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なもなきくまのりれけむ

本日お送りする音楽は、半世紀以上昔の火星で活躍したサミュエル・ダッドの歌曲です。

サミュエル・ダッドの作曲する音楽は、初めて耳にする者にとっては軽快なメロディに満ちています。ところが、繰り返し聴き込んでいくにつれて、サミュエル・ダッドの表現しようとする音楽が、実は悲哀や告発の裏返しであることに気づくようになるのです。それは著しく意図的なアイロニーで満ちた音楽でした。

サミュエル・ダッドの生きた火星では、当時、大っぴらに自由が叫ばれていました。何をするにも自由のレッテルが貼られてしまい、どこへ行くにも自由な行動が求められたものです。あらゆる自由は必ずしも恣意的なものを指すわけではありませんでした。自由でなければ弾圧されるという矛盾を孕んでいたため、どこかいびつで住み心地の悪い自由さだったのも事実です。

だから、サミュエル・ダッドの音楽の表向きな一面の気儘な軽快さは、当時の気風の追い風に乗った調子になっています。子どもたちはダッドの音楽をよく歌いました。「くまのりれけむのありなんと」で始まる有名な歌は、ダッドの死後に発表された自伝『我が火星に我が歌の響くなかれ』のなかで「あの歌に出てくる熊は偽の自由の象徴だ」と書かれていて、一躍センセーションを巻き起こしました。

サミュエル・ダッドの生涯を見渡すと、六十年という歳月は余りに短いものだといえます。自由の世相は社会全体を見渡しても、平均寿命を短くする傾向がありました。ダッドも荒波に巻き込まれた一人だといえるでしょう。

サミュエル・ダッドの死後半世紀を経た現在、火星自由主義は衰退してしまいました。かといって、もっと過去にあった強権的な言論統制が復活した訳でもありません。あらゆる苦悩のあとの深い眠りのような、すべてを通過させることのできる時代が訪れていました。だからこそ、サミュエル・ダッドの音楽が、現在見直されはじめているのです。

では、お聴きいただきましょう。サミュエル・ダッドの歌曲集『不思議な動物たちの森』から「なもなきくまのりれけむ」です。

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くまのりれけむのありなんと
ほらよりすすめよつきすすめ
らんららんらんわたしはだあれ
わたしはなもなきくまのりれけむ

くまのりれけむのゆくさきは
ほらあななんてありえないよ
どんどどんどんたいこたたいて
おこしてしまうよねてるよいこも

だあれもいないせかいには
くまのりれけむだってくらせない
どんなにひろいせかいでも
くまのりれけむのなはなのれない

らんららんらんあなたはだあれ
わたしはなもなきくまのりれけむ

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