見出し画像

アキレス最後の戦い(VI)~ペンテシレイアの消滅

数キロ先を行く車両数台のテールランプが、突然消えていった。視界は良好で、坂が波打って邪魔をしている様子もない。

「ヤバいよ」と「ペンテシレイア」から無線が投げられた。退避場所といっても、走っているのは見渡す限りの荒れ地だ。サワロサボテンの密集地に車を停めて、サボテンの陰から前方の様子を窺った。

変化はなかった。消えた車両だけは消えたままだった。ハイウェイの先には、現在無人だといわれる都市の陽炎が揺れていた。そのさらに向こうに、目的地の高原が広がっている。

「亀」と「ペンテシレイア」は凄い勢いで静音モードのキーボードを叩き始めた。火星情勢に変化がないか、多角的に情報を収集していた。これといった問題は生じていなかった。ただ、すぐそばのサワロサボテンの密生が、落ち着きのない電波を発生している原因が、どうしても特定できなかった。

*

「そろそろあたし、あんた達から離れたほうが無難かもしれない。あたしがもし撃たれるのなら、巻き込みたくない」とペンテシレイアが囁いた。「東の空を見て。あの雲に、昔から見覚えがあるんだ」

彼女の指先に浮かぶのは、何でもない形の雲だった。あえて想像力を働かせれば、魔人ジーニーの顔を連想させるかもしれない。

「あの雲の下で、あたしは死ぬことになる。どんな理由なのかはわからない。少なくとも不意打ちのように死が訪れる。じわじわとは死なないで、急に意識がシャットダウンするの。それがあたしの予知の地平線よ」

「それが今日のことぢゃったなんて!お前さんとやり残したことが、山ほどあるわい。プログラム計算式だってもっと聞いておくんぢゃった。それより、お前さんは必要な存在ぢゃ。未来を変えることができるんなら、なんだってするぞ。どこにスナイパーが隠れているというんだ?」と「亀」が珍しく狼狽えていた。

「ジーサン、無駄よ。スナイパーをやっつけたとしても、別の弾は必ず飛んでくる。それが時間というものよ。あたしたちは時間を騙せない」

彼女は携帯していた持ち物を、すべて亀に手渡した。声を押し殺して「亀」は大泣きしていた。彼女が「亀」をそっとハグした時、一瞬だけ二人の姿が薄くなった。そして二人が離れた時、「亀」は人が変わったように落ち着いていた。

「これで最後ね」と彼女が僕にハグをした。その時、僕はうっかり彼女が人であることを忘れてしまうくらい、彼女の身体から風圧の押し寄せる気配と、逆に吸い込まれてしまいそうになる気配の両方を感じた。同時に、素の「ペンテシレイア」の意識が、どっと流れ込んできた。何億年もの長い時間が、僕の中を過ぎてゆく気がした。

*

煙が立ち込める街。ラジオから「サマータイム」の歌が流れている。これは彼女の3歳の記憶だ。いろんな会話が超高速で流れてゆき、笑ったり悲しくなったりしては、周囲のものが現われたり消えたりする。少し年の離れた兄がいる。よく話を聞いてくれる兄は、両親よりも頻繁に現れる。何も疑う必要のない存在が、兄だった。

あっという間に彼女は十代になった。唐突に兄が死んでいる。情報戦争に巻き込まれて、くだらない言い掛かりをつけられて狙撃されていた。またラジオから「サマータイム」が聞こえてくる。夢が覚めてもいいから、死んだ兄に教えたい。誰にも言えない想いが、彼女のなかで膨らんでいた。

そこから、現実と仮想現実が入り組んだ記憶の海が、一気に広がっていく。失った兄のことが中心核として存在していて、その周囲に土星の輪に似た状態で、成長した彼女の意識が広がっている。その状態は現在に続いている。

そこまでの時空を再構築したあと、彼女の声が聞こえた。「アキレス、あんたを見てると、いつも兄のことを思い出してしまうの。それだけよ。旅は短かったけど、あたしには永遠だった。ありがとう」

僕が意識を取り戻した時、すでに「ペンテシレイア」の姿はどこにも見当たらなかった。「行ってしまったよ」と「亀」が力なく言った。「あんたの腕の中で、消えちまった。こんなことが起きるなんて・・・」

ジーニーに似た雲はとっくに変形しており、元の形の片鱗も留めていなかった。僕の身体にまだ彼女の輪郭が押し付けられている気がして、ものすごく悲しかった。

(to be continued. )


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?