていく琴森を見送った。その様子を見ていた花琳が、海奈に歩み寄って背中をさする。

「海奈。……大丈夫だからね。……大丈夫」

 「大丈夫」と、海奈を安心させようとしてくれる花琳。その表情は、言葉とは裏腹に心配そうに歪んでいた。

「姉さん……。うん。もう大丈夫だよ。ありがとう」

 海奈が頑張って笑顔を作ると、花琳は不安げだったものの、やがて優しく微笑んでくれた。

    その笑顔を見て、海奈はふと、特部に来たばかりの頃のことを思い出した。

(……姉さん、昔からこうやって、俺のことを守ろうとしてくれてたな。家出同然に中央支部に来た、あの時も……電車の中でずっと手を握ってくれてた)

「海奈、一緒に家を出ましょう。家を出て……特部に入って、自分達だけで暮らしていきましょう。大丈夫。姉さんがついてるから」

 海奈が中学1年生だった頃の夏休み、花琳と海奈は、一通の置き手紙を残して家を飛び出した。

 リュックサックに詰めたのは、2、3日分の着替えと、お小遣いが全額入った財布だけ。全額といっても、中学生のお小遣いなんて大した額じゃない。せいぜい、2人で足して1万円ぐらいだ。しかも、その1万円も天ヶ原町までの電車代で半分以上無くなってしまった。

 当時、海奈には東京に知り合いなんていなかった。特部に入れてもらえなかったら行く宛てもない。それに、帰りの電車賃も足りない。その時はただ、不安でいっぱいだった。

 2人が中央支部に着いたのは、すっかり日が暮れた後だった。入口に入るなり、花琳は身を乗り出す勢いで、窓口にいる琴森に頼み込んだ。

「あの!ここで1番偉い人に会わせて下さい!私達、特部に入りたいんです!」

 花琳の必死な様子に、琴森は戸惑う。

「と、突然そんなこと言われても困るわ。あなた達、どこから来たの?親御さんは?」

 親御さん……その言葉に、海奈の体がビクリと強ばった。両腕を抱いて僅かに後ずさった彼女の、その些細な挙動を、琴森は見逃さなかった。

「……何かワケありみたいね。ゆっくり話を聞かせて欲しいから、事務室に来て。案内するから」

 琴森はそう言うと、窓口になってる部屋から出てきて、海奈と花琳を事務室に連れて行ってくれた。

 ……事務室のドアを開けると、何人か制服を着た職員がデスクでパソコン作業をしていた。その中には、2人の母と同じくらい年齢に見える女性もいたため、海奈は恐怖のあまり顔をあげられなかった。

 琴森は、部屋の隅にある応接スペースの小さなソファに海奈達を案内すると、向かい側のソファに座って2人に優しい笑顔を向ける。その笑顔は、きっと海奈の様子を見て気を遣ったものだろう。

「……自己紹介してなかったわね。私は琴森聡美。特部中央支部の職員です。あなたたちのことも、教えてくれる?」

「私、美ヶ森花琳です!こっちは妹の海奈です。私達、特部に入りたくて……」

「本当にそれだけ?」

 花琳の一生懸命な返答に対して、琴森は鋭い質問を投げつける。

「ただ特部に入りたかったから、ここに来たの?」

「っ……えっ……と…………」

「……結論から言うわね。戦う覚悟がない人を、特部に入れることはできません。なぜなら、危険すぎるから」

「っ…………!」

「もし、大した理由もなくここに来たなら、帰ってもらうしかない。…………でも」

 そこまで言って、琴森は、海奈のことを真っ直ぐに見た。その視線に緊張してしまい、海奈は思わず視線を逸らしてしまう。

「……海奈さんって言ったわね」

「っ、は、はい……」

「あなた、ここに来てから、ずっと何かに怯えてる。……何か、ここに来なきゃいけない訳があったのよね」

「っ……えっと、それ、は……」

 何年もの間、母親に責められ続け、殴られたこと。それを言おうとして、は口を噤んだ。

(もし……ここで、本当のことを言ったら、母さんは絶対に俺を責める。それは……嫌だ……)

 何も言えずに黙ってしまう海奈に対して、琴森は静かに告げる。

「あなた達を特部に入れることはできない。でも……保護する事はできる」

「……保護…………?」

 目を丸くする海奈の隣で、花琳が呆然とした様子で琴森に尋ねる。

「海奈のこと…………助けてくれるんですか?」

「ええ。特部は警察アビリティ課の姉妹組織。警察とも繋がっている。だから……警察から許諾を受ければ保護も可能よ」

「っ…………じ、じゃあ、もう、母さんのところに帰らなくても、いい、の……?」

「そうね。あなた達が、事情を話してくれれば……私達もあなた達のことを守れるわ。だから、お話してくれる?」

 琴森はそう言うと、優しく微笑んで海奈を見た。その優しい笑顔に、安心して…………海奈の目から、堰を切ったように涙が溢れた。

 海奈は泣きじゃくりながら、今まで受けてきた仕打ちを訴えた。花琳は、その間ずっと海奈の手を握っていた。そして、琴森も、彼女の話を一切否定せずに、静かに話を聞いてくれた。

 全て話し終わり、総隊長である千秋にもにも話が通った後、海奈と花琳は正式に特部で保護されることになったのだ。


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