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部屋の掃除

2019年。新年を迎えたけど部屋が汚い。

2018年、仕事納めをした時点で掃除もろくにせず早々に実家に帰る飛行機に乗ったので当然の結果といえば仕方がない。

実家に帰る前日、会社で忘年会があった。お店との連絡、景品の用意など幹事として動いていた。忘年会当日は無事に進行できた甲斐もあって終始楽しく暴飲暴食をし白ワインをしこたま飲んでいた。

結果的には翌日二日酔いになった。目覚めも最悪で部屋も最悪だった。

前日に荷造りをしていたので、仕分けしようと床にぶちまけたものの結局放置した衣類達が散らばっており、そんな受け入れ態勢のない部屋に忘年会で余った景品を持って帰っていた。かくして、服が散らかっているスペースの上に紙袋の山がコーティングされ、さらに机の上から落ちてきたであろう書類などが被さり、まさしく埋立地といえる集合体が形成されていた。試しにウィキペディアで埋立地を検索してみたら例えとして全く相違ない概要が記載されていたので気持ちよかった。言い得て妙。この中に財布とか部屋の鍵が埋もれてたらゾッとするくらいの仕上がりだった。

その日はお昼までに成田空港に行かなくてはいけない状況にも関わらず、二日酔いが酷すぎたので起床してしばらく水を飲んで横になってを繰り返していた。そんなことを30分ほど繰り返していたが、埒が明かなかったのでとりあえず何か食べれば気分良くなるかなと思い立ち、近所のセブンイレブンでかき揚げそばを購入。3口目で吐いた。吐いたら吐いたで外で吐くリスクは潰せたので幸いにも家を出てもセーフなコンディションになった。食いかけの蕎麦は台所に置いていき、埋立地もそのまま、後のことは考えず家を出た。

そんな状況で然るべき有様がこの部屋である。いまパソコンでこの文章を打ち込んでいる背後に広がっている。甲斐性のない25歳。

帰宅後、一番心配だった食いかけの蕎麦は幸いにもチルド方式だったので匂いも漏らさずシンクも汚さず陳列時と同じ綺麗なフォルムでカップ内で凝固していた。何だかやさしいなあ、とますますセブンフードが好きになった。そう思う反面、1週間経過しても異臭もなく綺麗に凝固している様はケミカル的に怖いなとも思ったが、今後のお付き合いも考えググるのは見送った。

最低限の導線は確保しておきたかったので、床に散らばった衣類達はとりあえず衣装ケースに詰め込んだ。この部屋に入居当時、このケースには下着類、このケースにはズボン類と丁寧な生活を心がけていた自分を裏切ってる気持ちになって精神がすり減っていく。また後でやればいいやというのは往往にして後でやらず忘れられていくので、こうして行われた本来あるべき機能の改悪が無意識の内に重なっていくのである。その結果ふとした時に掃除大変だなあと思うのである。自分を戒めるべき。

掃除ができなくなったというよりは、潜在的に掃除ができないのかもしれない。今の部屋に引っ越すにあたって真っ先に手に取ったのが都築響一の賃貸宇宙という写真集である。もともと念のこもったものが好きで、都築響一の写真にはそれらが純度100%で映し出されている。ゴミ屋敷さながらの部屋に全裸の家主が猫を抱っこしている写真、ミニマリストな部屋にぽつんと際立ったポスターが貼られている写真、口の字に本が平積みされその真ん中に布団だけが置いてある写真、とにかく一つとして商業誌で見るような綺麗な部屋がない。そこに魅力を感じてしまう性分だからもうどうしようもないのである。上京1年目に住んでた部屋は壁一面に日付を記入したチェキをタイムラインに沿って貼っていた。早朝、新聞配達の音が聞こえる中、部屋で作業をしていてふと孤独感が湧き上がった時にそれを眺めると結構落ち着くので気に入っている。今の新居でもそれをやろうとチェキを増刷したが、いつもその前に部屋を掃除しなくてはと振り出しにもどる。チェキに限らず、新しい家具を買うとき、友達と遊ぶとき、映画を見るとき、決まってその前に掃除しろと引っ越して間もない頃の自分の残滓が語りかけてくる。

みんながみんなではないと思いますが、フットワークが重い人は部屋の掃除した方が良いかもしれないです。


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