「受験勉強」の捉え方は、同じ東大生でも異なるという話
「受験勉強」の捉え方は人によって異なる。当たり前の話である。しかしこの記事で私は、「受験勉強を熱心にする人もいるが、やる気がない人もいる」といった当然の話をしたいのではなく、「中高時代に人生に対して受験勉強をどう位置付けていたか」が同じ東大生(同じ高学歴)であっても異なるのでは、という持論について説明する。
超進学校時代や東大の同級生を見てて思うことだが、受験勉強の捉え方には①ベースに遊びがあって、その中で受験勉強の時間を確保してきたタイプ、②ベースが受験勉強で、その中で遊びを確保してきたタイプ、の2パターンあると感じる。両者について詳しく説明しよう。
①ベースに遊びがあって、その中で受験勉強の時間を確保してきたタイプ
ここでいう遊びとは、友達とカラオケに行ったり、ゲームをしたりといったいわゆる遊びだけでなく、部活動や習い事、模擬国連などの課外活動も含まれる。
このタイプの人は、受験勉強は中学高校生活において、何よりも優先されるべきこととは思っておらず、あくまで遊びを含む様々な活動の1つに過ぎない。そのため、様々な活動と受験勉強を両立させる必要があり、必然的にマルチタスクの能力が求められる。
受験勉強が楽しいとは思っておらず、あくまで地位や名声を得る手段と割り切っている節がある。
公立中高で運動部に打ち込んで一浪で東大に来た人や、超進学校で課外活動やプログラミングといった趣味に没頭して、受験勉強を高3の1年だけで仕上げた人がこのタイプに該当すると思う。
②ベースが受験勉強で、その中で遊びを確保してきたタイプ
中高時代に勉強中心の生活を送ってきた、いわゆるがり勉タイプである。
このタイプの人は、受験勉強は何よりも優先されるべきことだと思っており(あるいはそれ以外の世界を知らない)、勉強以外の遊びをしている時に罪悪感を感じるような人である。真面目な性格ともいえる。
私は中高時代に完全にこちらのタイプであった。遊びをしたいという気持ちはもちろんあったが、いざやってみても受験勉強のことがちらついてどうにも落ち着かなかった。
世間一般のイメージとして東大生や超進学校の生徒はこっちのタイプが多いと思われがちだが、意外と少ない。みな勉強とそれ以外の活動をうまく両立させてきた、器用な人が多いと感じる。
まとめ~どちらが頭がいいという話ではない~
今回は、同じ高学歴でも①遊びありきか、②勉強ありきかという2つのタイプがいることを説明した。ここで注意しておきたいのが、同じ高学歴同士で比較した場合、勉強ありきのタイプ②の方が頭がいいとは限らないという話である。ここでいう「頭がいい」とは、地頭がいいという意味だけでなく、受験偏差値的な意味でもそうである。
東大生にもタイプ①の人は非常に多い。理3に行くような人にがり勉タイプは少なく、むしろ中高時代に平均的な東大生よりも課外活動にも打ち込んできたイメージである。
同じ高学歴でも、加えてコミュニケーション力や運動神経も高い人は、勉強だけの生活は物足りず、他の遊びもしたいと思うだろう。逆にそういった能力が低い人は、勉強以外で輝くことができず、勉強に打ち込むことでアイデンティティを得たいと思うのかもしれない。要は生まれ持った性格や能力の違いが反映されているのであろうか。
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