アキレス最後の戦い
僕が「亀」というハンドルネームの男と出会ったのは、よくできた仮想空間の中だった。「亀」は俺の本名を知っていた。きっと只者ではない。火星情報化社会に不満だらけか、もしくは情報に同化した火星生活者だろう。
もちろん、僕は「亀」のことを信用しなかった。僕の「アキレス」というハンドルネームを茶化すために、わざと「亀」と名乗ったのだと思い込んでいた。
「アキレス」は決して「亀」に追いつけないから。
だから、僕の頭がモヒカン刈りであることも、伏せて置いた。追いつけないと見せかけておいて、お辞儀をすれば、モヒカンヘアの先が亀の先を行くというのが僕のとっておきの秘策だった。
どこから情報を仕入れてきたのか、「亀」は「その頭でタクシードライバーでいるのも大変だな」と僕の本性を当ててきた。「亀」はいたって身近にいる存在なのかもしれない。どこかからカメラで見ているのかもしれない。
「例えそうだったとして、僕になんの用があるんだ?」とだけ言い返しておいた。
「亀」は「ははは」と文字で笑って、答えなかった。
*
「亀」の目的がはっきりしてきたのは、彼からのオフ会の依頼だった。火星ご当地の地ビールを飲み歩くという趣旨で、参加者はもう一人、「ペンテシレイア」というハンドルネームの女の子だった。仮想空間では女子高生だと名乗っていたが、酒に強いということは怪しい。
「ペンテシレイア」は明らかに素性がおかしく、僕のなかでは危険人物だった。そのハンドルネーム自体が「アキレス」と密接に関連しているのも気にかかった。そして決定的に僕を震撼させたのが、彼女の発言は現実の一歩先を言い当てていることだった。
用心に用心を重ねて集合場所のファミレスにたどり着くと、八十代にみえる爺さんと、パーカーを着たどこから見ても十代の女の子がすでに出来上がっていた。でも、爺さんは五十代で、女の子は二十代だという。
そこにモヒカン刈りの痩せこけた三十男が合流したわけだ。なんてメンツが集まってるんだ。
*
自己紹介は一切なしでオフ会は始まった。仮想世界の扉を閉じてしまいたくなかった。だから、僕たちはいつものハンドルネームで、相変わらずの会話を始めた。
(亀)「オフラインというのは武器のひとつぢゃ」
(ペンテシレイア [以下、ペ])「さっすがジーサン。セスナに同乗させてやるよ。今メンテーだろ?で、火星人大移動のスケジュールはどうする?アキレス」
(アキレス [以下、ア])「二週間後。状況次第では来週かもしれない」
(亀)「あまち」
(ペ)「裏の裏の裏の裏をかいて今から移動するってのはどう?」
(亀)「そのつもりでわしは今日も、プログラムの一切合切を持ち歩いておるのぢゃ」
(ペ)「いつでもあの世に往けそうね」
(ア)「今からですか?」
(亀・ペ)「そうぢゃ」
僕は意表を突かれた。これこそが彼らの手段と目的だった。一切の猶予を与えないという、強引なスタートだった。仮想空間が主体となりつつある火星で、相手を混乱させるには最適解だった。
(to be cotinued)
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