マガジンのカバー画像

「ここにある日々」

毎週月曜、エッセイだったり日記のようなときもある自由なマガジン。 日々のこと、制作のこと、私が考えてること、感じてること全て。
購読の方がお得なこともあるかも。展示情報やイベント情報のお知らせはここが一番早いかも!
¥400 / 月
運営しているクリエイター

記事一覧

作品の根「4/15-21」

ふと、私は目的を忘れているのではないかと感じる。なんだったっけ、私の目的って。 幸せって、なんだっけ? この世界の、何を得たら幸せなのか。 この世界に、何を望めば幸せなのか。 私はただ、自分の心が動く、力を描いている。 生きていることが作品だからだ。 人は作品だからだ。

有料
200

学校が合わないならば「2024/4/8-4/14」

不登校がSNSでもよく話題になっている。 不登校について悩んでる親や本人の投稿がたくさん投稿されていて、なんだか辛そうなものばかりだ。 娘は小学生から不登校気味で、中学も不登校からの退学、フリースクールと行った流れだった。 私はあまり重く受け止めなかった。だって学校のシステムとか、あの小さな社会の違和感とか、普通に居心地のいいもんじゃない。疑問を抱くなという方が無理だし、従うことが出来ない子がダメなわけじゃない。私からしたら、あー、やっぱりかぁっていうくらいのだよね感。 中学

有料
200

ミシンミシン「2024.4.1-4.7」

裁縫が出来る人に憧れる。 なんであんなにさくさくと真っ直ぐに縫えるんだろ。布のパーツから生まれるスカートやカバンがキラキラして見えて、なんだか賢いなあと、魔法みたいだなあと、子供の頃から憧れている。 昔の人は裁縫が出来て当たり前だったのだろうか。洋服も家の中のあれやこれやも、手作りしないとならなかったと聞く。私もその時代に生きていたら裁縫上手だったのかしらと想像してみるけれど、全くイメージがわかない。

有料
100

昔の自分と話す感覚

魔女の宅急便のニシンのパイの話をしていた。あんな魚の頭が突き出てるパイを作るなんて野蛮だという話になり、いやしかし魚のお造りの時に日本も魚の頭ドカーンと置くからおんなじようなもんじゃないかとか、どじょうの鍋料理の残酷感なんてもっとひどいよと説明していたら、野蛮さ加減にあらためてドン引いてしまった。うー…なんかこう命が消えていく様を見ると美味しいって気持ちも消えていく。気分を消化出来ないまま食うことなんて出来ない。 どじょう鍋も柳川鍋もどじょうが豆腐に突っ込んでいくどじょう豆

有料
200

ふらふらにて「3/18-3/24」

個展終了 色々考えること、課題がたくさん。 わりと女性が来てくれたこと、嬉しかった。 被写体さんとランチ。 被写体になる方はもがき中であることが多い。 自分に、過去に、これからに。 私は被写体さんを撮ることの継続が、なかなか難しい。写真の販売が出来ないからだ。 写真の行方を考えている。 ここ最近は、写真の行方にも悩んでいる。

いっぱいいっぱいにて:2024/311-3/17

しばらく制作でいっぱいいっぱいになるから、私は長めの文が難しいかもしれない。 次回個展の打ち合わせをし、なかなか大変な作業であることが分かってきた。私は計画的な絵を描くことに慣れていない。しかし今回は計画的なところが必要。 カラスを私は黒だけで描いた。それを見たギャラリーは混色してとのこと。 まあ確かに殺風景か。 潔さが好きなんだけれど、どうせ私の潔さはまたウケが悪いだろう。とにかく実験である。

有料
200

路上写真にて:2024/3/4-10

最近はカメラを家に忘れる。 原因はきっと、カメラを肩掛けにしたから。 あれ、コートの季節は邪魔なんだよなあ。 カメラを持つ皆さんはどうしてますか? 個展会場で在廊していると、カメラを持っている男性がちらほら。首から下げていたり、肩がけにしていたりと、皆さんちゃんと持ち歩いている様子。それも私のカメラよりでっかくて重たいものばかりを目にする。よく疲れないなあと不思議に思う。どうしたって身体の構造も耐久力も違うのだから仕方がないのだけれど、こんなことにさえ悔しいなあと思う。

