映画_#1_シェイプ・オブ・ウォーター
夏に観たい映画(2024)というリストを作り、実際に観て感想を書こうというこころみです。詳細は以下から。
今回は『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て思ったことを書きます。
1.かんたんな導入
舞台は冷戦時代のアメリカ。主人公のイライザは生まれつき発声ができない。画家で同性愛者のジャイルズと共に暮らし、友達の黒人女性であるゼルダと一緒に航空宇宙科学センターで掃除婦として働いている。
平坦な日常だったけれど、ある日掃除のために呼ばれた地下室で、鎖に繋がれた謎の生き物(以下“彼”とする)を見たことから物語が動き始める。
2.感想:色の対比から構造を読んでみる
緑色と赤色の対比が映画を通して最も印象的だった。
緑色の意味を一番わかりやすく体現しているのが、イライザたちのライバルであるストリックランドだ。
彼はアメリカの白人男性で、背が高くマッチョな男前。冷戦、つまり宇宙競争の激しい時代に航空宇宙科学センターで働いているエリートだ。もちろん高級取りで、車を買おうと思えば1台余裕でポンと買えてしまう。そして(ここまで来ればある意味当然だけど)ストレートで、家に帰れば家庭的な奥さんと男女2人の子どもが待っている。
話の中で、彼は衒いもなく「神は私のような姿をしている」と言ってのける。彼は神、つまり理想とされた姿の体現者なのだ。
彼はいつも緑色のコーティングがかかった飴玉を食べ、緑色(ディーラーによると「ティール」だそう)の車に乗っている。家に帰ると出迎えてくれる奥さんは緑色のゼリーを作って待っている……と緑色づくしだ。
つまりここでの緑色は、この当時の理想や「decent」(字幕では「まとも」とされていた)な状態を表す色だと言えるだろう。
対する赤色は、主人公のイライザに見られる色だ。
彼女は自分と同じで言葉を発せられない“彼”と手話で意思疎通を行い、感情を交わす中で、“彼”は自分と同じだと思い始める。そして“彼”を研究所から逃がし家に連れ帰り、自由の身にしようと試みる。
彼女は最初、職場の制服から寝巻きまで緑一色の服装だった。そしてストリックランドに侮辱されても黙っているだけだった。けれど"彼“を研究所から逃がした場面をターニングポイントに、カチューシャや靴に赤色が見られるようになる。そしてストリックランドに対して明確な敵意を表し始めたのもこの時からで、彼に指文字で「くたばれ」とまで言い放つ。
彼女は最初自分が(外部から定められた規範とも言える)「decent」には当てはまらないことをどこか受け入れていて、侮辱や差別をされるのに耐えていたけれど、“彼“との交流を通じて、自分は知性も感情もある1人の人間であり、周囲と何ら変わりはないのだと思うようになって、抵抗するようになったと言えるだろう。
このことから、赤色は理想や「まとも」とされる状態への対抗を表す色だと言える。ついでに言えば赤は緑の補色だし、共産主義のことも「赤」と言う。けれど、ソ連の科学者であるディミトリに赤色が使われているところを見つけられなかったので、緑-赤の対比が資本-共産まで及ぶかは言い切れない気もする。
この対比が見られる他の人物を挙げるとするなら、画家のジャイルズだろう。
彼は最初、ポスターに赤色のゼリーを描いてエージェント(なのかな)に提出し、もう一度契約を結ぶことを求めた(という流れだったと思う。正直エージェントとのやり取りをあまり覚えていない)。けれど緑色に書き直すように言われたうえ、直したものも結局受け取ってもらえなかった。恐らく、彼はそれ以上エージェントに働きかけるのをやめたのだと思う。
そしてその前後に、ジャイルズがパイ屋の男性店員に恋をしたものの拒絶される、というエピソードが挟まる。そして彼はこの出来事をきっかけに、イライザによる“彼“の脱走計画に協力することを決めるのだ。
このことから考えるに、彼は最初、自分を偽ってまで受け入れてもらおうとしていたものの、周囲のマジョリティからは拒絶されたことで、ありのままの自分としてそれに抵抗しようとしたのではないだろうか。
同性愛者でずっと独り身だったジャイルズが描いたポスターの、両親と子ども2人が緑色のゼリーを囲む図が、後半に出てくるストリックランドの家庭と見事に一致するのがつらすぎた。そしてその点、イライザのラブストーリーは人間の男性相手のものじゃなくてよかったなと思うし、最後までイライザとジャイルズがとてもよい友人関係だったのも好感が持てた。
