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手刺繍Tシャツを作っている。 何日もそんなんで終わる日々。 心のリハビリと、刺繍の練習も兼ねている。 刺繍が好きだ。刺繍の洋服も小物も宝物みたいに大好き。それは小さい頃からのことで、私にとっては優しい言葉のようなおまじないのような、そんな幸せを表すものでもある。昔は刺繍のものって子供や女性の持ち物や服に多かった。その可愛らしさも美しさも勿論あるけれど、何かしらの憧れを私は刺繍に持っていて、今も刺繍のある服に惚れやすい。 だから、やっぱりやってみたい。まだまだ上手くない
こうやって見ているとnoteにはたくさんの写真についての記事がある。ノウハウだったり、記録だったり、機材紹介のあれこれだったり。写真好きな皆さん、カメラ好きな皆さん、そうゆうの好きなんだろうなあ。 私にとって写真は動物的なものでもあって、あれこれ考えたりはしない。あれ?とかいうとまるでなんも考えてないやつみたいだ(笑)違う違う、考えてないわけでなくて、私は自分がときめくかどうかを大事にしてる。街や他人を撮るときはときめくかどうかだけ。構図とか色はときめくポイントでシャッター
描きたい絵ばかり描いて売れようなんて、ワガママだ。以前、名の知れた方にそう言われた。 ワガママってなによ?反射的に怒りで私の内側は熱くなった。イラッとすると身体が熱を持つのは他の人も同じなんだろうか。熱くなったのを気づかれないように、穏やかな口調のままテキトーに返事をする。別に知りたいわけじゃないけれど、そんなに自信たっぷりに言うならどんな絵ならワガママじゃないんだ?と穏やかな口調のまま質問してみた。くだらなかった。あなたの裸婦像なら売れる、ってさ。くだらなすぎる。仮にその
高校生のころ、バンド活動をする子がわりといて、それを見に何度か来た街。そんな街が下北沢でした。バンドブームってのは過去にもたくさんあったのだろうけれど、あの頃は男の子だけでなく女の子のバンドたくさんも出たのも特徴だったのかなと思う、友達も歌を歌っていたり、演奏をしたり、よく見ていたのを思い出します。
個展開催中だから、今回は展示している絵について。 顔に花のある女の子が生まれたのは、私が中学生のころ。ちょっとしたイラストでよく描いていました。その時は2頭身のキャラクターで、それを少し前に思い出してDEMO GIRLとして新たに描きはじめました。 女性は花だと例えられます。美しいってだけならいい意味だけど、その花は喋らない花なんじゃないかと私は感じてしまう。昔のことかもしれませんが、女は余計な事を喋らずニコニコしていろと、それが美しさ賢さであるとされてきた時代があります
「俺って何点?」 知人が出会った男性にそう聞かれたらしい。私はしょうもない飲み屋トークだなあと呆れて、その知人は人に点数を付けるなんて有り得ないと怒っていた。 そんなことを聞いてきた時点で0点どころかマイナスの印象なんだけれど、そうゆう人ってのは相手にも点数をつけているだろうから気分が悪い。自分は点数をつけてもらえる人間で、自分は点数をつけていい人間だと思ってる?あぁ、すごくすごく気持ち悪い。 仕事によっては他人に対し点数をつけなくてはならない時があるかもしれないけれど
視界が世界が真っ白になったことがあった。私が21歳くらいの頃だ。 よく誰もが経験したことのあるようなショックで目の前が真っ白になったなんてことじゃなくて、現実世界の全てが真っ白になった。 その日、医者の言葉から自分の心はもう治ることはないと告げられたように感じ、その瞬間、私の視界には光が広がり、あっと言う間に世界が真っ白に変わってしまった。 街の景色も人間も、木だってビルだって信号機だって全部が真っ白。車も自動販売機も街の看板も見渡す限りの全てのものが真っ白。すれ違う人
裁縫が出来る人に憧れる。 なんであんなにさくさくと真っ直ぐに縫えるんだろ。布のパーツから生まれるスカートやカバンがキラキラして見えて、なんだか賢いなあと、魔法みたいだなあと、子供の頃から憧れている。 昔の人は裁縫が出来て当たり前だったのだろうか。洋服も家の中のあれやこれやも、手作りしないとならなかったと聞く。私もその時代に生きていたら裁縫上手だったのかしらと想像してみるけれど、全くイメージがわかない。
絵の話をちょっと話していた時のこと。 作風として赤と青にこだわっているのか?と聞かれ「こだわってはいない」と反射的に答える。じゃあ他の色の表現もしたら?と言われると「他の色が見えない」とまた反射的に言葉が出る。こだわっているという言葉の意味や受け取り方はなかなか難しい。私は赤と青の絵しか描きません!なんて決めているわけでもなく、その表現しかしたくありません!なんて主張からくるものじゃない。ただ、ただ単にハッキリした色しか見えないだけ。 赤と青は初歩的な色だし子供のようでもあ
魂の絵が変わってきた。描けなくなってしまったからだ。 描けなくなるって不思議だ。絵は人生をその人そのものを表すけれど、特に私は心の絵だから描けなくなる。心のままの絵だから。 しばらくは筆をキャンバスにのせることすら出来なかった。そこからやっと、ちょっと色を付けることが出来て、その次になんとなく完成が見えたか?くらいの状態には持っていけた。 で仕上がったけれど、なんかちょっと違う。 いいんだけど、やっぱりちょっと違う。 私はこんな人じゃない。 色を塗ることが、あまり好きじ
写真を始めた時、私はまず私自身を撮影した。セルフポートレートのヌード撮影。それ以外何も撮れる気がしなかったし、それしか目的がなかった。 私にとってヌードは傷だ。 体の美しいラインとか、綺麗なパーツに注目しないわけではないけれど、私にとって女体美は傷が美しいことを表すための演出材料。 人間の個性には心の傷が刻まれている、性格にも顔にも身体にも過去を纏っている。人間は顔を取り繕うのは上手いけれど、裸体は無防備に裸体でしかなくなる。過去は服を脱いだらごまかせないと私は思う。 私
4/3 散歩中、犬触らせてくださいなんてバカバカしいナンパをされる。 ナンパされるのは本当に嫌だ。
9/12 朝から皮膚科へ。 アレルギー検査をした。しかし、安い検査セットには、私が疑ってる大豆、パクチー、ぶどう、ナシが全部入っているものはない。 大豆は可能性低いと思うけどな。 はっきりさせたほうが良いだろうから。
8/29 絵を頑張るぞ〜!って、作業らしい作業工程のみしか出来ず、先に進んだ感じがしない。 11月のFACE TO FACEで自画像としての花を描こうとしたらけど、ステートメントを書いたこともあり、自画像が描きたい感覚だ。