有料
100

DEMOと千人針

千人針のことを教科書で知った、その時のインパクトが私の中に強く残っている。 針を刺し玉留めを作る女性たち、生きて帰りたいとお守りにした男性たち。性別により立場の違うもの同士が互いを愛している。この針ひとつひとつに、愛と願いと無力さも感じて、様々な叫び声が聞こえてきそうで、直視することが苦しくなる。 針仕事という女性性や愛情の表現、母性や母親の記憶。服を手作りしていた時代、着物の文化があったからこそのデザインにも、なんだか惹かれるものがあった。 私は作品のために縫い物をよくす

有料
100

人間は作品だと思ったあの日から

人間は作品だという考えを持ったとき、私は17歳だった。 考え事をするために、私はよく新宿東口の広場に行っていた。ちょうど人が待ち合わせなんかをするスポット。地元だとどうも落ち着かなくて、わざわざひと駅電車に乗って新宿に行った。このためだけに新宿に行くっていうも不思議だけれど、それだけ地元の街の中では一人になれる場所がないように感じていた。それと、新宿のあの汚さと何かしらの欲を満たすために来た人々の雰囲気がザラザラと心地良かった。地元は新宿をすごく小さくした感じで、夜になると酔

有料
100

ぶつかりおじさんという卑怯な暴力「2/12-2/18」

母が新宿駅でぶつかりおじさんの被害にあった。怪我はなかったけれど、腰にダメージを負って湿布をするくらいの状態。 通称ぶつかりおじさんって名でニュースにも取り上げられたけれど、複数のぶつかりおじさんが存在するようだ。映像もネットに転がってるし、大怪我をした方もいる。捕まったパターンもあるみたいだけれど、わざとではないと言い訳できてしまうし、すごいスピードで歩いていくしでなかなか捕まえるのが難しいようだ。小柄で大人しそうな1人で歩いている女性を狙うので、私は新宿駅ではかなり警戒し

有料
200

銭湯「2/5-2/11」

久々に地元の銭湯へ。 地元には銭湯がいくつもあって、子供の頃からよく行った。親戚や友達が泊まりにきた時なんかは自宅風呂よりも効率的だしと「子供らはまとめて風呂に行ってこい」ってこともよくあった。広い風呂に入るのが気持ちよくて、私は今でも銭湯が好きだ。引っ越す前は毎週のように行っていたし、友達と飲みに行く前にひとっ風呂っていうのも好きだった。(昔、銭湯のチケットをいただいたことがあったけれど、私にとってはビール券などの商品券と同じくらい嬉しいプレゼントだ。)

有料
200

心に何かが灯るとき「1/29-2/4」

心に何かが灯るとき、私は絵を描く。そりゃあ描きだせばとりあえず絵は完成するけれど、何も灯らないときに描いた絵はなんだか良い絵じゃない。 私の心に何かが灯り描くものが浮かんでいるときに描く絵は、見る人にとってもハッキリと違うのだと思う。 そういうときの絵は一気に描きあがる。もちろんサイズの大きい作品の細部は一気にとはいかないけれど、その灯りがあるうちに集中して描く、翌日もその翌日もその灯りは消えない。そうやって描いた自分の絵が私は好きだ。私がそこにいると、絵を見て思えるから。

有料
200

しましょうね〜「1/22-1/28」

沖縄には2.3年に一度は行っている。 初めての沖縄は仕事だった。当時はスマホなんかなくて、沖縄は冬でも暑いとしか思っていなかったから夏の始まりくらいの服装で行ってしまったら寒くて寒くて、現地でダウンを買った。用意されていたウィークリーマンションはシャワーしかなくて冷えきった身体をあたためることも出来ず、薄い夏掛けしかない布団で寝るのがつらすぎた。何度かスパに行かせてもらえたけれど、泊まった場所も行った場所もハッキリとは記憶にない。多分あのスパは美浜のスパで泊まったのは国際道

有料
200

純粋な色「1/15-1/21」

絵の話をちょっと話していた時のこと。 作風として赤と青にこだわっているのか?と聞かれ「こだわってはいない」と反射的に答える。じゃあ他の色の表現もしたら?と言われると「他の色が見えない」とまた反射的に言葉が出る。こだわっているという言葉の意味や受け取り方はなかなか難しい。私は赤と青の絵しか描きません!なんて決めているわけでもなく、その表現しかしたくありません!なんて主張からくるものじゃない。ただ、ただ単にハッキリした色しか見えないだけ。 赤と青は初歩的な色だし子供のようでもあ

有料
200