ストリックランドも、彼は彼で理想の姿であり続けることに苦しんでいた様子がちゃんとあった。彼は終盤、“彼“に食いちぎられたあと無理やり繋げていた指が壊死していくのを見ながら、上司に「自分がまともな男であることはいつまで証明し続ければよいのです?」と言っていた。フェミニズムに対する男性学みたいな位置付けの場面かなと思った(このあたりはうまく言語化できている自信がない)。
総括として(私は総括を書くのがものすごく苦手だ)、色とその対比を通じて、マジョリティに対抗するマイノリティを描いた映画だなと思った。多分監督のバックグラウンドとかを調べたらもっと納得がいくのだと思うけれど、あくまで1回観たうえでの感想にとどめたいのでこのあたりにしておく。
3.うまくまとめきれなかった感想
①主人公イライザ=人魚姫モチーフ説
声が出ない、靴=脚へのこだわり(靴磨きのシーンから)、えらのような首の傷跡から。“彼“も半魚人だし、多分そうじゃないかな。傷跡に関しては、彼女が生きて呼吸をするのはこの場所じゃないということの暗示で、最後に“彼”と水中へ沈む場面に繋がっていたりするのかなとも思った。
最初、タイトル「シェイプ・オブ・ウォーター」の由来は、ヘレン・ケラーが最初に発した言葉である「water」から来ているのかなとも思った。確かサリバン先生が彼女に水を触らせながら、つまり形を教えながら「これは“water”だ」と教えていたはずだし。でもこれは違う気もする。最後に引用元の詩があったから。
②終わり方について
おとぎ話のような、ある種想像に任せるような終わり方の形をとってくれてよかった。マイノリティの人間って結局最後死ぬのねハイハイ……悲劇の装置でしかないのね……みたいな感じになるのいやだから、想像の中だったとしてもハッピーエンドでよかった。
③ディミトリ、本当にかっこいい
全然書けなかったけど、ディミトリ本当にかっこよかった。絶対あの映画観た人全員ディミトリのこと好きだと思う。私は彼がゼルダに本名を告げて、「会えてよかった」と言うシーンが一番好き。ものすごい友愛と敬意を感じる。ディミトリって名前を聞いた後だと、彼の「ボブじゃない感」はすごい。
あと、ディミトリが言っていた「あの複雑で美しいものを殺したくない」っていうのは、“彼”だけじゃなくて人間一般のことも指すのかなと思ったりした。
④アマゾンの奥地……?
私は地理に本当に弱いのでよくわかっていないのだけれど、“彼“は塩水の中で生きるふうの描写があったのに、「アマゾンの奥地で信仰されている」の? アマゾンって川だから淡水なのでは……? それとも汽水域があったりする? それとも「アマゾンの奥地」=「全然よくわかっていない、理解が進んでいない」という暗喩?
途中で人類学の話がでてきたり、“彼”が忍び込んだ劇場で文化人類学っぽい映画を観るシーンがあった。あれの意味がわかる人なら、もっとこの映画の深みを見られるんだろうな。私は大学1年の時に一般教養で受けたきりなのでまったくわからなかった。もっと学びたい。
⑤「牛乳」のメタファー
ストリックランドと牛乳の入ったグラスが一緒に映った時、あ! 洋画でめっちゃ見るやつ! と思った。白人至上主義の暗喩。私が最初に見たのは『ゲット・アウト』で、主人公の恋人がカラフルなシリアルに牛乳をかけて食べるシーンだった。グロテスクで覚えている。あの監督の映画もまた観たい。次は『アス』がいいな。
あと水との対比もあったりするのかな? と思った。ディミトリの前に水の入ったグラスが置かれている場面があって、私が覚えているかぎりだとグラスがデカデカと映し出されたのはこの2つだけだったような気がするから。
4.おわりに
最初から飛ばしすぎた感じがしないでもないです。でも全体的に対比や暗喩が多めで読み解くのが楽しかった。飛ばしがいのある映画でした。
同時に、自分の知識のなさも思い知らされた。そして「映画は意味の王国」という言葉をずっと噛み締めながら観ていた。映画ってすごすぎ。
次はこのまま『コーダ あいのうた』を観るか、邦画のどれかを観るかで迷っています。よければ次も読んでね。
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