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なかなかの体調不良。 これは変だと病院へ。 しばらく母親が寝込んでいたから、私にもとばっちりがきたらしい。 先週は大阪のことを書こうとして、寝込んでしまった。大阪のことを書こうかとnoteを開いたけれど、そうだな、ちょっと難しい。あんまり頭が働かない。 なので、具合が悪い日記を書きます。
近所には銭湯がない。銭湯がないなんて、ものすごくつまらない。スーパーが少ないとか、飲食店が少ないとか、そういうことにだって不満はいっぱいだけれど、銭湯がないっていうのは特大の不満だ。 地元は銭湯が多くて、気分で選べるくらいの数がある。今日はあのサウナがいいとか、深めの浴槽がいいとかって気まぐれに選び銭湯に行っていた。隣町にも銭湯はもちろんあったし、お目当てがお休みでもどうにでもなる。だから銭湯ってそんな風にその辺にあるんだろうと思い込んでいた。 銭湯がどんどん減っているっ
雨が続いた。 雨音を聞いてたら、雨音っていいよねなんて言える人にはなれないなと思った。 だってほら、雨音がうるさくて眠りにつけないし、色んな種類の雨音が気になって気が散ってしまうし。 遠くの方の雨、ベランダの手すりに落ちる雨、室外機かなにかに落ちる雨、外壁についた雨とベランダの葉っぱにあたる雨。この二つは雨粒が大きくなるから音が他より大きい。色々とバリエーションがあるなあと思いながら、これらを好きだと感じるかと考えて、さっぱり感じない。やっぱりうるさいなあが勝つ。やっぱり私
誕生日を迎えた。あーなんだか人生が終わりにどんどん向かってるなあと感じる。 誕生日じゃなくても感じるけれど、なんていうか年齢という数字に向き合うから考えてしまう。 早く大人になりたかった私ってSNSで書いた。 早く早く大人になりたかった。 小娘扱いされない大人に。 若者って記号にくくられない大人に。 私はキレやすい若者とかってマスコミに書かれた世代で、その単純な報道の仕方に怒りを覚えたし、排除されたような、腫れ物扱いされたような感覚があった。 意見は、若いくせに、小娘のくせ
手刺繍Tシャツを作っている。 何日もそんなんで終わる日々。 心のリハビリと、刺繍の練習も兼ねている。 刺繍が好きだ。刺繍の洋服も小物も宝物みたいに大好き。それは小さい頃からのことで、私にとっては優しい言葉のようなおまじないのような、そんな幸せを表すものでもある。昔は刺繍のものって子供や女性の持ち物や服に多かった。その可愛らしさも美しさも勿論あるけれど、何かしらの憧れを私は刺繍に持っていて、今も刺繍のある服に惚れやすい。 だから、やっぱりやってみたい。まだまだ上手くない
地元の祭りに行った。神輿を担ぐのが地元仲間の恒例だけど、私は時々参加するくらい。 今年はちょっとだけ顔を出した。 父の店を私は見たくない。それも大きな理由だ。 最近は地元の商店街の店の閉店が相次いでいて、新しい店が出来てはなくなるを繰り返し、もはや今が何屋なのかも記憶しなくなってきている。 子供の頃から行っている銭湯がある、そこだっていつまでやってるだろう。 長年見ていると家族経営っていう雰囲気はなく、おじさんが1人でがんばってるんじゃないかって感じがする。おじさんが休憩
在廊からの撤収作業、最終日に伊勢丹新宿へ。 作家100人くらいいたんじゃない?ってくらいの人数だったので、なんだか会場にいることがあまりよろしくないように思った。作家たちが作品前で立ち話をしすぎてる感じもあって、お客様の動きが制限されている。 そんな感じに見えて気になりすぎていられない。私は倉庫ゾーンに避難していました。
こうやって見ているとnoteにはたくさんの写真についての記事がある。ノウハウだったり、記録だったり、機材紹介のあれこれだったり。写真好きな皆さん、カメラ好きな皆さん、そうゆうの好きなんだろうなあ。 私にとって写真は動物的なものでもあって、あれこれ考えたりはしない。あれ?とかいうとまるでなんも考えてないやつみたいだ(笑)違う違う、考えてないわけでなくて、私は自分がときめくかどうかを大事にしてる。街や他人を撮るときはときめくかどうかだけ。構図とか色はときめくポイントでシャッター
描きたい絵ばかり描いて売れようなんて、ワガママだ。以前、名の知れた方にそう言われた。 ワガママってなによ?反射的に怒りで私の内側は熱くなった。イラッとすると身体が熱を持つのは他の人も同じなんだろうか。熱くなったのを気づかれないように、穏やかな口調のままテキトーに返事をする。別に知りたいわけじゃないけれど、そんなに自信たっぷりに言うならどんな絵ならワガママじゃないんだ?と穏やかな口調のまま質問してみた。くだらなかった。あなたの裸婦像なら売れる、ってさ。くだらなすぎる。仮にその
高校生のころ、バンド活動をする子がわりといて、それを見に何度か来た街。そんな街が下北沢でした。バンドブームってのは過去にもたくさんあったのだろうけれど、あの頃は男の子だけでなく女の子のバンドたくさんも出たのも特徴だったのかなと思う、友達も歌を歌っていたり、演奏をしたり、よく見ていたのを思い出します。
個展開催中だから、今回は展示している絵について。 顔に花のある女の子が生まれたのは、私が中学生のころ。ちょっとしたイラストでよく描いていました。その時は2頭身のキャラクターで、それを少し前に思い出してDEMO GIRLとして新たに描きはじめました。 女性は花だと例えられます。美しいってだけならいい意味だけど、その花は喋らない花なんじゃないかと私は感じてしまう。昔のことかもしれませんが、女は余計な事を喋らずニコニコしていろと、それが美しさ賢さであるとされてきた時代があります
1999年のノストラダムスの大予言。 こんなの絶対嘘だとか言いながら、まだ学生だった私は本当はちょっと怖かった。怖がっていたのは私だけじゃなくて、クラスメイトも地元の友達も、なんとなくそわそわしていて、テスト前なんかは「こんなん覚えてもどうせノストラダムスくるじゃん!」とか「どうせ地球が無くなるのに〜」とかって騒ぐ子らもいて教師も「そんなこと言わないー」と一応言うものの、「そんなもの来ません!」とは断言はしてくれなかった。鼻で笑う大人はいても、あり得ないとその理由を説明してく
先週の記事で、小さい頃に田舎を別の国だと思っていたことを書いたけれど、私はおままごとも国単位だったことを思い出した。 部屋をめいっぱい使って、積み木や本やブロックを並べて自分の陣地を作って、ここからここは私の国だと言っていた。おままごとと言っても、クレヨンしんちゃんのネネちゃんがやるような家庭の中を真似したものじゃなくて、私の国と友達の国とのストーリーだった。
東京から祖父母のいる山梨に行く時、電車や車から見える景色が不思議でならなかった。 建物がどんどんなくなっていく、マンションが少なくなってきて、一戸建てが増える。 お店もなくなっていくし、林や川や畑が出現するし、幼い私は「違う国なのかな?」と考えていた。 都とか市とか良く分からないし、でも明らかに全てが違うし、そうか違う国なんだ!と思っていた。 山梨のなかなかな田舎町である祖父母の地域は方言もきつく、私はそのぶっきらぼうな方言が理解出来なくて、ますます違う国なんだと思ってし